(Yosh)
○ 供給のインフレーション無駄の元支援の準備の刻を考え
作家の池澤夏樹が朝日新聞に毎月一回『終りと始まり』という総題のエッセイを連載していて、私たち文学ファンを、それが掲載される月初めの夕刊を心待ちさせている。
昨十一月一日の『終りと始まり』は、「<遠い人々と身近な問題>温度差を理由とせずに」と題して、先日来、世界中の人々の心配の種となっている、タイの洪水問題や南スーダンの問題について論じていて、その後半部に、それと関連して、次のような二つ段落があり、私の関心を惹いたので、それらの段落をそのまま転載させていただきたい。
タイは遠いし、南スーダンはもっと遠い。ぼくはたまたまどちらの地も知っていたから関心がつながった。
先日、京都でタクシーに乗っていて、運転手氏とほとんど口論になった。いわゆるタクシー会話で景気のことを話しているうちに先方が「日本中で今いちばん元気なのは福島ですよ」と言った。「仕事はないのに金が上から降ってくる。パチンコ屋と居酒屋が満員御礼」と言うのを聞いて、むきになって反論しているうちに、なんとも大人げないことを言っている自分に気づいた。 (以上『終りと始まり』より転載)
「運転手氏」の無謀かつ乱暴発言に対して「むきになって反論」するのも、私の大好きな紳士・池澤夏樹氏らしいところでありますが、「むきになって反論するうちに、なんとも大人げないことを言っている自分に気づいた。」と反省してしまうのも、いかにも、私の大好きな識者・池澤夏樹氏らしくて微笑ましいと思います。
私の大好きな池澤夏樹氏とは異なり、紳士でもなく、識者でもない、本作の作者・“Yosh”さんが運転するタクシーに、池澤夏樹氏が乗車したとしたら、また、大きな口論が始まってしまうに違いありません。
だが、数ヶ月前の朝日新聞の記事に拠ると、「被災地となった三陸のある町に於いては、見舞い品として全国各地から送られた毛布の置き場に困り果て、焼却処分にしてしまった」ということであるから、本作の作者が言わんとしている事、即ち、「地震の見舞い品は、時には『供給のインフレーション』を起こして『無駄の元』になってしまうから、『支援の準備』をしている者は『刻を考え』なければならない」という鋭いご提言は、強ち暴論として退けられなければならないような性質のもので無いことは、私が敢えて申し上げるべき事でもありません。
〔返〕 供給のインフレーション無駄の元! 若者は我に発露を呉れろ! 鳥羽省三
「発露」の内容については、いろいろとご想像なさって下さい。
若者たちが持て余し、その処分に困っている「発露」は、現在の「我」が最も必要としている「発露」に違いありませんが、必ずしも“精液”ではありません。
(湯山昌樹)
○ 晴れの場に防災頭巾準備して卒業式が静かに始まる
この作品に詠まれている事柄は、今の教育現場の実態をそのまま表しているに違いありません。
でも、いくら何でも、「卒業式」という「晴れの場」に「防災頭巾」を「準備して」入場しなければならないとしたら、それはあまりにも異常な事態かと思われます。
〔返〕 座布団が防災頭巾に早変わり卒業式は忽ち修羅場 鳥羽省三
(五十嵐きよみ)
○ 生きるとは死にゆく準備 吹く風にあらがう木々の声を聞きおり
「生きるとは死にゆく準備」という、有り触れた趣旨の作品が十数首の多きを数えましたが、それらの代表的な存在として、本作を採り上げました。
「吹く風にあらがう木々の声」は、「死にゆく準備」をしているのでは無く、むしろ、死にたくないとして「風」に抵抗しているのでありましょう。
だが、生きんとして「風にあらがう木々の声」を「聞き」ながら、本作の作者・五十嵐きよみさんは、生物が生きんとして一所懸命に自然に抗ったとしても、それは所詮「死にゆく準備」でしかない、と感じているのでありましょう。
〔返〕 吹く風に抗ふ如く木々は呼ぶ命の限り抵抗せよと 鳥羽省三
(遥遥)
○ 原発が存在するのは凶器準備集合罪ではないでしょうか
私見をのべさせていただきますと、「原発」を誘致し、その代償として得た交付金や税金で財政の一部を賄っている市町村長や県知事及び彼らを首長の椅子に座らせている住民は、「凶器準備集合罪」容疑で逮捕されるべきと思われます。
しかしながら、「原発」の所在地の首長たちの首は、今のところ極めて安泰と見受けられ、彼らの任期が切れて首長選挙が行われたとしても、彼らや彼らの後継者が選ばれる可能性が極めて大である。
こうした点から判断すると、本作の作者・遥遥さん及び私の考えは、極めて特殊な考えとして、我が国の選挙民から退けられるのではないでしょうか?
〔返〕 原発の容認派知事再選し青森県民命知らずか? 鳥羽省三
(今泉洋子)
○ 言葉なんてたくさん使つたものの勝ち準備するのは辞書のみである
どんな場面を想定すれば、こうした馬鹿馬鹿しい結論が得られるのでありましょうか?
例えば、短歌を詠む場面ならば、人によっては「準備するのは辞書のみである」ということも、稀には在り得ましょう。
しかし、それも作品のレベルの問題であって、本作程度の作品であったならば、「辞書」は勿論の事、鉛筆だって、紙だって、論理だって要らず、ただ単に感情に任せて詠めるかも知れません。
更に一言すれば、「言葉なんてたくさん使つたものの勝ち」とまで言うに及んでは、佐賀の狂女の狂気の沙汰でありましょう。
〔返〕 沈黙は金なり言はぬ存ぜぬの古川知事殿みんな見習へ 鳥羽省三
(卓上驟雨)
○ ガムテープ準備しました。ゴムホース、眠剤、お酒、手紙、露草
「ガムテープ準備しました」から始まり、「ゴムホース、眠剤、お酒、手紙」と必携道具を並べ立てた挙句の末尾の「露草」には、真に風情が感じられて素晴らしい。
「一酸化炭素中毒で自死する者の身の回りにも、『露草』程度の供花が在って欲しい」といったところでありましょうか?
〔返〕 卓上に遺書など置いときました。驟雨の最中あの世行きです。 鳥羽省三
(るいぼすのブログ)
○ 旅までの準備期間ははやぶさの往復切符を眺めて暮らす
「はやぶさの往復切符」に限らず、「切符」を購入してから旅立ちの日までは、「切符を眺めて暮らす」のが、平均的かつ典型的な庶民というものでありましょう。
したがって、“るいぼすのブログ”の管理人殿は、歌の上手な平均的かつ典型的な庶民でありましょう。
〔返〕 はやぶさの片道切符をポケットに刑事二人が東京を発つ 鳥羽省三
本(11月2)日の午後9時から、テレビ東京系列で、松本清張3週連続スペシャルの一環として、『張込み』が放映されますから、ご期待あれ!
○ 供給のインフレーション無駄の元支援の準備の刻を考え
作家の池澤夏樹が朝日新聞に毎月一回『終りと始まり』という総題のエッセイを連載していて、私たち文学ファンを、それが掲載される月初めの夕刊を心待ちさせている。
昨十一月一日の『終りと始まり』は、「<遠い人々と身近な問題>温度差を理由とせずに」と題して、先日来、世界中の人々の心配の種となっている、タイの洪水問題や南スーダンの問題について論じていて、その後半部に、それと関連して、次のような二つ段落があり、私の関心を惹いたので、それらの段落をそのまま転載させていただきたい。
タイは遠いし、南スーダンはもっと遠い。ぼくはたまたまどちらの地も知っていたから関心がつながった。
先日、京都でタクシーに乗っていて、運転手氏とほとんど口論になった。いわゆるタクシー会話で景気のことを話しているうちに先方が「日本中で今いちばん元気なのは福島ですよ」と言った。「仕事はないのに金が上から降ってくる。パチンコ屋と居酒屋が満員御礼」と言うのを聞いて、むきになって反論しているうちに、なんとも大人げないことを言っている自分に気づいた。 (以上『終りと始まり』より転載)
「運転手氏」の無謀かつ乱暴発言に対して「むきになって反論」するのも、私の大好きな紳士・池澤夏樹氏らしいところでありますが、「むきになって反論するうちに、なんとも大人げないことを言っている自分に気づいた。」と反省してしまうのも、いかにも、私の大好きな識者・池澤夏樹氏らしくて微笑ましいと思います。
私の大好きな池澤夏樹氏とは異なり、紳士でもなく、識者でもない、本作の作者・“Yosh”さんが運転するタクシーに、池澤夏樹氏が乗車したとしたら、また、大きな口論が始まってしまうに違いありません。
だが、数ヶ月前の朝日新聞の記事に拠ると、「被災地となった三陸のある町に於いては、見舞い品として全国各地から送られた毛布の置き場に困り果て、焼却処分にしてしまった」ということであるから、本作の作者が言わんとしている事、即ち、「地震の見舞い品は、時には『供給のインフレーション』を起こして『無駄の元』になってしまうから、『支援の準備』をしている者は『刻を考え』なければならない」という鋭いご提言は、強ち暴論として退けられなければならないような性質のもので無いことは、私が敢えて申し上げるべき事でもありません。
〔返〕 供給のインフレーション無駄の元! 若者は我に発露を呉れろ! 鳥羽省三
「発露」の内容については、いろいろとご想像なさって下さい。
若者たちが持て余し、その処分に困っている「発露」は、現在の「我」が最も必要としている「発露」に違いありませんが、必ずしも“精液”ではありません。
(湯山昌樹)
○ 晴れの場に防災頭巾準備して卒業式が静かに始まる
この作品に詠まれている事柄は、今の教育現場の実態をそのまま表しているに違いありません。
でも、いくら何でも、「卒業式」という「晴れの場」に「防災頭巾」を「準備して」入場しなければならないとしたら、それはあまりにも異常な事態かと思われます。
〔返〕 座布団が防災頭巾に早変わり卒業式は忽ち修羅場 鳥羽省三
(五十嵐きよみ)
○ 生きるとは死にゆく準備 吹く風にあらがう木々の声を聞きおり
「生きるとは死にゆく準備」という、有り触れた趣旨の作品が十数首の多きを数えましたが、それらの代表的な存在として、本作を採り上げました。
「吹く風にあらがう木々の声」は、「死にゆく準備」をしているのでは無く、むしろ、死にたくないとして「風」に抵抗しているのでありましょう。
だが、生きんとして「風にあらがう木々の声」を「聞き」ながら、本作の作者・五十嵐きよみさんは、生物が生きんとして一所懸命に自然に抗ったとしても、それは所詮「死にゆく準備」でしかない、と感じているのでありましょう。
〔返〕 吹く風に抗ふ如く木々は呼ぶ命の限り抵抗せよと 鳥羽省三
(遥遥)
○ 原発が存在するのは凶器準備集合罪ではないでしょうか
私見をのべさせていただきますと、「原発」を誘致し、その代償として得た交付金や税金で財政の一部を賄っている市町村長や県知事及び彼らを首長の椅子に座らせている住民は、「凶器準備集合罪」容疑で逮捕されるべきと思われます。
しかしながら、「原発」の所在地の首長たちの首は、今のところ極めて安泰と見受けられ、彼らの任期が切れて首長選挙が行われたとしても、彼らや彼らの後継者が選ばれる可能性が極めて大である。
こうした点から判断すると、本作の作者・遥遥さん及び私の考えは、極めて特殊な考えとして、我が国の選挙民から退けられるのではないでしょうか?
〔返〕 原発の容認派知事再選し青森県民命知らずか? 鳥羽省三
(今泉洋子)
○ 言葉なんてたくさん使つたものの勝ち準備するのは辞書のみである
どんな場面を想定すれば、こうした馬鹿馬鹿しい結論が得られるのでありましょうか?
例えば、短歌を詠む場面ならば、人によっては「準備するのは辞書のみである」ということも、稀には在り得ましょう。
しかし、それも作品のレベルの問題であって、本作程度の作品であったならば、「辞書」は勿論の事、鉛筆だって、紙だって、論理だって要らず、ただ単に感情に任せて詠めるかも知れません。
更に一言すれば、「言葉なんてたくさん使つたものの勝ち」とまで言うに及んでは、佐賀の狂女の狂気の沙汰でありましょう。
〔返〕 沈黙は金なり言はぬ存ぜぬの古川知事殿みんな見習へ 鳥羽省三
(卓上驟雨)
○ ガムテープ準備しました。ゴムホース、眠剤、お酒、手紙、露草
「ガムテープ準備しました」から始まり、「ゴムホース、眠剤、お酒、手紙」と必携道具を並べ立てた挙句の末尾の「露草」には、真に風情が感じられて素晴らしい。
「一酸化炭素中毒で自死する者の身の回りにも、『露草』程度の供花が在って欲しい」といったところでありましょうか?
〔返〕 卓上に遺書など置いときました。驟雨の最中あの世行きです。 鳥羽省三
(るいぼすのブログ)
○ 旅までの準備期間ははやぶさの往復切符を眺めて暮らす
「はやぶさの往復切符」に限らず、「切符」を購入してから旅立ちの日までは、「切符を眺めて暮らす」のが、平均的かつ典型的な庶民というものでありましょう。
したがって、“るいぼすのブログ”の管理人殿は、歌の上手な平均的かつ典型的な庶民でありましょう。
〔返〕 はやぶさの片道切符をポケットに刑事二人が東京を発つ 鳥羽省三
本(11月2)日の午後9時から、テレビ東京系列で、松本清張3週連続スペシャルの一環として、『張込み』が放映されますから、ご期待あれ!