モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

苦しみ

2020-02-29 15:56:26 | 福音について
「主よ…なお、あなたは…黙して、我々をいたく苦しめられるのですか」イザヤ64:12

悔い改めの始まりを思い返してみると、そこには必ず「苦しみ」があります。
苦しみがあってもそれに耐えられる間は悔い改めようとは考えません。
苦しみに耐えられず、主に助けを求めるようになって初めて悔い改めが始まります。

「その悩みと苦しみの日に、昔から持っていた宝を思い起こす」哀歌1:7
残念ながらわたしは苦難によって神を思い起こすタイプの人間のようです。
苦しみがなくても神を思い起こし悔い改めるなら、ここまで苦しむ必要はないのかもしれません。

「あなたが彼らを苦しめられる時…あなたの名を崇め、その罪を離れるならば」列王上8:35
主を信じて頼る者は、苦しみによって主を思い起こし、主に立ち返ろうとします。
そうであるなら苦しみは悔い改めるべき事柄を教え、祝福となります。

「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる」ヨブ36:15
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正論

2020-02-23 18:56:18 | 今日の一言
状況を無視した正論は役に立たない



正論は正しいものであり、反論の余地もありませんが、
それは状況が整って初めて効力を発揮します。

状況を整えることなく正論だけを主張することは
「机上の空論」となることが多いようです。
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自分のため

2020-02-23 18:54:29 | 福音について
「人が全世界をもうけても、自分自身を失い、または損したら、何の得になろうか」ルカ9:25

「ノア…ヨブ…も…その息子娘を救うことが出来ない…自身を救い得るのみ」エゼキエル14:14~
家族や周りの人々のために奉仕し犠牲を払う精神はよいことですが、
それは‟自分のため”であり、‟自分のためにしか行えない”ことを知っておくべきかもしれません。

「わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て…て、わたしに従って来なさい」マタイ16:24
「自分を捨てることが自分のためになる」のではなく、
「自分の思いよりも主の御心に従うことが自分のためになる」という意味です。

そのためには、自分自身で主から直接の啓示を受け、御霊の導きに従わなければなりません。
イエスの時代、多くの人々が「神に従っている」と思い込み、主に従いませんでした。
戒めを守るために犠牲を払っていたにも関わらず、その犠牲は自分のためになったのでしょうか。

わたしたちが主を信じて従うのは「自分自身の救いのため」です。

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先入観

2020-02-16 07:22:32 | 福音について
「これらのことを偏見なしに守り…不公平な仕方をしてはならない」1テモテ5:21

先入観とは主に「否定的な思い込みによる認識の歪み」をいいます。
偏見や固定観念は心をかたくなにし、自由な思考を妨げてしまうことが多いようです。
最も厄介なのは、ほとんどの人が「自分の固定観念を正しいと信じている」ことです。

しかし、先入観の中には物事を正しく判断するために必要な情報も含まれます。
先入観のあるおかげで、理論的な発想をし、物事に備えることができるのです。
もしも先入観がなければ、行き当たりばったりで、物事の後先を考えることができません。

神を信じる人の先入観は「神は完全であり、自分は不完全である」ことです。
わたしたちはこの‟固定観念”を正しいと信じています。
それだから神を信じない人にとっては厄介な存在かも知れません。

「自分が不完全であり、その判断には過ちがある」と信じることから信仰は始まります。
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福音を伝える

2020-02-11 06:28:48 | 福音について
「全世界に出て行って、すべての…者に福音を宣べ伝えよ」マルコ16:15

すべての教会員には「福音を伝える」という使命があります。
福音を伝えるには様々な方法があり、各々が自分に合った方法を選ぶことができます。
「神を信じますか」と尋ねることもよし、言葉ではなく生活そのもので伝えるもよし…です。

この教会には宣教師として任命されて働く人がありますが、彼らは前者です。
宣教師は、知らない土地で、知らない人々の中で、短期間、その働きをします。
ですから誰彼なく声をかけて「福音に興味のある人」探します。

長年住み慣れた土地で、知り合いの中で、おそらく一生涯、そこで生活する教会員は後者です。
教会員の生き方に興味と関心を持つ人にその秘訣を伝えることができます。
周りの人々が興味と関心を持つ生活とはどのようなものでしょうか。

努力は必要ですが、飾る必要も、見栄を張る必要もありません。見る人に任せればよいのです。
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