モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

疑い

2021-08-18 06:30:42 | 福音について
心の中にある‟疑い”はどうすればいいのですか?


「疑わないで信仰を持って願い求めなさい。疑う人は…主から何かをいただけるもののように思うべきではない。」ヤコブ1:6~


モロナイの約束を試して聖霊から答えを受けたとき、こう思いました。
「これが神からのものだとどうして分かるんだろう」
‟感じた力が本当に神からのものであるのか”と疑ったのです。

疑いがなくなるまで何度も繰り返して試しました。
何年もかかりました。

こうも尋ねました。
「今この祈りを聞いているあなたは神ですか?」

今もよく尋ねます。
「これは主の御心ですか?」
「わたしは主に従っていますか?」
「わたしはこのまま進んで行っていいのでしょうか?」


わたしはいつも疑っています。
自分が本当に正しく理解しているのか自信がないのです。

疑うので考えます。
そして真実を見つけようとします。
今までそうでした、これからもそれを続けるつもりです。

ヤコブの手紙にある「疑い」とは何を意味しているのでしょうか。
もしかすると問題は‟疑いに集中して御霊を受け入れない”ことにあるかもしれません。


ちょっと字は違いますが、‟凝り固まる”という言葉があります。
「ひとつの事だけにこだわって、他のことを顧みなくなる」という意味です。

疑念に凝り固まって真実に目を向けようとしない
そのような状態を‟かたくな心”といいます。
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人を見るのではなく

2021-08-18 06:25:27 | モルモン書
「あなた方は王を持ちたいと願っている、…あなた方の中に争いが起こる恐れがある、…主の道が曲げられることになり…多くの人の霊が滅ぼされることになる」モーサヤ5~7


改宗した当時、‟身近にいた導いてくれる人”にとても助けられました。
その教えと導きに今も感謝しています。

その当人から何度もこう言われました。
「人を見るのではなく、神を見て信仰しなさい」
当時は言われていることの意味が理解できませんでした。


「あなた方はそれぞれ『わたしはパウロにつく』、『わたしはアポロ』、『わたしはケパに』、『わたしはキリストに』と言い合っている」1コリント1:12

ある人がこう言いました。
「預言者の言葉にわたしたちは従うべきです」
こう思いました。
「わたしは御霊に従います」

その人はこうも言いました。
「預言者は御霊に従っているのだから、その言葉は絶対に正しいのです」
こう思いました。
「預言者は御霊に従っているのだから、わたしたちも御霊に従うべきではないですか」

時々、「自分も同じことをしているのではないか」と不安になります。
ですからわたしを信じないで、皆さんの内にある主の御霊に頼ってください。
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