モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

赦し

2021-12-31 05:18:15 | モルモン書
感謝できないことはどうすればいいのですか?


こんな話をしたことがあります。
「職場の人とこんなことがあって…」
 「いつもお世話になっていると言っていた人でしょ」
「あぁ、あれはもう帳消し」

悪いことがあると良いことを帳消しにしてしまうことがあります。
それって残念だと思います。

良いことよりも悪いことの方が心に残りやすいのだそうです。


良いことと悪いことは‟別のもの”です。
悪いことがあったからといって、
良いことを消し去ってしまうのは勿体ないと思いませんか。

感謝できることを残して、
感謝できないことを消し去った方が幸せになれると思います。
それを‟赦しの心”といいます。
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否定できなかった

2021-12-31 05:13:24 | モルモン書
「我々は罰の定めを受けるとき、どのような有様なのか」アルマ14:21


アルマとアミュレクの証は彼らの心に刻み付けられました。
彼らはそれを否定できなかったので、連日のように問い詰めました。

「証を取り消させれば楽になれる」と考えたのかもしれません。
否定できずに恐れたので‟自分たちがどうなるのか”を知ろうとしました。

「無視すればいいのに」と思ってしまいます。
無視できないほどに御霊の証は強いものだったのでしょう。


ジョセフが天父とイエス・キリストの訪れを受けたと証したときと同様です。
周りの人々はその証を取り消させようとしました。

御霊によってジョセフの証が心に刻み付けられたために、
彼らは無視することができませんでした。
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感謝するとき

2021-12-30 05:38:31 | 福音について
何を感謝しますか?


いつも平穏を祈り求めています。
そのくせ、平穏が続くと祈りを忘れます。

悩みや苦しみを抱えているときほど祈りを思い起こします。
苦難が大きいほど祈りは熱心になります。


いつも「サタンの誘惑を遠ざけてください」と祈ります。
誘惑がなければ助けを求めなくなります。

誘惑が大きいほど主に頼ります。
心が折れそうになると必死です。


何の悩みもなく平安なときが続くことを願っています。
‟悩みが消えて平和で恵まれた福千年”に生きたら感謝を忘れてしまいそうです。

‟悩みや苦しみがあるから救いを感じて感謝できる”なんて、ちょっと複雑な気分です。
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救い

2021-12-30 04:56:24 | モルモン書
「そのような…力があるならば、なぜ自分自身を救わないのか」アルマ14:20


本当にそう思います。
「神を信じて、神の力に頼って生きているはずなのに、どうしてこんな状態なのだろう。自分が救われていないのに、神への信仰を宣べ伝えるなんでおこがましい」
何度もそう考えました。

誰の目から見ても‟救われている”と分かるのなら、
「わたしを見てください、この通りです」と言えます。
それなら簡単だし、説得力も十分でしょう w

‟救われている”という確信がないなら、
‟自信を持って福音を宣言”なんでできないですよね。


キリストの‟救いの奇跡”はどこに現れるのでしょうか。
‟心”です。

周りの人の目には見えないかもしれません。
自分でさえも気づいていないかもしれません。

‟救い”に気付くなら、そこに‟主の奇跡”があります。
心の変化に気付くことができないなら、その価値に気付くこともできません。
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報告

2021-12-29 06:01:35 | わたしに従って…
家族への接し方について神の御前で報告することになります。
(わたしに従ってきなさい 12月26日)


「神の前に立つとき何を報告しようか」と考えます。

「あの人はわたしのためにこんなことをしてくれました」
「彼はわたしに愛を示してくれたのです」
「彼女と過ごす時間は幸せでした」

そんな感謝を報告をしたいですね。
神の御前は‟楽しい法廷”になると思います。(モロナイ10:34)

文句ですか?
文句を言うときどんな気持ちがありますか。
‟楽しい法廷”とはならないでしょうね。


自分のことについての報告ですか?
言い訳をしたくなります、きっと w

自分のことについては他の人にお任せしたいです。
「あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で…仲直りしなさい」マタイ5:25
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