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モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 8月22日

2025-08-22 05:39:33 | 総大会
「自分ではどうにもならない状況のために義にかなった心の望みが達成できないとき、主は約束された祝福(を)…報いとして与えてくださいます」
(報いの祝福 コセービショップ)

いい仕事について給料が多ければ、
素敵な伴侶を見つけて神殿結婚できれば、
家族が福音に忠実で幸せに暮らすなら、
もちろんそれは素晴らしいことであり、誰もが成功と認めるでしょう。

つい結果にこだわってしまいます。
でも人生には、望んだような結果を得られないこともあります。
すると祝福は失われてしまうのでしょうか。
主の約束は果たされるのでしょうか。

わたしの場合、この世では果たされないかもしれません。
それなのに「約束された祝福」を信じて喜んでいるとしたら、外目には愚かに見えるかもしれませんね。

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総大会より 8月21日

2025-08-21 06:01:32 | 総大会
「主は皆さんの置かれた状況をご存じであり、皆さんが直面する問題に関係なく、祝福の扉は大きく開かれています」
(報いの祝福 コセービショップ)

うつ病、失業、離婚
その三つの問題を同時に抱えて、十年間苦しみました。
なぜそんなに長い時間がかかったのでしょうか。
今になって思い返せば、理由が分かります。
「直面する問題」に心を奪われて、「祝福の扉」を見失ってしまったのです。

祝福師の祝福にこうあります。
「主に立ち返り、祈るならたちまち…」
祝福の扉は祈りの先にありました。
今であれば笑って話せますが、そのことを理解できるまでに十年もかかったのです。

皮肉なことにその‟最低最悪のとき”が今の祝福をもたらしました。
「直面する問題に関係なく、祝福の扉が開かれている」ことを知ることができたからです。
それと「主がわたしたちの置かれた状況をご存じである」ことも。

経験して知ることができたのは祝福ですが、二度と経験したくありません。
もう一度同じ経験に耐えられる自信はありません。
ですから、二度と「祝福の扉」を見失わないようにしたいです。
それは祈りの先にあります。


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総大会より 8月20日

2025-08-20 08:00:06 | 総大会
「なぜ暗闇の中であんなに恐れていたのだろう。なぜあんな場所に長くいたのだろう。」
(悔い改めは…主に喜びをもたらします ルニア姉妹)

「主の光」がないとき、心は「闇」を感じています。
その闇は愛を失ったときに心に感じる「孤独」とよく似ています。
それはまるで‟心を縛り付ける重い鎖”のようです。

「主の光を浴びると、自分の周りに孤独を感じている人がいることに気づきます」
主の光に浴すると、心に感じていた重い鎖から解き放されます。
すると自分の周りに、過去の自分と同じように孤独にさいなまれている人がいることに気づくのです。
きっとこう思うことでしょう。
「主のもとに来てください。そうすればその鎖から解放されます。」

ところが、自分がそうであったように独りではどうにもできないのです。
主に頼ることの意味をその時に知ります。

「皆さんも彼らも疑問に思うでしょう。なぜ暗闇の中であんなに恐れていたのだろう。なぜあんな場所に長くいたのだろう。」
そう思えるのは、主の光の中にいて感謝しているときであるようです。


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総大会より 8月19日

2025-08-19 05:59:09 | 総大会
「もしも救い主があなたのために祈られるのを聴くことができたら、主は何と言われると思いますか」
(悔い改めは…主に喜びをもたらします ルニア姉妹)

「救い主があなたのために祈られる」
それはおそらく、すべての人のためですよね。
個人的なことについて祈りはちょっと想像できません。
信仰が足りないのでしょうか。

天使がわたしのことを報告する場面であればなんとなく想像できます。
そこで「友」と呼んでもらえたら嬉しいでしょうね。
それであれば信仰を持てます。

いつも一緒にいてくれる天使に感謝しています。


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総大会より 8月18日

2025-08-18 05:47:29 | 総大会
「皆さんの価値は従順さと結びついてはいません。皆さんの価値は一定で変わりません。」
(悔い改めは…主に喜びをもたらします ルニア姉妹)

「なんだ、それじゃぁ頑張って主に従っても意味がないじゃん」
なんて勘違いもあるかもしれません。

‟主の目から見たときの人の価値”はどれほどのものなのでしょうか。
正直なところ、わたしにはよく分かりません。

神様の愛を感じたことがあります。
それを言い表せる言葉を見つけることができません。
「自分にそれほどの価値があるのだろうか」
不思議に思い、疑問にさえ思うほどです。

それでも、もう一度あの喜びを感じたくて信仰生活を続けています。


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