モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

進んで従う

2021-08-24 05:44:37 | 福音について
‟福音に進んで従おうとする”ならキリがないのではないですか?


その通りで‟福音にキリはない”と思います。
福音は‟永遠”に続くものだからです。


「人は…自由意思によって…、自らの内に力があり…自ら選択し行動する…、命じられるまで何事も行わず、疑いの心を持って戒めを受け入れ、それを不承不承守る者は罰の定めを受ける」教義と聖約58:27~29

戒めを強制と誤解されることがあります。
強制は神の御心ではありません。
この世にあってすべての人は自由だからです。


自分の意志でなければ永遠に続けることはできないでしょう。
永遠に強制されるなんて御免ですよね。
強制する側も大変だと思います。
どちらも嫌になってしまうことでしょう。

‟キリがない=永遠”です。
永遠を望みますか?
キリストを信じるとは永遠を望むことだと思います。
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権利と義務

2021-08-24 05:30:10 | モルモン書
「すべての人が権利と特権を等しく享受できる」モーサヤ29:32


「働かざる者、食うべからず」という言葉があります。
権利と義務の関係を表した言葉ですが、
今の時代にその意識はずいぶん変わりつつあるようです。

時代の変化と共に生存権の解釈は大きく広がって、
今では死刑廃止論にまで及んでいます。
権利が大きくなって義務が小さくなっているのだそうです。


福音ではどうでしょうか。
「天の父は悪い者の上にも良い者の上にも太陽を昇らせ…雨を降らせてくださる」マタイ5:45
この点では義務は伴わないようです。

その一方で、主の贖いには悔い改めという条件(義務)があります。
祈りの答えを受けるためにはキリストを信じる
聖霊の賜物を授かるにはバプテスマを受ける
神殿に参入するにはふさわしさを証明する


次のように考えることはできるでしょうか。
キリストを信じる信じないにかかわらず主はすべての人に恵みを与えますが、
‟聖約を伴う祝福”については約束を果たす義務があります。

‟聖約の民”であるわたしたちはその義務を負う(約束を果たす)と誓いました。
聖約による祝福を望むのであれば、義務を果たすことが求められます。
それが‟神のは公平”ということのようです。
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