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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『愛人 ラマン』 マルグリット・デュラス

2007-07-07 18:02:04 | 小説(海外作家)


フランス領インドシナ、十五歳の「わたし」は金持ちの中国人青年とメコン河の渡し舟の上で出会う。「わたし」の家族内の愛憎、中国人青年との性愛と悦楽を詩的な文章で描き出す。
フランスの女性作家、マルグリット・デュラスのベストセラーにもなった自伝的作品。
清水徹 訳
出版社:河出書房新社(河出文庫)


本作『愛人 ラマン』はベストセラーになったと聞くが、なぜこの作品がそこまで売れたのか理解に苦しむ。買った人でこの作品を理解できた人はどのくらいいたのか疑問になるほどだ。
というのも、この小説、文体は非常に芸術性が高くてわかりづらいし、時間軸のずれもあいまいで整理するのに戸惑う上、わかりやすいストーリーラインというものはないからだ。そのため途中で読むのをやめると、再び本をとったとき、何を読んでいたのか、一瞬わからなくなってしまう。
理解できないまでもこの作品を通読した人がどのくらいいたのだろうか、ひねた見方をしてしまう。

だが、だからと言って本作が駄作と言っているわけではない。
プロットがごちゃごちゃで、途中で本を読むのをやめると、中身を追うことが難しくなるのは事実だ。しかし少なくとも読んでいる最中はその世界にぐいっと引き寄せられてしまう。この中にはあらゆる感情が詰め込まれており、それが読み手の心を捕らえてやまない。
たとえば、中国人青年との性愛と悦楽、兄に対する暗い憎悪、母親に対する屈折した感情、そして少女らしいある種の残酷さ、少女から女へと変わる変遷。そういった激しいまでの感情と、その渾然とした情念を明晰に描ききった筆力にただただ圧倒される。
見事と言う他ない。

ところでこの少女は自分の美しさを知っていたからこそ、中国人男性を愛することができた、と僕には思えてならないのだが、どうだろう。
確かに本作の中で「わたし」は何度も自分が美しくないと語っているが、それこそが自分の美しさを知っていることの証なのかもしれないという気がした。
本作は、脱出を願う少女の心象が性的体験(中国人という点が重要だ)と絶妙にリンクした、成熟に向かう女の話。そんな見方が正しいかもしれない。だが、僕には同時に自分の魅力を知っていた女が小悪魔的な自分に酔いしれ、自分の残酷な境遇に陶酔するナルシスティックな話という風に見えて仕方がなかった。
穿った見方かもしれないが、そういう視点があるのもありだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『チャンピオンたちの朝食』 カート・ヴォネガット・ジュニア

2007-06-02 22:23:01 | 小説(海外作家)


無名のSF作家キルゴア・トラウトはミッドランド・シティで開かれるアート・フェスティバルに招待される。一方、化学物質の影響で発狂の手前にいたディーラー、ドウェイン・フーヴァーも同じ場所に向かおうとしていた。そこで起こる出来事とは? 
4月に亡くなった現代アメリカを代表する作家、カート・ヴォネガットの著者自筆のイラストを添えた長編小説。
浅倉久志 訳
出版社:早川書房(ハヤカワ文庫SF)


わかりやすいくらいのアメリカ批判の書である。
冒頭のアメリカ国家に対するアイロニーから始まり、随所にアメリカが抱えている問題、文化に対する皮肉を展開している。
略奪から始まったアメリカの歴史や、そして奴隷を解放しても黒人に対して何のケアもしなかったという実情、隠しているが底の方に抱えている人種蔑視の実態、人を押しのけてもものを分捕ろうとする拝金主義とも言うべき資本主義、過剰な広告の溢れた商業主義、人体の健康を侵す化学物質の蔓延、機械程度にしかみなさない人間の扱い、それこそまさしく、「その他いろいろ」である。

そういったアイロニカルな視点や、ところどころで差し挟まれる、キルゴア・トラウトの小説のネタ、それにラストの、物語の中くらいはその登場人物を救おうとする姿などは読んでいておもしろいし、それ以外でも部分で光る点も見つけられる。

しかし僕はこのいまひとつこの小説に乗ることができなかった。
その理由はこの断章形式の小説スタイルにある。
もっとも過去に読んだ「スローターハウス5」の方も断章形式ではあった。だが、そちらの方は充分に楽しく読めたし、傑作だと思ったくらいだ。
本作と「スローターハウス5」で差が生じてしまった理由は、本作は断章内のイメージがあちらこちらに飛んで、ストーリーとしての明確なまとまりが見えなかったためにあると思う。
そのためにいい部分を認めつつも、もどかしく感じたことも否定できない。
つまらなくはないけど、積極的に賛成できない。本作はそんな作品である。

評価:★★(満点は★★★★★)

『日の名残り』 カズオ・イシグロ

2007-05-27 16:49:08 | 小説(海外作家)


執事のスティーブンスは新しい主人から休暇をもらい、美しい田園の中をかつての女中頭に会うため、ドライブする。スティーブンスの脳裏によみがえるのは、かつての主人ダーリントン卿の時代の思い出だった。
日系イギリス人作家カズオ・イシグロのブッカー賞受賞作。
土屋政雄 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)


派手さはないものの、実にすばらしい作品である。

この作品の特徴をまず上げるなら、やはりその一人称の文体にあるだろう。
一人称という個人の主観が入りまくった文体を用いることで、主観と客観の間で齟齬が生じているのが読んでいて実にすばらしい。殊に後半になって多用する、自分の行動に対する言い訳には読みながら笑ってしまった。
ガス欠を起こしたときの「こうした過ちも当然ありうると強弁することができましょう」とか、「おセンチな恋愛小説」に対する詭弁としか言いようのない弁明とか、どこか笑え実にバカバカしく、そんな言い訳をしがちな主人公がちょっとだけ愛らしく見える。

しかしそういった笑えるシーンはあるものの、本質はどうしようもなく悲しいお話である。
主人公の執事は、執事の「品格」のためにあらゆる感情を押し殺し、立ち居振る舞いを続けようとする。兄の仇ともいえる男の世話をこなしたのは、確かにすばらしいことかもしれないが、そのために、人として大事なことを手放してしまっている。

その代表的なものこそ他ならぬミス・ケントンだろう。執事のスティーブンスが彼女に好意を寄せていることはわかるし、ミス・ケントンもスティーブンスのことが好きだ。いくら鈍感な奴だって、それくらいのことは気付く。
しかし彼はそのミス・ケントンの感情を(恐らくは)気付かなかった振りをして、「品格」ある執事の姿を維持しようと試みる。ミス・ケントンの手紙をチェックするくらい嫉妬しているくせに、どこまでも強情だ。
このシーンを読んで、何度、この男はアホだ、アホだ、と思ったことか。

元々この人は、あくまで自分の見たい風景を見たがっているという気がする。
父の執事としての能力が低下していることを、なかなか認めようとしなかったこともそうだが、最大なのはダーリントン卿に対する評価なのだ。
スティーブンスはダーリントン卿を評価していたが、ダーリントン卿に対する現実の世間の評判はきわめて悪い。それは戦中に起こした卿の行動に原因がある。
で、問題はスティーブンスがそんなダーリントン卿の評価を下げないよう行動できるチャンスがあったという点なのだ。
しかしスティーブンスは、そんな大事な場面でもあくまで人としての感情を押し殺し、執事として「品格」ある行動を取ろうとする。ミスター・スミスが語る「品格」とはちがう「品格」だ。
そしてその行動の結果が、一人の主人の晩年の運命を決定しているとも言えるのだ。

そんな自分の行動をさすがのスティーブンスも悔いている。
ミス・ケントンの最後の言葉の後のスティーブンスの心情は読んでいても切ない。そしてダーリントン卿のことを語る夕暮れのシーンの何と悲しいことだろう。
彼は結局何も選ばず、自分を型にはめて、そこから動こうとはしなかった。そのことに対する苦々しいまでの悔いが溢れている。

だがそこに暗さがないのはラストに前向きな感情がただよっているからだろう。それこそ作者の優しさなのだ。
その麗しい余韻が深く深く胸にしみこみ、読後感が幸福に包まれているように感じられた。
若干まとまりを欠いた感想になったが、ともかく見事な作品だと強弁しよう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


その他のブッカー賞受賞作感想
 ・1983年: J・M・クッツェー『マイケル・K』
 ・1992年: M・オンダーチェ『イギリス人の患者』
 ・1998年: イアン・マキューアン『アムステルダム』

『わたしの名は紅』 オルハン・パムク

2007-04-15 00:32:36 | 小説(海外作家)


16世紀末のオスマン帝国首都イスタンブル、そこでひとりの細密画家が殺された。その事件の過程で伝統的なトルコの画風と写実的なヨーロッパの画風との相克が浮かび上がってくる。
2006年度ノーベル文学賞を受賞したトルコの作家、オルハン・パムクの作品。各国でいくつもの文学賞を獲得したベストセラー。
和久井路子 訳
出版社:藤原書店


ノーベル文学賞受賞者と言うと、なんとなく堅苦しく難解に過ぎるというイメージがあるが、本作は素直におもしろいと思えた作品だった。
多分理由としては、最初に提示されたプロットがきわめてわかりやすかったことが大きいと思う。殺人の犯人が誰だろうというミステリ的な読み方、主役二人の恋模様を描くラブストーリー的な読み方、歴史小説としての読み方、そして純文学的な読み方。多様な読み方がその冒頭で展開されていて、文学が好きなものとしてはどの読み方にも心惹かれてしまう。
そして何よりもすばらしいのは、エンタメと文学という両方のエッセンスが共に強い存在感を見せていたという点にあるだろう。

エンタメ部分としては、シェキュレが毎夜訪れるハッサンの手から逃れようとする描写がおもしろかったし、最後の方の刃物沙汰もハラハラすることができた。そしてシェキュレとカラの逢引でのシーンの微妙な距離感にもドキドキしてしまう。第二の殺人のシーンの描写にもひきつけられた。
それにエンタメとは違うが、オスマンが目を刺すシーンには耽美的な味わいすらあり、変なインパクトがあるのも印象深い。

そして文学的な見地としては、トルコの伝統的な絵と、ヨーロッパの絵との対比の部分には深みがあり、心に残る。
この文学的な、そして博学な絵画に関する哲学を語るシーンははっきり言って若干難しい。だが難解ながらも、そこにある思想性や哲学性には、読みながらいろいろなことを考えずにはいられなかった。

僕はトルコの土地柄のことはよくわからない。だけど、西洋とアジア、キリスト圏とイスラム圏の境目であるという土地柄上、そこで文化の相克が起こるのは理解できる。そしてその相克の中、内部であらゆる葛藤が展開されているのが目を引いた。
基本的にトルコとヨーロッパでは根本的に考え方が違うのだろう。ヨーロッパでは自分の見たままの世界を再現しようと試みるのに対し、トルコではあくまでアラーの見た世界を絵に描こうとする。署名で自己アピールをするヨーロッパに対し、個性を消そうとするトルコ(決してそれは消し去れないけれど)。

文化背景が違うのだからいろんな点に変化があるのは当然だ。だけど、そんな差異から模索すべき道は当然いろいろあるだろう。
それこそが本作で提示されたエニシテの理論なのだ。

だが、和魂洋才の国の人間としてはどうして、ヨーロッパの手法をトルコの絵の中に取り込むという、「今まで一緒に用いられなかった二つの異なるものが一緒になって何か新しいすばらしいものを作り出すと確信している」エニシテの考えが否定されねばならないのかはわからない。
ヨーロッパの模倣だけで終わることを恐れる気持ちはわかる。だが、アラーの見たままの世界だけを再現しようとし、それ以外を認めないというその偏狭さが自らの首を絞めているのはどこか不思議であり、醜くすら僕には見える。

アイロニーに満ちた見方をするなら、アラーの見た世界を再現すること自体、人間のこの上ない傲慢とも見える。だがかと言って、宗教に絵を用いることを否定する原理主義的な考えが正しいわけでもない。
そういう風に考えると、トルコの細密画家たちは本来的に矛盾は抱えていたのだと思う。
この作品の大きな悲劇は、そのことに彼らが気付き、出口を模索するべきだったにもかかわらず、内ゲバ的な戦いに終始したことにあるのかもしれない。

何はともあれ、エンタメ的にも文学的にもすばらしい作品である。長く読みづらい面はあるが、満足の一品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


そのほかノーベル文学賞受賞作家の作品感想
・1929年 トーマス・マン
 『トニオ・クレエゲル』
・1947年 アンドレ・ジッド
 『田園交響楽』
・1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケス
 『百年の孤独』
・1999年 ギュンター・グラス
 『ブリキの太鼓』
・2003年 J.M.クッツェー
 『マイケル・K』

『西部戦線異状なし』 レマルク

2007-03-26 22:58:14 | 小説(海外作家)


1918年、第一次世界大戦でドイツ兵パウルは西部戦線に送り込まれる。自己の体験をもとに一兵士の視点から、戦争の苦悩、恐怖を描く。
ドイツの作家エーリッヒ・マリア・レマルクの映画化もされた作品。
秦豊吉 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)


映像と文章を比較したとき、インパクトという点ではどうしても文章は映像には敵わない。
ことに戦争というジャンルになると、映像が持つ臨場感は際立ってくる。「プライベート・ライアン」しかり、最近なら「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の硫黄島二部作を挙げることができるだろう。

では文章は戦争という残酷さを伝える点で不向きかと言ったらそういうわけでもない。本作は文章という手段を用いて戦場の本質と実情と細やかな心理面を確かに伝え、戦争の姿を描ききることに成功している。
そしてそれが成功した要因は、レマルクが学生時代という最も多感な時期に第一次世界大戦に徴兵されていることが大きいだろう。
戦場に赴き、実際に戦争に参加した者だけが書きうる、生々しく、実感のこもった戦争描写、それをジャーナリスティックかつ簡潔で、どこか映画的な文体で描くことにより、鮮やかに浮かび上がらせている点が目を引く。
たとえば、ついさっきまでいた場所で人が死ぬ場面、シャベルで人間を突き刺す描写、地雷で上まで吹き飛ばされた人間の死体、敵の前線の砲弾穴に入った兵士を殺す姿、どれも臨場感があり、すべて目の前に思い描くことができる。すさまじい。

そしてシーンの描写だけでなく、その際の人間心理もくっきり浮かび上がらせている。
たとえば砲弾穴で血だらけの手を見るシーン。
「気がついてみると、僕の手は血だらけだ。それを見ると、とても厭な心持になった。僕は泥を取って、手にこすりつけた。手は泥だらけになった。けれども血だけは見えなくなった。」
という一文を読んだときは心底震えてしまった。
戦場という不条理で残虐な世界にいる兵士の切羽詰った心理を、状況を描くだけで伝えている点には舌を巻くほかない。

しかし戦場では戦闘の残酷さだけがすべてではない。若い青年たちが集うのだから多少は羽目をはずす。
たとえばアヒルを捕まえるシーンや川を渡って女に会いに行くシーン、弾が飛ぶ中、好きなパンケーキを焼くシーンにはどこかおかしさすら感じられる。
暗い部分や生真面目な部分だけで人は成り立っているわけではないわけで、そういったシーンも同時に切り取っている点が、戦争文学として価値ある存在に高めていると個人的には思う。

さて本作のテーマにも触れておこう。この作品のテーマは無論、反戦であり、それをかなり直裁的に語っているシーンが目立つ。
だが、それは作者がまだなにも発展せず、何も残っていない時期に大人の理論で戦争に追いやられたことが大きい。戦争により感情を殺され、「人間として価値のないものになっている」とまで思いつめた経験があるからだろう。作者としてはそれを直接であろうと語らずにはいられなかったのだ。
多分、それは主人公が故郷でずれを感じたように、戦場で味わった感情や苦しみを、だれかに完全に伝えることが難しいと思ったことも直接的な言葉を使った要因かもしれない。
そしてその直接でもテーマを語らずにいられなかった思いの中に、レマルクの戦争に対する心の底からの怒りを見た気がする。

本作にはその他にも、おとなしい人間が戦場では変貌する姿や、不条理な状況に心が麻痺していく姿、敵ですら同じ人間だと悟るシーンなど目を引く場面が多い。
戦争で語られるすべての要素がこめられていると言っても過言ではあるまい。

内容は実に濃く、読み終えた後には多くのことを語りたくなる。なにはともあれ、傑作である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『ペンギンの憂鬱』 アンドレイ・クルコフ

2007-02-27 19:51:47 | 小説(海外作家)


ペンギンと暮らす孤独な男ヴィクトルは、生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を始める。それはまだ生きている著名人の追悼記事を書くというものだった。やがてその追悼記事で書かれた人間が次々に死んでいく。
ウクライナのロシア語作家アンドレイ・クルコフの世界的なベストセラーとなった作品。
沼野恭子 訳
出版社:新潮社(新潮クレストブックス)


ふしぎな味わいの物語である。
孤独な売れない小説家と共に暮らすのは憂鬱症のペンギン。まずこの設定からしてユニークかつ、魅力的で、読む前からわくわくしてしまう。
そのほかにも、マフィアの娘とそのベビーシッターとの擬似家族の光景、淡々と過ぎる物語の中に忍び寄る不穏な影など、道具立てのそろえ方は魅惑に満ちている。そのガジェットの選択の様は一級品だろう。

この物語の中で、印象に残るのはやはりペンギンのミーシャだ。感情を読みとることができず、退屈そうな憂鬱症のペンギン。それでいてどこかさびしく、主人であるヴィクトルにすり寄ったりする。このただそばにいて、ときおりさびしげな動作を見せるという姿がこの小説の中では、非常に効いているように思う。
ピドパールィの葬儀の夜、ペンギンのミーシャが嘴でヴィクトルの首筋を突っつくシーンがあるのだが、この描写はきわめて好きだ。
ヴィクトルはこのとき謎の仕事と、次々と起こる死のイメージに半ば打ちのめされていた状態だ。それだけにミーシャの行動は優しげな印象を抱かせる。ミーシャの扱いがもっとも際立っている名シーンだ。

で、読んでいても思ったし、あとがきにも触れられているが、このミーシャとヴィクトルは分身のようなものだ、と思う。
個人的にはミーシャは外から見たときのヴィクトルという感じがする。心の中になにかを隠していて、不安を抱えて、だれかに(ニーナとか)にすがりたいと思う男。それはミーシャにそっくりではないか。
ヴィクトルとミーシャ、ヴィクトルとニーナ、そういったつながりの中に愛があるかは置いておこう。しかし、そのつながりの中には、湧き起こる不安や孤独を埋めたいという願いが感じられる。
そしてその感覚こそがこのもろい擬似家族に確かなつながりを感じさせる。たとえそれが独善や欺瞞に満ちていたとしても、それはまちがいなくつながりなのだ。その印象が心に残る。

と、そのように魅力的な物語ではあるのだが、最後の辺りが個人的には気に入らなかった。
多分、謎は解き明かされないまま終わるのだろう、と踏んでいたのだが、中途半端に明かされ、どうにも収まりが悪い。どうせなら謎は謎のままでいてほしかった。それに積極的に謎にかかわることを拒否し、安定を願っていたヴィクトルが尾行をしたのもどこかしっくり来ないような気がした。ラストの主人公の行動もいまひとつピンと来なかった。
もちろん、それに対し、いろんな説明は可能だろう。でも、どうも感覚的に合わないのだ。
そういったラスト付近の扱いのため、小説全体の印象は悪くなってしまった。味のある作品だっただけに残念な限りだ。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『白痴』 ドストエフスキー

2007-01-07 19:23:30 | 小説(海外作家)


スイスの精神療養所で成人したムイシュキン公爵はロシアの知識を持たないまま故郷に帰ってくる。純真で無垢な心を持った彼はあらゆる人から愛されるが、同時に混乱も引き起こす。
ロシアを代表する文豪ドストエフスキーの長編小説。
木村浩 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)


若干、読むのに苦労をする作品であった。
というのもこの作品、脱線がずいぶん見られたからである。ほとんど主筋に関係のない(と僕は思った)話がたまに挿入されて、何でこんな話をここで読まなくちゃいけないのかと思うことしきりであった。特にイポリートの『弁明』はあそこまで紙面を費やすものだったのか疑問である。
もちろんドストエフスキー作品ではそういったことは往々にして見られることである。でも今回はそれがやたらに鼻についた。読んでいるときの心理状態にもよるだろうけれど。そのため、今回は『悪霊』や『罪と罰』よりも、作品の質として落ちるという印象を受けた。

とはいえ、この作品、脇の脱線した話はともかくも主筋である、ムイシュキン、ナスターシャ、ロゴージンにアグラーヤの愛憎絵巻などは単純におもしろく読むことができた。
それは実に波乱に富んでいるし、ドストエフスキーの持ち味である人間心理の機微が堪能できるものに仕上がっている。確かに冗漫さは目立つけれど、さすがはドストエフスキーといった内容となっている。

この作品にはいくつかおもしろい場面がある。
たとえば最初の方、ムイシュキンがナスターシャに告白し、彼女がそれを蹴ってロゴージンの元へ走るシーン。他にはロゴージンがムイシュキンを襲うシーン、などなどは好きだ。
しかしやはり一番のメインは、ラスト付近のナスターシャとアグラーヤという、本編二大ツンデレヒロインの口論だろうか。それは女のプライドを賭けた戦いとなっていて、男である僕は本当に恐ろしかった。いやあ、女って怖いものだ。

しかしナスターシャも悲劇的な人だと思う。
男に囲われ、時には男たちから商品扱いされているという事情。彼女自身は悪くないのに自分は罪深いかもしれないと考えなければいけない状況。そこから脱しようと彼女なりの誇りを持って、立ち向かった中で公爵に出会った。しかし自分では公爵を不幸にすると気付き、そこから迷走とも言うべき矛盾した行動を取り続ける。
僕からすれば、彼女の行動は決して賢くはない。
しかし、そんな彼女にはどのような選択肢があったのだろう。えらそうなことを言っておきながら、僕自身もはっきり言ってわからないでいる。そう考えると、ナスターシャには幸せな道がなかったみたいであまりにも悲しく思えてしまう。

そしてその悲劇をさらに加速したのは、エヴゲーニイが指摘した通り、登場人物たちが自分たちの行動に「真剣なところがすこしもなかったから」だろう。
誰も自分の感情を正確には理解していなかった。ラストのリザヴェータ夫人のセリフがメタファーになっているが、誰もが幻想を追い求めていたのだろうと思う。
元々善人で理想主義的なムイシュキンはひとりの女性を救うという幻想を抱き、ナスターシャは自身の不幸から引っ張りあげてくれるかもしれないという状況に幻想を抱き、アグラーヤは恋とそれに対する嫉妬という幻想に耽溺する。
そして重要なのは、最終的に誰もがそれに伴う現実的な面に耐えられなくなっていっているという点だ。それが何よりも悲劇であり、用意された結末に至るのは必然だったと言えるかもしれない。

ありきたりでまとまりがないが、ひと言でまとめるなら鮮やかで残酷な悲劇と言ったところだろうか。
いろいろな欠点がある作品だが、ドストエフスキーらしい作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


他のドストエフスキー作品感想:
『悪霊』
『虐げられた人びと』

『ソーネチカ』 リュドミラ・ウリツカヤ

2006-12-13 20:32:32 | 小説(海外作家)


本の虫で容貌のパッとしないソーネチカ。彼女は反体制の芸術家と知り合い、結婚。彼の流刑地に従いながら平凡な人生を送る。しかしやがて最愛の夫の秘密を知ることとなり……
現代ロシアの人気作家、ウリツカヤの仏メディシス賞などを受賞した作品。
沼野恭子 訳
出版社:新潮社(新潮クレスト・ブックス)


ここに描かれるのは平凡な女性の物語だ。本の好きな女性が男性と出会い結婚をする。そしてソビエトの動乱期を幸福を感じながら生きていく。
言ってしまえばそれだけなのだが、それだけの話なのに、結構おもしろいという、フシギな作品である。

主人公のソーネチカが文学少女から主婦へと変貌する様はとにかくリアルだ。
というか主婦の様相や心の機微の描き方などはさすが女性が書いただけのことがある。ディテールはどれを取ってもリアルで、その丁寧なタッチは引き込まれていく。
そしてそのディテールをどこか叙事的な筆致で積み上げていき、淡々と物語を紡ぎ上げていく手腕もすばらしい。そのリズムの良さは読んでいても心地よいものがあった。

しかし主人公のソーネチカという人の人生は僕にはどこか捕らえきれない。
彼女は人生の危機とも言うべき場面で、普通の人が取る、物語的には安っぽい行動を選択しない。ひたすらに夫を愛し、その愛人をも愛そうとする。多分それを理解できる人は少ないだろう。
しかし彼女の行為は愛と呼ぶべきものだろうか? 僕は少し考え込んでしまった。
愛といえば聞こえはいいだろう。だが、どちらかと言うと彼女は事物をありのまま受け入れているだけという風に感じられる。

誤読を恐れずに言うなら、彼女はさながら本を読むかのように、現実の世界を捕らえているという感じがする。つまり目の前の世界を読み取り、それを受け入れる。そしてそれによって伴う実際的な感覚を彼女は放棄している。ただそこにある幸せな面に目を向け、その世界に浸っている。そんな風に僕には思えた。

何はともあれ、特異なキャラであることはまちがいないだろう。しかしそれが無理なく成立している点もまた不思議なところである。
何とも独特の味わいを持つ佳品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』 トルストイ

2006-12-05 20:59:54 | 小説(海外作家)


19世紀を代表するロシアの文豪、トルストイの後期中篇作品。
病にかかった一裁判官の、死を前にした恐怖と苦悩と葛藤を描いた「イワン・イリイチの死」、妻を殺した男の、性的欲望に関する独自の理論を展開した「クロイツェル・ソナタ」を収録。
望月哲男 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)


僕はトルストイの良き読者でもないのだが、こうやって読んでみると、文豪と呼ばれるだけあるな、と感心する面が強い。本書に収められた「イワン・イリイチの死」、「クロイツェル・ソナタ」ともに、1世紀以上経過しているにも関わらず、深く僕の心に訴えてくるものがあった。

たとえば「イワン・イリイチの死」。
この作品の話自体はシンプルだ。ひとりの男が死の病にかかる。その際の心理描写と周りの状況とが描かれている。極論すればそれだけだ。

しかし、その描写の様はあまりにリアリスティックだ。
臓器の病気という認識から、死という言葉を明確に意識する面。希望と絶望の交互に現れる不安定な感情。他人への愛情を求める様相。生者が健康な肉体を持ち、自分の生活を優先することへの憎悪。自分の人生を振り返っての混乱。そしてラスト付近での穏やかな許しと死の受容。
とにかくその描写は圧倒的である。人が死を前にする上で直面するであろう主題がそこに展開されている。そしてそれはあまりにリアルで、読んでいる最中はわが身に重ねて読まずにはいられなかった。
そんな心情を呼び起こすだけでもすばらしい作品であろう。

一方の「クロイチェル・ソナタ」。
こちらは、「イワン・イリイチの死」のような普遍的なものとは少し違い、主人公の独特の論理が展開されている。乱暴に要約するのなら、すべては性欲に帰結するっていうところだ。

基本的に主人公の男性は愛を信じきれていないのだろう。しかしそれでいて妻に対する嫉妬の感情をもっているから、ことは厄介なのかもしれない。
僕は思うのだけど、この語り手は相手の女性のことが本当に好きで、それを完全に独占したいと思っているように見える。でもそれも簡単にいかないから、過剰な論理で自分をごまかしているんだって気がする。
そのために、その独自性というか、妄想というか、思い込みというか、自意識が客観的な観点との間に極端な落差を生じるに至っているのだ。そしてその落差こそが非常におもしろいのである。言っては何なのだが、僕は読みながら笑ってしまった。
僕はこの中の論理には何の興味も惹かれないのだけど、そのユニークさは単純におもしろかった。

しかしこの2編を読んでると結婚ってのが非常に面倒かつ厄介なものに見えてしまう。結婚願望はあんまりないけど、こういうのを読むとよけい結婚する気がなくなってしまう。
ああ親は泣くなぁ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『アムステルダム』 イアン・マキューアン

2006-11-17 20:32:17 | 小説(海外作家)


現代イギリス文学を代表する作家、イアン・マキューアンの98年度ブッカー賞受賞作。
痴呆状態を迎えたひとりの女性モリーが亡くなり、葬儀が開かれる。その中には生前の彼女の愛人たちも参列していた。やがてモリーの愛人だった外務大臣の写真を巡り、同じく愛人だった作曲家、雑誌の編集長の運命が大きく変転する。
小山太一 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)


この物語の中で、中心となるのは作曲家クライブと、雑誌の編集長ヴァーノンだ。二人とも、ある一人の女の愛人だったのだが、友人同士でもあるという奇妙な関係を築いている。

この二人の男たちのキャラのつくりこみが実に丁寧である。
善と悪を併せ持つと同時に自分なりの人生哲学を持ったその人物像はリアルそのもので、現実にこういう人物がいそうだと感じさせるものがある。

たとえば二人のうち音楽家のクライブ。
彼は芸術に身を任せる人間である。自身の芸術を信じ、自分の天才性を考える程度にうぬぼれのある人物である。そういう点で完璧な人間ではないだろう。しかし彼なりの芸術論は筋が通っているし、確固とした芸術観は読んでいても興味を覚えるものがあった。しかしそれゆえに芸術至上主義に走っているきらいもある。そういう人物である。
そんな彼は友人であるヴァーノンに対して、金を貸したりそれなりの心配りをしているのは見て取れる。人間的にも優しい一面はあるのだろう。
しかし完璧ではない彼は、そういった与えた恩に対して何も返さない友人の態度に見返りを期待し、腹を立てるという、やや小物めいた態度をも見せている。
僕は芸術家に友人はいないけれど、こういう人物は芸術家に限らずともいるのではないだろうか。

また一方のヴァーノンの方はどうだろう。
彼は編集長で、彼なりのビジョンで、スキャンダルを煽るような行動を取ろうとしている。その姿はやや性急にすぎるし、野心的な面は強いとは思う。そういう意味、クライブに対する恩を返していない姿とダブるものはあるだろう。
しかしそんな彼も恩を返していない自分を反省するだけの、一般的な良心を持ち合わせている。それにクライブよりもより社会正義を持っており、スキャンダルを起こすのもまったく個人的な攻撃を目的とするわけではないのだ。
ヴァーノンのようなタイプの人間も、クライブと同様に普通にいそうである。

そう、どちらの人間ともありふれた小市民の姿なのだ。職業という特殊さがあるものの、そのキャラ自体は平凡な人間たちでしかない。
しかしその普通ってやつをこれほどまで丁寧に描ききる姿はすばらしい。しかもその小市民の感情の機微は丹念であまりにリアル。その繊細を味わうだけでも充分に楽しい体験だ。

そんな普通に存在しそうな二人は、ちょっとしたいざこざが原因で、相手をひどく憎むようになる。
しかしそれは元来二人が隠し持っていたものなのだろう。人間、親しい間であっても、こういう点は少し賛同できないな、っていう面が皆無なわけではないからだ。
だが普段、それは理性で覆い隠されている。だからこそ、と言えるのかもしれないが、きっかけさえあれば、それも簡単に発露してしまうものなのかもしれない。

もちろんそれを狂気と一言で語るのは容易だろう。
しかし狂気で片付けるには、その憎しみはどこか静かで理性的な面が感じられる。でも人間ってやつはひょっとしたら土壇場ではそんな風に静かに憎悪を保てるものなのかも知れない。
そして、その静けさそのものが、人間の業ってやつなのだろう。それゆえに人間ってやつは哀れで、悲しい存在なのかもしれない。そんなことを僕は感じた。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


その他のブッカー賞受賞作感想
・J.M.クッツェー『マイケル・K』はこちら
・M.オンダーチェ『イギリス人の患者』はこちら

『マイケル・K』 J.M.クッツェー

2006-11-14 20:29:45 | 小説(海外作家)


2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカの作家、J.M.クッツェーの1983年度ブッカー賞受賞作。
内戦下の南アフリカ、マイケルは手押し車に病気の母を乗せて、ケープタウンから内陸の農場をめざし進み行く。しかしその道程にはいくつもの暴力が待ち受けていた。
くぼたのぞみ 訳
出版社:筑摩書房(ちくま文庫)   


本作の舞台は、戦争の足音が響く南アフリカだ。主人公のマイケル・Kは公園管理局の庭師だが、母親とともに彼女の故郷へと向かうことになる。

その話の展開は実に早い。
文体が淡々と叙事的に描き上げていくため、そう感じるのだろう。そしてその叙事的な文体が緊迫感を物語全体に与えていたのが印象深い。特に、マイケルが近くを通り過ぎる人間をやり過ごすときの描写なんかは最高にクールである。そのテンポのおかげで、さくさくと読み進めることができた。

物語の中で、Kが味わうのは理不尽な暴力だ。
現実的な暴力もあれば、仕事に追われて余裕がない人たちによる精神的な暴力もある。全体主義的な組織の暴力もあるし、主従関係を強要するものだってある。そこにある暴力は様々だ。
そのような暴力的な状況の中で、Kが欲するのは自由である。しかもそれは中途半端な自由などではなく、何者にも所属することのない完全なる自由のことだ。誰からも養われないし、誰をも養わない。
その行動理由には恐らくKが集団に馴染めないというのもあるだろう。けれど、その徹底した態度はどこか驚異的ですらある。

だが、そんなKに、僕はアウトローという印象をまったくもたなかった。
そう感じた理由として、たとえば、キャンプで男が刺されるというシーンを上げられるだろう。
Kはその場面に出くわし、刺された人間を助けようと彼なりの努力をする。だが一方、そんな彼に対してキャンプの人間は、自分の面倒は自分で見ればいい、と早い話、自己責任の問題だという態度をとり続けている。
このシーンはなかなかに象徴的だと僕は思った。
集団の人間は集団のひとりを助けず、集団から離れたがっているKが人を助けようとしている。つまり、集団という単位からはもっとも離れているKが実は集団の連帯においてもっとも大切な他人を思いやるという感情で動いているのだ。
集団という単位で縛り付けること自体が絶対なる正しさではないのかもしれない。こういうシーンを読むと強く思う。むしろそういう風に縛り付けることこそ、先述した暴力の一形態なのかもしれない。
時には他人から見て外れた方法で生きていても、それが完全なる過ちとは限らないのだろう。

第二章で視点が転換してしまったこと、僕がアホだということ、以上の2点により内容が整理しきれず、読後は若干難解にも感じられた。
しかしその内容は実に示唆に富んでいて、深い余韻を残すものがあった。硬派な良作であることはまちがいないのだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)


その他のブッカー賞受賞作感想:
・M・オンダーチェ『イギリス人の患者』はこちら

『冷血』 トルーマン・カポーティ

2006-10-11 23:15:12 | 小説(海外作家)


「遠い声 遠い部屋」などで知られる、20世紀を代表する作家の一人、トルーマン・カポーティのノンフィクション・ノベル。
カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件に関し、著者は綿密な取材を敢行。事件の発生前から二人の犯人が絞首刑に処されるまでを、事実をもとにノベルの形に昇華する。


良質の作品である。素直にそう思える作品だった。

現実に起きた一家4人惨殺事件、それを綿密なインタヴューの末にこのようなひとつの物語まで押し上げた手腕はさすがである。特に人間の心理を詳細に描いている部分が目を引く。
ひとつの異常な事件で巻き起こる住民たちの不安と疑心暗鬼。殺人を犯したあと、逃げ切れるだろうか、という犯人たちによぎる不安。そして犯人たちの生まれた背景などなど。そういった描写は綿密であるがゆえ、手に取るように伝わってくる。この中に書かれていることが100%真実かは知らないが、そこには圧倒的なまでのリアリティが感じられる。その様はただただすばらしいとしか言いようがない。

読んでいて僕が思ったことは、人は殺人を犯したからといって、目立った変化は外には現れないのだな、ということである。当たり前のことといえば当たり前なのだが、ディックの家族は息子が犯した重要なことに気付かないし、仮釈放違反を破った以外、表面上は変化がない。
個人的には拘置所におけるペリーのスパニッシュライスの逸話が心に残っている。そこにあるのは普通の青年像だ。ある意味、常と変わらず、ありふれているという点では、先に触れたディックの姿と似ているかもしれない。
しかし普通そうに見えても殺しをするときはする。そう考えるときわめて恐ろしく、同時に悲しいことだと僕は思う。

しかしそれを本書でも若干触れられたトラウマのせいにして、殺人を正当化することはできない。
もちろん同情するには値するだろう。しかしクラッター一家が、ペリーの人生の尻拭いをする運命だとしたら、それは実に不条理で、悲劇的としか言いようがない。

ペリー自身も理解できない衝動で4人は殺されている。この作品はそう考えると、あらゆる意味において、悲劇的に過ぎると思えてならなかった。と同時に人間というものの難しさ、残酷さ、不条理な感情について、思い知らされた次第である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『悪童日記』 アゴタ・クリストフ

2006-09-17 23:37:24 | 小説(海外作家)


戦争が激しくなる中、ある双子が母親に連れられて祖母の住む小さな町に連れて行かれた。双子はその街で過酷な日々を生きていく。
ハンガリー出身の亡命作家、アゴタ・クリストフの処女作。


数年前に一度読んだ作品で、再読ということになる。
そのため一回目に読んだときの衝撃を今回感じることはできなかったのだが、それでもこの作品が並外れて優れた作品であることはまちがいないと改めて思った。

この小説で目を引くのはなんといってもその文体だろう。
一人称複数で書かれたその文章はハードボイルドタッチで、実にクールである。そこでは感情というものが意識的に排除されていて、あくまで客観的な描写に終始している。
そしてその文体により、双子の善と悪がはっきりと浮かび上がってきているのが印象深い。この戦争下において、独自の価値観をもって生きている双子を叙述する上で、これほど完璧な文体はないであろう。

少し触れたが、主人公の双子には独自の価値観をもっている。
たとえば体を鍛えるためお互いに殴り合ったり、断食を行なったりする。時には殺すことに慣れようとも試みている。それを行なおうと至った理由は書かれていない。それについていろいろ推察することは可能だが、ここでは述べまい。
だが一つ言えることは、彼らのそういった行動の過程を描いていくことで、二人が自らの意思で感情を殺そうとしているのが見えてくるという点だ。そしてそれゆえに、クールな文体の奥底から明確な悲しみが浮かび上がってきている。
特に「精神を鍛える」の章の痛々しいまでの行動はどうだろう。そこにある悲しさが胸に迫るものがあり、読んでいて切なくなる。

だがそんな二人だけど、彼らが感情を完全に殺しきれていないこともよく伝わってくる。
たとえば母親の手紙をシャツの内側に交互に忍ばせるというエピソード。クールな双子たちにも母親への思慕が消さないのが仄見える。
また乞食をするエピソードのラストに添えられた
 「髪に受けた愛撫だけは、捨てることができない」
という一文に、それを書かずにいられなかった双子の心情が垣間見られるようである。

しかし『悪童日記』というタイトルが示すように彼らはいい子というわけではない。たとえば司祭を恐喝することもあるし、司祭の女中に平気でケガをさせることもある。そして彼らは人も殺している。
しかしその裏には彼らなりの思いやりがあるのだ。彼らが自身の価値観と思いやりの感情から世間的に見れば悪に走ることも厭わない。そしてそれゆえに、その残虐な行動にどこか切なさを感じるのである。
人間的なものを排し、日々を生きようと努め、実際に悪を行ないながらも、人間的なものを完璧には捨て去れない。それでも彼らは人間的なものを排除しようと努め、最後までその行動に徹しようとする。その行動の哀しさが僕の胸にずしんと響いてやるせないものがあった。

何かまとまりを欠いているが、本作は優れた作品と断言できる。
アゴタ・クリストフは本作を含めた三部作以外にどんな作品を残しているかは知らない。だが少なくとも「悪童日記」を書いた作家として文学史に名を残すものと僕は思っている。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『百年の孤独』 G・ガルシア=マルケス

2006-08-20 20:20:17 | 小説(海外作家)


20世紀を代表するコロンビアのノーベル賞作家、ガルシア=マルケスの代表作。
架空の都市マコンドを舞台に、その創設から滅亡までに至るブエンディア一族の百年を魔術的リアリズムの手法で描く。


とにかく個性的な作品である。物語はマコンドという町を建設したブエンディア家の百年にわたる物語なのだが、そこで描かれるイメージの何と豊かなことであろう。
まとまった感想の書きづらい作品なので、以下、良かった点を箇条書きにしてみようと思う。

良かった点の一つ目はまず文体だ。
百年の歴史を描くという設定のためか、物語は叙事的な筆致でつづられている。その文体がまた極めてクールで、淡々としたトーンでディテールを積み重ねていく様が物語の世界観とかっちりはまっていたのが印象深い。
それでいて叙情性を感じさせるシーンも所々で垣間見られるのだ。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアが死んだときに小さな黄色い花が降るシーンの何と美しく詩的なことだろう。そういうシーンがふっと現れるところがまたおもしろい。

良かった点の二つ目は当然だけど、物語そのものである。
僕は冒頭のホセ・アルカディオ・ブエンディアとメルキアデスのやりとりに、のっけから惹きつけられてしまった。棒磁石のエピソードはありえないようでありえるようにも見えて、奇抜であると同時にユーモアにも溢れている。
そういったエピソードを6 or 7代にわたり積み重ねていく様は圧巻である。本当にすばらしいイマジネーションだと驚くばかりだ。

三つ目に良かった点はキャラクターだ。
エピソードが個性的だけあって、キャラクターも個性的な面々が多いのは当然と言えるかもしれないけれど。
個人的にはアウレリャノ・ブエンディア大佐とアマランタがお気に入りだ。
アウレリャノは32回反乱を起こして敗北し、自由党などに幻滅を覚え、純粋さや情熱を失っていき、最後の方は世捨て人のように金細工を造る。その起伏に富んだエピソードは純粋におもしろく、一抹の寂しさを感じさせ、どこか物悲しくさえある。

そう本作はおもしろいだけでなく、悲しみがにじみ出てくるように描かれている。
それが四つ目に良かった点である。
アマランタで言うなら彼女の好きな人間を拒んでしまう姿とか、昔不幸にしたレベーカに対する思いの中には孤独な感情が流れているような気がして何とも切ない。これだけクールなタッチなのに、自然と悲しみがにじみ出てくるというのは驚くばかりだ。

五つ目は深読み可能な豊かな文学性だろう。
例えば一族の物語を、後代の者は忘却しているのだが、それは何とも寓意めいている。大虐殺といい、伝える術がなければ誰もが大事なことを忘れ去ってしまうのだ。そのことに作者の危機感を読み取れるような気がする。
他にもラテンアメリカの歴史を再現したようなストーリーには多くの示唆が隠されており、そこをつつくだけでも楽しいだろう。

ってここまで書いておいてなんだけど、好みの作品かと言われればはっきり言ってノーである。しかしその文学的な深みなどは純粋におもしろい。
小説が好きな人なら一度くらいは読んでみる価値はあるだろうと思った。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『ブリキの太鼓』 ギュンター・グラス

2006-08-08 22:00:50 | 小説(海外作家)


映画化もされたドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラスの代表作。
第二次大戦前後のダンツィヒを舞台に、3歳で成長を止めることに決めたオスカルの狂気じみた半生の物語。


『ブリキの太鼓』はきわめて厄介な作品だ。かと言ってつまらない作品というわけではない。むしろかなりおもしろい作品だと僕は思う。
しかしあまりに大量に現われるメタファーがどんな意味をもつかが、まったくわからないときがあり、そのせいで非常にもどかしい気分になってしまうのだ。
おもしろいのに意味がわからない。しかしそれでいて、この作品がかなりすごい作品というのだけはわかってしまう。非常に困ってしまう。

本書はアンチ成長物語というべきお話である。あるいは成長を拒否する物語とも言えるだろうか。
実際、主人公のオスカルは3歳のときに成長を止め、人生の制約を受けず、観察者として位置にとどまろうとする。観察者であり続けるために、イヤなことがあればガラスを割るし、何者にも縛られずに生きていこうとする。ある意味、徹底した態度をとろうとしているとも言えるだろう。
しかし人間というものはいつまでも純粋な観察者のままでいられるかと言ったらそうでなかったりする。実際オスカルは、時として他人の人生に干渉することもあるし、悪意をもって人を陥れることだってある。3人の親はもちろんのこと、塵払いたちだってを間接的に殺してもいるのだ。

では成長をし、観察者としての立場を手放せばいいかと言えばそうでもないから、物事は厄介だ。
成長することを決意し、こぶを持ったオスカルは成長することによって挫折を味わうことになる。嫌気が差した彼は観察者から、観察される側に逃避しようと試みるが、それすら叶わない。
最後は人生の責任というものから必死で逃避を試み、結局は捕らえられるという予感の中で物語は終わっている。成長を拒否しながら、いつまでも拒否するままでは難しいかもしれない。ある意味、苦いお話とも言えるだろう。

しかし本書は苦いお話だけでは終わっていない。
上で触れた部分は主筋とも言えるのだが、それ以外の部分もかなり目を引く部分が多い。

たとえば、3人の親が死んだ後に登場するエピソードはどれも切ないのが印象的だ。特に、ヤンの死後、シュガー・レオに会い、スペードの7をアンナに渡すシーンはお気に入りだ。
その他にも切ないシーンが多くて心に残る。
オスカルと女との関係も印象深い。基本的にオスカルは女たちに愛を望んでも、決してその愛に到達し得ないという感を受ける。その様が何とも物悲しい。

切なさの他にもグロさもあるし(馬とうなぎのシーンは特にすごい)、メタファーに富んだイメージの奥深さと破天荒さは鮮やかなくらいである。
そこにさらにドイツの歴史やドイツ人の心理を重ねていき、さらに物語が重層的になっていくのがおそろしいくらいだ。

多分、大抵の人はこの物語を読めばすごい作品だと思うだろう。そこで語られるイメージの豊かさ、重層的なテーマ性、何もかもがトップクラスだ。
しかし意味がわからない部分があまりに多い。おまえがアホだからと言われればそれまでだけど、そのためにどう捕らえきっていいのかわからない。
厄介な作品だ。こんな作品はそうそうめぐり合うことはないかもしれないってくらいに困った作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)