モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

悔い改めという責任

2021-08-05 06:15:06 | 総大会
救い主は…犯した罪を悔い改めるという個人の責任を取り除くことはされませんでした。
(イエス・キリスト:わたしたちの魂の介護者 ソアレス長老)


悔い改めは決して快いものではありません。
むしろ‟苦痛”といってもよいでしょう。
その苦しみは、自らの非を認め、悔いて、告白するところから始まります。


わたしの最初の悔い改めは当時の伝道部長に告白することから始まりました。
今思い起こせばその態度は明らかに開き直ったものだったと思います。
それを聞く側にはとても不快なものだったことでしょう。

一通りの話を聞いた後、彼はこう言いました。
「あなたのお父さんお母さんはそれが正しいことだとあなたに教えましたか?」

その一言は心に突き刺さりました。
心に痛みが走ったのです。
その瞬間から‟真の悔い改め”が始まりました。


その結果を経験して知っているなら、
‟悔い改めるという個人の責任”によってもたらされる祝福に感謝することでしょう。
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自分と同じに

2021-08-05 06:00:39 | モルモン書
「多くの者に自分と同じような罪悪を犯させた」モーサヤ27:8


朝っぱらから気分の悪い話で申し訳ありません。

人は周りに「自分を理解してほしい」、
さらには「自分と同じであってほしい」と望む気持ちがあるといわれます。
それを受け入れる人を‟仲間”と呼ぶのだそうです。

「類は類を呼ぶ」という言葉があります。
主を信じるなら主を信じる人に対し、
主を信じないなら主を信じない人に、仲間意識を感じるのでしょうか。


罪を犯したとしても、周りに自分と同様の人がいれば
(そのような人が多いほど)安心できるようです。
‟悪い噂を広めることで、同調する人を求める”などということもあります。

SNS上での悪質な批判が後を絶たないようです。
オリンピックの選手でさえもその被害に遭っているとのニュースを見かけます。

心理学的には、「不平不満がSNS上で吐露されているのを見て、
‟自分の仲間”を見つけた人が同様の行為に及び、さらにエスカレートする」
という現象だそうです。
まさに「類は類を呼ぶ」ということのようです。


そのような人は‟自分の行為に人々が反応する(傷つく)ことで
アドレナリンが分泌される”という説があります。
自分の行いが罪であることも、その結果も認識しているはずなのに、
アドレナリンによる一時的な快感を求めているというのです。

明らかなことは、その頂点にはサタンの存在があり、
彼が仲間を集めようとしていることです。
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