われ壮年武人となって
名を天下に上げん
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【池田屋事件(二)】
元治元年(1864)6月5日、運命の夜。午後7時頃に祇園会所に到着した新選組隊士は近藤隊と土方隊の二手に分かれ市中をくまなく探索。土方隊は祇園界隈の茶屋などを探索したが、浪士の姿はどこにもなく、歳三は焦りの色を滲ませて鴨川東を三条方面に走った。その頃、近藤隊は池田屋に突き当り、わずか四名の隊士で踏み込み尊王攘夷派の志士達と対峠。志士達の奮闘に、新選組は劣勢気味であった。そこへ歳三らが間一髪のタイミングで駆けつけた。土方隊の援軍で形勢逆転。志士達が斃れてすべてが終わった。
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元治元年(1864)8月4日 池田屋事件の恩賞下賜
文久3年(1863)8月18日 八・一八の変 新選組、蛤御門に出勤
慶應4年(1868)8月21日 母成峠の戦いで新選組敗走
慶應4年(1868)8月22日 土方、庄内へ向う
文久3年(1863)7月27日 三条縄手の戦い
「土方歳三~純潔の士道魂~」卓上カレンダー(2009年版)
http://www.reki-c.com/shop_cal09_hiji.html
名を天下に上げん
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【池田屋事件(二)】
元治元年(1864)6月5日、運命の夜。午後7時頃に祇園会所に到着した新選組隊士は近藤隊と土方隊の二手に分かれ市中をくまなく探索。土方隊は祇園界隈の茶屋などを探索したが、浪士の姿はどこにもなく、歳三は焦りの色を滲ませて鴨川東を三条方面に走った。その頃、近藤隊は池田屋に突き当り、わずか四名の隊士で踏み込み尊王攘夷派の志士達と対峠。志士達の奮闘に、新選組は劣勢気味であった。そこへ歳三らが間一髪のタイミングで駆けつけた。土方隊の援軍で形勢逆転。志士達が斃れてすべてが終わった。
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元治元年(1864)8月4日 池田屋事件の恩賞下賜
文久3年(1863)8月18日 八・一八の変 新選組、蛤御門に出勤
慶應4年(1868)8月21日 母成峠の戦いで新選組敗走
慶應4年(1868)8月22日 土方、庄内へ向う
文久3年(1863)7月27日 三条縄手の戦い
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