モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

喜びの便り 1月31日

2023-01-31 05:57:39 | 喜びの便り

昔話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
今のわたしにとっては価値のある特別な経験です。

‟今の…”というのは、当時はそれほどの価値を感じていませんでした。
不思議には思いましたが、その程度です。

信仰の道は決して平たんではなく、楽なものでもありません。
疑い、信仰を捨てようとしたことは両手の指でも足りないほどです。

その度にこの経験が心をよぎりました。
「あれはいったい何だったんだろう」
心に問いかけずにはいられませんでした。

結果的に信仰を捨てることはできませんでした。
そんなことを何度となく繰り返す毎に、その価値は増し加えられました。

信仰の試しは証の価値が増し加えられるために与えられるようです。
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喜びの便り 1月30日

2023-01-30 05:57:52 | 喜びの便り

宣教師になって三日目、初めて神殿に入りました。
最初に面接がありました。
その後、ここで待つようにと言われ、
ひとりで部屋に残されました。

なんとなく、ひざまづいて祈り始めました。
すると聖霊の力が胸の内に流れ込み、
全身に広がり、指の先までも満たされたのです。
モロナイの約束のときと同じものですが、
その力は桁違いでした。

思い悩んだ半年は祝福に変わりました。


余談です。
それ以来百回以上神殿に参入しましたが、
独りきりになれたのはそのときだけです。
祈り、その後の余韻に浸る充分な時間まで与えられました。

面接してくれた人はわたしのことを忘れていたのでしょうか。
それとも御霊に促されてそうしたのでしょうか。
どちらにしても感謝です w
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喜びの便り 1月29日

2023-01-29 06:05:48 | 喜びの便り

「あの半年の信仰は何だったんだろう」
今でも時々、不思議に思います。

分かり切っているほど答えは単純なのですけど。
それだけの価値があると信じていたからです。

価値がなければすぐにあきらめるでしょうね。
惜しくもないからです。

価値があれば簡単にあきらめるわけにはいきません。
信仰が尽き果てるまで、信じて断食と祈りを続けました。

あの半年に価値はあったでしょうか。
もちろんです。
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喜びの便り 1月28日

2023-01-28 05:49:54 | 喜びの便り

「どうして半年も…」
普通に考えますよね。

宣教師になる前日、祝福師の祝福を受けました。
特別な経験でした。
でもその後、さらに特別なことが与えられました。

ひとりの姉妹とすれ違い様に挨拶を交わしました。
彼女が言いました。
「兄弟はこの半年で本当に変わったよね」

その一言が答えでした。
疑問は溶けて消え去りました。

余談ですが、その姉妹はわたしの知らない人でした w
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喜びの便り 1月27日

2023-01-27 05:58:43 | 喜びの便り

そんなある日、仕事の帰りに車の中で祈りました。
「福音に出会えて感謝しています。
 宣教師になりたいと願いました。
 半年待ちました。
 ・・・
 終わりにします。
 今日召しが来なければ、もう宣教師にはなりません。」

家に着いて、郵便受けを開けました。
大きな分厚い封筒がありました。

笑うしかありませんよね。
涙が溢れて止まりませんでした。

この経験が序の口であったことは、
その後思い知らされることになります w
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