モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

心を和らげる

2022-04-15 05:35:04 | わたしに従って…
喜びの便り 4月15日
わたしは心を和らげるという選択ができる
(わたしに従ってきなさい 4月3日)


心の内には様々な思いがあります。

喜びもあれば悲しみもあります。
平安も苛立ちもあります。
愛もあるし憎しみもあると思います。

喜びを選ぶとき悲しみは弱まります。
平安を選ぶなら苛立ちは収まるでしょう。
愛を選べば憎しみは消えてしまうかもしれません。

どちらでも選ぶことができます。
‟かたくなな心”も、‟和らいだ心”も、自分の選びです。
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上手くいかない

2022-04-04 05:31:06 | わたしに従って…
喜びの便り 4月4日
神から求められたことを行っているのに、なぜ物事がうまくいかないのだろうか
(わたしに従ってきなさい 3月27日)


子どもが何かにチャレンジするとき、
問題にぶつかり悩んでいても、
子どものためを思う親は黙って見守ります。
経験させるためです。

子どもは上手くいかないことに苛立つかもしれません。
親に対して不平不満を感じるかもしれません。
投げ出そうとするかもしれません。

子どもは悩み、考え、チャレンジして、失敗し…
親は頃合いを見て助けの手を差し伸べます。

神も同様に行うようです。
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どのような人物に

2022-04-02 06:00:30 | わたしに従って…
喜びの便り 4月2日
主は…どのような人物になれるかをご存じだったのです
(わたしに従ってきなさい 3月27日)


親は幼い子どもを見て、その成長した姿を想像します。
大抵それは大枠では当たっているものです。

当の本人(子ども)は自分の成長した姿を想像できるでしょうか。

親は子供の‟性格や好み、特性(本質)”を見て成長した姿を想像します。

前世において、その人の‟霊の本質”を知っている神にとっては
当然のことかもしれませんね。
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霊的な囚われと解放

2022-04-01 05:46:49 | わたしに従って…
喜びの便り 4月1日
霊的な囚われの状態や、救い主による解放について
(わたしに従ってきなさい 3月27日)


自分が「霊的な囚われの状態」にあることに気付いたのは
福音に出会った後でした。

福音への理解が深まるほどに
‟御霊による自由を求める”ようになりました。


戒めを‟思いと行動の束縛”と誤解されることがあります。

戒めに従うのは主の御霊を受けるためです。
モルモン書を読むのも、福音を学ぶのも、
教会に集い、祈り、主に従うのも、御霊を受けるためです。

「主の霊のあるところには自由がある」2コリント3:17
それを知ったからです。
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祈り

2022-03-31 05:53:24 | わたしに従って…
神はわたしが経験していることをご存じなのだろうか…嘆願を聞き届けてくださっているのだろうか。
(わたしに従ってきなさい 3月27日)


真剣に心から祈ったことがありますか。
祈りながら涙の溢れたことがありませんか。

祈りの向こう側に確かに誰かがいました。
その祈りが聞かれていることを感じました。

誰に向かって祈っているのでしょうか。
その祈りは聞かれたのでしょうか。

他の誰でもない自分自身が経験していることです。
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