レコメンデーターNotebook

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IPCC第5次報告書のゆくえ

2009-04-07 16:10:59 | ECO
ECOマネジメントインタビュー
IPCC WG3共同議長 オットマー・エーデンホファー氏
低炭素経済に向けたシナリオ[前編]

現への道は一つではない
複数の方策で持続可能な経済に

http://premium.nikkeibp.co.jp/em/interview/51/

IPCCは公正中立なブローカー(仲介役)であるということです。科学者間のブローカーであり、また企業や政策決定者、そして市民間のブローカーでもあります。特定の国や企業に政策提言を行うのではなく、低炭素経済実現のための道筋を調査し、国際的な枠組みや国際協調のあり方などの選択肢を政策決定者に示すことを活動の目的としているのです。

低炭素経済に向けての方策は1つではなく複数あります。科学者は往々にして、1つの「正しい」方法があるというふうに示しがちです。そうではなく、複数の可能な方策を提案しなくてはならないのです。

AR5についても、こうした方向性のもとで報告していきたいと考えています。低炭素経済の実現に向けて、合理的かつ実現可能なシナリオを、コストやリスクなどを考慮しながら作成しなくてはなりません。

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・気候変動に関する政府間パネル(IPCC)
・第5次評価報告書(AR5)
・二酸化炭素回収・貯留(CCS)技術
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(nikkeiBPnet ECO JAPAN)

「土方歳三~純潔の士道魂~」2009年カレンダー 11月

2009-04-07 02:43:21 | KOTOBA+HANASHI
しれば迷い
しなけらば迷わぬ 恋の道

(豊玉発句集)
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【近藤が散り、沖田は逝く】
鳥羽・伏見の戦いで敗れた歳三は、「もう刀、槍の時代は終わった」と語り、洋服に身を包んだ。大坂から軍艦に乗り江戸に戻った歳三は「内藤隼人」と改名。そんな折、甲府城乗っ取りを命じられた。新選組は兵を募り「甲陽鎮撫隊」を結成し甲府へ向うが、近藤は流山で敵軍に投降。歳三は勝海舟に近藤の助命を依頼するために江戸に戻ったが叶わず、近藤は4月15日に斬首に処された。行年35歳。一方、沖田は結核の持病が好転せず5月30日に息を引き取った。行年25歳。最後の言葉は「今日も黒猫はきているだろう」だったという。
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明治元年(1868)11月5日 土方軍、松前城を陥落
慶應3年(1867)11月10日 斎藤一、月真院から脱出
嘉永元年(1848)11月11日 近藤、天然理心流 近藤周助に入門
慶應3年(1867)11月18日 伊東甲子太郎らを斬殺(油小路の変)
文久3年(1863)11月21日 松本捨助が入隊希望するが土方が面接して帰国させる


「土方歳三~純潔の士道魂~」卓上カレンダー(2009年版)
http://www.reki-c.com/shop_cal09_hiji.html