モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

のがれる道

2021-11-28 06:01:53 | 新約聖書
「神は…試練と同時に…のがれる道も備えてくださる」1コリント10:13
のがれる道とは何ですか?


増水した川の中州に取り残されました。
岸からロープが投げられ、それを頼りに水の中を渡るように指示されました。

流れは急で水量も多く、流されそうになりながらも、
それでもロープにしがみついて、やっとの思いで渡り切りました。

溺れそうにもなったし、息も絶え絶えです。
それでも助けられたことを喜び、感謝しました。
こんなことはもう二度と御免です。


「そんな‟のがれる道”なんて嫌だ!」と言われるかもしれませんね w
「神が何でもできるんだったら、水を堰き止めることだってできるはずでしょ」
「神が何でも知っているんだったら、増水する前にどうして教えないの」
色々な意見があるかもしれません。

「神に従えばすべてが上手くいくはず」と信じていたら、
そんな状況に陥ったことで神を疑うようになるかもしれません。

ひとつだけ言えるのは
「与えられた‟のがれる道”を歩んだ人しかその祝福を知らない」ということです。


いつもそんな道ばかりではありませんよ。
「ぇ、こんなことでいいの?」と思えるほど、簡単なことも多いです。

モルモン書を読んで祈るなら導きが与えられるとか、
主の勧告に従えば誘惑から距離を置くことができるとか。

これまでに「ひどい目にあった」と思えるのは… 片手の指で収まるくらいかな ww


「主に従えば苦難はない」と信じているとしたら、それはたぶん誤解だと思います。
個人的な思いですけど w
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権威

2021-01-12 06:25:58 | 新約聖書
「律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられた」マタイ7:29

「救い主の方法で教える」ために必要なのは、‟主の方法に倣う”ことです。
教えられたことを理解し、実践するときに、その教えを自分の言葉で語ることができます。
そこに御霊の証が伴うことは、聞く人は理解できるでしょう。

イエスを批判した人々は、イエスの教えそのものについては何も応えることができず、
ほかのところに批判するための材料を探し求めました。
彼らでさえも、御霊の証を否定することができなかったということです。

どのような言葉に、より‟御霊の証”が伴うでしょうか。
批判の言葉、感情から出る言葉、引用された言葉、愛の言葉、真心から出る言葉…

福音を伝えるためには‟御霊の証を伴う言葉”を選ぶ必要があります。
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一つとなる

2021-01-10 06:56:06 | 新約聖書
「わたしたちが一つであるように、彼らも一つとなるため」ヨハネ17:11

主の御霊と一致できないとすれば、その問題(罪)は自分にあります。
それであるのに、人と一致できないとき、相手に問題があると考えがちなのはなぜでしょうか。

人は誰も不完全であり、問題(罪)を抱えています。
それでも、そのことを認めてへりくだるとき、御霊と一致することができます。

互いが‟御霊と一致するための心”をもつなら、
不完全であり、違いをもつ人間同士も一致し、一つとなることができます。

その喜びは、個人を、家族を、社会を幸せにするに足るものです。
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没薬

2020-12-25 05:56:03 | 新約聖書
「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬などの贈り物を捧げた」マタイ2:11

没薬は様々な効果のある薬として用いられたものだそうですが、
死体の防腐剤として使われたことから‟没薬”と呼ばれ、
イエスが墓に納められた時にも使用されたようです。
「ニコデモも、没薬と沈香とを混ぜたものを百斤ほど持ってきた」ヨハネ19:39

生まれたばかりのイエスに没薬が贈られたのは、
彼が‟生まれたときから、世の全ての人のためにその命を捧げることを使命としていた”ことを
表していると言われています。

‟この世を終えるときのために生きる”のは、全ての人に当てはまるようです。
全ての人の人生は、永遠における次の世に行くための備えであり、
わたしたちも生まれたときから、そのために生きているからです。
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御霊の光

2020-12-24 05:52:22 | 新約聖書
「星が彼らより先に進んで、幼子のいる所まで行き、その上に留まった」マタイ2:9

御霊の光は常に‟キリストのもと”で輝いています。
その光に導かれるなら、必ず主のもとへたどり着くことができます。

「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」マタイ2:2
博士たちは星に導かれながら、またユダヤの人々に尋ね求めました。

わたしたちも、御霊の光に導かれながら、
また自分よりも先に進んでいる人々に尋ね求めながら、「主も道」を歩んでいます。
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