どんまい

いろいろあるけれど、それでいい。

拝啓、母ちゃん

2007年06月22日 | rakuunanzyuku
「母ちゃん、俺、個展をすることになったよ」

「あ、そう」

電話口の母ちゃんのリアクションは、
予想通りというか、寂しい限りの素っ気ない返事。

「あいかわらず、喜びが少ないね」

「あなたから電話がかかってくると、どきっとする」

こう言われたのは、今回だけじゃない気がする。

母ちゃんに電話をする時は、何か嬉しいことがあった時か、何かでっかい失敗をした時が多い。
たいていは、でっかい失敗をした時。

俺の失敗談は、友達には、笑い話になるが、
どうも、母ちゃんには、笑えない話ばかりのようだ。


「妹が、外国に行くっていうんだけど、戸籍謄本と抄本のどっちが必要なんだっけ?」と母ちゃん。

「そんな昔のことだから、忘れたよ」と、謄本と抄本が、2種類ある理由について、考えながら、答える俺。

「あんたが、インドに行った時、自分で、市役所に問い合わせて、勝手に取り寄せたでしょ」

「そうだったかも忘れたよ」

反対されたのは、はっきりと覚えてる。
どうも、反対された結果、母ちゃんは、謄本だったか、抄本を送らなかったらしい。


「あんた、また煙草吸ってるんでしょ?」といつものセリフを言う母ちゃん。
「煙草をやめろ」と「ご飯をちゃんと食べろ」という話は、お決まりの話だ。

説教が始まり、「うるせぇ」と言わんばかりのセリフを吐く俺。
ここのところ、黙って受け入れることにしているが、
時々、「うるせぇ」と言う感じになっちまう。


「あなたが、心配でどうしようもないのよ」と母ちゃんは、ぼそっとつぶやく。


どっきとして、俺は黙った。
いつもは、強い感じの母ちゃんだから、
電話を切った後も、強烈に耳に残り、
申し訳なくなってくる。


妹と正反対の俺は、
素直に感謝の気持ちを伝えていない。

今回の個展に並ぶ作品の中には、
家族へ感謝の気持ちを込めた作品もある。


そういえば、前に、母ちゃんが、俺の作品を欲しいって言ってたな。
個展が、終わったら、母ちゃんにプレゼントすることにしよう。




Waiting

2007年06月18日 | rakuunanzyuku
2005年10月。
ドカベンのキャラクターの銅像が、
ずらりと並んでいるアーケード街に、俺達二人はいた。

夜になり肌寒い中、友達は、ギターを弾き、
俺は、ポストカードを広げ、座っていた。


2年後の2007年4月。
俺は、フリーマーケットで、ポストカードを広げてみたいと考えていた。

その頃、コンビニで1冊の雑誌の記事を読む。
速攻で、雑誌に載っていた電話番号に電話をかけ、
フリーマーケットに参加させてもらうことになった。

そのフリーマーケットが開催されたのは、
2年前に路上で、ポストカードを広げたアーケード街の、
すぐ近くの店だった。

「GARRALY N7」という。

フリーマーケットを終え、自宅に帰る電車の中で、
その1日の出来事に浸り、これからやりたいことが、
頭に浮かんで、ドキドキする。


「いつか、個展をしてみたいなぁ」


外は真っ暗で、窓には、俺の顔が映っていた。


その時の出逢いをきっかけに、何度か、その店に足を運んだ。
その場所には、夢がいっぱい詰まっていて、魅力的な人達がいる。
ぜひ、会って、話をしてもらいたい人達。


楽雲庵塾展は、この「GARRALY N7」で開催する。



路上で、ポストカードを手にしてくれた人達に、また会えると良いなぁ。



■楽雲庵塾展
時:7.14(土)~16(月)
場所:GALLERY N7(新潟市中央区東堀通5-443)
料金:無料





桑田がメジャーのマウンドに立った数日後

2007年06月17日 | baseball
「野球の神様、ありがとうございます」
桑田が、メジャーのマウンドに立ち、
松井と対戦した数日後、
俺も草野球をした。

毎年のことながら、1年を通して、
この時期にしか体を動かさない。
当たり前のように全身、筋肉痛になる。

今回は、筋肉痛だけにとどまらなかった。
足首が痛い。
寝たら治るだろうと思いきや、朝になっても、やっぱり痛い。

左足を引きずり、病院へ向かう。

そして、医者から「扁平足障害」と告げられる。
土踏まずが、平らで、歩いたり、立ったりすると、疲れがたまりやすい。

電車に乗っている時は、立っていることが辛いし、
立ち仕事だと、へこたれる自信がある。

俺は根性がないんじゃないんだ。
扁平足なんだ。

15歳の夏、一度、扁平足と告げられている。

高校に入学して初めての行事、ハイキング。
ハイキングにはありえない距離を歩かされ、
足がミシミシと、ありえない音をたてた。


扁平足はさておき、
今年も、俺の野球シーズンが到来した。

その昔、
桑田の真似をして、マウンドで、ボールにつぶやいていたら、
盗塁された。

野球少年よ。
プロ野球選手の真似も良いけれど、
マウンドでは気をつけろ。
試合中だ。





楽雲庵塾三周年を迎えるにあたり

2007年06月12日 | rakuunanzyuku
「私は戌年で、今年で97歳になる。ところで、君は何年なんだい?」

「29歳、へび年です」

「いや、何年なんだい」

「・・・・・」

「へび年です」


年齢じゃなくて、干支だけを聞きたかったんだな。


木々は、冬の寒さにじっと耐え、
春を迎えて、生き返ったように、
鮮やかな緑色になった。

そんな温かい季節、
再び、おじいちゃんを見かけるようになった。

あいかわらず、その帽子には、花をつけている。
(過去日記:花のついた帽子の物語

俺は、そのおじいちゃんと話をした。

「いつも、おじいちゃんを見ていると、楽しそうで、
俺も幸せな気持ちになっていました。
できれば、一緒に散歩をしたいです」

「今日は、薬屋に行くから、
また今度、一緒に散歩しよう」

おじいちゃんと、散歩をする約束をして、
その日は、終わった。


そのおじいちゃん。
雨が降っていない日には、
毎日のように、同じくらいの時間に散歩をしている。

俺が会って、話しができるのは、休みの日。
そして、雨が降っていない、次の休みの日を待った。

雨が降りそうな日曜日。
俺は、再び、おじいちゃんと話をする。

「できれば、多くの人に、おじいちゃんの話しをしたいんですけど、
写真を撮らせてもらって、良いですか?」

「いいよ、いいよ。写真を撮ってくれるのかね。どこで撮れば良い?」

「いつも通り、散歩してもらってて、かまいません」

「そうかね」


おじいちゃんと俺の2人が、話ていると、
おじいちゃんに会釈をする人、
おじいちゃんに話かけてくる人がいる。

花のついた帽子の話をしてくる人も、やっぱりいる。
「俺だけじゃなくて、このおじいちゃんに元気をもらっている人は、
やっぱり、他にもいるんだなぁ」とわかった。



話は変わり、この楽雲庵塾は、来月、7月19日をもって、3周年を迎える。
あと、約1ヶ月。
そこで、本日、その3周年を祝しての企画を発表したい。


今年の企画は、「個展」をすることにした。
その名も、「楽雲庵塾展」。


この前の土曜日。
その楽雲庵塾展の会場となる場所で、
少しばかり話をしてきた。


花のついた帽子の物語も展示する予定。


詳細は、後日、順を追って、書いていきます。





自分の感覚を信じろ

2007年06月06日 | little story
「疲れていても、心のパワーを蓄えるために、何かやり続けるのが良いよ」

5月、この言葉を俺に話してくれた人がいて、
俺は、何となく、試してみることにした。
俺が続けられるスタイルを考えて、試すこと1ヶ月間。

俺は、「疲れたら休む」という、
疑いもしないようなことが、
実は違うなと思うに至った。

体を休めても、心が休まなければ、
結局のところ、「疲れが溜まる」という現象が起こる。
身をもって、知った。



同じく5月、こんな話を聞いた。
「何かを犠牲にしなければ何かをなしえないという現実を肯定したくはない」

心に突き刺さった。
「始めから諦めていたら、現実にできるもんもできないもんな」と思いながら、聞いていた。
俺も目指そうと勇気づけられた言葉。



今日、友達からメールが届いた。
「本物と言われるものは、わからなくても、見に行くようにしている。ピカソとか。
周りは、良いというけれど、全くわからなかった。(抜粋)」

俺は、小学生の頃、先生に、
「あなたの絵は、ピカソのようだ」と言われてから、
絵が好きになった思い出を思い出し、
「俺にとって、ピカソは偉大なんだ」と思いながら、
その友達にメールを返信した。

「ピカソの、どこがすごいかわからないって言う人、初めて聞いたわ」



この一連の話。
俺にとっては、共通していて、
「当たり前と思っていたことが、当たり前じゃないこともあるんだなぁ。実は、結構あったりしてな」って思ったし、
「自分の感覚を信じろよ」と自分自身に言い聞かす機会となった。



俺に気づかせてくれて、ありがとう。








自分の手で掴むために

2007年06月05日 | little story
俺の携帯電話に登録している電話番号の中には、
「+」で始まる番号がある。

その電話番号は、オーストラリアにいる友達の電話番号で、
その番号は、メールのやりとりをする時に使う。
携帯でメールができることを知った時は、びびった。


先日、メール専用だとばかり思っていた電話番号から、着信がある。
かれこれ1年半ぶり。

1年半も、オーストラリアにいれば、しゃべり方が変わっているかなと思ったけれど、
今までどおりの、ちょっとスローテンポで、優しい声が、
電話口から聞こえ、俺は、ほのぼのとする。

辛いことがあったというのは、メールのやりとりで知っていた。
こういう時に、話ができないのは、辛いなと思っていたところだった。

俺は、機関銃になりそうな口をぐっと堪えて、こう言った。
「1年半も話していなければ、話したいことは山ほどあるけれど、
今日は、俺の話はいいから、話を聞かせてよ」

「ちなみに今、日本時間で22時ね」

「オーストラリアは、2時間の時差だから、0時」

日本とオーストラリアの時差が2時間しかないことを初めて知った。
2時間しか時差がないのに、何で、四季が逆転するんだろうと、
余計なことが頭を駆け巡るが、今日は、そんなことに集中するところじゃない。
俺は、日本とオーストラリアの時差と四季の逆転の関係についての、
思考をシャットダウンする。


その友達は、自分の幸せを、自分の手で掴むために、行動を起こし続ける。
今回もそうだ。

うまくいかない時もあって、苦しんで、悲しんで、泣きじゃくった時もある。

俺は、ほとんどの場合において、無力だ。
ただ、ただ、うなずくばかり。

俺は、せめて、こうつぶやく。
「もし、1回、辛いことがあったら、連絡をちょうだいよ。俺が、1回、笑い話を届けるからさ」


悲しみや、怒りの感情が何で、
人間に備わっているのだろうと、考えたことがある。
なければ、もっと楽なのになと、思ったことがある。

ただ、幸せを掴むために、致し方がないのであれば、
俺は、その悲しみや怒りは耐えようと思う。
嫌だけどね。

その分、お釣りがくるくらい、笑ってやろうと思う。


オーストラリアから帰ってきた時、パワーアップしているのが、目に見える。
俺も負けじと、がんばるよ。






最前線で磨き上げたマサカリ

2007年06月04日 | baseball
そのボールは、新品のボールではないけれど、
家の中では、一番、綺麗なボールを選んで家を出た。

1989年。
俺は、未だにその日を忘れない。

俺の街に元プロ野球選手が来た。
読売巨人軍がV9を達成した時、セカンドを守っていた選手。
土井正三。

どんな選手だったかは知らなかったけれど、
俺は、嬉しくてたまらなかった。

新品ではないボールにサインを書いてもらい、
握手した手は、手を洗いたくないとさえ思った。

その時、土井正三さんと約束した、
プロ野球選手になるという俺の夢は、
叶わなかったけれど、
俺にとって、野球は、特別なものに変わりはない。


そして、昨日。
各年代の野球小僧達が、再び野球小僧に戻る。

名球会、OB会が来たのだ。

名球会とは、投手では、200勝か、250セーブ。
打者では2000本安打が参加資格となる。
先日、ヤンキースの松井秀喜、
北海道日本ハムファイターズの田中幸雄が、
名球会の仲間入りをした。

その名球会、プラスOB会の選手達、総勢20数名。
1人だけでも、嬉しくてたまらないのに、20数名。
やばすぎる。

野球好きなら、絶対たまらない人達。
名球会からは、金田正一、村田兆治、山本浩二、衣笠祥雄、若松勉・・・。
OB会からは、松永浩美、カズ山本、屋敷要・・・。

市の選抜チームと試合をしたんだけれど、
名球会、OB会のドリームチームは、本当に強い。

市の選抜チームの選手達もうまいんだよ。
動きを見ると、高校まで野球をやってきた人達だからね。

「プロは、すげぇや」って、改めて思った。
年齢を重ねてようが、最前線で磨き上げてきた武器の破壊力は半端じゃない。

村田兆治投手。
その独自の投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれる。
 
未だに140Kmが出るとは、聞いていたけれど、
間近で観る「マサカリ」の威力は、本当に半端ない。
なぜ、あんな球を未だに投げられるかが、不思議でたまらない。


今度、マスターズリーグも観に行こう。
絶対、おもしろいと思う。


野球小僧に戻った1日。



夜、鼻血が出そうになった。