モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

生きる

2020-05-31 22:17:56 | 今日の一言
生きるとは
大なり小なり
人生に命を懸けること

自分の意思によって
人生に命を懸けられるなら
それはそれで幸せかもしれない
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人間関係

2020-05-31 20:57:22 | 新約聖書
「聖なるものを犬にやるな、また真珠を豚に投げてやるな」マタイ7:6

残念ながら、”福音を伝えてもそのことについて考えてみようともしない人”は少なくありません。
そのような人を犬や豚に例えるのは行き過ぎのような気もしますが…

喜んでもらえると思って伝えたことで、
批判や非難をされて戸惑った経験は誰にもあるのではないでしょうか。

「おそらく彼らはそれを足で踏みつけ…あなた…に噛み付いてくる」マタイ7:6
特に宗教に関することでのそのようなトラブルは多いようです。

福音を伝えるのは大切ですが、そのために人間関係を犠牲にするのはいかがなものでしょうか。
特に家族や友人、大切にしたい人との間では賢く振る舞うことも必要ではないのでしょうか。

「彼らがどのように、どこで、何を礼拝しようと、わたしたちはそれを妨げない」信仰箇条11
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答える方法

2020-05-31 08:51:32 | 福音について
質問に答える方法は三つあります。

ひとつは知識によって答える方法
学校で学ぶのは”決まった質問に決まった回答(正解)をする”ことです。
それは過去に学んだ知識の中から答えを見つけ出す方法であり、
教会でのレッスンでもよく見られ、”模範解答”と呼ばれることもあります。

次に知恵によって答える方法
社会で求められることが多く、自分で考えて自分なりの答えを出す方法です。
求められるのは単なる”正解”ではなく、成功するための具体的な方法であり、
試行錯誤の結果、他の人とは違った自分なりの答えになることが多いようです。

もう一つは御霊によって答える方法
自分の知識や知恵が不足していることを認め、神に頼るときにより多く与えられる答えです。
実は多くの人が普段から得ているものなのですが、気付いている人は少ないようです。
教会では常に”御霊によって答えを得ること、それに従うこと”を教えています。
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裁くな

2020-05-31 07:58:23 | 新約聖書
「人を裁くな、自分が裁かれないためである」マタイ7:1

「わたしが過ちを犯したのはあの人のせいです、あの人があんなことさえしなければ…」
”自分が過ちを犯したのは他の人の罪のせい”という言い訳を聞くことは少なくありません。

もしかすると”あの人”も「他の人の罪のせいで」と言うかもしれません。
また、今度は別の人が「”あなた”の過ちのせいで…」と訴えるかも知れません。
「あなたが裁くその裁きで自分も裁かれ、あなたが量るそのはかりで…」マタイ7:2

”他の人の罪の影響を受ける”ことは確かにあり得るし、正しい理解かも知れませんが、
「”あの人”の罪の結果なので”わたし”に悔い改めの必要はない」と言えるのでしょうか。

もしそうであるなら「今あるすべての罪は過去の人のせいで、誰も悔い改める必要はない」となり、
「すべての人は悔い改めなければならない」という神の教えは偽りとなります。

周りに関係なく”自分自身の心にに目を向ける”なら悔い改めるべきことが見えてきます。
「なぜ兄弟の目にあるチリを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか」マタイ7:3
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証人

2020-05-30 06:11:28 | 旧約聖書
「人が証人に立ち…知っていることを言わない…ならば…その咎を負わなければならない」レビ5:1

神の証人になるとは”神について知っていることを証する”ことです。
神について知っていること、聖霊から受けた証を隠そうとするなら、それは罪になるようです。

わたしたちはバプテスマを受けるときに”神の証人になる”と聖約しました。
それは”福音と主の業を証するという誓い”であり、その聖約は生涯続きます。

バプテスマを受けるときにはその意味を理解していなかったかもしれません。
しかし福音を学び、聖約への理解が深まる毎に決心するように求められます。

聖餐を受ける度に”誓約を更新する”のはそのためであり、聖約は常に進化します。
バプテスマのときではなく、今その聖約を交わすことを求められています。
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