どんまい

いろいろあるけれど、それでいい。

サーモン兄弟

2006年01月31日 | little story
北海道では、鮭のことをシャケと言う。
北海道でのおみやげで有名な「熊の木彫り」ってのがあるんだけど、その熊もシャケをくわえている。

ふと疑問がわいた。
なぜ、寿司ではサーモンとカタカナを使うのだろう?
日本といえば、SUSIなのにもかかわらず、なぜ、サーモンとカタカナを使うのだろう?


今日は、寿司ネタ、「サーモン」の話。

学生の頃、金がなかった俺は、ある発見をした。
それは、「サーモン」は安いのに旨いということ。
寿司ネタランキング第一位を暴走していたマグロよりもサーモンの方が旨いということになった。

それからというもの、サーモンを食いまくった。
寿司屋に行くたび、サーモンを食いまくった。
板前さんに、「サーモンしか食えないのか?」と言われる程、サーモンを食いまくった。


ある日、俺が住んでいた仙台の街に妹が遊びに来た。
トモダチが寿司を「おごってやる」と、
「せっかく妹がきたのだから寿司でもおごってやる」と
俺達、貧乏兄弟に言ってくれたのを記憶している。

そういう訳で、寿司屋に行くことになった。

そこで、初めて気づく。
妹もサーモンばかりを頼む。

俺もサーモン。
妹もサーモン。
まさしく、俺達のテーブルはサーモン祭りと化した。

俺だけではなかった、妹までサーモンの魅力に犯されていた。

俺達はサーモン兄弟だったのだ。
俺達はサーモン殺しだったのだ。

東京都庁がある街で再び

2006年01月28日 | little story
この文章を一人のトモダチに捧げます。


今日、ひさしぶりに、ふとあるトモダチを思い出し連絡した。
そのトモダチは、俺が勝手にトモダチだと思っているだけなのかもしれない。
そんなトモダチに捧げる今日の日記。


そのトモダチとは学生時代に二言、三言、話した程度の顔見知りだった。
ただ、たまたま同じ学年で、
ただ、たまたま同じ授業で、
ただ、たまたま与えられたグループで、
二言、三言、授業に必要な会話をしたくらいだった。


卒業して2年後のコト。
会うはずもない東京都庁のある街、新宿で再会した。
たまたま同じ研修会に参加していた。
「ひさしぶり」と何となく照れくさい感じで、機械的な挨拶を交わした。

すると、そのトモダチから「お昼ご飯でも一緒に食べようよ」と想像だにしない展開。
なぜなら、どちらもご飯を誘うタイプじゃないから。


その研修会の間、学生の頃の長い期間でも話さなかった量の話を、
一週間足らずで優に超えた。


すごいおもしろかった。


そのトモダチは、俺にこう言った。
「家と学校の往復だけだったから、トモダチもあんまりいない」


最近、思うのだけれど、
「孤独」の時間を経験している人は魅力的な人が多い。
俺が出会った数少ない経験からだけど。

なんか、独自の視点を持っているというか、
なんか、独自の感性を持っているというか、
魅力的な人が多い。


もう会わないだろうと思う人はかなりいる。
ただ、たまたま与えられた状況で、二言、三言、機械的な会話をしただけの人。

そのトモダチに新宿でたまたま再会したのはラッキーだった。
これからも連絡していたいと思った。
まあ、他のトモダチと同じく、一年に数回くらいの連絡かもしれないけれど、
その場限りで、終わるにはもったいない。

また、今度連絡してみよう。
俺は勝手にあなたのことをトモダチだと思っています。

ショウネンノココロ

2006年01月26日 | little story
今年はいつもよりも雪が降りますが、
少年、少女達はかまくらを作って遊んでいますか?
かまくらの中で蜜柑を食べていますか?


去年の夏。いとこの子ども達と遊んでいたら、
「デュアルマスターズ」っていうカードゲームを一緒にやろうと言う。
まあ、一回やっているところを見れば、余裕でルールは理解できるだろうと思っていたら、全然理解できない。
意味不明。

子どもは、本当にパワーがある。
休むことを知らない。
おもしろいと思えば、永遠と遊んでいる。
遊びは変われど、俺も同じだった。


スキー場にスキーをしに行っているにもかかわらず、
リフトにも乗らず、
滑るためにあるスキー場のコースがあるにもかかわらず、
良いジャンプ台があると言い、
永遠と、いつまでやるんだというくらい永遠と、
ジャンプをすれば、またスキーを担ぎ、
ジャンプをして、またスキーを担ぐ。

覚えているか?トモダチよ。
あまりにも、暗くなるまで繰り返し、繰り返し、滑っていたものだから、
うちの親父が、捜索願いをだそうとしたことを。
覚えているか?トモダチよ。
爽やかな笑顔で、もうちょっとジャンプをしていたかったなとかしゃべりながら、戻ってきた俺達二人を見た時の親父の安堵した顔を。


忘れたくないね。
ショウネンノココロ。
俺は金という新たな手段を手にし、遊びの場を拡大していく。
金がなくても夢中になれていたんだ。
手段が拡大すれば、また遊びもさらに広がっていくはずだ。
忘れたくないね。
アソビゴコロ。

人生どうにかなるんじゃないか

2006年01月25日 | little story
この文章を一人のトモダチに捧げます。


北海道の少年達よ。
雪の中でも自転車に乗っていますか?
俺の少年の時は年中無休でした。
どんなに道路が凍っていようが自転車。

ちなみに、みなさんは自転車で3人乗りしたことがありますか?
俺はあります。
一人は、椅子のところに座り、
もう一人は、荷台のところに座り、
こぐ俺は、立ちこぎです。

操縦できるわけもなく、
気合いでどうにかなるようなものでもなく、
花壇に激突しました。
ほんの1メートルこいだだけで、花壇に激突。

そして、自転車はパンク。
180センチを超える2人が乗っていて重かったせいか、
花壇に激突したかは、定かではないけれどもパンク。



その180センチの筋肉質な一人のトモダチに捧げる今日の日記。

そのトモダチは、大学に入って、そのゴツさを増す。
そりゃあ半端じゃない。
ひさしぶりに会うたびに、その筋肉の量は目に見えて増していく。
肩にパットを入れているんじゃないかってくらい半端じゃない。
まさしくプロレスラー。

しかもだ。
足が速いときてる。

想像して欲しい。
追いかけられているところを。
半端じゃなく怖いと思う。
別に追いかけられた訳じゃないけど、想像するだけでも怖い。
その恵まれた体をアメフトという競技にいかんなく発揮した。


いや、体のことを誉めて終わりそうだけれども、そんな話をメインに書きたい訳じゃない。

そのトモダチと話していると、「人生どうにかなるんじゃないか」って気持ちになってくる。
こんな就職難の時期にもかかわらず、就職も簡単にできてしまうのではないかという気分になってくる。

不思議だ。

この前もだ。
電話した時の話。

「仕事、変えたわ」

「子ども生まれたわ」

いともあっさりと言ってのける。
俺にとっては、一大イベントのような出来事もあっさりと言ってのける。
そりゃあ、爽快に。

たぶん。
本人は悩んでいる時期もあるだろうし、苦しい時期もあったはずだ。
なんとなく、話をしていると、言葉の節々に、その経験してきたことが伝わってくる。
しかし、話をするときは、本当に前向きな発言ばかりが目立つ。
後ろ向きな言葉を思い出すほうが難しいくらいに。
その前向きな考え方が、ラッキーを引き寄せているんだろうな。


俺は、そこまで徹底的に前向きには生きられないけれども、
苦しかったこと、悲しかったことを乗り越えた後に、
そういえば、あの時は苦しかった、悲しかったなあって、
笑って話せるような男になっていきたい。

短い手紙。

2006年01月24日 | little story
「受験シーズンなんだなぁ」と昔のコトを思い出した。
ひさしぶりに一通の手紙を読み返してみた。


9年前の1996年1月20日の消印が押してあるその手紙は、
妹から届いた一通の手紙。


1996年の冬は、大学受験のための浪人生活をしていた。
試験間近だった。
大学受験を落ちたら、どうなるかなんて考えていなかった。
合格するしかなかった。
後先のことなんて考えられない程、考えたら不安に押しつぶされそうな程、
切羽詰まっていた。


張りつめた毎日を送っていた俺の元に届いた妹からの手紙。
一枚のあっという間に読めるくらいの短い手紙。


ベッドに上がり、その手紙をひらいた。



「今までがんばった成果が出るといいね」



数行、読んで涙が出てきた。

どんどん涙が出てきた。



「合格することを祈っています。(家族一同)」



張りつめていた気持ちが切れたかのように泣いた。


応援してくれている人がいるんだって、心配してくれている家族がいるんだって、泣きじゃくった。


普段は、意識もしないほど、空気のように当たり前の存在。
家族。

家族から電話がきても、そっけなく返事をするだけの俺。


恥ずかしいし、照れくさいし、泣いたことは妹に言っていない。
たぶん。

初めて妹から届いた手紙。
あれ以来、手紙は来ていない。
困った時にしか電話はしてこない。

それで良い。
普段から仲良くしているのは照れくさい。


元気にしてるか?
笑っているか?

やきそば弁当と俺と同じ名字の友達

2006年01月23日 | little story
この文章を一人のトモダチに捧げます。


カップラーメンがこの世に一つの種類しかなくなったら、何を選ぶか?
そんなあり得ないことを考えた。

俺は迷いもせず「やきそば弁当」を選択する。
やきそば弁当とは、北海道限定のカップやきそば。

今は、期間限定で北海道以外のところでも売っている。
一度、スーパーの「お客様の声」というメッセージに、「やきそば弁当を入れてください」って書いたこともある。
それ程、愛している。


高校3年の時、よく遊んだ2人がいる。
俺をいれて3人。

土曜日の昼になったら、その友達の家で決まってカップラーメン。
俺はもちろん「やきそば弁当」。

やきそば弁当のお湯は、窓から捨てていた。
友達が窓から捨てろというから、捨てていた。
冬の厳しい北海道にも春がきて、雪が解けると、その友達の家の窓の下には、
やきそば弁当のカスがいっぱい落ちていたって言っていた。


その友達は、俺と同じ名字。
最初の出会いは、高校入って間もない頃、
2組合同でする体育の授業だった。

俺は自分の名前を呼ばれて、威勢良く「はい」と返事をした。
しばらくたって、また俺の名前を呼ばれた。
2度、威勢良く「はい」と返事をした。

その時、初めて、隣のクラスに俺と同じ名字のやつがいることを知った。
よく人間違いもされるが、名前まで、どこにでもいる名前。


その3人は、同じ大学を受験する。
合格発表も3人で見に行った。
1人は、合格。
俺と俺と同じ名字の友達は不合格。

そして、1年遅れて、2人は大学に合格する。
別々の大学に行くことになった。
俺は北海道を離れた。
俺と同じ名字の友達は北海道に残った。

会う機会は少なくなったけど、
会うたび、電話をするたび、
「北海道にそろそろ帰ってこいよ」と言ってくれる。
その一言が、すごい嬉しい。
帰る場所があるんだなって思う。
帰る場所があるから、踏ん張れるんだと思う。


その俺と同じ名字の友達は3月に結婚する。

責任をとることについて考える

2006年01月19日 | little story
「確保ーーー!」

踊る大捜査線の最終回。
柳葉敏郎演じる室井慎次が、犯人を捕まえる時に言った言葉。
しびれた。

室井さんは、よくここ一番で、「俺が責任をとります」と言う。


そこで、責任の取り方について考えた。
考えたと言っても、以前も考え、未だ答えは出ていない。

俺も以前、一度だけ言ったことがある。
「俺が責任をとります」。
その時に、「あなたが仕事を辞めるくらいでは、責任を取れない」と言われた。
「じゃあ、責任をどう取ればいいんだ?」ってことになった。
今もわからない。
ペーペーの責任の取り方。


テレビでよく観る光景。
お偉いさんが頭を下げ、辞任。

まあ、その役職を辞めるのは、一つの責任の取り方だろう。
今までの高給は貰えなくなるなるわけだから。

が、しかし。
責任の取り方は、それだけではないと思う。

これまたよくテレビで観る光景なんだけど、バッシングやクレームを浴びまくっている場面。
仕事を辞めるのは、クレームからもある意味逃げることができる。
結果、責任も取っていないことになるんじゃないかと思う。
そういう時は、クレームを全て処理するのが、責任を取ることじゃないのかと思う。


室井さん、俺には責任の取り方が、まだわかりません。

睡魔という名のモンスター

2006年01月18日 | little story
T字路で左折しようとしたら、前の車が動かない。
信号が青になっているにもかかわらず動かない。

なんぼ待っても動かないものだから、その車の横につけみた。
そうしたら、その車の運転手がうなだれてる。

具合でも悪いのだろうか?うなだれてる。

車を降りて、おっちゃんに声をかけた。

「おっちゃん。おっちゃん」

おっちゃんは、ビックリした顔をし、俺の顔を見た。とりあえず良かった。
寝ていただけのようだ。

「近くの駐車場で寝た方が良いよ。運転に気をつけてね」

たぶん、信号待ちをしている間に少しだけと思って寝てしまったのだろう。


なかなか、ありえない話ではあるけれど、わからなくもない。
俺も車を運転すると、よく眠くなる。

家まで着いたのは良いけれど、駐車場で力尽きたこともある。
歩いて、数秒で布団に入れるにもかかわらず、駐車場で力尽きた。

家に着いた安堵とともに、正確には駐車場に着いた安堵とともに、眠りについた。


睡魔という名のモンスターは半端じゃない。

最近、車を運転していない時でさえ、出現しまくる。かなわない。

『DEAR.WILDCHILD 03 Title simple』高橋歩

2006年01月14日 | book
以前2巻まで、この本のシリーズを紹介した。
このシリーズは全5巻。
LOVE&FREEの原作の本であり、ネット上でしか販売していない。

友達と本の話をしている時に、「何度も読む本がある」って話を聞くと羨ましかった。
俺にもやっと見つかった。
それが高橋歩の本。

写真と言葉。
どちらもかっこいい。

DEAR.WILDCHILD 03 Title simpleは、モンゴル・ロシア・フィリピンの旅の記録。
この本を読んでいて、モンゴルに行きたくなった。
モンゴルの大草原に行ってみたくなった。


俺は長男だけど、兄ちゃんみたいな、いとこの兄ちゃん。

2006年01月13日 | little story
今思うと、あれは修行だったのかと思う。

テレビ番組で、「初めてのおつかい」っていうのがあるけど、
俺の場合は、「初めてのお泊まり」。

小学校低学年だったと思う。
一人で、電車に乗り、ばあちゃん家に泊まりに行く。
なぜか、そういう時の母さんは、いつもよりも優しい。
駅で手を振る母さんの姿を見て、電車の中で泣きじゃくった。

妹と二人で行った時は、妹が泣くものだから、俺もつられて悲しくなり、
二人で泣きじゃくった。

無理矢理、泊まりに行けと言われている訳でもなく、どちらかというと、進んで泊まりに行っているんだけど、悲しくてたまらなかった。


ばあちゃん家だけではなく、いとこの兄ちゃんのところにも、よく泊まりに行った。
小学生だった当時の俺は、中学生くらいだった、いとこの兄ちゃんがすごい魅力的で、よく真似をした。
いとこの兄ちゃんがセイント聖矢のマンガを集めていれば、俺も集め、
コンポを持っていれば、俺も新聞配達をした給料を貯めて、コンポを買った。

2人いるんだけど、すごいおもしろい。
それは今も変わらない。

3~4年前、いとこが事故にあい、見舞いに行った。
すると、そのいとこが、入院していたばあちゃんに話しかけられたらしい。
しかも、テレビに出ている有名人と間違えられたらしい。
陸上選手と間違えられた。
すると、そのいとこは、なんて答えたかというと、
「俺もまた走れるようになって、テレビにでるから、ばあちゃんもリハビリがんばって」って言ったらしい。
なりきったらしい。

その話を聞いた時はうけた。
しかし、今、この日記を書いているとなかなか良い話だ。

いとことの思い出話は、一回では書ききれない程、たくさんある。
すごい面倒をみてもらった。
今でもお盆や正月になると親戚で集まる。
会うのをすごい楽しみにしている。