どんまい

いろいろあるけれど、それでいい。

食い物と金

2007年08月30日 | little story
家族で焼き肉を食べている時に、
母ちゃんが子どものために肉を焼き、
子どもが食べ終わった頃に、
食べ残りのような肉や多く残った野菜を食べている姿を思い出して、
「母ちゃんはすげぇな」って改めて思った。

俺は、食い物と金に関することは、
人間のいやらしさが、もっとも出やすいと、
注意して過ごしているんだけど、
母ちゃんは、焼き肉において、完璧なまでの行動をしている。


それにしても、金。
金のことを考えないで過ごしたい。
よって、金持ちになりたい。
「金も大切だけど、やっぱ金がすべてじゃないよね」と、
金持ちになってから、言ってやりたい。

ただ、金のことを考えないで過ごすのは、いつになるかはわからないから、
金がない状態でも、できることはしていきたい。

「金があったら、旅もいくらでもできるでしょ?」と俺に言う人がいたものだから、
「金があることによって、楽しみは増えると思うよ。俺も金持ちになりたいし。ただ、俺は、今の状態でも、やれることは実現していくよ」と答えた。
言った手前、昨年、日本47都道府県を制覇した。


「それにしても、金に関する後悔がもっとも多いんじゃないのか?」というくらい後悔を繰り返す。
せめて悔やめ。
後悔を心に刻んで、リセットする。

嫌な過去は消えないけれど、
何度だって、俺はリセットできる。
生きながらにして、生まれ変わる。




気づけば、数年ぶりに立つ

2007年08月28日 | little story
何年ぶりだろうか。
台所に立ったのは。
「食器も使わないし、いらねぇな」と思っていた昨今。

何せ、仕事からクタクタで帰ってきたところ、
飯を作るという行為がめんどくさい。
飯を食った後に、皿を洗うのが、更にめんどくさい。

「家事で一番嫌いなのは、皿洗いです」と言い切れる。

女の子から作ってもらった飯を食うのが一番好きだけど、
料理を作るのは、そんなに嫌いじゃない。
ただ、皿を洗うのが嫌いなんだ。

バイトで皿洗いをしていた頃は、
そんなに嫌いじゃなかったのに、
自分で作って食べるとなると、
めんどくさくて仕方がない。


そんな俺の家に常備されている調味料は、
マヨネーズくらいしかない。

この台所に立っていなかった数年。
俺は皿洗いというめんどくささからは解放されてきた。

しかし、秋がちらつき始めた日曜日。
「こんな生活は金がもったいねぇな」と思い立つ。
俺は、数年ぶりに、包丁を持ち、玉葱を切り、鍋に入れる。

「肉がねぇ。肉がなきゃ始まらない」と、
再び、スーパーに肉を買いに行き、
グツグツ沸騰した鍋に肉をぶち込む。

ここまで書けばわかるように、
俺はカレーを作った。
カレーうどん。

俺の作るカレーは、玉葱と肉しかいれない。
カレーの兄弟であるハヤシライスも玉葱と肉しか入っていないから、
これと同じ理屈。
ただ「ルー」が、カレーかハヤシライスかの違い。
小さい頃に、「じゃがいもとにんじんがなければ良いのに」と、
思っていたのを実現している。

そんなわけで、俺は当分、カレーを食い続ける。
2日連続、カレーうどんだったから、
そろそろカレーライスにしようかな。




流した涙と流した汗の後に

2007年08月23日 | baseball
俺の母ちゃんは、テレビの前で、高校野球を観ながら、
「ここで、ホームランを打つと同点だね」とか、
「ここで、ホームランを打つと逆転だね」と、
常にホームランを意識して、高校野球を観戦していた。

子どもの頃は、俺も「そうだな」と思っていたけれど、
実際、野球を始めて、ホームランを打つことが、
いかに難しいことであるかを知った。


佐賀北対広陵。
2007年夏、甲子園決勝。

残り2イニングの8回。
1-4の3点差を追う攻撃。

1点でも返したい。次の打者に繋げたい。
そんな場面。

ボールは、青空に弧を描き、
レフトスタンドに、ボールが飛び込む。

ここぞという場面、
緊張してもおかしくない場面で、
自分の実力を出し切るということは、
半端じゃない練習の上の、自信において成り立っていると思う。

強いチームは、当たり前のことを当たり前のようにやってのける。
だから、エラーも少ない。
エラーが少ないのは、当たり前のようだけど、
やってのけるのは難しい。
それも、半端じゃない練習の上に成り立っている。


佐賀北の久保貴大投手の好きな言葉。
「努力しても結果が出ないというかも知れないが、努力しないと結果は出ない」。

久保投手。
すごい良い顔つきをしている。
また、これから注目したい選手が現れた。


今年も、熱い夏、すばらしい試合を見せてくれた高校球児達に、
感謝の気持ちを送りたい。


ありがとう。





七夕のような夜

2007年08月20日 | little story
北海道の七夕は8月7日に行われる。
「8月7日って、七夕っぽくねぇな。何で、北海道は1ヶ月遅れなんだろう?」って、
疑問に思っていたけれど、どうも新暦と旧暦の関係らしい。

北海道だけの話かと思っていたら、
仙台も8月7日。
俺の予想では、仙台より北上すると8月7日という線を考えている。
北海道、青森、秋田、岩手、宮城、山形が8月7日だと思うね。
「なんで、宮城からなんだ?」と聞かれてもわからんけどね。
「いや、青森は7月7日なんだよ」と言われたら、
もう1県、1県聞いていくしかないから、
調べるのはあきらめる。


俺は年に1回か2回。
まさしく七夕かのような再会を北海道で果たしてきた。

いつもなら、夜を徹しての再会の後に、
ものもらいが、目にできるのだが、
今回は、北海道に帰る前日に、ものもらいができた。
勇み足。

そんなわけで、目をこすり、こすり、
時に、ガーゼを目につけ、
再会を果たしていった。


「おもしろい話を聞かせて」と夜通し話をしたと思ったら、
朝、起きても、「おもしろい話を聞かせて」と、
俺の29年間の笑い話を全力投球した1日。
「結局、一番最初の話しが、一番おもしろかった」と、
9イニングもたなかった俺の肩。


「俺は、この日が来ると思っていたよ。願いまくってたからね」と7年ぶりの再会。
7年越しのイメージトレーニングの結実。
2人の笑っている姿を見れた1日。
「北海道にいる間に、また会おうね」と約束したが、
俺に急用ができたため、再試合を果たせないまま終わってしまった。
ごめんな。


「釣りでも行こうぜ」と久々の自然と戯れ、
「雪駄は、川の中でも大丈夫」だと思っていたけれど、
雪駄の裏側がベロンベロンになって剥がれた。
もう履けたもんじゃない。
空振りの連続で、俺は1匹も釣れなかったけど、
久々にやった釣りは、おもしろかったよ。
今度は、川のヌシを釣るからな。


「今日、会えるか?」と突然のメールにもかかわらず、
地元の友達を何人も集めてくれてた友達。
10数年前の恋の話に花を咲かせ、
俺の番かなと思いきやお開き。
今度は、俺の恋の話の続きからしような。


七夕のような夜。
当分の間会えないけれど、
また会った時は、寝る間を惜しんで話そうな。


ありがとう。







『映画篇』金城一紀:集英社

2007年08月20日 | book
映画篇の最後の物語である「愛の泉」を読みながら、
「ばぁちゃんの話はやばいな」と、
涙目になりながら読んだ。

やっぱ、おもしろいよ、金城一紀の本わ。
この本は5つの短編集からなっている。
短編集は、あんまり好きじゃないんだけど、
5つの短編集が、微妙にリンクしていて、
その一つ、一つの物語もおもしろいから、
ついつい引き込まれる。
こういう短編集だったら全然良い。

あいかわらず、登場人物から発せられるメッセージがカッコイイ。


「才能っていうのは力のことだよ。でもって、力を持ってる人間は、それをひけらかすために使うか、誰かを救うために使うか、自分で選択できるんだ。さっきの映画を作った連中は、ひけらかすほうを選んだんだよ。たいして語りたいこともねぇくせに、自分の力だけは見せつけたくて映画を作るから、結果的にせんずりこいてるみたいなひとりよがりの作品ができあがるってわけさ」
[映画編58ページ]


めった打ち

2007年08月07日 | little story
「実家に帰省する前に、部屋掃除でもしておこうか」
と毎回の如く思うんだけど、
今回の帰省前の最後の土日、
やっぱり同じことを考えた。

が、しかし。
「ちょっと待てよ。部屋掃除の前に、ここにある流木をキャンドルたてにでもしようか」
と出来た写真が上の写真。

そんなわけで、部屋掃除はほとんど終わっていない。

たぶん、いつもの傾向からいくと、
このキャンドルたても、さほど使われないまま終わっていくのだろう。
まぁ、やり遂げたから良いことにする。

このキャンドルの甘い香りに誘われたのか、
昨日は、「蚊」の野郎にめった打ちにされた。
ここまで、めった打ちにされたのも、近年まれ。

何カ所刺されたかは数えないでおこう。
再び、怒りに震えることになる。

足を狙い打ちされた俺は、
あまりの痒さに目が覚めた。

しまいには、耳元を「ブーン」と嘲笑うかのように、
音をたてて飛んでたからね。

蚊にさされた後に、
「ひたすら耐える派」と「掻きまくる派」に別れると思うんだけど、
俺は後者。

掻いて、掻いて、掻きまくる。
血が出るくらいがちょうど良い。


キャンドルの甘い香りは俺には、似合わないのか。
蚊取り線香でも焚こうか。




俺等もジャッキー・チェンが好きだった

2007年08月05日 | rakuunanzyuku
「今年は、あんたが作ったパンダちゃんTシャツを着たいから作って」と、
頼まれていたデザインがやっとできた。

北海道の夏が終わるのは早い。
お盆に帰省する時までには間に合わせたい。

パンダちゃんの話は、この楽雲庵塾でも、
何度か書いたことがあるんだけど、
俺が生まれて初めてできた友達とのコンビ名みたいなもんで、
その出逢いに感謝を込めて作ったものだ。

一段落したし、ひさびさに、本でも読んで寝ようかなと、
俺は、昨日、買ってきた金城一紀著の「映画篇」を読み、
ちょうど区切りが良いところになったので本を閉じた。

携帯電話の時刻を見る。
4時。
深夜というか早朝というか微妙な時間。

どうも、眠れない。
明日も休みだから、まぁ良いだろう。

夜中に書く日記は、
夜中に書くラブレターのように、
後で読み返すと、恥ずかしい内容になるかもしれないと思ったけれど、
本を読んでいたら、日記を書きたい気持ちが沸いてきたから、
こうしてパソコンに向かうことにした。

本は、短編集みたいになっているらしく、
その5分の1を読んだことになる。

そこに出てくる主人公と龍一。
どうも、主人公の気持ちが、幼かった頃の俺の記憶と、
少し重なり、俺は、生まれて初めて出きた友達のことを思い出す。
つまり、パンダちゃんのことを思い出す。

そういえば、俺等もジャッキーチェンが好きだった。

一昨年、数十年ぶりの再会を果たした。
その時、俺は「本を出したいんだよね」と話をした。

それから、その友達が、いろいろ応援をしてくれて、
今の楽雲庵塾がある。

ポストカードを作るようになったのも、
本を作ることがきっかけだった。

ちなみに、最近、作った楽雲庵塾の名刺は、
この友達にデザインをお願して完成したものだ。


お盆の頃には、ひさびさに北海道に帰り、
その友達の仕事の休みと合えば、
会うことになっている。




その小包にユーモアを詰めて贈る

2007年08月04日 | little story
「1つ辛いことがあったら、また連絡をちょうだいよ。1回、笑わすからさ」


そう言って、異国の地で、奮闘している友達と電話をしたのが数ヶ月前。
そして、先日、再び電話をした。

俺は、数ヶ月前に言った、言葉を覚えていたけれど、
友達が辛い話をしている時に、笑わせる話なんて思いつかず、
電話口で、ただ、ただ、うなずいた。

友達は近況を話し、
「あなたの本が欲しいから送ってよ。金を払うから」と言ってきた。

本と言っても、実際の本の形にはなっていないから、
パソコンから印刷して、ファイルに詰めて送るというものだけど、
それでも良いと言う。

「あと、暇つぶしに、本も買って送るよ」と俺は約束し電話を切った。


今日、金城一紀の「レボリューションNo.3」を買ってきた。
この本を同封するつもりだけど、たぶん、読んでいないはずだ。
いや、俺は、自分がおもしろかった本は、人に話をするから、
もしかしたら、その友達にも話しをしていて、
読んじゃっているのかもしれない。
まあ、同じ本を2回読んだとしても、良いもんだ。
また違うことを感じるかもしれない。

俺もひさしぶりに出た金城一紀の新作「映画編」を買ってきた。
近々、読もうと思う。

俺の本と、金城一紀の本と、笑い話を書いた手紙を添えて、
明日にでも、贈ろうと準備をしている。

「金城一紀の本が、一番おもしろかった」っていう感想の手紙が返ってきたら、
俺はいじける。いや、ひく。


そういえば、前回の日記で、花のついた帽子のおじいちゃんと
俺の母さんに贈ったプレゼントの話を書いたけど、
そのプレゼントがそれぞれの手に渡った。


花のついた帽子のおじいちゃんには、俺の通勤途中に会った。

「いつ会えるかわからないから」と思って、
車にプレゼントを用意しておいた。

「いたぁぁぁ!」俺は心踊らせ、車を止めて、
おじいちゃんのところに駆けていく。

おじいちゃんは、写真を1枚だけもらおうと思っていたらしく、
それがアルバムだったから、「金を払う」ということになって、
「俺の気持ちです」って、俺は言ったんだけど、
「それはだめだ」と、夏空の下、
子どもの頃、ばあちゃんとのお年玉のやりとりみたいな展開を何度か繰り返し、
俺は通勤時間に、ちょっとした渋滞を巻き起こした迷惑な奴になったという苦い思い出を作った。

母さんのほうは、「ありがとう。飾っておくね」というメールが届いた。
たぶん、欲しかったモノは当たっていたんだろうと、
俺は勝手に思っているんだけど、本当のところはわからない。




★★★

楽雲庵塾「企画」のページに、「楽雲庵塾展」の様子をアップしました。
そちらもぜひ。