[大串章選]
(生駒市・山村修)
〇 廃屋の古書の乱れや葛の花
崩れ果て朽ち果てようとしている一軒の廃屋。
吉野ならぬ荒地を好んで群がる葛草が屋根まは這い上がり、思うがままに葉を開かせ蔓延り、皮肉にも淡い紫色の花まで咲かせている廃屋の奥に、読む人は勿論、今となっては整理をする人さえ死に絶えてしまったにも関わらず、万巻の古書が乱雑に積まれ置かれていて、渇き果て腐れ果てて時間の彼方へと旅立って行こうとしているのである。
秋の季語である「葛の花」は、廃屋の巡りの荒涼とした時間と空間とを象徴しているのであるが、其処には底知れない哀感と共にささやかな美がある。
〔返〕 葛の花咲き乱れたる廃屋に文読む人の今は何処に 鳥羽省三
(伊勢崎市・宮崎篤)
〇 晩夏なり蛇の顔して卵呑む
拙者は、この猛暑の夏を耐え抜いて生き、末々まで生き延びる事が出来るのか?
否、未だ生き抜き、生き伸びる事が出来るとは言えない!
となれば、あの薄気味悪く執念深い蛇のような顔をして生卵を呑み込むしか手が無いのである!
〔返〕 朝なさな卵幾つを呑み込みて蛇の顔して夏に耐へなむ 鳥羽省三
(青梅市・青柳富也)
〇 防人のやうな案山子に出会ひけり
妻子と泣き別れして東国から任地にへ赴くのが防人。
俳人は、その防人の如き素朴な面貌と姿をした案山子を、吟行の途次に目にしたのでありましょう。
〔返〕 防人に往くは誰が背と問ふがごと稲架に向ひて佇つ案山子あり 鳥羽省三
(松戸市・大井東一路)
〇 雁渡し壺に満たざる骨拾ふ
昔人は巨大な骨壺一杯、満ち溢れる程にも遺骨を拾い集めたものであったが、昨今の人々は、ただでさえ小さくなってしまった骨壺の、その底が見えない程度にしか遺骨を拾わなくなってしまったのである。
「雁渡し」とは、北の国から雁が渡って来る頃に吹く風を指して言うのであり、「青北風(あおきた)」とも呼ばれているこの風は、俳句では秋の季語とされている。
〔返〕 往く秋を壺に満たざる骨に哭く北の国から雁渡る頃 鳥羽省三
(大牟田市・伊藤かもめ)
〇 秋祭船に車輪をつけて曳く
さし当たっては「御座船臨行」と言いたい場面ではありましょうが、実を言うと、廃船を陸に上げて車輪を着けて山車として曳いて行くだけの事である。
〔返〕 御座船を曳くは平家の裔にして辿り着くさき葛橋見ゆ 鳥羽省三
(沼津市・林田諄)
〇 刈り取って稲架に掛けたる夕日かな
刈り取られた稲束は、夕日もろとも稲架掛けされているのである。
〔返〕 刈り取りて顔も嬉しき稲束を夕陽もろとも稲架掛けし居り 鳥羽省三
(群馬県東吾妻町・酒井大岳)
〇 栗をむく妻の記憶の確かなる
「裏山から拾い集めて来た小粒の山栗の荒皮を剥きつつも、亭主の俺に向って訥々と昔話を語り掛けて来る才女ならぬ妻女の記憶力の、何と確かなことよ!」といった場面ではある。
〔返〕 ねっちりとご亭の俺に訊ね来る妻の剥きたる栗のいがいが 鳥羽省三
(福島市・引地こうじ)
〇 廃村に傾く巣箱こぼれ萩
「廃村」と言い、「傾く巣箱」と言い、「こぼれ萩」の季節に相応しい言葉の選択である。
人の住まなくなった村里には、小鳥たちさえも寄りつかなくなってしまったのであろうか?
往時の学童たちが気持ちを傾けて作り、古木の枝に結び付けた、あの巣箱には、ここ数年来、小鳥たちが棲息している様子が見られなくなってしまったのである。
下五の「こぼれ萩」は、晩秋の時節を表し、廃村のシンボルとして置かれているのである。
〔返〕 傾きて鳥も棲まなくなりにしに萩の花散る巣箱なりけり 鳥羽省三
(岡山県鏡野町・西村なほみ)
〇 遠雷や黄泉へゆく人送るかに
「送るがに」とせずに「送るかに」と清音にしたところが宜しい。
〔返〕 昨夜(よべ)もまた黄泉へ旅立つ者の居て村里遠く雷の音 鳥羽省三
(相馬市・根岸浩一)
〇 色鳥のどこかに五輪カラーあり
上五の中の「色鳥」とは、「いろいろの小鳥。特に、秋に渡ってくる小鳥」を指して言うのであり、秋の季語とされている。
したがって、本句の鑑賞に当たっては、取り立てて「色鳥」の「色」と「五輪カラー」とを結び付けて解釈する必要は無いが、本作を詠む際の作者の心中には、当然の事ながら、「色鳥⇒色⇒カラー⇒五色⇒五輪カラー」といった程度の連想ゲーム的作用がちらついていたはずである。
前田青邨に「色鳥はわが読む本にひるがへり」という名吟があるが、青邨吟に於いても、色鳥の鮮明な色彩と「わが読む本」の黒白との対比が見られるのである。
〔返〕 色鳥の何故か昔を想はせて行き来もならぬ君と我とは 鳥羽省三
(生駒市・山村修)
〇 廃屋の古書の乱れや葛の花
崩れ果て朽ち果てようとしている一軒の廃屋。
吉野ならぬ荒地を好んで群がる葛草が屋根まは這い上がり、思うがままに葉を開かせ蔓延り、皮肉にも淡い紫色の花まで咲かせている廃屋の奥に、読む人は勿論、今となっては整理をする人さえ死に絶えてしまったにも関わらず、万巻の古書が乱雑に積まれ置かれていて、渇き果て腐れ果てて時間の彼方へと旅立って行こうとしているのである。
秋の季語である「葛の花」は、廃屋の巡りの荒涼とした時間と空間とを象徴しているのであるが、其処には底知れない哀感と共にささやかな美がある。
〔返〕 葛の花咲き乱れたる廃屋に文読む人の今は何処に 鳥羽省三
(伊勢崎市・宮崎篤)
〇 晩夏なり蛇の顔して卵呑む
拙者は、この猛暑の夏を耐え抜いて生き、末々まで生き延びる事が出来るのか?
否、未だ生き抜き、生き伸びる事が出来るとは言えない!
となれば、あの薄気味悪く執念深い蛇のような顔をして生卵を呑み込むしか手が無いのである!
〔返〕 朝なさな卵幾つを呑み込みて蛇の顔して夏に耐へなむ 鳥羽省三
(青梅市・青柳富也)
〇 防人のやうな案山子に出会ひけり
妻子と泣き別れして東国から任地にへ赴くのが防人。
俳人は、その防人の如き素朴な面貌と姿をした案山子を、吟行の途次に目にしたのでありましょう。
〔返〕 防人に往くは誰が背と問ふがごと稲架に向ひて佇つ案山子あり 鳥羽省三
(松戸市・大井東一路)
〇 雁渡し壺に満たざる骨拾ふ
昔人は巨大な骨壺一杯、満ち溢れる程にも遺骨を拾い集めたものであったが、昨今の人々は、ただでさえ小さくなってしまった骨壺の、その底が見えない程度にしか遺骨を拾わなくなってしまったのである。
「雁渡し」とは、北の国から雁が渡って来る頃に吹く風を指して言うのであり、「青北風(あおきた)」とも呼ばれているこの風は、俳句では秋の季語とされている。
〔返〕 往く秋を壺に満たざる骨に哭く北の国から雁渡る頃 鳥羽省三
(大牟田市・伊藤かもめ)
〇 秋祭船に車輪をつけて曳く
さし当たっては「御座船臨行」と言いたい場面ではありましょうが、実を言うと、廃船を陸に上げて車輪を着けて山車として曳いて行くだけの事である。
〔返〕 御座船を曳くは平家の裔にして辿り着くさき葛橋見ゆ 鳥羽省三
(沼津市・林田諄)
〇 刈り取って稲架に掛けたる夕日かな
刈り取られた稲束は、夕日もろとも稲架掛けされているのである。
〔返〕 刈り取りて顔も嬉しき稲束を夕陽もろとも稲架掛けし居り 鳥羽省三
(群馬県東吾妻町・酒井大岳)
〇 栗をむく妻の記憶の確かなる
「裏山から拾い集めて来た小粒の山栗の荒皮を剥きつつも、亭主の俺に向って訥々と昔話を語り掛けて来る才女ならぬ妻女の記憶力の、何と確かなことよ!」といった場面ではある。
〔返〕 ねっちりとご亭の俺に訊ね来る妻の剥きたる栗のいがいが 鳥羽省三
(福島市・引地こうじ)
〇 廃村に傾く巣箱こぼれ萩
「廃村」と言い、「傾く巣箱」と言い、「こぼれ萩」の季節に相応しい言葉の選択である。
人の住まなくなった村里には、小鳥たちさえも寄りつかなくなってしまったのであろうか?
往時の学童たちが気持ちを傾けて作り、古木の枝に結び付けた、あの巣箱には、ここ数年来、小鳥たちが棲息している様子が見られなくなってしまったのである。
下五の「こぼれ萩」は、晩秋の時節を表し、廃村のシンボルとして置かれているのである。
〔返〕 傾きて鳥も棲まなくなりにしに萩の花散る巣箱なりけり 鳥羽省三
(岡山県鏡野町・西村なほみ)
〇 遠雷や黄泉へゆく人送るかに
「送るがに」とせずに「送るかに」と清音にしたところが宜しい。
〔返〕 昨夜(よべ)もまた黄泉へ旅立つ者の居て村里遠く雷の音 鳥羽省三
(相馬市・根岸浩一)
〇 色鳥のどこかに五輪カラーあり
上五の中の「色鳥」とは、「いろいろの小鳥。特に、秋に渡ってくる小鳥」を指して言うのであり、秋の季語とされている。
したがって、本句の鑑賞に当たっては、取り立てて「色鳥」の「色」と「五輪カラー」とを結び付けて解釈する必要は無いが、本作を詠む際の作者の心中には、当然の事ながら、「色鳥⇒色⇒カラー⇒五色⇒五輪カラー」といった程度の連想ゲーム的作用がちらついていたはずである。
前田青邨に「色鳥はわが読む本にひるがへり」という名吟があるが、青邨吟に於いても、色鳥の鮮明な色彩と「わが読む本」の黒白との対比が見られるのである。
〔返〕 色鳥の何故か昔を想はせて行き来もならぬ君と我とは 鳥羽省三