モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

自ら進んで従う

2021-08-23 06:31:04 | わたしに従って…
警告…に進んで従うという意志
(わたしに従ってきなさい 8月22日)


伝道部長と語り合っているとき、彼に電話がかかってきました。
その電話を終えてから彼はこう尋ねました。

「『ノンカフェィンのコーヒーは飲んでも大丈夫ですか?』
という質問だったのですが、どう思いますか」
少し話し合った後で彼はこう言いました。
「主の勧めに反する思いを持ったままで、主の前に立つことができますか」
それ以上の話し合いは必要ではありませんでした。

コーヒーに限らず、すべてのことにおいて
‟自ら進んで従う”意志があるとしたら、何を選ぶでしょうか。
そう考えるとき、‟福音に従う選び”はより容易になります。
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主を畏れる

2021-08-23 06:24:01 | モルモン書
「主を畏れてこれらのことを行うように」モーサヤ29:30


同音異義語というものがあります。
聖典でよく見かけるのは、「意思」と「意志」、「耐える」と「堪える」、
「恐れる」と「畏れる」… 他にもあるでしょうか?

「意思」とは‟気持ち”、「意志」とは‟意欲”を表します。
「耐える」と「堪える」はどちらも‟我慢する”ですが、
「堪える」には‟我慢するだけの価値がある”という意味が加わるのだそうです。
「恐れる」は‟危険や不安を感じる”、
「畏れる」は‟圧倒的な存在に対して態度を慎む”という意味になります。

「主を恐れる」と「主を畏れる」
前者は‟裁きと罰を被らないために主に従う”という心であり、
後者は‟神の偉大さを認め、神の前にへりくだる”心です。
主に従うわたしたちはどちらの心でしょうか。

‟主に従う”という行為では見た目は似ているかもしれませんが、
前者は強制に近く、後者は自由意思に基づきます。
‟強制と恐れ”によって従うのか、それとも‟自由意思と自らの選び”のもとに過ごすか。

この違いをどう感じますか。
もっとも大きな違いは‟御霊によってもたらされる喜び”に現れるようです。
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