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孫 正義が情報通信の未来図を語る!「30年目のデジタル情報革命。私の心にいつも竜馬がいた」

2010-01-20 21:56:00 | Mind+Impressed+Human
【『週刊ダイヤモンド』特別レポート】
◆孫 正義が情報通信の未来図を語る!
「30年目のデジタル情報革命。
私の心にいつも竜馬がいた」

大河ドラマ『龍馬伝』が人気だが、世の中に閉塞感が増してくると、幕末~明治維新のヒーローたちに注目が集まる。日本全体が沈みつつあるなか、熱っぽく坂本竜馬の生き様を語るソフトバンクの孫正義社長に話を聞いた。
http://diamond.jp/series/dw_special/10069/

・15歳で出会った『竜馬がゆく』が、人生観を変えた!
・「事を成す」とは何か
・座右の銘は、「世に生を得るは事を成すにあり」
・じつは三〇年間変わらず
・明治維新の志士に似ているソフトバンクのカルチャー
・ICに裏打ちされる次の「30年ビジョン」とは?
・電力事業はやりません

ダイヤモンド・オンライン

小川洋子:物言えぬまま倒れた死者たちの遺品

2009-11-05 12:53:00 | Mind+Impressed+Human
【アマデウスたち】
◆小川洋子
物言えぬまま倒れた死者たちの遺品

小説とは何か――。デビューから20年、探るために書いてきた。若い頃は
ひたすら自分の内側に眠る何かを探し、表出させようとした。次第に気づいた
ことがある。
http://diamond.jp/series/amadeus/10097/

世界の辺境に置かれ、誰にも認められず、いよいよその縁からこぼれ落ちようとしているものを受け止める、透明な水をたたえたプールのようであればいい。存在を小さくしておけばおくほど、大事なものが見える。

ダイヤモンド・オンライン


人の言うことに過剰反応していないか

2009-11-05 12:04:56 | Mind+Impressed+Human
●from Forbes.com
 人の言うことに過剰反応していないか

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091028/191945/

ほぼすべての分野で多くの労働者が雇用不安にさらされるなか、職場の同僚や夫、パートナーが、いつもよりほんの少しだけ過敏になっていることに気がついた人がいるのではないか。

・・・・

 筆者は自分自身の敏感さとつきあう術をゆっくりと覚えつつある。いまでも仲間はずれという感覚は大嫌いだが、同僚が興奮して話をしているときには、会話に加えてくれるのを待つのではなく、自分から彼らのところへ行く。座ってイライラするよりは、何かしたほうがいいに決まっているからだ。

nikkei BPnet(日経BPネット)

青島健太:杉山愛に学ぶ組織論「人を生かし、自分も輝く

2009-10-06 10:11:03 | Mind+Impressed+Human
●青島健太:杉山愛に学ぶ組織論「人を生かし、自分も輝く」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091002/185974/

 テニスの杉山愛選手(34歳)が引退を表明した。
 プロとしてツアーを戦い続けること17年。その間、4大大会(全豪・全仏・ウィンブルドン・全米)に62回連続出場の世界記録を打ち立てる。シングルスのランキングは、最高位8位。2000年の全豪と04年のウィンブルドンではベスト8に進出している。そして何より彼女が抜群の強さを見せたのは、ダブルスでの戦いだ。00年と03年には、ダブルスの世界ランキング1位も記録している。

・プロとは「そこにある色だけで絵を描く」こと
20代後半になった杉山さんに、こんな話を聞いたことがある。
 若い頃は、勢いとスタミナだけでプレーしていた。それでも自分の思うようなプレーができないと自分自身に腹を立てていた。
 「色鉛筆で例えると、若い頃は24色全部使えないと絵が描けないと思っていたんです。だからそんなときはイライラして……。でも、調子の良いときもあれば悪いときもある。そんなときにあの色がない、この色が使えないといっても仕方がない。そのときにある色を使ってどんな絵が描けるか。そう思えるようになってから、より落ち着いて戦えるようになりました」
 杉山さんの話を聞いて思い出したのは、メジャーリーグへの道筋を作ったパイオニア・野茂英雄投手の考え方だ。スランプについて尋ねると、野茂投手は杉山さんとまったく同じことを言っていた。
 「ピッチャーとしてマウンドに上がる以上、自分の調子が良いとか悪いとか言っている場合ではない。その日できることの中で、どうやって打者を抑えるか。考えることはそれしかないでしょう」

 それゆえ、野茂さんは現役時代、自分がスランプだ!と思ったことは一度もないと言っていた。
 世界を相手に戦っている人は、みな同じようなことを思考する。
 いや、プロとして戦うということはそういうことなのだ。

・誰と組んでも上手く行く理由
プロとしてその日できる最高の絵をパートナーと一緒に描こうとする。

nikkei BPnet(日経BPネット)

川村カオリ・・・・同じ年齢の人間として

2009-08-01 16:44:12 | Mind+Impressed+Human
川村カオリBLOG
http://ameblo.jp/kawamurakaori/
アルバム「K」セルフ・ライナーノーツ
http://www.kawamurakaori.com/K.html

『吉川晃司 川村カオリさん死去に悲痛…』Yahoo!ニュース(デイリースポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090730-00000001-dal-ent
「見事に生きた奴は滅多にいない!川村カオリが逝ってしまった」-吉川が妹分の早すぎる死に悲痛な声を上げた。
 川村さんが高校生のときに留学していた英国で知り合い、20年を超える交流を重ねてきた妹分の壮絶死。04年に乳がんで左乳房全摘出手術を受け、その後も肺などに転移したがんと闘い続けた川村さんを、吉川は公私にバックアップしていた。
 所属事務所を離れていた川村さんが音楽活動の再開を希望した際、吉川は自身の個人事務所に所属させてマネジメント。今年5月には川村さんのデビュー20周年記念ライブも大成功させた。
 吉川は当時のことを「あんな病状でアルバムを完成させ、もっと苦しい中で渋公ライブもやり遂げた。歌いたい事が山ほど増えた!まだ歌えるんだ!娘に見せるんだ!って、反則だよそれ。撃ち抜かれちゃって、木っ端微塵よ。本当は怖かったろうに、痛かったろうに。止めてやれれば、まだ近くに居たかもしれない」と、痛恨の思いを交えながら川村さんの激しい生きざまをつづった。
 闘病の中でも力強く歌い続けた川村さんに「おまえに本物の勇気見せられちまったからには、俺達も明日から今まで以上に笑顔作って頑張らな、格好悪いね」と天国に向けて約束。「川村カオリ。永久の同志。君の生き様、見事だった!知ってる奴は、絶対に忘れない」と結んでいる。


『川村カオリさんが壮絶死…がん闘病』デイリースポーツ
http://www.daily.co.jp/gossip/2009/07/29/0002173721.shtml
がんと闘い続けた川村さんが、ついに力尽きた。今月1日には自身のブログで、新たながんが発見されたことを告白。入退院を繰り返しながら抗がん剤治療を続けていたが、6月に再入院。そのまま退院することなく、最後は親しい友人らに見守られながら息を引き取り、壮絶な闘いに幕を下ろした。

 命の炎が消えるまで川村さんはミュージシャンであり続けた。ラストステージは今年5月5日のデビュー20周年記念コンサート。舞台裏で点滴を打ち、座ってのパフォーマンス。デビュー曲「ZOO」を歌った時だけはいすから立ち上がり熱唱、ファンから喝さいを浴びた。

 抗がん剤の副作用で1週間寝たきりになることもあったが、それでも創作を続け、同月27日にはアルバム「K」を発売。スタッフの心配をよそに、気力で最後の作品を完成させた。

 最初にがんが発覚したのは04年。乳がんで左乳房を切除した。ロシア人の川村さんの母も乳がんで98年に47歳で亡くなっており、当時は複雑な思いにさいなまれた。しかし、05年に復帰してからは「がんは虫歯みたいなもの。早く治せば大したことない」「年に一度はマンモグラフィー検査を」と、女性にがん検査を受けることを積極的に訴えた。

 その後、仕事復帰したが、昨年1月にリンパ節、肺、骨にがんが転移。すでに手術での切除はできない状態で、抗がん剤治療に希望を託した。同年9月に「アーティストの自分が、何か発信することで、勇気を届けることができたら」とあえて病状を公表した。

 闘い続けた川村さんを支え続けたのは長女(7)の存在だった。「娘のために生きたい」と闘病もありのままに見せた。自身のステージを間近で見せ、故郷のロシアをともに訪ねるなど、親子の時間を積み重ねた。母の強い愛は、天に召されても消えることはない-。




『川村カオリ先輩へ。』石野田奈津代Blog
http://www.ishinoda.com/archives/2009/07/post_443.html
突然の訃報に私も、かなりのショックを受けました。
今もまだ、信じられない気持ちでいます。残念でなりません。
川村カオリさんの最後まで全力で生きぬいた姿を尊敬し、
みなさんにも伝えたいと思ったのですが、なかなか伝わる言葉を探すことができません。

5月の渋谷C.C.Lemonホールでの20周年コンサートでお会いしたのが、
最初で最後でした。

同じレーベルメイトで、音楽の先輩である川村さん。
小学生の頃から、よく歌を聴いていました。

乳ガン早期発見を訴え、同じように苦しむ人がいなくなればと、
同じようにガンと闘う人の勇気になればと、
闘病中にもかかわらず、懸命に活動されていた川村さん。
コンサートでも、ひとつひとつの言葉や歌を大切に、
一瞬を精一杯生きているのが伝わり、心が動かされました。
私も、川村さんのコンサートの後、乳ガン検診を受けに行きました。
川村さんの活動を通して、早期発見に至った方も多いのではないでしょうか。
また、多くの方が川村さんの姿を見て、たくさんの勇気をもらったのではないでしょうか。
自分がもし、病に倒れたら、果たして川村さんの様に、
自分の全てをかけて、活動できるんだろうか。
自分の娘ができたとき、娘に対しても、ママはがんばってるんだよ!って、
精一杯生きることができるんだろうか。
いろんな事を、考えさせられました。

川村カオリさん、尊敬しています。
最後まで、かっこいい人でした。

私も、常に精一杯生きて、歌を伝え、
聴いてくれる人に勇気を持ってもらえる人になります。

川村カオリさん、ご冥福をお祈りします。

今逃げれば、この先“消極的な商売人”になる

2009-06-03 00:28:36 | Mind+Impressed+Human
■決断のとき・がんこフードサービス 会長 小嶋淳司 編
「がんこ寿司」などの和食業態で関西を中心に拡大を続けるがんこフードサービス。創業から46年、バブル崩壊後の不況も乗り越え、堅調に成長を維持し、今や年商215億円・店舗数101店舗。「関西の外食の雄」と称されることもたびたびだ。
だが、そんな同社も始まりは大阪・十三に構えた、たった4坪半の1軒の店だった。創業者で会長の小嶋淳司は振り返ってこう語る。
「本当に小さな店でした。大阪一小さな店。でも、この店でまさに経営者としての決断のあり方、決断から得るものの大きさを知ったんです」。
http://nr.nikkeibp.co.jp/report/ganko/

「開店から1年半ほど経ったときのことだったので資金はまったくありません。でも、思いました。ここであきらめたら、自分はこの先ずっと“消極的な商売人”になるなと。将来、同じようにチャンスや逆に問題が起きた時、困難な方を選んで決断することを避けるようになる。それではあかん。だったらやろうと決めたんです」。
http://nr.nikkeibp.co.jp/report/ganko/index2.html

(日経レストラン)

第4回「義」の章 ――「先義後利」の経営</

2009-05-21 21:09:41 | Mind+Impressed+Human
◆論語に学んで,ブレない経営を!◆
◆第4回「義」の章 ――「先義後利」の経営


「義」という言葉を聞いて,今すぐに浮かんでくる人物を挙げるとすると,NHKの大河ドラマ「天地人」の主人公である直江兼続と,その師ともいうべき上杉謙信でしょうか。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090515/330060/

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論語に学んで、ブレない経営を!(記事一覧)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/bn/mokuji.jsp?OFFSET=0&MAXCNT=20&TOP_ID=327732&ST=management

第3回「仁」の章 ――人間尊重の「3つの喜び」
読者の皆さん,ゴールデン・ウィーク(GW)はいかがでしたか? すっきりリフレッシュした頭で『論語』に向き合うと,新たな「気づき」がたくさん得られます。[2009/05/13]

第2回「学」の章
経営者の皆さん,いかがお過ごしでしょうか。いよいよ今回から各論です。「学」の文字を通して,論語を学びましょう。[2009/04/30]

第1回ブレない軸を持つことの重要性
2008年9月のリーマン・ショック以来,6割経済,5割経済ともいわれるように,急降下を遂げた世界経済。「100年に一度」という未曾有(みぞう)の不況が押し寄せて来ました。思い起こせば,まさに想定外の世界同時不況という大暴風雨の中に,自動車産業を牽引車とした日本経済全体が,アクセルを吹かしながら突如飛び込んで行ってしまった状況です。[2009/04/22]

nikkei BP ITpro

日本マクドナルドの藤田田さんから学んだ「3行日記」

2009-01-13 23:51:46 | Mind+Impressed+Human
【編集長のマルチスコープ】=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
自分の行動を振り返るのに有効な3行日記
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 2009年がスタートして、もう2週間が過ぎようとしています。
時が経つのは本当に早いですね。みなさん、何か今年の目標を立てましたか?

 私はといえば「今年は、やるぞ!」と誓ったはずなのに、その決意はどこへやら、何となく月日をやり過ごし、あっという間に1年経っていた…、なんてことにならないように、現在、気合を入れ直しているところです。

 ところで、ムダに時間を過ごさず、自分のやりたいことを実現させる方法にはいろいろあると思いますが、思い出すのは私が「日経ビジネスアソシエ」の記者時代、当日本マクドナルドの会長だった藤田田さんが取材中にしてくれたアドバイスです。

 「高柳さんね、悪いことは言わないから日記を付けなさい。僕は7歳のときからずっと付け続けているんだよ」

 7歳のときからって藤田さん、それじゃ70年近くも日記を付け続けていることじゃないですか!

 藤田さんの根性には本当に驚いたのですが、続ける理由を聞いたときに「これは見習う価値があるのかもしれない」と思いました。藤田さんが日記を付け続けるワケはこうです。

 「まず、日記を読み返していると、自分では気づかないうちに同じ失敗を繰り返しているのが分かる。自分の弱点が浮かび上がるので、それを改善したり、行動に注意したりすることができるんです。自分を反省するのに実に役立ちます。ビジネスのヒントも隠されています。流行が規則的に繰り返されるのが見えてきたり、世の中が変わるタイミングがつかめたりするんです」

 例え1週間、1ヵ月単位でも、自分がどんな行動をしていたかを振り返ることには意義があるでしょう。

 ただし、問題はいかに日記を書き続けるか、ですね。何度も挑戦して挫折した苦い経験を持つ人も少なくないでしょう。藤田さんはどうやって書き続けたのでしょうか。

 「気分が乗らないときは2~3行でもいい。とにかく毎日書くことです」

 実は昨年、私は思い立って「3行日記」を付けてみました。結果は…。

 続きました。

 どんなに酔っ払って帰っても「今日の飲み会は、愚痴ってばかりでホントに情けなかった。飲み会は明るく、楽しく!」程度なら書けます。「今日は仕事で疲れたから書きたくないから書かない。もう寝る!」だけの日もありましたが、とにかく続けることに意義があると思い、どんなに辛くても気力を振り絞って(少々大げさですね)書きました。

 今、読み返すと複雑な心境になります。だって、飲んで愚痴っている日が多いんです、思ったよりも。「何がそんなに辛いのか、高柳正盛」。自分で、昨年の自分にそう声をかけたくなります。

 まあ、こんな少々情けない思いをすることもありますが、確かに自分の行動を反省するにはいい方法だと実感しています。

 2009年、日経レストランの編集に携わるようになったのですから、少しでも外食に携わるみなさんのお手伝いをできるように、「3行日記」を付け続け、日々自分の行動を反省しようと思います。

                     日経レストラン 編集長 高柳正盛

「日経レストランONLINEマガジン」
http://nr.nikkeibp.co.jp/

ひとりがきっかけで すべてが変わる

2009-01-03 13:53:27 | Mind+Impressed+Human
2009年の年始に2つのドラマを見れた。
1月1日のニューイヤー駅伝
1月2日-3日の箱根駅伝

ニューイヤー駅伝では、後半の選手が1秒差で1地位を取った富士通が、その後のどの区間でも、1秒差程度で1地位を守り、平成になって初めて優勝を獲得した。

箱根駅伝では、往路東洋大1年・柏原竜二が区間新で往路初優勝した。
復路は一時早大にトップを奪われるが、復路でも優勝を勝ち取った。

駅伝っていうのは すばらしい!
自分としても、駅伝のようなチームを作って仕事をして行きたい。


東洋大1年・柏原竜二「あこがれの人を超える」と宣言し、山登りで区間新を達成した。
ネットで色々見ていて感じたのは、監督への信頼・絆のKOTOBAだった。
記事抜粋-----------
東洋大は昨年12月に元部員の不祥事で、5日間の活動自粛と川嶋伸次前監督の辞任を余儀なくされたばかり。柏原自身も「聞いた時はあ然とした。気持ちがなえた部分もあった」と振り返る。それでも「自分が(スタートラインに)立てているのは川嶋監督が命を懸けて戦ってくれたから。下手な走りはできない。全部抜いてやろう」と気持ちを奮い立たせ、大逆転の立役者となった。
(中日スポーチ)
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2009010302000108.html
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そして一番気になったKOTOBAは「走っていて楽しい」という言葉だ。
マラソンの高橋尚子もやはり「楽しい」と言っていた。
2008年の宮崎映画のポニョを歌った大橋のぞみ ちゃんも「楽しい」と言っていた。

「楽しい」と言えることを一所懸命やっていると、本人は結果をだせるし、周りの人たちも元気にする、良くすることができるのかもしれない。

そういえば・・・むかし先輩が「ひとりですべてが変わる」と言っていたのを思い出した。