臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(10月7日掲載・其のⅠ)

2013年10月08日 | 今週の朝日俳壇から
[稲畑汀子選]

(島原市・高比良映子)
〇  生きのびてゐる秋の蚊も必死なる

 今は昔、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷平定のための遠征の帰途、甲斐の国の酒折宮(さかおりのみや)」に立ち寄り,「新治(にひばり)筑波(つくば)を過ぎて幾夜か寝つる」と問い掛けたところ、たまたまその場に居合わせた御火焼翁(みひたきのおきな)が「かがなべて夜には九夜日には十日を」と、間髪を入れずに応えたと謂う。
 其処で我が国の文学史に於いては、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」との問い掛けに対する「かがなべて夜には九夜日には十日を」との応えを「付け合い連歌」の起源として尊び、彼の日本武尊と御火焼翁とを「連歌」の始祖として崇め奉っているのである。
 「付け合いの連歌」とは、あの人、例えば男性Aが「初雪や二の字二の字の下駄の跡」と「五七五」のスタイルで語り掛ければ、その場に居合わせた別のある人、例えば女性Bが「それにつれても金の欲しさよ」と、さり気なく「七七」のスタイルで応え返す遊びであり、その遊びの中の「五七五」のスタイルが、やがて独立して「俳句」となったのであり、その一対を組み合わせて「初雪や二の字二の字の下駄の跡それにつれても金の欲しさよ」とすれば、それはそれで、何方様も文句の付けようも無い、立派な「短歌」と謂えるのである。
 そこで、遠く海を隔てた九州は島原市の住人・高比良映子さんが、「生きのびてゐる秋の蚊も必死なる」と、「五七五」の俳句スタイルで語り掛けて来ると、いにしえの武蔵の国の生田の森の住人、即ち、私、鳥羽省三は、「けむに巻かれる薬は撒かる」と間髪を入れずに応え、このブログは、立派な「付け合いの連歌」の場たる「華の舞台」として変身するのである。
 数多くの俳句の中には、付け合いの七七句の存在を拒むような、頑なな名句も存在するのであるが、その多く、特に現代俳句の多くは、その「頑なさ」と「完成度」とを故意に放棄した時点で成立しているものと思われるので、本来的には歌詠みの私を以ってしても、俳句の「イロハ」ぐらいにはチャレンジする機会は残されているものと判断されるのである。
 こうした点に就きましては、本句の作者・高比良映子さんに於かれましては、如何お思いになって居られるのでありましょうか?
 〔返〕 生き延びてその先怖し秋の蚊は此の家の女房目の仇にす  鳥羽省三
 先刻から、我が連れ合いのS子は、道具箱の中から着火マンなどを持ち出して来て、アース渦巻に火を点けようとしている気配なのである。


(横浜市・小島ぱおら)
〇  固き蕾バンとはじけて曼珠沙華

 「バンとはじけて」とは、あの天空を志して咲いているようなイメージの、曼珠沙華のスタイルから想像しての事ではありましょうが、現実の曼珠沙華は、「バンとはじける事」も「うんといじける事」も無く、ある朝、気が付いてみたら、超人気ラーメン店の行列並みの行列を形成して、田圃の畔に咲いていたのでありました。
 〔返〕  固き蕾バンと弾ける事も無く田圃の畔に咲く曼珠沙華  鳥羽省三 


(横浜市・込山正一)
〇  台風にただただそこにじっと居る

 「台風に」とあるからには、「ただただそこにじっと居る」のは、「饅頭怖し」ならぬ「台風怖し」の御当家の奥方様でありましょうか?
 〔返〕  台風にただただ狼狽え騒ぐだけ当家の奥方役にもたたず  鳥羽省三


(小樽市・伊藤玉枝)
〇  露の身の薬に頼る他はなく

 付け合いの七七句は、「飲んで三錠貼りて一枚」という事になるのである。
 〔返〕  露の身の露の身ながら蕎麦召されつゆのみ残し蕎麦湯にぞする  鳥羽省三


(神戸市・みやおか秀)
〇  繙けば心従ふ夜の秋

 ページを捲り始めた当初は意に沿わないストーリーではありましたが、夜が更け行くと共に、次第次第に佳境に入って行ったのでありましょう。
 「夜の秋」とは、「秋の気配の感じられる、夏の終わりの夜」を指して云うのであり、俳句では夏の季語とされている。
 高濱虚子に「涼しさの肌に手を置き夜の秋」、その御愛孫・稲畑汀子氏に「それぞれの旅の帰路あり夜の秋」、御愛孫の御長男・稲畑廣太郎氏に「夜の秋遊女と芭蕉シテの舞」という名吟がある。
 〔返〕  祖父と孫娘とその子 高濱家四代、中の二代目・年尾抜けたり  鳥羽省三


(姫路市・中西あい)
〇  影といふ影澄み渡りたる白露

 下五に置かれた「白露」とは、 「二十四節気の一つであり、九月八日頃」を指して云い、季節的には「その頃から秋の気配が感じられ始める」のである。
 〔返〕  身を正し徘徊すれば影もまた凛と澄ませる白露なりけり  鳥羽省三
      身を正し徘徊すれば影もまた自ずと正す白露なるかも


(枚方市・石橋玲子)
〇  前へ向く心を阻む霧の道

 それでも尚且つ、私たち人間は、恐る恐る「霧」の中に足を踏み出し、一歩また一歩と前進して行かなければならないのである。
 〔返〕  振り向けば後ろ絶壁前は霧不帰の剱を乗り越えて行く  鳥羽省三


(神戸市・玉手のり子)
〇  枝豆や四十年の無沙汰埋め

 「枝豆」と言っても、山形県の遠い親戚から「四十年の無沙汰」を「埋め」るようにして送られて来た「ずんだ豆」の「枝豆」は、すんごく美味しいから。
 〔返〕  御無沙汰をしてから既に四十年いとこ元気か?ずんだ豆送る!  鳥羽省三


(姫路市・上原康子)
〇  括らずに萩は意のまま風のまま
 
 秋の七草の筆頭に上げられる「萩」と言っても、季節柄、台風の風に遣られた「あばれ萩」。
 それでも尚且つ「萩は意のまま風のまま」とばかりに「括らず」に置くのである。
 〔返〕 枯れてなほ萩は意のまま風のまま今夜のままはお萩にぞせむ  鳥羽省三


(姫路市・西村正子)
〇  邯鄲の叢抜けて日本海

 フリー百科事典「ウイキペディア」の解説に拠ると、上五に置かれた「邯鄲」とは、「バッタ目(直翅目)コオロギ科に属する昆虫の一種」であり、「その美しい鳴き声とその透き通る様な半透明な姿や成虫としての短い寿命を栄枯盛衰や儚さに例えて名付けられた」のであり、「夏の終わりから晩秋まで約二ヶ月近くその音色を聞くことが出来るが、個体としての成虫の寿命は短い」とのこと。
 本句の作者は、その「邯鄲」が「叢」の中で美しい声で鳴く時節、姫路から「JR播但線」及び「JR山陰本線」を乗り継ぎ、更には「北近畿タンゴ宮津線」をも乗り継いで「日本海」へと出る、小旅行にお出掛けになったのでありましょうか?
 〔返〕 邯鄲の夢の枕も濡らしつつ波濤逆巻く日本海見ゆ  鳥羽省三


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