蝶々夫人ではなく、立原道造だ。
この状況下でこの詩に出合ったのはなんだか意味深。
山と積まれた資料を整理していて見つかった。
或る晴れた日に
悲哀のなかに 私は たたずんで
ながめてゐる いくつもの風景が
しづかに みづからをほろぼすのを
すべてを蔽ふ大きな陽ざしのなかに
私は黒い旗のやうに
過ぎて去る 古いおもひに ふるへながら
光や 風や 水たちが 陽気にきらめきさわぐのを
とほく ながめてゐる…別れに先立って
私は すでに孤独だ――私の上に
はるかに青い空があり 雲がながれる
しかし おそらく すべての生は死だ
眼のまへに 声もない この風景らは!
そして 悲哀が ときどき大きくなり
嗄れた鳥の声に つきあたる