私の日常も代わり映えのしない日常でして、
今日も実家の母の病院通いの運転手。
「もうすぐ昼だし、うちでご飯食べていくか」
と、母。
258円のスーパーの弁当にほだされて(笑)
実家で昼ごはん。
そりゃ、日中はしゃべる人がいないだろうし、
夕方家族の者が帰ってきても、相手にされないだろうけど、
その鬱憤なのか、まあ、しゃべること、しゃべること。
大昔のことから、いきなり現代の事まで、
その脈絡もない話に、適当に相槌を打っている。
「オメはちゃんと話聞いてくれるけど、家の者は嫌な顔される」
そりゃあね、たまにならしょうがなく聞いた振りしてるけど、
毎日だったら、嫌な顔もするだろうよ。
大昔は蚕を飼っていて、それを紡いで、染めてもらって、
織って、着物を祖母は作ってくれた。
とか、
そうかと思えば、
「〇〇(うちの長女)は大学は推薦でなく、実力で入るっていってた。
たいした子だと思ったよ」
そんな話を母にした覚えもないし、娘がそんなこと話してた記憶もないし。
私の中ではすっかり忘れている事をしっかり覚えている母。
頭がいいんだか、それしか覚える事がないんだか、
しょうもないことをずっと覚えている母。
いいことはいいのですが、悪く言われたことも
恨みつらみが心の中で増大し、しつこく、何度も何度も
「こんなことを言われた」
と、覚えている母。
世の中に傾聴ボランティアというのがあるそうですが、
けっこう需要はあるかもね。
私も年をとったら、あんな風に昔の事を語りたくなるものなのかな。
人に語るほどたいした人生じゃないしな。
昔の事を鮮明に覚えている人がいるけど、
私など、昨日何したかも覚えていないほど、ぼんやり生きているので、
きっと語れないだろうな・・・
このブログが30年後も続いていて、
30年前の記事を見返して、
「おお、こんなこともあったのか~~~」
と一人で感慨に耽っていれたら最高。