レモンのひとりごと@横浜

15年8月から夫婦二人だけの生活をしています。16年からペースメーカーを装着してスローな生活をしている60代です。

寝坊

2011年01月31日 19時34分37秒 | 気ままに

最近特に朝、起きれない

毎日ギリギリにやっと起きる状態。

新聞は時々夜に朝刊を読む。

帰宅したらテーブルの上の新聞が番組欄を開いてあって 

     

昼過ぎから出勤した主人からのメモが貼ってある。

朝、食器を洗わないで出勤した私。 帰宅したら流しの中の食器がなくなっていた。

グータラ主婦に呆れているのかも?

昨晩のお返しかな?
昨夜のJR横須賀線上りの終電が遅れていた。
「少しだけ遅れている東海道線に乗って横浜駅まで行く。」というから
横浜駅に迎えに行ったら、

「東海道線が横須賀線の線路を使うから横須賀線の東戸塚駅と保土ヶ谷駅にも止まると案内があった。 僕はどこで下車したらいい?」 なんて携帯。

慌てて保土ヶ谷駅にUターン。   面倒な日だった。

下り電車で出勤は今日が最後の主人。
明日からは終電まで混雑している下り電車で帰宅だ。
駅から駅まで1時間弱の通勤になる。

毎回0時の帰宅になるようだ。

めげずに頑張って仕事をしてください。


私の口は災い

2011年01月30日 15時48分44秒 | 気ままに

主人が人事異動だ。

3ヶ月間だけが家から近い場所だった。

でも、念願のいち担当者となり週4日の勤務となる。

私「担当者になったんだから、週5日勤務でもいいんじゃない。」

主人「 僕にもっと働け! と、いうことか
         お前が、働けばいいだろ!

私「ごめんなさい」 (クワバラ。クワバラ。)

 

  週休3日の内、2日が同じ曜日が休みだ。。。。。。。。。。


2011年01月23日 23時57分07秒 | 気ままに

木になっているミカンがだんだん甘みが無くなってきた。

そして、鳥にもいっぱい食べてもらったが、鳥の分として10個ほど残して

私が食べる事にした。

カラスは木から落して巣に持帰っているみたい。

日本水仙がわずかだけの庭にミカンが無くなり寂しくなった。

 


花瓶

2011年01月21日 19時05分35秒 | 気ままに

主人に定年祝いの花が届いた。

それに合う花瓶を家中探したが 無い!

つい主人の顔を見てしまった。

「僕知らないよ。捨ててないよ。」

「あなたが捨てたとは思っていない。
 自分がどこか奥にしまったような気がする。
 最近見た気もする。。。。。。。
 私が捨てたかも。最近使わない花瓶を捨てよう。と思った記憶がある。」

合わない花瓶に入れて、
買いに出かけたがイマイチ気にいったのがないので買わずに帰宅。

そして考えたのが  ↓  ↓  ↓  ↓ 

            ウオーターピッチャー

前よりマシになった。 でも、まだ、小さい

   

次に使ったのが氷を入れる器  ↓  ↓   ↓ 

 

花瓶が無くてもどうにかなる事が分った  マシになったでしょ

 

年末にコップや食器類をいっぱい捨てた主人が
なんでコレを捨てていないんだろう。これこそゼンゼン使っていない物なのに。。。。。


布団

2011年01月20日 19時55分08秒 | 気ままに

敷布団を買い換えた

袋に入っている時は気にもしなかった。

チビの私には210センチの長さは必要ないけどガマン。
敷いてみたら100センチの幅は今までのより広い気がする。
勘違いかもしれないけど。。。

今回は多重構造の敷布団。

ベランダに干す時にとても大変。

初日から布団に負けてベランダを引きずって汚してしまった。

以前に使っていた西川のムアツ布団の時と同じ状態だ。
今回も西川の布団。

きちんと三つ折にならず、すぐグア~ンと広がってしまう。

布団干しに格闘です。

 


誤りがありました

2011年01月18日 00時59分10秒 | 気ままに

以前に再発性多発軟骨炎の署名の記事を載せました。が、間違った情報が載ってしまいましたので訂正をしました。

患者支援の会からブログの間違い部分の説明が載っています。

それを読むと、死亡率は低いという事です。

  ・・・・・・・・・  良かった   ・・・・・・・・

 

      詳しくは

    ↓  ↓  ↓  ↓

・患者数293人→正しくは239人

・「12歳までの子供は100%生存できません」
→正しくは 元気に頑張っておられます。11歳で元気に学校に行ってる子、3歳で発症して現在23歳の方が居られます。

・「常に死の危険に・・・」
→正しくは きちんとした治療を受ければ致死率は極めて低い病気です。お仕事をされている方も多くおられます。

・「難病に認定されていない為月額20万円の生物学的製剤を・・・」
→正しくは 月額の治療費は平均22,000円です。生物学的製剤は確かに高価な薬ですが、それを服用している方はかなり少数です。また、この薬はリウマチ治療薬で、リウマチを患っている方が多く服用されます。

・「難病認定には50万人の署名が必要」
→正しくは 認定と署名の数は関係ありません。150万人集めても認定になっていないところもあります

・「5年後に命を奪われる確立は30%」
→正しくは 現在の研究で10年生存率は94%です。致死率は極めて低い病気です。


漬物

2011年01月15日 23時13分38秒 | 気ままに

おばあちゃんの原宿「巣鴨」に行った時に

商店街を入ってすぐの所に「漬物屋」がある。

ここで、初めてお目にかかった漬物があった。

タマネギの甘酢漬け(赤く色づいている)・ ゆずが香るタマネギの薄塩漬け・
試食はなかったエリンギの醤油漬け・

もう1点。何だっけ?  忘れしてしまった。

 

3日後の今日、思い出した。

「タケノコの醤油漬け」だ!
           タケノコの香りと味が口の中に広がって美味しかった。

 

帰りがけに
どんな味がするか気になった「エリンギ」と「タケノコ」を買おうと店内に入ろうとしたら
主人に引きもどされて買わずに帰った。


暖かい日?寒い日?

2011年01月13日 21時31分34秒 | 気ままに

出勤したら、

同僚が「昨日は温かかったね」

ワテ 「エ~?  とっても寒かったよ。」

同僚は横浜の港の見える丘公園と外人墓地周辺を散歩していて温かかったそうだ。

ワテは、おばあちゃんの原宿<巣鴨>を散策していて

とにかく寒い! 太モモがピリピリ痛いほど寒かった。
貼るカイロを買って両方のモモに張り、スラックスのポケットにも入れた。

この日の私の行動は

野暮用で東横線の中目黒駅下車。目黒川沿いをチョッとだけ散歩。
ここは30年ほど前まで務めていた場所。
目黒川の桜の木がすごく大きく川の中までかかっているのに時の流れを感じた。

 

その後はおばあちゃんの原宿<巣鴨>へ向かった

アーケードの屋根にソーラーパネル

 

さすが巣鴨! 信用金庫の窓にはこんな文字

 とても寒い日なのに「古奈屋」の前は順番待ちの人の列(路の右側に並んでいる)

初めての巣鴨だったが、一度行けばいい。
大山や善光寺の参道のような雰囲気だと思った。
路を歩く人に親しみの声をいっぱい掛けてくれる。(売り子さんたちの呼び込みの声です)

 

その後は巣鴨駅を通り越して六義園へ向う。

途中、大きな屋敷が続く路を通って

六義園の塀がまるで刑務所のように高く、そして長い。
半周して入口にたどり着く

 

 

園内の説明書きの看板を読むと明治に入って岩崎弥太郎の所有となる。
そして六義園の周辺を高級住宅地として開拓。(それで先ほど通って来た路の邸宅が広いのかな?)
東京の半分は岩崎弥太郎の所有?と思われるくらい広大な土地を所有した?

門の中に唯一の桜?「しだれ桜」

 

藤代峠に登ると一望

 ここと小石川後楽園は同じような雰囲気を感じる。
日本庭園とはどちらも同じような物なのかなあ?

白梅がチラホラ咲いている。でも、日陰の地面には霜柱が立っている。ここも寒い。

 

雪の心配のない東京で芸術的な雪囲い

 六義園の動画案内

 

帰り路はJR駒込駅へと向う。


数ヶ月も顔を見せない長男の顔を見に池袋で下車。
突然現れた私達に慌てた元気な息子の顔を見れた

その後帰宅。 家に着くころには暗くなっていた。
よく歩いた。  寒くて疲れた日でした。


1月10日はムムム

2011年01月11日 23時35分44秒 | 気ままに

出勤したら

「昨日の成人式はどうだった?」なんて何人にも聞かれた。

話したくなかったけど、、、、、、、、

「聞くも涙。
 アリーナの入口の受付の名簿に私の名前がなかったので入れなかった。
 それで、そのまま家に帰った。
 駅で職場に出勤する人に会っちゃった。
 出勤するよりも早く家を出たのに。

「そのまま出勤したらよかったのに。交通費もかかっているし。」

この時は
ボランテアのユニフォームを着ているし、休日なのに仕事なんてしたくない。
私の心は爆発しそうで奇声を上げたい状態だった。

明日の夜は区役所でボランテアの打合せがある。
主人に言ったら「ボイコットしろ。当分行くな。」

私もその気持ちが強い。明日のその時間の気分に任せよう。

 

 

成人式の日は帰宅してから

垣根涼介著「ワイルド・ソウル」の続きを一日読んで過ごした。

 

この本を読んで行きたくなった場所

海外移住資料館 に先週主人と行った

歩道橋からの入口には
港の見えるレストランと表記

私が中々出たこないのでレストランでビールを飲もうとした
主人 「ビールはなかった。海は見えない。料金は安い。」

平日だからと言うわけでもないと思う。
中は広く人はいない。暇つぶしにはもってこいの場所。

期待していた内容のものはありませんでした。
公共の施設だから日本国のマイナスになることは表示されていなかった。

全部は観ていないので次回は一人で行ってランチを食べてこよう。


寒い

2011年01月08日 18時54分51秒 | 気ままに

昨晩はとても冷えていて寒かった。

  「冬だね。寒いね。」

 

朝、カーテンを開けたら

窓に結露がナイ! あんなに寒い夜だったのに?

 

    窓が開いている!  

 

今朝は、この冬初めての霜柱を見た。

 

息子「夕方に窓が開いていたよ。
      そのまま朝まで開いていたんだ。」

昨日は、主人が休みで家のことをしてくれた日でした。


違い

2011年01月04日 21時33分53秒 | 

私は良かったと思った本。

主人からはイマイチの言葉

それは 宮本輝 著 

 

            ドナウの旅人・上(朝日新聞社) ドナウの旅人・下(朝日新聞社) 

「海岸列車」 1988年1月~89年2月まで毎日新聞に連載

                                    「ドナウの旅人」1983年11月~85年5月まで朝日新聞に連載

どちらも知的な女性が主人公。

「海岸列車」の主人公のかおりは兄妹を育ててくれた叔父が死んでブルジョワの文化団体の責任者に25歳でなる。
兄は中年女のヒモになりその日暮らし。

「ドナウの旅人」は
主人公の母が家出。
ドナウ川を旅している手紙が届き、母を連れ戻しに後を追う主人公。
18歳下の男性と一緒だと知る。
それを追いかけて一緒に黒海まで旅をする。
母と旅をしている彼は自殺する為の旅行だった。

私は最後まで面白く読みました。

 

そして今は
垣根涼介 著 「ワイルド・ソウル」 を読んでいる

ワイルド・ソウル(上) ワイルド・ソウル(下)

上の2つよりもっと面白い

日本国が推奨したブラジルアマゾンへの移民から始まる。
家族達はブラジルの地元人も入ったことがないアマゾンの奥地へ移住させられ、
過酷な環境での生活。そんな言葉なんて。命を掛けた生活です。その部分は上巻の1/4。

主人はこの本を夢中で読んだ。
 主人の本を読むスピードが私の10倍くらいかな。

私は家では入浴中くらいにしている。
そうしないと家事はおろか睡眠もおろそかにしていまいそう

横浜レンガ倉庫の近くに
海外移住資料館があるがまだ中に入ったことがない。この機会に入ってみようと思う。
本のストーリーでアマゾンの箇所は実話があるのか?
あった場合はその資料はあるのか?
ないような気がする。確認の為にも行ってみよう。

 


迷ったけど載せました

2011年01月04日 01時45分04秒 | 気ままに

2011年1月17日に文面の一部に誤りがあり訂正ラインを引いて赤字に訂正しました。

 

私ごときが載せてよいのか迷ったあげく不精も手伝って遅くなったけど、

ここを訪問してくださっているわずかの人達へも伝えられると思って載せることにしました。

 

それは、私が訪問しているブログの

ほっくんパパさんから転載のお願いです(以下、原文のままコピー)

病気のお娘さんを抱え、苦しんでいる友人がいます。 
                    皆さんのお力を借してください。



gooブログには文字数制限があるので、若干内容を変更させていただきましたが、ブログで

 

知り合った友人これが私の生きる道 きまぐれに。を綴るyumeさんの記事をコピーして
貼り付けたものです。 お読みいただいた上、是非ご協力をお願い致します。
     ↓            ↓            ↓            



ネットの力で救いたい
皆さんのお力を貸してください

皆様の助けにすがり娘の鮎子の命を救って頂きたく、 難病認定の書名を呼びかけています。

 


リュウマチを患った車椅子の私を、20年間手となり足となって助けてくれた、 愛しく掛替えない
娘の命をいま、「再発性多発性軟骨炎」と云う恐ろしい病が奪おうとしています。

(小さい頃に発病されても、元気で過ごされている患者さんはおられます。) 
患者さんの中にはまだ幼い子供もいます。 成人で発症した場合でも常に死の危険にさらされます。

 

難病と認定されていない為に、 月額約20万円の生物学的製剤を投与する事になります。
この額は私には無理です。 鮎子も病をおしてアルバイトを始めました。
難病と認定されれば治療データがくまなく調査され、 治療法と医療技術・医療設備の向上、
医療費の自己負担の軽減などが期待できますが、
現状は原因不明で、明確な治療法も確立
されていません。

現在2年間で、患者さんとその家族が支援団体の方々と力を合わせ、 10万人の署名を集め
ましたが、
難病と認定される為には50万人の署名が必要です。
(50万人の署名をもってしもて難病と認定されない場合もあり、更に多くの署名が必要かと
思われます)
このペースでは認定までにまだ8年も掛かります。 鮎子が5年後に命を奪われる確率は30%です
致死率は極めて低い病気です)
この病は、軟骨組織や多くの器官の結合組織に、痛みを伴う破壊的な炎症が見られる病気です。
器官の構造を支えている軟骨組織が侵され、 視覚、聴覚、平衡感覚の障害が現れ、さらには、
気道がふさがれたり、心臓や血管が重度に侵され死に至る病気です。

 

鮎子は平成22年に「再発性多発性軟骨炎」と診断されました。

鮎子には愛する人がいて、年内に結婚する予定でしたが、 病が2人を引き離しました。
鮎子は彼を思いやり、婚約を取り消す手紙を送りました。

 


私はこの手紙を読み、声を出して泣きました。
娘は、死に衣装はこの世では着ることがかなわなかった ウエディングドレスを着たいと
言います 。 
遺書もしたためています

 

私は娘が不憫でたまりません。 代われるものなら代わりたい。

 

お願いです、鮎子を助けてください。

 




「再発性多発性軟骨炎」で検索すると 署名用紙がダウンロード出来ます。
代筆で良く、FAXで送れます。
またネット署名も出来ます。
http://form1.fc2.com/form/?id=607552

 

これまでのペース、二年で10万人はあまりにも遅く、 今現在発症している人、293人の
ほとんどの人は落胆していると思われます。
我々の力で年内に後10万人の署名を集め、 この人達に希望と云う名のクリスマスプレゼントを
贈りましょう。


この病は100万人に3人の発症率で、 全国に293(正しくは239)人の患者さんが苦しんでいらっしゃいます。
身体中の軟骨を破壊するこの病に侵されると、12歳未満の子供たちは100%生存できません。

明けましておめでとうございます

2011年01月02日 21時50分53秒 | 気ままに

昨年はあまりアップできなくてゴメンです。

気分にムラが多く波が大きかった1年でした。

今年もそんな日々が続く事でしょう。

そんな私にゲキを飛ばしてください。遠慮など無用です。

どうぞ今年もそんな私をよろしくお願いします。

 

お正月はいつもと変わらないです。。

毎年恒例の箱根駅伝をTVと沿道から観た。

いや、いつもと違ってる。
主人が元旦と2日が休日。
十年ぶりくらいの元旦休日。

31日には予定の時間になっても主人からの帰るコールがなくて家で待っている人はお腹は空いて先におそばを食べちゃった。

帰るコールは酔っ払いの声だった。

用意したお刺身は元旦に回す。
そうしたらごはんが食べたくなって朝からごはんを焚いてしまった。

2日には箱根駅伝のTVが「全国大学ラクビー準決勝」と両方を忙しく見ていました。
一台はPCのTVでの視聴。
   つぶやき (PCはアナログの為対策を考えなくっちゃ。
                           メインのTVは主人用だしね。)

ラグビーの決勝は来週。
観に行きたいけど。。。。寒いといやだなあ。。。。冬だから絶対寒いし。