今回もまた岡野市長の話。
市長が校長時代、荒れた中学校を命がけで立て直した苦労と信念。 俺は置くの学校の校長先生に聞かせてやりたい。
やれば出来るという事、しかし、一人ではできない。学校の教師が一丸となって協力すれば絶対にできる。いうことを聞かない教師がいたら、知らせてくれ。俺が判らせてやる。
では、市長の文章を紹介する。
家庭教育を充実させるにはどのようにすればよいのでしょうか。昔は隣近所に怖い親父さんがいて、うるさいおばさんもいました。近所の大人たちは人として駄目なことをすると叱ってくれました。また、叱られたら、その子供は逃げましたが、それに気づいた親は、注意してくれた方へのお礼の言葉を忘れなかったものです。
ところが、今は、叱ってくれた尊い方の家に親が抗議に行くということが非常に増えてきました。
また、 昔はガキ大将がいました。ガキ大将は、正義感を持って自分の友達が理不尽意いじめられれば仕返しすることもありました。 集団(仲間)を守るとか、集団の中でのルールのようなもの、通過儀礼的なものがあって、
社会への適応方法を自然に覚えていきました。
ガキ大将は「お前下っ端だから買い物に行って来い」だどと命令もします。今だとばしりだとか言われますけれども、当時もそれは当たり前とされてきました。ガキ大将は、命令もしますが、やさしさもありました。例えば木登りするときなど、枯れ枝を上りながら折っておき、跡で登ってくる仲間が誤って落ちないようにするなどの思いやりもありました。
このようなところで社会の矛盾とか、長幼の序の体得ができたのです。しかし、今の子供たちはこのような経験をつむことはできません。温室育ちですから、「いじめ」に対しても非常に弱くて自殺してしまうような子供も多く出ていると思います。
現在は、子供を鍛えることを忘れ、問題を取り除くことばかり考えています。
心身ともに打たれ強い子供を育てること、
悪と戦う正義感を身につけることが大切です。
子は親の背中を見て育つわけですから、もっとも身近な教師である親の生き方や世間の人の生き方が、大変重要ではないかと思っています。
家庭教育では「躾」が大事です。
学習の「習」は、羽に白と書きますが、 鳥が何度も羽ばたきするところを意味しています。親鳥の羽ばたくのを見てひな鳥が飛び方を覚えるのです。 親が正しい飛び方をしないと子供は気から落ちてもう二度とあがれなくなりますよね。家庭教育というのはそれと同じで、基本的な 「躾」に重点があると考えています。「躾」は
身を美しくと書くように、
人としての生き方を覚えるという意味で,
教育の中でも,一番重要なことなのです。