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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『鹿男あをによし』 万城目学

2011-01-12 20:48:12 | 小説(国内男性作家)

大学の研究室を追われた二十八歳の「おれ」。失意の彼は教授の勧めに従って奈良の女子高に赴任する。ほんの気休めのはずだった。英気を養って研究室に戻るはずだった。渋みをきかせた中年男の声が鹿が話しかけてくるまでは。「さあ、神無月だ―出番だよ、先生」。彼に下された謎の指令とは?古都を舞台に展開する前代未聞の救国ストーリー。
出版社:幻冬舎(幻冬舎文庫)




本書はファンタジーである。
しかも世にある多くのファンタジーと比べると、ちょっと毛色の異なるファンタジーと言えるのかもしれない。

一応、玉木宏と綾瀬はるか主演の同名ドラマをちょっとだけ見ていたので、途中の展開はだいたい知っていたわけだが、それでも変てこな話だな、と思った。
何と言っても、鹿と人間と狐と鼠が、世界を救うのだからだ。そこがまずいいと思う。

だが真に賞賛すべきは、そんな変てこでどう考えてもつっこみどころのある物語を、これもまたありだよね、と思わせる作品にまで高めたことにあるのかもしれない。


とは言え、さすがに最後の方は、風呂敷の広げすぎで、ちょっとだけついていけないところもあった。そのため、結局つくりものでしょ、と醒めてしまった面もなくはない。
(ダメ出しついでに書くと、ラストも個人的には微妙である。昭和のドラマか、とつっこんでしまったし)

けれど、途中まではぐいぐい引き込まれるように読める。
それはある意味、この作品が読みやすいことが大きいのかもしれない。


個人的にもっと引き込まれたのは、剣道のシーンだ。
堀田の剣道シーンは本当に緊張感があって、食い入るように読むことができる。
試合特有の白熱した雰囲気はすばらしく、なかなかおもしろい。
先生が学生たちを集まるところなどは、青春っぽい味わいがあって、僕は好きだ。

メインのサンカクをめぐる物語も結構おもしろい。
サンカクがどういうものか、わからなくなるポイントとかは引きは良かったと思う。


ともあれ、ちょっと変わった味わいのある作品である。
欠点は多いが、少なくとも変わっているな、と読み手に思わせただけでもすばらしい物語と言えるのかもしれない。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』 岩崎夏海

2011-01-10 18:43:48 | 小説(国内男性作家)

公立高校野球部のマネージャーみなみは、ふとしたことでドラッカーの経営書『マネジメント』に出会います。はじめは難しさにとまどうのですが、野球部を強くするのにドラッカーが役立つことに気付きます。みなみと親友の夕紀、そして野球部の仲間たちが、ドラッカーの教えをもとに力を合わせて甲子園を目指す青春物語。家庭、学校、会社、NPO…ひとがあつまっているすべての組織で役立つ本。
出版社:ダイヤモンド社




こういう言い方は思いっきり失礼なのだが、思った以上にちゃんとした小説だったので、ほっとしている。

物語的には、丁寧に伏線を張っているし、ラスト場面では盛り上がるように、構成されている。キャラクター造詣もむちゃくちゃ計算されているのがわかる。
それらは単純に上手いな、と感心させられ、読んでいても好ましい。

そこは放送作家であり、AKB48のプロデュースに携わってきたというエンタテイメントの場に身を置いてきた人のことだけはあるだろう。要は基本を抑えているのだ。


ただそれでも、上手い面は多々あれ、トータル的にはぎこちない作品だな、と思ったことも事実だ。
そう思ったのはすべて、ドラッカーの『マネジメント』に触れる際の説明口調によるところが大きいのだろう。
その説明口調のせいで、小説的には少しさめてしまう。

だがそれも結局のところは、仕様がないのかもしれない。
そもそもこの作品は、小説というよりもドラッカーの入門書として読むのが正しいのだからだ。
まあたいていの人はそのつもりで読んでいるのだろうけれど。


僕は原著を読んだことはないのだが、それでもこの本が、ドラッカーの専門的な考え方を噛み砕いて翻訳していることはわかる。
そしてドラッカーの思想精神を、高校野球を例に取り、具体的に説明してくれている。
高校野球における顧客の設定の仕方とか、イノベーションの考え方とかは、なるほどそういう発想があるのだな、と思うことができておもしろく、勉強にもなるのだ。

そういう点、本書は入門書としての役割を十全に果たしていると言える。


だが読み終わった後で思ったのだが、実際にドラッカーのこれらの理論を元に、マネジメントを行おうと考え、行動しようとするのなら、この本だけではダメなのだろう。
本書は『マネジメント エッセンシャル版』のさらにエッセンスを伝えているだけでしかないからだ。

実際にマネジメントを行ない、組織の目標設定を行ない、人の強みを生かすよう人を動かしていきたいと考えるなら、原著を読まないとダメなのだ。
そして実際に原著を読む姿勢こそ、本書に触れられている、マネジメントにおける「真摯さ」でもあると思う。
もっとも、僕はマネジメントに興味はなく、出世もしたくないので、原著を読む気はないけれど。


だがマネジメントに関する知識がゼロの人間にとっては、入門書として親しみやすい内容である。
そしてその親しみやすさこそが、ベストセラーの所以なのだろう、と感じた次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『猛スピードで母は』 長嶋有

2010-12-20 20:45:38 | 小説(国内男性作家)

「私、結婚するかもしれないから」「すごいね」。小六の慎は結婚をほのめかす母を冷静に見つめ、恋人らしき男とも適度にうまくやっていく。現実に立ち向う母を子供の皮膚感覚で描いた芥川賞受賞作と、大胆でかっこいい父の愛人・洋子さんとの共同生活を爽やかに綴った文学界新人賞受賞作「サイドカーに犬」を収録。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




この文庫には、2作品が収録されているが、両者ともある面では似通っている。
両方とも子どもの視点を通して、物語が語られており、その子どもの親には恋人、ないし愛人がいる。

そして子どもたちは、そんな親や愛人を通して、それまで持っていた自分の価値観や考えを、更新していくことになるからだ。


たとえば『サイドカーに犬』。

小学生の「私」は、母が家出し、父の愛人とひと夏の時間を過すことになる。
この年頃の子がそうであるように、「私」も親の価値観の影響下にある子どもだ。特に母親が几帳面だったため、几帳面に行動することを当たり前のことと思っている。

だが父の愛人の洋子さんは、細かいことを気にしない。
たとえばカレー皿に麦チョコを盛るようなことも平気でする。「私」の母は決してしなかったことだけに、「私」は驚くことになる。
そういった子どもの感性の描き方が非常におもしろい。

それはとっても些細な場面だけど、「私」として見れば、一つの認識の更新でもあるのだろう。
しかしそんな小さなことが積み重なり、「私」の世界が大きく広がっていくような感じを受けた。
その雰囲気が心に残り、読後はどこか爽やかである。個人的には好きな作品だ。


『猛スピードで母は』も、認識の更新の話として読めなくもない、と思った。

慎の両親は離婚しており、母と二人で団地に住んでいる。そんな中、母から結婚するかもしれないという告白を受ける。そういうお話である。

慎の母はさばさばした性格の人と感じた。
少なくとも何かを子どもに対して押しつけるような真似はしたりしない。

一方の慎の祖父はそうではない。
「慎はドリフがいいだろう」と祖父が慎に向かって言うシーンがあるが、それは些細ではあるけれど、勝手な決め付けであり、価値観の押しつけでもあるのだろう。
とは言え、それは特にひどいことではなく、須藤君の家のように、どの家庭でも往々にしてあることだ。
それはそれとして、母に育てられている分、慎はほかの子どもより精神的に自由でもあると思う。

だがそういった押し付けがない分、子どもは自分でいろいろなことを気づかねばいけなくなる。

慎は後半になって、母の恋愛に対し、自分の思い込みがまちがっていたことに気づく。
そしてその体験から、慎は母親に対する自分の認識を、微妙に更新することになるのだ。

慎は母が以前帰ってこなかったとき、「置き去りにされたのだ」と思い、その考えを受け入れたことがある。
裏を返せば、そういった考えをナチュラルに受け入れるだけの下地が、慎の中にはあったのかもしれない。
だがそれは当然ながら、一方的な見方である。

霧の中で、母が見えなくなったとき、慎は泣いた。
多分そのとき、霧の団地の中に侵入しようとした母の行動理由と、母を見失ったときの慎の心情にこそ、二人の真実の関係があるのだろうと感じられる。
そのような場面を通して、少年が自己と周囲を認識していく姿が印象的な一品である。成長小説として読めなくもない点も悪くない。
これもまたすてきな一品と感じた次第だ。


どちらもこじんまりとしているけれど、感性の描き方が繊細で、すてきである。
長嶋有の作品をもうちょっと読んでみるのもいいかもな、と思うことができる、どちらも味わい深い中篇だった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『有頂天家族』 森見登美彦

2010-11-24 20:24:24 | 小説(国内男性作家)

「面白きことは良きことなり!」が口癖の矢三郎は、狸の名門・下鴨家の三男。宿敵・夷川家が幅を利かせる京都の街を、一族の誇りをかけて、兄弟たちと駆け廻る。が、家族はみんなへなちょこで、ライバル狸は底意地悪く、矢三郎が慕う天狗は落ちぶれて人間の美女にうつつをぬかす。世紀の大騒動を、ふわふわの愛で包む、傑作・毛玉ファンタジー。
出版社:幻冬舎(幻冬舎文庫)




楽しい小説である。

ちょっと堅苦しいが、とぼけた雰囲気のある文体でつづられる物語は波乱万丈。
エンタテイメントの良さが存分に発揮された作品ではないか、と感じることができる。


特に目を引くのはキャラクターだろうか。

主人公は狸で、脇役も狸に蛙に天狗と、ファンタジックであり、なかなかふざけている。
しかしそのふざけ方が僕は好きだ。

主人公たち、下鴨四兄弟は親も含めて、特徴的だ。
気負っているわりに土壇場で弱い長男に、引きこもりが高じて蛙になってしまう次男、そして愛くるしい四男など、おもしろい設定ばかり。そんなメンツに囲まれたせいか、主人公が一番特徴がない、と僕は思う。
そのほかにも決して姿を見せない、ツンデレ?狸の海星や、悪女めいた雰囲気がおもしろい半分天狗の弁天など。

よくもまあ、これだけ楽しいキャラクターを作り上げたものと感心してしまう。


プロットそのものもなかなかおもしろい。

正直、最初の方は立ち上がりが悪く、ダラダラした雰囲気があったのだが、後半、物語が進むにつれ、尻上がりにおもしろくなっていくあたりはさすがだと思った。
盛り上げ方がとにかく上手い。

また、襲い来る困難に対して、兄弟がそれぞれ力を合わせて、事件に立ち向かっている辺りはなかなかおもしろかった。
そんな兄弟と母のきずな、そして死んでしまった父の記憶が非常に麗しく、すなおに心に響く。


森見作品として見ると、上位ではないのだが、キャラクター、プロット、とぼけていてちょっと笑える文体などに、森見登美彦の良さが発揮されている。
これはこれで好きな一品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの森見登美彦作品感想
 『きつねのはなし』
 『新釈 走れメロス 他四篇』
 『太陽の塔』
 『夜は短し歩けよ乙女』

『ノルウェイの森』 村上春樹

2010-11-04 20:30:02 | 小説(国内男性作家)

暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は一九六九年、もうすぐ二十歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。
出版社:講談社(講談社文庫)




『ノルウェイの森』を読むのは今回で3度目である。
以前読んだのは、19か20の学生のとき。そして当時の僕は、この作品に対して、センチメンタルなラヴストーリーだな、という程度の感想しか持たなかった。
だが10年以上ぶりに読み返してみると、学生のときでは気づかなかった面を発見できる。

一つは、男にとって都合のいい女が思った以上に多いということ。
そしてもう一つは、そういった欠点を抜きにしても、『ノルウェイの森』という作品が、かなり上手い小説である、ということである。


男に都合のいい女としては、特にミドリとハツミさんがいい例だ。
個人的には特にミドリが引っかかった。

とはいえ、ミドリのキャラクター自体は非常におもしろい。
彼女はおしゃべりで、いろんな不満を持っているらしく、そんな彼女の語りと不満の中から、ミドリのユニークなキャラが透けて見える。

個人的には、フォーク関係のクラブに入ったとき、その先輩たちの対応にキレるところが好きだ。
そこから彼女のまっすぐで筋の通ったことを好む性格が伝わってきて、なかなか笑える。
また、彼女のあけすけなところに好感をもつ人は多いんじゃないか、と思う。

だがそんなあけすけな彼女も、根本は古風である。
基本的に彼女は男をひたすら待つ女だからだ。
もちろんそのこと自体は別に問題ない。世の中にはそういう女の子だっているし、40年前ならなおのことだ。

問題は、彼女が男を待つ古風な女でありながら、性的に大胆という点にあるのだ。
やっぱりそういう女だっているだろうけれど、それは僕から見ると、男の願望、特に性的願望を具現化しただけにしか見えなかった。
特に第十章の終わりの方のシーンは読んでいていらっとする。
ついでに言うと、彼女が「僕」に惹かれる理由もわからないが、長くなるので書かない。

だがそれに類することは、春樹を非難する際によく使われる言葉だ。
いままではそういう意見のことを、かなりどうでもいいな、と思ってきたけれど、今回はそんな批判意見に賛同したくなる。
10年以上前はまったく気にならなかったのに、今回はその辺りが読んでいてしっくりこなかった。


だがそれを抜きにしても、『ノルウェイの森』が上手い小説ということは認めざるを得ない。
で今回読んでみて感じたのだが、『ノルウェイの森』は、コミュニケーションを巡る物語だ、と僕個人は解釈する。

実際、本書はコミュニケーションの取り方に歪みがある人間が多い。
たとえば、主人公の「僕」は他者とコミュニケーションをとることを自ら遮断して、心の「固い殻」の中に閉じこもる傾向の強い人間だ。そして他人に対して、その自分の殻の中に容易に踏み込ませようとはしない。
そうすることで、「僕」は外界からの反応に傷つくことを回避しているわけだ。

外界は、偏りのある人間の集合体である。
その偏りゆえに、他人に何かを(主として自分の偏りを認めさせようとするため何かを)押しつけ合うことになっている。そうなると、他者と衝突することもある。
そして、その衝突によって、自分なり他人なりの心を傷つけてしまう場面も多いのだ。
「僕」の行動は意識的かは知らないけれど、自己防衛策と言えるのだろう。


しかし、直子たちのような人には、「僕」のような危機回避が上手くできなかったりする。
彼女らは心を開ける人ではないし、「自分の殻の中にすっと入って」やりすごすことができるほど器用でもなく、誰かに「助けを求めたり」もできず、「自分一人で処理」して、自分の心を追いつめる傾向にあるからだ。

この世界に、「デウス・エクス・マキナ」は存在しない。
そんな世界を乗り切れなかった直子やキズキや直子の姉たちは、生き方自体が悲劇なのだろう。


だがどんなにつらく、苦しく、混乱するシーンがあっても、何かにこもり続けるわけにはいかない。
人間である以上、誰かの温もりを求めたいと思うわけで、そうである以上、誰かが入り込んで、自分の内部を乱すことがあろうとも、何かに閉じこもり続けるわけにはいかないらしい。

つらいこともあるけれど、外の世界で生きていかなければいけない瞬間だってある。
人は生きているし、生きていかなければいけない。
そして生きている以上、「生きつづけることだけを考えなくてはならな」いのである。

そんな前向きなメッセージが感傷的な文脈の中から浮かんできて、しんと胸に響く感じがあった。
気に入らない点も多々あるけれど、非常に丁寧にテーマを描きあげた、巧みな一品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの村上春樹作品感想
 『アフターダーク』
 『1Q84 BOOK1,2』
 『1Q84 BOOK3』
 『海辺のカフカ』
 『象の消滅』
 『東京奇譚集』
 『ねじまき鳥クロニクル』

 『遠い太鼓』
 『走ることについて語るときに僕の語ること』
 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)

『永遠の0』 百田直樹

2010-11-01 20:41:49 | 小説(国内男性作家)

「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。
出版社:講談社(講談社文庫)




よく調べて書かれた小説である。

太平洋戦争での戦史的な記述や、零戦や特攻についての描写は実に綿密で、資料を相当読み込んで書いたんだろうな、ということがよくわかり、非常に感心させられる。
作者の気合が伝わってくるかのようだ。

もっとも、そういった調べて書いたことが前面に出すぎている分、物語的に少しぎこちない部分はある。
最後の意外な真相はよかったけれど、それ以外の筋運びや、セリフ回しにいくらか違和感を覚える。

だがそれらの欠点を認めつつも、本作は実にいい作品だと思うのだ。
それは調べた事実を元に書かれた、細かなエピソードが、どれも胸を締めつけられるようなものばかりだからである。


話は変わるのだが、この本を読んでいるとき、靖国神社の遊就館のことを思い出した。
その遊就館の展示のラストで、戦死した英霊たちの写真パネルがかざられているコーナーがある。
その写真の数はかなりの量で、その場に立っていると、写真に写っているこれだけ多くの人たちが、戦争で亡くなってしまったのだな、と実感として理解することができる。
そんな英霊たちをじっと見ているうちに、僕はずいぶんやるせない気持ちになったことを覚えている。

この本を読んでいる間に感じたのも、そのやるせなさに近い感情だった。


太平洋戦争が無謀な作戦の下で行なわれたことは知られたことだけど、改めてふり返ると、やはりめちゃくちゃな作戦が多かったことに気づかされる。
ガダルカナルでもそうだし、特攻という無茶な作戦自体もそうだ。
中攻と零戦の関係など、知らないことも多くあったが、それらを含めて考えても、ひどい作戦を立案したものだ、と暗澹たる思いにとらわれる。
なぜこんなことが起きたのか、本当に理解できない。

そしてそんな無茶な作戦にふり回される、戦闘機の搭乗員たちもたまったものじゃないだろう。
極限下での飛行を求められて、出撃しても、生きて帰ることを期待されない。
命の価値というものは、戦争下では安くなる。けれど、日本軍の作戦はその価値をさらに低く見積もっていることを知らされ、ずいぶんいやな気持ちになる。


そんな中で、兵たちは誰かのために戦った。それは家族であり、恋人だったりしたのだろう。
そう考えると、そんな兵たちの思いの美しさに、読んでいてせつない思いに駆られる。
また、そんな思いとは真逆の、家族のために生き延びたいと願った宮部の気持ちも充分に理解できる。

宮部とそれ以外の兵士たちの思いのベクトルはそれぞれ違うかもしれない。
けれど、それぞれの兵たちは何かを思い死んでいったわけで、その思いはどんな形であれ、充分美しいものだと感じさせられる。

だが真に考えなければいけないのは、そんな心理状況に、一個人を追い込んだという事実なのだろう。
戦争は基本、悪だと思うが、それは人が多く死ぬからというだけではすまない。
人の心を深く傷つけ、追いつめるからでもあるのだ。この本を読んでいると、改めてその思いを強くする。


そして、本書はそんなシンプルな事実を、エンタテイメントの文脈でわかりやすく、そしてエモーショナルに伝えてくれる作品である。
それゆえに本書は非常にすばらしく、多くの人に読まれるべき作品である、と思う次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『津軽』 太宰治

2010-10-27 20:11:38 | 小説(国内男性作家)

太宰文学のうちには、旧家に生れた者の暗い宿命がある。古沼のような“家”からどうして脱出するか。さらに自分自身からいかにして逃亡するか。しかしこうした運命を凝視し懐かしく回想するような刹那が、一度彼に訪れた。それは昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼され3週間にわたって津軽を旅行したときで、こうして生れた本書は、全作品のなかで特異な位置を占める佳品となった。
出版社:新潮社(新潮文庫)




先日、青森県に旅行へ行ったのだが、そのとき津軽地方にも立ち寄った。
弘前から339号を北上し、岩木山を横目に見ながら、五所川原を過ぎて、金木の太宰の生家に立ち寄り、十三湖を過ぎ、小泊を抜け、山道で事故りそうになり、竜飛崎に至るというのが具体的な流れだ。下道なので、地味に遠い。

それらの地域を旅して感じたのは、太宰治の『津軽』の存在感である。
もっとも太宰の生まれた国だから、太宰をピックアップするのは自然だけど、特に津軽地方の人たちは、『津軽』に対する愛着が深いように感じた。

そういう理由で、今回『津軽』を再読したのだけど、正直言うと、不安があった。
というのも、前に読んだときは、まともな筋もなく、だらだらと書き連ねただけの退屈な作品としか思えなかったからだ。

だが、今回読んでみて、以前読んだときよりも格段に楽しめたので驚いている。


本書で一番よかったのは、やっぱりユーモアだろう。

まず序編の『おしゃれ童子』で描かれる、いかにも中2的な行動からして笑える。
それ以降も、人の目を気にしておたおたするシーンや、他人と話をして気持ちが空回りするところ、酒に関して図々しくなるところ、志賀直哉をけなしてなかなかうまくいかないところ、焼き魚のエピソードなどはなかなかおもしろい。

個人的には蟹田町のSさんの描写に笑わせてもらった。
太宰はこういうコミカルな、しかし当人は結構大真面目な人間を描くのが上手いらしい。
それらのおかげで、くすくすと笑いながら、読み進めることができた。


ユーモア以外で良かった点としては、テーマ性もあろう。

太宰は、この作品を太宰版津軽風土記のつもりで書いたとのことである。
そして、その内容ゆえに、前回読んだときはだらだら書いているだけのように見えたのだろう。
だが読み返してみると、だらだらどころか、計算された構成の作品であることに気づかされる。

個人的な印象だが、この作品は、津軽地方という自分の故郷をめぐることで、自分という存在を確認する、というお話と解釈した。


太宰はこの旅で、津軽の野趣に満ちた情景と、Sさんのような津軽人特有の行動にいくつも触れている。
彼はそこに自身の原点を見出しているようだ。

太宰は地主の息子という特権階級にいることに負い目をもっていた人だ。
だが特権階級にいたけれども、結局のところ自分も、女中や使用人と同じように津軽という土地の人間でしかないということを自覚するに至る。
ラストのたけとの再会などは、それを象徴していよう。


また精神的に疎遠になっていた兄たちと、この旅で交流している点も興味深い。
その中で、太宰は彼なりの態度で、おっかない印象の強い兄たちと一個人として向き合っている。
また早くに亡くした、やはりおっかなかった父の、ちょっとした弱さや卑屈さも発見している。

家族は、太宰に引け目のようなものを強く感じさせる存在だった。
だがこの旅で、そんな家族と精神的な和解をしているように見える。それがちょっと微笑ましい。


「大人とは、裏切られた青年の姿である」と太宰は言う。
けれど、本書にある自己確認と和解は、裏切られた後で残る、明るさと爽やかさではないか、と僕には見えた。

ラストの文章は有名なわけで、
(「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」)
そこに象徴されているとも言えるが、これは太宰にとって、自己肯定の旅であったのかもしれない。


そんな明るさとポジティブさと笑いとが、心に残る一品である。
『津軽』は個人的に、太宰の中では一番好きな作品かもしれない。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの太宰治作品感想
 『ヴィヨンの妻』
 『お伽草紙』
 『斜陽』
 『惜別』
 『パンドラの匣』

『暢気眼鏡・虫のいろいろ 他十三篇』 尾崎一雄

2010-07-29 20:54:55 | 小説(国内男性作家)

出世作「暢気眼鏡」以下のユーモア貧乏小説から「虫のいろいろ」,老年の心境小説まで,尾崎一雄(1899-1983)の作品には一貫して,その生涯の大半を過した西相模の丘陵を思わせる洒脱で爽やかな明るさがある。
高橋英夫 編
出版社:岩波書店(岩波文庫)




天然なのか、ねらっているのかわからない。
そういう人ってたまに見るのだけど、尾崎一雄の小説もある意味、そういうところがある。

本書に収められている尾崎一雄の作品は、小説なのか、エッセイなのか、単なる個人的思考のスケッチなのか、まったくもってわからない。
ついでに言うと、描かれている内容も、どこまで事実なのか区別がつかない。

そしてそんなわけのわからない代物なのに、困ったことに、結構おもしろかったりする。
しかも、それがねらって書いたからおもしろくなったのか、何となくつれづれなるままに書いていたら、なぜかおもしろくなったのか、さっぱりわからないから、なおふしぎだ。


おもしろいと感じたのは、尾崎一雄という人と、その家族の存在が大きいように思う。

基本的にこの小説に出てくる主人公(多分、尾崎一雄本人)の若いころなどむちゃくちゃなもんである。

『山口剛先生』を読んでみると、その図太いというのか、だらけたところには、がっくりしてしまう。
彼のだらけっぷりのスケールは小さいかもしれない。でも小さい分リアルで、イメージしやすいのだ。
だから、少なくとも僕にはこんな行動はできないな、と必要以上に強く感じてしまう。

そもそも最初の女房を殴ってケガさせた末、結局離縁に至っているという時点で、絵に描いたようなダメ男って感じだ。


そんな彼だが、離婚後に別の女と再婚することとなる。
その初期の夫婦生活は『暢気眼鏡』『芳兵衛』『燈火管制』『玄関風呂』に描かれているが、それが読んでいて非常に楽しかった。
その理由は、新妻である芳枝が基本的に天然であることが大きいのだろう。

『芳兵衛』によると、彼女は突然踊りだしたり、人を驚かそうと思って出した自分の声に、当の本人が驚いてしまうような女である。
そういう意味、彼女はちょっとアホかもしれない。だが、それゆえに、なかなかおもしろい女でもあるのだ。

そんな天然女房と、カリカリしていて小言癖のある主人公とは本当にいい夫婦だ。
凸凹コンビというか、夫婦漫才のような雰囲気があるのが、特に良い。

年を食ってからは、『痩せた雄鶏』を読む限り、夫婦間にも微妙な変化が生まれているようである。けれど、この変化もまたこれでおもしろい。
そんな変化に対する主人公の思考を追っていると、夫の方も、夫の方でなかなかかわいやっちゃな、と思ったりする。


夫婦生活を描いた短篇以外にも、おもしろい作品はある。

父母に対する追憶がノスタルジックで、しんと心に響く、『父祖の地』『落梅』。
日常の描写から、大きなスケールの話に発展していく様がユニークな、『虫のいろいろ』。
自然を愛する生活を送る老境の達観したようなたたずまいが印象的な、『石』『松風』『蜜蜂が降る』『蜂と老人』『日の沈む場所』、など。

多くの作品は、だから何? と言いたくなるような話ばかりだが、変なおもしろみがある。
その作風は地味だけど、小粒なりに味わい深い。絶賛はしないけれど、僕はそこそこ好きである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『砂漠』 伊坂幸太郎

2010-07-27 20:30:14 | 小説(国内男性作家)

入学した大学で出会った5人の男女。ボウリング、合コン、麻雀、通り魔犯との遭遇、捨てられた犬の救出、超能力対決…。共に経験した出来事や事件が、互いの絆を深め、それぞれ成長させてゆく。自らの未熟さに悩み、過剰さを持て余し、それでも何かを求めて手探りで先へ進もうとする青春時代。二度とない季節の光と闇をパンクロックのビートにのせて描く、爽快感溢れる長編小説。
出版社:新潮社(新潮文庫)




『砂漠』はこれまで読んできた伊坂作品の中では、一番好きな作品かもしれない。
これまでのトップは『オーデュボンの祈り』だったけれど、それよりも個人的には心に響いてならない。


とは言え、『砂漠』がこれまでの伊坂作品と何がちがうのか、と聞かれたら、ちょっと説明に困ってしまう。
実際『砂漠』は、いかにも伊坂幸太郎っぽい話と思うからだ。

たとえば、伏線を綿密に張りめぐらし、それを後ろの方で回収するという巧みなプロット。
ストレートに行きそうで微妙に変化球な展開に持っていく、特異な構成力。
センスのある会話に、奇抜で過剰なキャラクターの存在感。そして爽やかで青臭い雰囲気。
どれもこの作者らしい特徴で、すばらしくいい。

はっきり言って、全体的に見ると、だから何?って言いたくなるような散漫な話ではある。
だが、上記の特長はすべてにおいてハイセンスだ。


だがそれらの美点は、ほかの伊坂作品でも同様だ。
その中で、『砂漠』がここまで個人的に心に残った理由をあえてこじつけで語るとしたら、物語全体に漂う若さ、あるいは青さにあると、僕は思う。


物語の登場人物は大学生ということもあって、極めて若い。
だがその若さ(というか青さ)の印象が強いのは、西嶋のキャラに負うところが大だ。

西嶋のキャラクターは抜群に個性的である。
彼は、いきなり大学の初めての飲み会の席でアメリカのイラク派兵を批難する。
それは言うまでもないけれど、むちゃくちゃ空気が読めない行為だ。しかもその言葉は理想主義的で、きわめて幼稚だから始末に終えない。

しかしそんな西嶋を読んでいるうちに、どんどん好きになってしまう。
それはきっと西嶋がむちゃくちゃまっすぐなヤツだからだろう。

本書の中で、西嶋がタイムスリップのたとえ話をするのだが、そのときのセリフが僕は好きだ。
たとえば自分がタイムスリップしたとして、そこで病気になった人たちがいたとする、そのとき自分は抗生物質を持っているが、それを使ったら歴史が変わってしまう。そういうたとえ話である。

そのときに西嶋はあっさりこう言う。
「あげちゃえばいいんですよ。その結果、歴史が変わったって、だからどうしたって話ですよ」と。
その直情的なところが、読んでいて非常に小気味いい。

鹿とチーターの話だったり、シェパードを引き取る話だったり、基本的に西嶋の論理はむちゃくちゃでつっこみどころも多い。
だけど、その過剰でまっすぐ突っ走ってしまうところは、愛すべきところだ。
そしてそんな風に、他人とずれた行動をしていても、恥じることなく、むしろ堂々としているところも、かっこいいな、って思ったりする。
それでいて、何もできない自分をちゃんと知っていて、恥じているところもすてきだ。

こんなすてきなキャラクターはなかなかいない。そう心から思ってしまう。


そんな西嶋をはじめ、「僕」たちはどれも個性的だ。
彼ら五人の友情の姿は読んでいると、すなおに感動することができる。

特にクリスマスに東堂の店に、西嶋が行くところを、みんなで見守るところが好きだ。静かな拍手をするところなどは、ちょっとジーンとしてしまう。
それは地味なシーンだけど、確かな友情があることを示してくれて暖かい。
「俺は恵まれないことには慣れてますけどね、大学に入って、友達に恵まれましたよ」って西嶋が言っているが、5人の友情は深く強く胸に響いてならなかった。


『砂漠』は欠点もそれなりにある作品とは思う。
だけど、この美しい世界とキャラクターは僕個人の趣味とかなり深くマッチした。
世間的な評価は知らないけれど、僕は伊坂作品の中では、この『砂漠』が一番好きと、改めて述べたい。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの伊坂幸太郎作品感想
 『アヒルと鴨のコインロッカー』
 『グラスホッパー』
 『死神の精度』
 『重力ピエロ』
 『チルドレン』
 『魔王』

『こころ』 夏目漱石

2010-07-22 20:05:27 | 小説(国内男性作家)

親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。鎌倉の海岸で出会った“先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から間接的に主人公が描かれる前半と、後半の主人公の告白体との対照が効果的で、“我執”の主題を抑制された透明な文体で展開した後期三部作の終局をなす秀作である。
出版社:新潮社(新潮文庫)




高校2年のときの読書感想文の課題図書は、漱石の『こころ』だった。
もう15年近く前のことだけど、その感想文で何を書いたか、大雑把にだけど覚えている。
要点を書くと、以下のようなものだったと思う。


「先生」はKを精神的に追いつめて死に追いやったけれど、なぜそれを奥さんに言わないのだろう。
自責の念にさいなまれ、思いつめた末に、結局奥さんに本当のことを言わないまま、苦しめるだけ苦しめて、何も知らせず自殺するなんて、あんまりではないか。
奥さんは「先生」の話を聞いても、きっと「先生」を責めずにそれを受け入れてくれたはずだ。
実際、「先生」自身、「妻の前に懺悔の言葉を並べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いない」って言っているではないか。
それをもっともらしい理屈をつけて、奥さんを残して自殺した「先生」の行動を、僕は許しがたいと思う。

以上のような感じである。
自分で言うのもなんだが、なかなか感性がお若い。


17歳の僕の感想は一面では正しいと思う。
だが30過ぎになって再読した僕は、それとは少し違う感想を抱いた。

なぜ、「先生」は妻に本当のことを言わなかったのか。そう責めることは、あまりに一方的に過ぎる。
なぜ、「先生」は妻に本当のことを言えなかったのか。そう考えることこそ、ここでは重要なのだ、多分。


とは言え、なぜそれを妻に言えなかったのか、「先生」は本の中で述べている。
「私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです」とのことらしい。

確かに、それはまったくの嘘でないと思う。
だが、それが理由のすべてではない、という気が僕にはする。

「先生」は手紙という形で真実を告白しているが、100パーセント、本当のことだけを言うとは思えない。
人間、見栄がある以上、多少いい格好はしたがるし、自分の知られたくないポイントほど、嘘をついてかくすからだ。


僕個人は、「先生」が妻に本当のことを言えなかったのは、「先生」の弱さゆえだ、と思っている。

その理由について、つっこんで語る前に、ちょっと「先生」というキャラについて、考えてみたい。


「先生」という人は、基本的に頭でっかちな人である。

学問の世界が高尚であると考え、その考えに自縄自縛になって、自分を追いつめてしまうKと比較すると、幾分見劣りはするが、基本は理詰めで物事を考えて、結論を出すタイプだという印象を受ける。特に学生時代はそうだ。
「先生」は自殺の理由を、「明治の精神に殉死する」ためと語っているが、こんなもったいぶった言葉が出てくること自体、頭でっかちの証拠なのだ、と思う。
当時の時代の空気はわからないけれど、普通の人はそんな言葉を使わないような気がする。
「先生」はそんな風に理屈をこねくり回して、一人で考えたがる人のように、僕には見える。

加えて、「先生」は自分の思ったことも言えない人のように見える。
そう見えるのは、明治という時代もあろうし、恋愛がらみということもあるかもしれない。
だが本質的な性質としては、内気で、自分の世界を強く持ちすぎているがゆえに、他人に対するアウトプットが乏しいタイプのように感じられる。

さらに言うと、叔父の一件もあってか、他人に対して猜疑的で、自尊心の強い面もある人のようだ。

だがそんな彼も、妻のことは本当に好きだったと見える。
そうでなければこんな「幸福な一対」としか見えない夫婦にはなりえないだろう。


そんな頭でっかちで自尊心が強い彼が、愛する妻に本当のことを言えなかったのはなぜのだろう。
「先生」というキャラを考慮して、妄想を駆使するなら、多分次のような理由と僕は思う。

それは、「先生」は単純に妻に嫌われたくなかっただけなのだ、ということである。
あるいは、妻に嫌われているかもしれない自分を見たくないためだ、と言う方が正確かもしれない。


もちろん「先生」自身が述べているように、妻は「先生」の過去を気にせず許してくれるだろう。
だが問題は、「先生」が自分の過去について、真実を話したとき、妻が許してくれるかどうかにあるのではないのだ。
実際に許してくれる妻の心を、「先生」が本当に信じることができるか、というのが問題なのである。

これは一方的な決めつけだが、頭でっかちで、猜疑心の強い「先生」は、妻のことを信じたくても、できないのだろう、と思うのだ。
真実を告白したとしても、ふとした拍子に「先生」は疑心暗鬼になり、妻を疑いなじることもあるかもしれない。
だが同時に、そんなことを「先生」は、妻に対してだけはしたくないのだろうと、僕は思う。

多分とことんひざを突き詰めて、妻と話し合えば、「先生」の疑心暗鬼が消えることだってあったのだろう。
だが言うまでもないけれど、それができたら「先生」は自殺などしない。
「先生」は妻に対してさえ(あるいは妻だからこそ)、どうしても自分を解き放つことができない。そういう人なのだ。


そういう意味、「先生」は少しだけ勇気が足りなかったのだと思う。
そしてそれこそ「先生」の弱さと僕には見えるのだ。その事実を、僕はあまりに悲しいと思う。

そうやって考えると、『こころ』という作品は、自分の考えから抜け出せない人間の、コミュニケーション断絶の話である。そうも言えるのかもしれない。


ともあれ、久しぶりに読んでいろんな発見があった。
はっきり言って陰気な話なのだけど、内容は普通におもしろい。
超有名な作品というのもたまに読むと、楽しいものである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの夏目漱石作品感想
 『草枕』
 『門』

『象の消滅』 村上春樹

2010-07-20 21:33:50 | 小説(国内男性作家)

ニューヨークが選んだ村上春樹の初期短篇17篇。英語版と同じ作品構成で贈る。
出版社:新潮社




村上春樹は基本的には長篇作家だけど、短篇小説にも優れた作品が多い。
初期短篇を収めた本書は、そんな春樹の実力をまざまざと見せつけてくれる。

本書は17本の作品を収録しているが、5段階評価で4点以上の作品が8割以上を占めた。恐ろしいまでの高打率。
基本的に、すべて一通り読んだことのある作品ばかりだけど、再読しても楽しめたし、新しく発見できる部分も多かった。
短いながらも、描いている世界は深いのである。
さすがは村上春樹、と(ファンと贔屓目もあるかもしれないが)感心するばかりだ。


個人的に一番好きな作品は、『眠り』である。
学生のときもそれなりに楽しめたが、三十代という主人公と近い年齢になったからか、より作品の雰囲気を受け止められるようになった気がする。

主人公の「私」は主婦なのだが、自身の家庭生活に強烈な不満があるわけではないのだろう。
ただ、そのあまりに単調で、いつものスタイルを続ける生活に違和感が生じたというだけでしかない。

そんな彼女が求めているのは、大したものではない。
言うなれば、それは羽目をはずさない程度の非日常といったところか。
彼女は、『アンナ・カレーニナ』を読んでいるが、それは、本の世界の非日常を追体験するだけでしかない。別に不倫願望があるとか、そういう大げさなものではないのだ。

しかし、ちょっとした非日常を求めるだけで、彼女は終わることができなかった。
良い悪いはともあれ、彼女はそこから先を目指してしまう。
それは、「傾向的に消費されていく」日常生活の単調さに、彼女がはっきりと気づいてしまったからにほかならない。
そこから逃れるために、眠りを捨てて、「自分のための時間を拡大」しようとする。

だがそれは結果としては、いびつなものでしかないのだろう。
そしてそんないびつな選択など、長く続く類のものではないのだ。
ひょっとしたら、彼女はそのいびつな選択のために、大事なものまで台無しにしてしまう可能性もある。
ラストにはそんな予感が漂っているように、僕には見えた。そして、それがどこか恐ろしく、悲しくもある。


ほかには、『納屋を焼く』も気に入っている。

「納屋を焼く」とはもちろんメタファーであり、「彼女」の失踪と無縁ではないのだろう。
突然消えても、誰も悲しみはしない存在。それこそが「納屋」と思う。
そしてそういう「納屋」のような、「彼女」のような存在は、都市部においては、往々にしてあるものだ。

実際、「彼女」が一番信頼していた「僕」でさえ、彼女の行方を見つけることができなかった。
加えて、「僕」はそれ以上、彼女の行方を追及できなかったし、追及もしなかった。

その、人と人とのつながりがあっさりと断絶してしまっている雰囲気が、微妙にこわく不気味である。
なかなかすばらしい余韻だ。


それ以外にもすばらしい作品は多い。

短篇である分キレがある点が魅力で、夫婦間に生まれる不穏な雰囲気が、『ねじまき鳥クロニクル』以上にくっきりと浮かび上がっている点がおもしろい、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』。
個として生きる「僕」の、他者とのコミュニケーションや、自分の存在に関する、いろいろな感情がない混ぜになっていておもしろい、『カンガルー通信』。
奇妙な雰囲気が味のある、『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』。
下手な解説をつけないところが個人的には魅力な、『レーダーホーゼン』。
一般受けしそうな作風で、エンタメとして充分におもしろい、『ファミリー・アフェア』。
寓話的な世界観が魅力で、ドライブの利いた物語運びが印象に残る、『踊る小人』。
いくぶんセンチメンタルすぎるきらいはあるが、喪失感が前面に出てきて、心に響く、『午後の最後の芝生』。
ストレートなテーマ性ゆえに、わかりやすく、その内容について自分に当てはめて考えずにはいられない、『沈黙』。
現実社会に適応していくうちに、バランスが失われていくような感覚を、象徴的に描いていて興味深い、『象の消滅』。
などなど。

全部上げ切れなかったが、それ以外の作品も、質が高くて驚くばかり。


村上春樹という作家の個性が、この作品集には凝縮されている。各作品の質も総じて高い。
村上春樹初心者には最適の本であり、ファンも、そうでない人も楽しめる一品に仕上がっている。優れた仕事だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの村上春樹作品感想
 『アフターダーク』
 『1Q84 BOOK1,2』
 『1Q84 BOOK3』
 『海辺のカフカ』
 『東京奇譚集』
 『ねじまき鳥クロニクル』

 『遠い太鼓』
 『走ることについて語るときに僕の語ること』
 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)

『1Q84 BOOK3』 村上春樹

2010-06-03 20:45:07 | 小説(国内男性作家)

そこは世界にただひとつの完結した場所だった。どこまでも孤立しながら、孤独に染まることのない場所だった。
「1Q84」の世界に、もし愛があるなら、それは完璧な愛かもしれない――。刊行以来、日本で、世界で、空前の話題を呼んでやまない長編小説。
出版社:新潮社



期待値が大きかったからかもしれないが、『1Q84』のBOOK 3は1や2ほど、楽しんで読むことができなかった。

もちろん文章は上手いし、細かいエピソードの描き方はさすがに巧みだし、読み手の興味を引くように物語を牽引していく力は目を見張るものがある。
そこらは村上春樹だけあり、いまさら文句のつけようもない。

しかしBOOK 1や2に見られたような緊張感が、本作にはいささか欠けていたように思える。
そのため間延びしているように見えるのだ。


それは多分青豆や天吾だけでなく、牛河のパートを挿入したことが大きいのかもしれない。

確かに牛河のパートを入れることで、青豆や天吾に危機が迫っているらしいという雰囲気が生まれるし、実際楽しんで読める。
だけど、第31章のタイトルが「天吾と青豆 サヤの中に収まる豆のように」となっている時点で、細かな事情はともかく、青豆と天吾がうまく出会えるんだろうな、ということはわかってしまうのだ。

それに一度描かれた情景を別の視点から描き直しているにすぎない部分もあり、どうしても冗長という印象を受ける。
BOOK1から通しで読んだ身としては、BOOK3は竜頭蛇尾そのものである。何かもったいない。


もちろん牛河のパートを挿入したことに、大きな意味があることは理解できる。
勝手な推測だが、春樹は牛河を通して、「まずいときに、まずい場所にいた」ために、理不尽な状況に追い込まれる人間を書きたかったのではないかと思う。
そしてそれは、青豆と天吾の子どもでもある「小さなものを護り抜かなくてはならない」という決意と、呼応し合っているようにも思うのだ。

そのため牛河の25章をあれだけショッキングなものにしたのかもしれない。
その章に来るまでに、牛河のいろいろ考えや行動に触れてきたせいか、僕は牛河のことを結構おもしろいやつだな、と思いかけていた。
それだけにその章の衝撃は大きかった。非常にいやな気分になる。

だがそのような理不尽な状況を作者は描く必要があったのかもしれない。


でもそれはある意味、理不尽すぎるような気もしなくはない。

正直25章の後、青豆と天吾が出会ったシーンを読むと、この二人のために、いくつかの犠牲が払われたんだな、と思ってしまい、すなおに楽しめず、収まりの悪い気分を抱いてしまう。

愛は美しいし、守らなければいけない存在があるのは美しい。
でもその陰にはひょっとしたらいくつかの犠牲があるのかもしれない。少し暗いことを考えてしまう。


さて、この『1Q84』だが、このBOOK3で完結ではなく、恐らく続きがあるような気がする。
実際回収されていない伏線はあるし、帯や宣伝にもこれで完結という言葉は記されていない。

本当に続きがあるのか、あるとしたら、『1Q84』はどのような着地を決めるか。それはまったくわからない。
ただ、BOOK3を読み終えた現段階だと、『1Q84』は春樹の長編の中で、2番目か3番目にダメな作品という印象を受ける。

そんな中途半端な印象を覆してくれるのか、それともやっぱり竜頭蛇尾で終わってしまうのか。
BOOK4が出るものと期待して、なんだかんだ期待して待ちたい。
そしてBOOK4が出たときにでも(出るとすれば)、総合的な『1Q84』の感想を書こうと思う。

評価:★★★(満点は★★★★★)



『1Q84 BOOK1,2』の感想

そのほかの村上春樹作品感想
 『アフターダーク』
 『1Q84 BOOK1,2』
 『海辺のカフカ』
 『東京奇譚集』
 『ねじまき鳥クロニクル』

 『遠い太鼓』
 『走ることについて語るときに僕の語ること』
 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)

『少女地獄』 夢野久作

2010-05-25 20:55:52 | 小説(国内男性作家)

可憐なる美少女”姫草ユリ子”は、すべての患者、いな接触するすべての人間に好意を抱かせる、天才的な看護婦だった。その秘密は、彼女の病的な虚言癖にあった。一つのウソを支えるために、もう一つの新しいウソをつく。無限に増幅されたウソの果ては、もう、虚構世界を完成されるための自殺しかない。そして、その遺言状もまた……。
<夢幻>の世界を華やかに再現する夢野久作。書簡体形式で書いた表題作ほか、男女の宿命的断層を妖麗に描いた「女抗主」「童貞」を収めた傑作集。
出版社:角川書店(角川文庫)



『少女地獄』は3つの短篇から成る作品だ。
そのことを知らずに読んだので、残りページは大量にあるのに、何でもうすぐ終わりそうなのだろう、と戸惑いながら読んでいた。
そのせいで集中して読みきれなかったきらいがある。無知というのはある意味、罪だ。
それでも物語は自体はおもしろいので、集中力が途切れても、それなりに楽しんで読むことができる。


『少女地獄』でもっとも有名なのは、冒頭の『何んでも無い』だろう。

主人公のユリ子は、自分を可憐に見せるために嘘に嘘を重ねていく。
その状況は滑稽と見えなくもないが、ある意味ではむちゃくちゃ悲しい。
特に彼女が嘘を嘘と気づかせないために、必死になっている点は愚かしいながらも、読んでいて切なくなる。彼女の行動ははっきり言って、病気だ。

しかしその嘘のゆえか、彼女は誰からも憎まれていない。
多分、嘘を重ねなくても、彼女はみんなから愛されていたのだろう。
そう考えると、彼女の自縄自縛的な行動は、皮肉に満ちている。


そのほかの作品も普通に楽しめる。
『殺人リレー』は、愛に盲目な妾の心理があまりに悲しく印象的だ。
『火星の女』はミステリアスなタッチで結構おもしろいし、いくらか屈折している彼女の心理に僕は惹かれてしまう。

『少女地獄』以外にも、女に対する幻想と失望を、感情をこめず描いている点が心に残る、『童貞』。
耽美と狂気が入り混じった雰囲気が良い、『けむりを吐かぬ煙突』などなど、目を引く作品が多い。


個性的な雰囲気が目を引く作品ばかりである。作家の特質が存分に出た作品集だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの夢野久作作品感想
 『瓶詰の地獄』

『久生十蘭短篇選』

2010-03-18 20:26:33 | 小説(国内男性作家)

現役の作家のなかにも熱狂的なファンの少なくない,鬼才,久生十蘭(1902-57)の精粋を,おもに戦後に発表された短篇から厳選。
世界短篇小説コンクールで第一席を獲得した「母子像」,幻想性豊かな「黄泉から」,戦争の記憶が鮮明な「蝶の絵」「復活祭」など,巧緻な構成と密度の高さが鮮烈な印象を残す全15篇。
川崎賢子 編
出版社:岩波書店(岩波文庫)



正直に告白するなら、僕には合わない作品だった。
物語の構造は優れているし、おもしろくなりそうな要素は存在するにもかかわらず、物語の中に入っていくことができない。

その理由はいくつもあるけれど、最終的には趣味の問題としか言いようがない。
特に語り口が、気に入らないのである。


たとえば『蝶の絵』という作品。
これは、南方戦線から帰還した山川という謎めいた男を中心としたお話である。
物語は非常に上手いと思うし、素材もいい。それは誰が見ても明らかだ。楽しめる人は多いとは思う。

しかしラストの方で描かれる、山川の過去に関しては、聞き語りというか、神の視点めいた形で描いてほしくなかった。
他の人は知らないが、僕の場合、それはあまりに説明的すぎて、どうも入りこめなかった。対象と距離を取って語ろうとする姿勢が肌に合わない。
これは、山川の主観で描いた方が、もっとおもしろくなるし、ちがった味わいも生まれたと思うのだけど、どうだろう。


そのほかにも、『蝶の絵』に限らず、説明的だな、と感じる作品はいくつかある。
総じてどの作品も、物語の構造はおもしろい。つうか、上手い。
けれど、その語り口の印象のせいで合わないと思う部分も多いのだ。
やはりこれは僕の趣味の問題としか言いようがない。


もちろんこれはおもしろかったと思える作品もある。
特に『母子像』がすばらしかった。正直期待せずに読んだのだが、これがまためっぽうおもしろい。

進駐軍の資材置き場を放火した少年の話で、その理由が語られていくというものだ。
作品自体は短いのだけど、なぜ犯罪に及んだのかというアプローチから、少年のギリギリの心理が浮かび上がってくる様がおもしろい。

語りと少年の心理が、それまでの作品と比べて近いせいか、母に近づきたいという切羽詰った欲求と失望が、じりじりと迫ってくるように感じられて、読み応えがある。
僕はこんな風に、心理を積み重ねる作品の方が好みらしい。


そのほかにもいい作品はある。
狂気すれすれとでもいうようなタッチがおもしろい、『予言』。
夫婦の、悪をも辞さないとでもいうような雰囲気が良かった、『黒い手帳』。
「これからもまたコツコツとドルを貯めよう」というところが明るくてすてきな、『復活祭』など。


基本的には、僕の趣味でない作品が多い。
だけど、いくつかの点で光る部分もあるし、物語構造が巧みな作品が多いという点も印象的だ。
どうしても、高い評価をつける気にはなれないのだけど、そういった美点はすなおにすばらしいと感じた。

評価:★★(満点は★★★★★)

『ビッチマグネット』 舞城王太郎

2010-03-02 21:20:23 | 小説(国内男性作家)

なんだか妙に仲のいい、香緒里と友徳姉弟。浮気のあげく家出してしまった父・和志とその愛人・花さん。そして、友徳のガールフレンド=ビッチビッチな三輪あかりちゃん登場! 
この長篇は、成長小説であり、家族をめぐるストーリーであり、物語をめぐる物語であり……。とにかく、舞城王太郎はまたひとつ階段を上った。
出版社:新潮社



舞城王太郎らしい小説である。
語り口には勢いがあるし、語っているテーマも、彼らしいまっすぐさが出ている。

だがこれまでの著者の作品にあった、とがった感じが今回は抑えられている。
そのため『煙か土か食い物』、『世界は密室でできている』、『阿修羅ガール』、『好き好き大好き超愛してる』のような、直情的と思えるような作品たちと比べると、少し物足りない。

それでも、この小説にあるまっすぐさと、一人称の語り口の心地よさ、そこここに散らばる笑いとは、印象深く、忘れがたい作品となっている。


この小説にはいくつも美点があるのだけど、個人的には、笑いが多いところに惹かれた。
特にビッチマグネットたる、ビッチを引き寄せるような体質の弟関連の話を、個人的におもしろく読んだ。
テレフォンセックスの場面とかは爆笑してしまう。

ストーリー展開も巧みで、細かいエピソードも読み応え抜群。
あかりをめぐるゴタゴタの話がぼくは好きだ。ゆすりまがいの行為が行なわれるところは、ちょっとしたエンタメの要素さえあって、おもしろい。
このあかりという女の子の腹黒さは見事な造形だろう。すばらしく最悪なビッチだ。


もちろんメインたる香緒里の物語も読ませるものがある。
この姉の物語を、一言でまとめるなら、自分の物語を獲得していくお話、といったところだ。
獲得していくってとこが、成長小説って感じがしてなかなか良い。


中学・高校時代の香緒里は自分の存在をうまく確立できていない。
それは多分、言語化の難しい自分の感情を、大事にしたいからなんじゃないかな、って思う。
実際、感情のすべてが言語できるわけではない。
だからこそ、彼女は自分の感情を言語という形にして、わかりやすく他人に提示したくないらしい。そしてわかったように、他人から判断されたくないようだ。

でも、形にならないものを抱えるのは、結構不安定だったりする。
そのため香緒里自身でさえ、自分の感情をもてあますこととなる。
それでも彼女なりに考え、自問しながら、弟や父や母や恋人との関係を通じて、自分というものを確立していく。


そしてそんな自己確立の過程で、顔を出すのが、「物語」なのだ。
香緒里はラストになって、次のような結論に達している。
「人のゼロは骨なのだ。
 そこに肉が付き、皮が張られてその人の形になる。
 (略)
 いろんな物語を身にまとう」

これを誤読を恐れず、わかったような言葉で、僕なりに解釈するならば、以下のようになる――

それは、自分の心を言葉にしきれず、わかったように判断されることは、問題ではないということだ。
自分という存在は、それまで積み重ね、人々から記憶され、自分なりに獲得してきた、物語(あるいは思考や感情)を通じて、形成されていくものなのだから。
そこには他人から見る自分(自分の物語)と、自分が意識する自分(自分の物語)とがちがっていることもありうるのだろう。
それは、「人にはそれぞれの考え方、感じ方、物の価値観、行動理論がある」からでしかない。
だから、他人からはちがう見え方もされることがあるのは当然なのだ。
でも、それによって自分の「考え方、感じ方」なりが影響されるものではなく、「そうそう本質は変わったりしない」のである。どこまでいっても、自分が獲得してきた物語がゆらぐわけではない。

――ってのが、この作品から得た僕の解釈である。
まちがっているかもしれないが、僕個人の解釈なので、まあ気にすまい。


だから、充分な物語を身にまとっていなかった、高校生の彼女が、マンガを書こうとして、何も書けないままで終わっているのは必然なのだろう、という気がする。
彼女はそれを生み出すためのものを、何ひとつ、その段階では手にしていなかったのだから。

そして最後で、彼女なりに、何とか物語を書くことができたというところが、一つの到達点に映るのだ。
少なくとも、彼女は物語を書くだけのものを、自分の中に形成することができた。
これこそ、まぎれもない成長だろう。そのため、小説のラストには確かな手応えがある。
そのラストのために、読後感もなかなかさわやかなのである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの舞城王太郎作品感想
 『九十九十九』
 『山ん中の獅見朋成雄』