モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

心が鈍って

2019-09-30 06:12:09 | 福音について
「あなたがたが…世の煩いのために心が鈍っているうちに」ルカ21:34

憤りを含んだ言葉を三回繰り返せば抵抗が薄れてしまいます。
心が憤りに呑まれ、鈍くなってしまうからです。
心が鈍くなると罪を罪として感じ取れなくなるようです。

心からの思いやりを込めた言葉を十回繰り返せば、
憤りを含んだ言葉に抵抗を感じるようになります。
心の闇が取れ心が澄んでくるからです。

心を鈍らせる黒い霧はそれほど簡単に心を覆い、
それほど簡単に心から消えて無くなるものですが、
難しいのは黒い霧の中にあって心からの思いやりを見出すことかも知れません。

自分のことや世の煩いを忘れ、人のために尽くすときにそれを見出すことができます。
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足りないこと

2019-09-29 18:38:09 | 福音について
「イエスは彼に目を留め、慈しんで言われた、あなたに足りないことが一つある」マルコ10:21

「彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った」マルコ10:22
主は「彼に目を留め、慈しん」だ上で、「さらに主に近づくためのステップ」を勧めたのに、
彼はそれを喜ばず、悲しみ、立ち去ってしまいました。

「足りないことが一つある」常にこの言葉を言われてきました。
その一つをクリアすると「もう一つある」と言われるのです。
「足りないこと」の一つひとつは、成長し、主に近づくための階段のようなものです。

人が成長して力を得たときに、主は「次のステップを上るように」と勧めます。
そのステップを上るときに主に近づくことができるし、上ることができるという主の保証も、
さらには主の後押しもあるのですから、それは悲しむことではなく、むしろ喜びであるはずです。

福音の中で生活をする目的はここにあるはずなのですが。
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愚かさ

2019-09-29 07:25:33 | 今日の一言
自分の愚かさを認めることは
自身に助けをもたらす



自分の愚かさに気付いたとき心は落ち込みますが、
それは愚かなことを繰り返さないための助けとなります。
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憤り

2019-09-29 06:32:13 | 福音について
「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46

御霊が去ったときにわたしたちは同様の経験をします。
罪に抵抗する力が失われ、サタンの誘惑にいとも簡単に屈してしまうとき、
御霊の助けが得られていないことを悟らずにはいられません。

「憤り」は高慢から生まれ、そのときに主から顔を背けてしまうことがあります。
たとえそれが「その瞬間には自分で気づかない」ほどに小さなものであっても、
自分の心を吟味するなら、御霊の力が薄れていることが分かります。

「憤り」とは内に秘めた感情であり、それが表に現れたとき「怒り」となります。
憤りは、敵意、争い、分裂、妬み、憎しみを引き起こし、人を罪に導くサタンの誘惑です。
その感情に正当な理由があったとしても、これらが人に幸せをもたらすことは決してありません。

憤りは御霊を去らせ、人は神の平安と愛、守りを見失い、人を罪に陥れます。
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へりくだる

2019-09-28 05:59:09 | 福音について
「柔和にしてへりくだる民…は主の名を避け所とする」ゼパニヤ3:12

高慢な心は自分の強さを誇ります。
その思いは主を忘れさせ、主から引き離すサタンの誘惑となるようです。
「自分には強さがあるので主を必要としない」と思わせるのです。

へりくだる心は自分の弱さを認めます。
弱さを認めるので主に頼り、主に対して素直になることができます。
そのような心で主に従うとき、そこに高慢はありません。

主の名にはどのような力があるのでしょうか。
主の名は救いと癒し、導き、守りを与えます。
主に頼る者はそれを求め、いつもともにいたいと願うのです。

幼い子どもが自分の弱さを認めるので親に頼るように。
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