モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 4月30日

2024-04-30 05:59:07 | 総大会
「何よりもまず、わたしは神の子です」
(わたしたちは神の子です カリエール長老)

先日、四歳になる孫娘と海辺で貝殻を拾いました。
彼女は集めた貝殻を見せながら嬉しそうに報告したそうです。
お父さんからそんなLINEがいただいて喜んでいます。

親子の関係は神とわたしたちの関係に似ているようです。
子どもを愛する親は子どもに「幸せでいてほしい」と願います。
それに応える一番の方法は幸せに生きることだと思います。

神は人に何を期待しているでしょうか。
わたしたちがそれに応える一番の方法は何でしょうか。
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総大会 4月29日

2024-04-29 06:01:28 | 総大会
「サタンはレッテルが大好きです。わたしたちを分断し自分や互いの捉え方を制限できるからです。」
(わたしたちは神の子です カリエール長老)

わたしもレッテルに興味があります。
(大好きというのはちょっと控えておきます)

噂話に聞き耳を立ててしまいます。
「ふ~ん、そうなのね」なんて。

TVやネットで流れる無責任な話も面白いです。
悪趣味ですね。

そのせいで先入観だらけになっています。
困ったものです w

「互いを尊ぶ以上にレッテルを尊ぶことは残念なことです。」
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総大会 4月28日

2024-04-28 06:44:05 | 総大会
「主は…人々をありのままにご覧になり、それぞれに応じた方法で仕えられました」
(わたしたちは神の子です カリエール長老)

「あなたは神の子です」
その言葉に戸惑いを感じます。
自分にそのように呼ばれるほどの資格があるのでしょうか。

わたしはたぶん‟ありのままの自分”を知りません。
主の目にはどのように見えているのでしょうか。
それを知りたい気持ちがあります。

「こんな祝福を受けるだけの価値がわたしにはあるのでしょうか?」
時々不思議に思います。
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総大会 4月27日

2024-04-27 05:55:28 | 総大会
「彼らは目で見、耳で聞き、…外見や噂に基づいて人を裁いたのです」
(わたしたちは神の子です カリエール長老)

目に見えるもの、耳に聞こえるもので判断するのはこの世の常です。
それを非難するつもりはありません。

ただ、目に見えるもの、耳に聞こえるものが必ずしも正しいとは言えない場合もあるようです。
わたしたちにはそれ以上に信じ、頼っているものがあります。

モルモン書にはこう記されています。
「聖霊の力によって…すべてのことの真理を知る」モロナイ10:5
それは目に見えるものでも耳に聞こえるものでもありません。

聖霊の力を知っているなら説明は必要はありません。
知らないなら説明することはできそうにありません。
それなので、神に祈り尋ねることをお勧めします。

「目に見えるもの、耳に聞こえるものしかあてにならない」という考えもあるようです。
それは残念です。
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総大会 4月26日

2024-04-26 05:55:09 | 総大会
「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」
(わたしたちは神の子です カリエール長老)

子供を愛する親は子どもの心を気にかけて見ています。

愛があるなら相手の心に関心を持ち、それに応えようと努めると思います。
無関心とは心を気に留めないことのようです。
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