モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 9月28日

2024-09-28 05:58:20 | 総大会
「待ち望んできた奇跡を早くに与えられる人がいる一方で、忍耐強く耐え忍んで主を待ち望む人がいるのはなぜでしょうか。」
(キリストの喜びに飲み込まれて テーラー長老)

どうすれば“忍耐強く耐え忍ぶ”ことができるのでしょうか。
神の祝福を経験して知っているからではありませんか。

苦難を感じるとき、
「あの経験は現実だったのだろうか」
疑いが心をよぎります。
「あの出来事を否定できるだろうか」
胸の奥に問いかけます。
「いや、できない」
いつもそこにたどり着きます。

ジョセフは言いました。
「どうして神に逆らえようか。わたしは知っていた。わたしは否定できなかった。」JS歴史1:25

それって神の祝福ではないのでしょうか。
奇跡と呼べるほどのものであるかは分かりませんが。
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総大会より 9月27日

2024-09-27 05:52:11 | 総大会
「神は御自分のすべての子供たちがみもとに戻ってくることを選ぶように望んで…おられるのです」
(神はあなたをみもとに連れ戻そうとしておられる キアロン長老)

疑問を感じました。
選ぶだけ?
自分のような者でもいいの?
何を選べばいいの?

神の愛を感じたことがあります。
心の内に満たされて、それに押し出されるように涙が溢れてきました。
(経験のある方には理解していただけると思います)
感じていた疑問が見当違いであることに気づきました。
(ごめんなさい、うまく説明できません)

「神は…皆さんを連れ戻すためにあらゆる手段を講じておられるのです」
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総大会より 9月26日

2024-09-26 05:50:28 | 総大会
「ニーファイは一貫して神を信頼し続けることで、神との関係を強めていきました」
(主を信頼する パイパー長老)

♪ニーファイのように♪
多くの人に愛されている歌です。

それを聞くとき、いつも思います。
「わたしにはムリ!」
彼の信仰は次元が違い過ぎます。
それでも、彼の信仰が成長していく姿には倣いたいです。

神を信頼しようとしてつまずいて、諦めそうになって…
気を取り直してまたチャレンジして、またつまずいて…
そんなことを繰り返しています。

「一貫して」は無理ですが、何度も、何十回も、たぶん百回以上も繰り返してきました。
たぶんこれからもその繰り返しだと思います。
せめて、その覚悟だけはしていたいです。

「神はわたしたちにも同じパターンを用いられます」
…だそうです。
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総大会より 9月25日

2024-09-25 05:47:08 | 総大会
「そこには常に、さらにもう少し神を信頼するようにという将来の招きがあります」
(主を信頼する パイパー長老)

神を信頼するとき、人はもう一歩前に進もうとします。
前に進もうとする姿勢に神への信頼が見えるような気がします。

神を信頼できないとつい尻込みをしてしまいます。
前に進むことを恐れるのです。

希望を得、感謝し、愛の心があるときには前に進もうとする気持ちがあります。
信頼があるからです。

そんなときは御霊が招いています。
「さらにもう少し神を信頼するように」
その声が聞こえるので前に進もうとします。

わたしはそう感じていますが、皆さんはどう思いますか?
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総大会より 9月24日

2024-09-24 05:54:42 | 総大会
「神を信頼することを学ぶ最善の方法は、単に神を信頼することだということに気づいたのです」
(主を信頼する パイパー長老)

赦しの気持ちを持てないとき、神を信頼しているでしょうか。
わたしはたぶん信頼していません。
赦しの気持ちを持てるときはどうでしょうか。

絶望を感じるとき、希望があるとき…
不平不満を訴えるとき、与えられたものに感謝するとき…
憎しみがあるとき、愛を感じるときはどうでしょう。

理屈は簡単ですね。
現実は簡単ではありませんけど…

それって、わたしだけでしょうか。
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