どんまい

いろいろあるけれど、それでいい。

強みであり、弱み

2006年02月28日 | little story
「そうだった。ボディーソープがなかったんだ・・・」

うかつだった。
昨日、ボディーソープが底をつきたことに気づいていたのに・・・。

数秒、考えた結果。
シャンプーで体を洗うことにした。
シャンプーは泡立つから、たいした変わりがないだろうと。
しかし、シャンプーは、やっぱりシャンプーだった。
すっきりするもんじゃない。
気分の問題か、はたまた、もともと体を洗うものじゃないからかは、定かではないが、すっきりしない。
そんなわけで、今日こそはということで、買いに行ったわけだ。


すると、その帰り道。
どうも、どうもパチンコがしたくなってきた。
根拠がない自信がふつふつとわきあがってくる。

いや、ちょっと待て。
ギャンブルの根拠のない自信が、今ままで、あたったためしがあるのか?
パチンコよりも、もっと熱くなるべきものがあるだろう?
そう自分に言い聞かす。
ボロボロの状態で打ち勝つ。
パチンコに行かずに帰ってくる。


そういえば、大学の頃。
友達もその魔物に取り憑かれていたなあと振り返る。
パチンコとプレステに明け暮れた自堕落な生活。
その友達は、こんな生活を続けていちゃだめだと、プレステをゴミ箱に捨てた。
家の外のゴミ箱に捨てた。
しばらくたって、「やっぱりもったいないな。プレステを捨てることはないじゃないか」と、ゴミ箱に拾いにいくわけだけど。
恐るべし。パチンコという魔物。


俺は、どうも熱中してしまう。
熱くなると、とことんまでやってしまう。

長所であり、短所。
強みであり、弱み。


わかっているんだ。
何度も、このことで失敗してきたから。
わかっているんだ。
勝つまでやるか、はたまた金がなくなるまで負けるか。

俺の性格は、ギャンブルで身を滅ぼす。
だから、ギャンブルだけは、のめり込まない。
何度も今まで失敗したおかげだ。


短所はなかなかなおるもんじゃない。
いや、気合いを入れればなおる。
どうしても、なおしたいんであればなおる。

が、しかし、至難の技。
だから、なるべく、短所には集中しないことにしている。
その短所をいかに、長所として発揮するかにかけている。


今回の熱くなる症候群でもそうだ。
ギャンブルに、その力をいかんなく発揮すると身を滅ぼす。
が、熱くなる症候群は悪いことばかりではない。
何かを成し遂げるパワーと化すこともある。


一見、短所なことは結構ある。
以前、友達にこんな言葉を聞いた。

「暗いやつには暗いやつの気持ちがわかる」

傷を負った奴は、同じ傷を負った奴に出会った時、
その傷の痛みを知ることができるというわけ。
この言葉は、今も大切にしている。
そして、好き。



とてつもない長い日記を読んでくれて、ありがとう。
珍しく1週間連続日記となりました。
これも、楽しみに、この日記を読んでくれている来塾者、塾生の賜物です。
いつも、楽しみにしてくれて、ありがとう。
メッセージをくれて、ありがとう。
そういうわけで、2月最後の日記とさせていただきます。
さようなら。
また、3月に会いましょう。

相手にしてもらいたいことは、自分からするようにしている

2006年02月27日 | little story
「相手にしてもらいたいことは、自分からするようにしている」


この言葉を聞くまでは、相手に求めてばかりいた気がする。
相手に求めると、当然、求めていることが、
いつもかえってくるわけもなく、イライラしていた。
今でも相手にしてもらいたいことが無いとは言えないが、
この言葉を聞くようになって、
イライラすることが少なくなった気がする。


「恩を受けたら、恩で返す」

これは、俺がずっと思っていたことで、
人から恩を受けたら、その恩を返すまで、
ずっと覚えているようにしている。

だけれどもだ。
最近、この考え方に変化が訪れた。
人から与えられてばかりだったなと思ったわけだ。

まあ、自分からも何かしたいと思っても、
苦しい人が、そこにいても、
何ができるのだろうと考えているうちに、
そのまま何もできない時、
何もしない時もあるのだけれども、
恩を受ける前でも、自分にできることがあれば、したいなと思うようになってきた。


ちなみに、この「恩を受けたら、恩で返す」って言うのは、
俺の中だけで続きの言葉があって、

恩を受けたら恩で返す。
やられたら、やり返す。


周りの友達からは賛同を得られたことがない。
賛同は得られていないが、そんなことは関係ないとばかりに、そう思って生活してきたわけだ。


「やられたら、やり返す」


嫌なことがあったとする。
だけれども、この嫌なことを、そのまま、その人にやり返してしまったら、
俺も嫌なやつになるだけなので、違う方法でやり返すわけ。
まあ、見返すって言葉の方が適切なのかもしれない。
反骨精神。


最近は、あまりこの気持ちは起こらない。

地に足をつけ、腹の底から、ストレート

2006年02月26日 | little story
地に足をつけ、腹の底から、ストレート。

友達から相談された。
「自分にはできるのか?」って自分に聞いた。
できないことを言うのはやめた。

地に足をつけ、腹の底から、ストレート。

友達が仕事を辞めた。
「金じゃないよ」と仕事を辞めた。
俺は友達に聞いた。
「いくら貰っていたんだ?」って。
その額を聞いて納得した。

地に足をつけ、腹の底から、ストレート。

人々は一人の男に熱狂した。
「そいつより、カッコイイ男はいるよ」と
心の中で、つぶやいた。
嫉妬だと思われるのは癪にさわる。
俺は言うのをやめた。


地に足をつけ、腹の底から、ストレート。



カツゲン

2006年02月25日 | hokkaido
「風呂上がりに飲むっていったら、コーヒー牛乳かカツゲンくらい当たり前に飲んでたよ」

「よーし。今度、北海道に帰ったら、買ってくるわ。まじでうまいぞ」

「いや~、飲ませるのが楽しみだ」


俺が20代前半に仙台に住んでいた頃、
そう友達に言って、俺は北海道に帰った。


北海道を離れた19歳。
俺は、やきそば弁当とカツゲンが北海道にしか売っていないことを、仙台に来てから初めて知った。
当たり前のように、全国発売されているものだと思っていたら地域限定。
なぜ、そこまでうまいものを、多くの人々に味わってもらわないのかが不思議だった。

そんなわけで、北海道の良さを伝えようと思って、
友達と約束した「カツゲン」を買うことになった。

カツゲンを買うときに財布の中には、数百円。
500ミリリットルを買おうか、1リットルを買おうか迷った。
なぜなら、1リットルを買うと、
仙台駅に着いてから、家までバスに乗れない。

しかし、ここは北海道の良さを思う存分味わってもらいたい。
なんせ、友達がうまそうに飲んでいるのを見たら、
俺にも飲ませてくれってことになっちゃう。
500ミリリットルは、どう考えても一人分。
それなら、1リットルを買うしかないなってことで1リットルを買って、帰ることにした。

もちろん仙台駅から家までは徒歩。
1時間はかかったであろう。
まあ、少々疲れたが、これも北海道の良さを友達に伝えるため。


そうして、カツゲンをあじわってもらうべく、友達に渡した。


「そんなんでもないな」


唖然とした。
風呂上がりには、コーヒー牛乳かカツゲンかってくらい迷う飲み物。
カツゲン。


この時、俺は知った。


期待が膨らめば膨らむほど、そのものの評価はシビアになるということを。


カツゲンがすぐには買うことができない現在。
もう一つ大好物なコーヒー牛乳を、俺は飲みまくっている。

待ちわびて

2006年02月24日 | little story
拝啓


最近は時々、あなたの横顔を見ます。
早く再会したいものです。
待ち遠しいです。

まあ、まだ会いたくないって人もいますから、
もうしばらく我慢はしますが、俺はあなたに会いたいです。

まあ、人の評価なんて気にしないでください。
まあ、俺に言われなくても、
いつも変わらないですけどね。


その、柔らかさ。
その、あたたかさ。


俺が、あなたの良さに気づいたのは、まだそんなに月日が経っていません。
まあ、俺の人生なんて、あなたにとっては、一瞬にもならないくらいの短いものですがね。
まあ、ある意味、俺にとっても、あなたは一瞬ですけどね。


窓から見た、あの景色。
まだ覚えていますよ。
みんな、そりゃあ、笑っていました。
みんな、そりゃあ、胸をときめかせていました。
まぶしかったですよ。
俺が就職も決まらなかったから、
余計にまぶしく見えたのかもしれないですけどね。

あなたの友達、さくらはあなたと同じように優しかった。
柔らかな桃色。

「あ~、きれいだなあ」って思いましたよ。

そうだ。
そういえば、ベンチに座っている時も、
あなたは柔らかな風を、俺の所に運んでくれましたね。
柔らかな日射しも。
心地が良い温度も。
そして、友達のさくらはそこにもいて、
気持ちよさそうに、ゆらゆら揺れていました。

その時も、
「あ~きれいだなあ」って思いましたよ。

それからですよ。
俺は一年に一度、あなたに会えることを楽しみに、
東に、西に、南に、北に、あなたを追う。

あまりにも待ちわびているものだから、
ちょっと手紙を書いてみようかと思って、書いてみました。


それでは、今年も最高のパフォーマンスを見せてください。
俺もそろそろ冬眠から目覚めます。


敬具


春 様

                                     平成十八年二月二十四日
                                     楽雲庵塾塾長 楽雲庵




貧乏人にとってのオアシス食堂

2006年02月23日 | little story
それは、それはバイキングみたいな、
好きなおかずを好きなだけとって、
ご飯は食えない程の大盛り。
みそ汁替わりにラーメンを頼むくらいの安価。
すべてが単品。
安価で満腹。


そんな食堂、みなさんの家の近くにはありますか?


最近、そんなオアシス食堂も増えてきて、よく目にするようになった。
そんな食堂を見ると、2つの出来事を思い出し、一人で微笑む。


貧乏人の学生時代。
それは、俺等にとっての行きつけの食堂となっていた。
仙台の街にはいくつもあった。

妹が秋田から遊びに来た時も、
その食堂に行くことになった。


「よ~し。兄ちゃんがバイキングに連れてってやる」


そう言って、その食堂に友達と妹と行ったのである。


数日たって、妹から電話がかかってきた。


「にいちゃん。仙台出身の友達に、にいちゃんにどこにつれていってもらった?て聞かれてね。オアシス食堂(仮名)っていたら、笑われたよ」


俺は笑って、オアシス食堂(仮名)について説明してやった。
どんな食堂かを。
そりゃあ、そうだよな。
普通、寿司屋にでも行くもんな。
それが遠くから来た客人に対してのもてなし。
しかし、俺は貧乏人。
おごるのも一苦労。


もう1つの出来事。

俺と友達は、またオアシス食堂(仮名)にいた。
オープンしたてのオアシス食堂(仮名)。

「うめぇな」って良いながら、至福の時を過ごしていた。

その時。

「ガツーン」と大きな音。

振り返ると、オープンしたての、ピカピカのガラスのドアにぶつかっている一人の女性。
ピカピカの床には、ピカピカのガラスが散らばっている。
せっかくこれから、安価な金で、大きな幸せをつかめたのに。
「安価に済まそうとしたのが、かえって高くついちゃったなあ」って友達と同情した。



傷を舐め合って、コケまくって

2006年02月22日 | little story
「現在、お使いの携帯電話はFOMAですか?movaですか?」

「FOMAでないことは確かです。しかしmovaかどうかもわかりません」


「iモードなのは確かです」


店員は笑いを堪えている。


恥をかけば忘れない。
以前まで使っていた携帯はmovaだったことを。
そして、買ったこの携帯はFOMAであることを。

いいよ。店員さん。
こんな馬鹿な客が来たと恋人とでも笑ってくれ。
ちょっとでも楽しんでくれ。


そんな携帯電話で、一人の友達に電話をしてみようかと思った。
ひさしぶりに電話でもしてみようなかと。
かれこれ何年間、話していないだろうか。
「電話がないってことは、たぶん元気なんだろう」とは思った。
まあ、俺から電話をしないのも、それなりに元気だからだ。


4年前の冬。
そりゃあ、俺は立ち上がれない程、やられていた。
もがいて、もがいて、もがいて、
どうにもならなくて、疲れ切って、
動けなくなっていた。

生きていくのは大変だなあと。
金を稼いでいくのは大変だなあと。

そんな時、たまたま電話をくれた友達がいた。
「ただ、最近はどうだ?」という話になり、
その友達も同じような状況だと知った。

当分の間、傷を舐め合った。
ただただ、傷を舐め合っていただけかもしれないけれど、
俺だけじゃなんだと思えた。


今回、電話をして、その頃を振り返った。
2人にとって忘れられない1年。
厳しすぎた冬。

そして、たぶん。
あの時の俺達みたいな想いをして生活をしているやつがいるんだろうなと話をした。



まあ、俺は何度もコケてる。

高校野球最後の夏には、いきなり一回戦で負けるし、
大学受験をすれば、すべて落ちるし、
就職する頃になれば、やりたいことも、すぐにはみつからないし、
就職ができなくて、友達のところに居候するし、
就職してもすぐ辞めたくなるし、
高速道路で車から煙がでてきて、車は廃車になるし、
携帯電話のFOMAとmovaの違いもわからなかったし、
そんなちっちゃなことを振り返れば、数え切れない程失敗してるし、
今だって、パワーがねぇなとダラダラ過ごしちゃうし、

まあ、何度もコケてる。

まあ、何度もコケているものだから、
コケ方は、うまくなっている気はする。
ちょっとら、そっとじゃあ、「痛ぇ」って言わなくはなってきている。
失敗談で、人に笑ってもらえる。

まあ、ダラダラ過ごしちゃうのは変わらない。

コケておもいっきり、すりむいたから、
同じ傷を負っている人には、
ちょっとでも手を差し伸べたいと思っている。
同じ傷だからこそ、理解もできるんじゃないかって、勝手に思っている。
それが、コケてすりむいた生かし方だって、勝手に思っている。



少しでも多くの笑いを。
少しでも多くの生きている実感を。
感じてぇなぁ。



一生モンのトモダチに年齢なんて関係ない

2006年02月19日 | little story
学生諸君にとっては、卒業式まで残り1ヶ月足らずだね。

それにしても、小学校の卒業式って、
何で同じ言葉を2回繰り返すんだろうね。
「汗を流しまくった運動会」「運動会」
みたいな2回繰り返すスタイル。
結構、好きだけど。

忘れもしない俺の小学校の卒業式。
俺に割り当てられた言葉は「収穫祭」。
いじけた。
収穫祭なんて小学校のイベントからすると大した行事じゃない。
運動会とか学芸会とかが良いなって思っていた。
まあ、気合い入れて、収穫祭の言葉を言ったけどね。


俺は小学校の頃も、中学校の頃も卒業式には泣いた。
男は一人も泣いていなかったにもかかわらず泣いた。
女に負けないくらい泣いた。

中学校の時は、最後の最後に担任の先生の言葉で泣いた。
卒業式の担任の先生の最後の言葉は、先生にとっても一番の見せ場だと思う。


卒業式ではなくても、学生時代に先生から聞いた言葉は、未だに覚えているものもある。
しかし、その中で違ったなと思う言葉がある。
ただ、俺の聞き間違いだったのかもしれないけれど、違ったなと思う。


「中学時代に出会った仲間は一生もんの友達です。私は社会人になってからは、一生もんの友達はできませんでした」


この言葉を聞いた中学生の俺は社会人になったら、一生もんの友達はできないのかと思っていた。
確かに、中学時代に出会った友達は一生もんの友達になっている。

だけれど、社会人になっても、一生もんの友達はできる。
俺がラッキーだったのかは知らないけれど、一生もんの友達ができる。
俺はそいつらと会って、「一生もんのトモダチは年齢に関係ねぇな」ってことになった。


俺はこれからも一生もんのトモダチに出逢えると、根拠がないけど思っている。

エジソン曰く、「1%の才能と99%の努力」

2006年02月18日 | little story
子どもの頃、学研の「科学と学習」っていうのがあって、
俺は「学習」をやりたかったんだけど、なぜか「科学」をやっていた。
かいわれ大根を育てたりしていた。
今も学研の「科学と学習」という教材はあるのだろうか?

まあ、実験みたいなのは好きだった。
ねり消しっていう、のびる消しゴムが、子どもの頃にはやったんだけど、
普通の消しゴムから、ねり消しが作れるか試してみた。
机の電気の所に消しゴムをつけ、柔らかくしようとした。
熱により、柔らかくなった消しゴムをねり消しにするという発想。
茶の間にいる母が、「何か焦げ臭い」と発見し、怒られ、実験は中止された。

はたまた、ムシ眼鏡で火は起こせるのかを実験した。
真っ黒な紙にムシ眼鏡で太陽光をあてる。
見事に火がついた。
授業が開始されるからということで、その紙をゴミ箱に捨てたら、
先生に発見され、怒られ、実験自体は成功したが、苦い思い出となった。

はたまた、ひな祭りが近いということで、家にはひな人形が飾られていた。
導線をコンセントに入れても電気がつくのかという実験を試みることにした。
実験方法は、ひな人形から出ている電源に、まずは導線をつける。
そして、その導線をコンセントに入れる。
結果は、ショートを起こし、小さな爆発音とともに、コンセントはこげ、
母に発見されて、怒られ、実験は中止。
しかし、ショートを起こす手前までは、導線をコンセントに入れて、電気がついた。
それだけでも収穫。

街では次なるイベント「ひな祭り」のために、商品棚はあられなどで彩られている。
次は3月。
春を迎えるのは嬉しい。
3月は別れの季節だから、あまり好きではないけれども、
春を迎えることができるのは嬉しい。
まだまだ、春という感じはしないけれども。

大切な人。そして信じるということ。

2006年02月16日 | little story
「私がはたを織っている間は、決して部屋をのぞかないでください」

トントンカラリン。トンカラリン。
トントンカラリン。トンカラリン。

娘は、そりゃあ、そりゃあ、きれいな布を織りました。
その布は高く売れました。

またまた、娘ははたを織ってくれました。

トントンカラリン。トンカラリン。
トントンカラリン。トンカラリン。

おじいさんとおばあさんは、どうも、どうも、その部屋をのぞきたくてたまりません。
見るなと言われたら、見てみたい。
それもまた人間の心理というもの。
どうも、どうも我慢ならなく、のぞいてしまったわけです。

「決してのぞかないでくださいと言ったのに・・・。そう。私はあの時、助けてもらった鶴です」


そうして、鶴は去ってしまったのです。


そう。鶴の恩返しです。
みなさんは、恋人の携帯電話をのぞいてしまったことはありませんか?
のぞいてしまって、けんかになったことはありませんか?


俺はこんなことを想像した。

ある知らない人が、俺の前に現れ、ボソっとこう言った。


「あなたの恋人は浮気をしています」


果たして、その知らない人の言葉を信じるのか?
それとも、恋人を信じるのか?

また、想像してみた。
それが、友達の言葉だった場合はどうか?


なぜかはわからないけれど、その知らない人、はたまた友達の言葉は、
真実かどうかとは関係なく、説得力があるはずだ。
なぜだ?


人を信じることは難しい。


今までも、何度か詐欺にあいそうになった。
「あなたは、ラッキーなことに当選しました。つきましては3日以内に、こちらに連絡ください」
危なく、電話をしそうになった。
疑うことも時として、必要なこともあるだろう。

しかしだ。
しかし、ここでは恋人。
大切な人を信じれるかという話。

もしかしたら、裏切られるかもしれないし、
もしかしたら、信じて馬鹿をみるということもある。

しかしだ。
しかし、裏切られる前に、
信じて馬鹿をみる前に、
自分は信じることができたのか?


俺の愛読書のマンガ「WORST」に、こんなくだりがある。
「バカをみた自分より先に約束を守った自分を誇りに思え」

しびれた。
こんな男には到底、到達はしていないが、こんな男でありたいと想った。


人を信じる時、

「どんな人間でありたいか?」と自分に問う。

「大切な人さえ、信じられないのか?」と自分に問う。


トントンカラリン。トンカラリン。
トントンカラリン。トンカラリン。