「『幸せを自分の内に見つけるのはやさしいことではない。しかも、自分の内以外に、幸せを見つけることはできないのだ』-- アグネス・レプリアー(アメリカのエッセイスト)……こんな小話があります。あるところに、ちょっと間の抜けた男がいました。近所の人が「お金を拾った」と、とてもうれしそうにしているのを見て、この男は、そんなにうれしいのなら、自分もお金を拾ってみようと考えたのです。男は、道を歩きながら、どこかにお金は落ちていないかと、あちこち探してみますが、そう簡単には見つかりません。そこで、男は、自分の財布から小銭を取り出し、わざと道に落としてみました。そのお金を何気ない振りをして、拾い上げてみたのです。「あれ? おかしいな」男は、首を傾げました。お金を拾ってみたのに、ちっともうれしくないのです。近所の人は、あんなにうれしそうにニコニコしていたのに……こんなはずはないと何度も、小銭を落としてみては、拾ってみますが、やっぱりうれしくも何ともないのです。そんなことを何度も繰り返しているうちに、男が落としたお金が、転がっていって道端のどぶのなかに入ってしまいました。男は、あわててどぶのなかに手を突っ込んで、小銭を探しますが、どこへ行ってしまったのか、なかなか見つかりません。何時間もかけて探し続けて、全身泥だらけになりながら、やっとの思いで小銭を見つけだした男は、ニッコリ笑ってこう言いました。「なるほど、こういうことだったのか。やっぱりお金を拾うのは、本当に、うれしいものだな」」(まぐまぐ・癒しのことば より引用)一度、失ったと思われたものが、汗をかいて得られたならば、その見つかったものがたいした物ではなくても、大きな価値を感じるのだと思います。あきらめる事なく必死になって屈辱を感じながらも得られたものが、幸せというものかもしれません。
まぐまぐ・癒しのことば
http://blog.mag2.com/m/log/0000023028/106722898?page=1#106722898
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