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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『鍵のかかった部屋』 ポール・オースター

2006-06-25 17:57:25 | 小説(海外作家)


現代アメリカ文学を代表する作家、ポール・オースターのニューヨーク三部作を締めくくる作品。
幼なじみのファンショーが妻子と原稿を残して失踪。「僕」は彼が残した作品の出版を協力していくうちにファンショーの妻を愛するようになる……


物語自体はスリリングだ。プロットに起伏があるし、エンターテイメントとしても飽きさせずに読む工夫がなされている。大抵の人は少なくとも読んでいる最中にこの作品を退屈と思うことはないであろう。

特にファンショーの手紙は効果的だ。そこから派生していくキャラクターの不安の様がすばらしく、ファンショーを追うことで気付いていく彼に対する憎悪と殺意に関しては読んでいても面白いものがあった。
そして頭の中の鍵のかかった部屋について述べるシーン。ひとつの事物、あるいは一人の人間がこうも、個人に大きな爪あとを残し、圧倒的な存在に膨れ上がっていく様子はどこか空恐ろしいものさえ感じられる。
そのためか、その後に描かれる「これから帰る」という電文に僕は淡い感動を覚えるのである。そこにはひとつの苦悩を乗り越えた人間の姿を垣間見るようで清々しくさえある。
そういう意味、僕はこの作品を一人の人間が、別の人間が与えた影響を払拭していく物語とも読み取った。

と、一応好意的な感想を書いたけれど、だから何なのだ、という気もちょっとしたりする。基本的にそれを言ってはおしまいかもしれないけれど、それは僕がこれまで読んできたオースターの作品(「幽霊たち」、「ムーンパレス」)にも抱いた印象だった。

オースターはつまらない作家では決してない。示唆に富む部分もあるし、感銘も受ける。しかし読み続けたい作家ではないな、と思う。
ここまで来ると感性の問題だろう。

評価:★★(満点は★★★★★)

『トニオ・クレエゲル』 トオマス・マン

2006-06-20 20:06:27 | 小説(海外作家)


ドイツのノーベル賞作家、トーマス・マンの代表作の一つ。
芸術家の道を目指す主人公トニオ・クレーゲルの芸術と生活の葛藤を描く。若き日のマンの自画像とも言うべき傑作。


個人的に好きで、たまに読み返すのが本作だ。確か今回で読み返すのは4・5回目くらいになる。
最初に読んだのは高校のときだから、約10年前。何回読んでも同じところで挫折しそうになるし、同じところで感動する。そして読み終えた後には何とも言えない満足感に包まれる。

本作は芸術家を目指すトニオ・クレーゲルの葛藤の物語だ。繊細な彼は自分とは違うスポーツマンタイプのハンスにあこがれ、美しいインゲに恋をする。
彼にあるのは、芸術をしている自分は優れているという自意識と、それでも芸術は世間一般には省みられないという思いからくる劣等感だ。それゆえに自分にないものをもつ、二人の姿にあこがれる。そして二人に認められたいと願う。
だがそういった思いは芸術家の側からは決して理解されない。芸術は高尚であるという高慢な意識を持つ彼らからすれば、トニオは異物な俗人でしかないのだ。トニオはハンスやインゲたち世間の側にも、芸術家の側にも、どちらに所属することも許されない。

本作は芸術と生活の間で揺れ動く葛藤を描いているが、このテーマは別のものに置き換えるのは可能だろう。
自分はどこにもいることが許されないという孤独な感情。これは普遍的なものであり、それゆえに居場所を求める姿は色あせることはない。そしてその姿が僕の心を捉えて離さないのである。

ラスト近くになると、僕は必ず毎回感動してしまう。
トニオはそこでハンスとインゲに再会するのだけど、そこでトニオはハンスとインゲの世界の中に入ることはできないことを明確に悟る。人間的なものを愛し、二人の世界に近付きたくても、それに届くことはなく、そこが自分の居場所でないことを知る。そして、自分が芸術という道を求めざるを得ないということもはっきりと悟るに至るのである。
そんな芸術と生活の二つを願う厄介な戦いを選択していくトニオの姿はあまりに清々しくて、美しい。

今の僕には、最初に読んだときのように、トニオのことをわが事の様に受け入れることはできない。
しかしそれでも、トニオの苦悩と最後の選択の美しさは、いくつになっても僕の心を打つ、読むたびに何度でも。そういう作品をこそ、傑作と呼ぶのだろう。
「トニオ・クレエゲル」は僕にとって、一生をかけ、何度でも読み返していきたい、紛れもない傑作なのである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのトーマス・マン作品感想
 『トーニオ・クレーガー 他一篇』(河出文庫)
 『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』(新潮文庫)

『Carver's Dozen』 レイモンド・カーヴァー

2006-06-06 21:00:05 | 小説(海外作家)


アメリカの短編作家、レイモンド・カーヴァーの作品を村上春樹がパーソナル・ベストとして12編選び出す。
代表作から詩、エッセイまでを幅広く選び、カーヴァーのエッセンスを伝える。


レイモンド・カーヴァーは上手い作家だ。多分この作品を読めば多くの人がそのことに気付くだろう。

例えば「足もとに流れる深い川」。
はっきり言ってうまく説明することのできない作品ではある。
だけど、女性の不安な気持ちの描写、強姦で死んでしまった少女と自分を同一視しているような不安定な感覚が見事なくらい、鮮やかに切り取られている。そこに漂う暴力の予兆といい、はっとさせられるものがある優れた作品だ。

それに「ささやかだけど、役に立つこと」のラストのパンのシーン。
それは本当にささやかなシーンなのだけど、そのささやかなシーンに重要なメッセージ性と、読後に心が温かくなるような感動の余韻を集約させる様は何とも見事だ。

他にも「サマー・スティールヘッド」の物悲しく、ビターなラスト。
「ぼくが電話をかけている場所」のろくでもない人生を送りながら、人とのつながりを求めざるをえない姿を爽やかに切り取る様。
「大聖堂」の共感が生まれていく過程には、唸りたくなるような洗練さが仄見えてくるようだ。
珠玉の作品集と呼ぶにふさわしいだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『イギリス人の患者』 M・オンダーチェ

2006-05-24 20:11:48 | 小説(海外作家)


「イングリシュ・ペイシェント」というタイトルで映画化もされた、ブッカー賞受賞作。
第二次大戦下のイタリアの僧院を舞台に、全身火傷を負った謎の患者と、彼に付き添う若い看護婦らの、ミステリアスな世界を描く。


若干読みづらい作品であるということは否定できない。人称の曖昧さや、錯綜するエピソードなど、物語を頭の中で整理するのに苦労する構成になっており、とっつきにくさはある。
しかし、そこで展開される文章の美しさは特筆に価する。その繊細な詩的イメージには心震えるものがあった。これぞ名訳と呼ぶに足るものであろう。

エピソードも複雑に入り組んでくるが、全体像が見えてきたときは、何とも言えない感動を呼び起こすものがあった。読みづらいが、とにかく面白い作品である。
この作品には主要人物が4人いるのだが、どの人物も心に何かしらの傷と過去を背負い生きている。その影を背負いながら、四人が暮らす空間には切なさが溢れていて、美しさすら感じる。

個人的にはキップがお気に入りだ。死と背中合わせの作業が彼の心を犯していくイメージや、アジア人というアイデンティティを感じさせるラスト付近のエピソードは悲しくてならなかった。

これを読み終えた後には、映画化作品の「イングリッシュ・ペイシェント」も見たくなってきた。そう素直に感じさせるすばらしい作品である。一読の価値はあるだろう。

だけど、この作品。実は既に絶版になっているそうな。BOOK OFFに行けば普通に売っているけれど、できれば再販してほしいものだ。こんなに美しい作品が忘れ去られるなんて、もったいないと本気で思うから。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『ホテル・ニューハンプシャー』 ジョン・アーヴィング

2006-05-15 22:59:12 | 小説(海外作家)


現代アメリカ文学を代表する作家、ジョン・アーヴィングの傑作。
ウィン・ベリーがメアリーと出会い、熊を買い取るシーンからベリー家の歴史は始まる。そして子供たちは父親の夢を叶えるためにホテル・ニューハンプシャーの開業を目指していく。


本作は基本的にエンターテイメント小説だ。少なくとも読んでいる最中は充分に楽しく、飽きるということはない。だがもちろん、ただのエンタメにとどまるものではない。その中にはいくつかの明確なテーマ性が含まれている。

テーマの一つは愛と言えるかもしれない。本作には、暖かい家族の愛が流れていて、それが何とも美しかった。
そして、同時にそれぞれの幻想を追い求める悲しい話でもあった。

キャラクターが立っていたのも個人的には印象深い。
例えば、フラニー。僕は読んでいる最中、完全にこのキャラに惹かれ、好きになった。
彼女がレイプされ、けんかに負けたという言葉を使って、気丈にふるまいながらも、その傷から決して容易に抜けきれない過程が何とも悲しく、胸苦しくなるものを感じた。
基本的にアーヴィングはまじめで正義感の強い人なのだろう。それゆえにレイプに対する姿勢が真摯であり、感動的なものになっていたのが心に残った。

それにリリー。大きくなるという彼女の意志はやはり印象に残るものがある。
しかしそれが彼女にとっては自己脅迫であると判明する後半はやはり悲しい。特に「華麗なるギャツビー」の終りに完全に打ちのめされ、それに絶望すらしているリリーの苦しみが手に取るように伝わる。その気持ちがわかるだけにラストに彼女が選択した行動は痛々しく、切なさと悲しみが溢れていた。

基本的にこの作品はセンチメンタルでメロドラマティックだ。しかし単純なドラマツルギーで安直に逃避している三流作品とは全く違う。
その中には上述のような点でヒシヒシと胸に迫るものがあり、何とも形容の難しい感動を後に残す。言語化は難しいし、この感想自体、ものすごくまとまりがないのだけど、とにかくその圧倒的な物語のパワーが手に取るように伝わる作品と感じた。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『遠い声 遠い部屋』 カポーティ

2006-04-28 20:53:07 | 小説(海外作家)


戦後アメリカ文学界に彗星の如く現われた作家、トルーマン・カポーティ。
本書はカポーティ最初の長編小説で、刊行と同時に注目を浴びた記念碑的な作品である。


若干、難解に感じられる作品である。
その理由としては所々に幻想が混じりこむ文体であり、盛り込まれるエピソードのつながりが今一つ見えてこないためにあるのだろう。そういった点のために、結局、最後までよく理解しきれないままで読み終えることになってしまった。
しかしわからないなりにこの作品を読むことは楽しい経験であった。

この作品でわからないなりに良かったと感じたポイントは四つある。
一つ目は所々に垣間見られる死のイメージだ。
この作品は南部ゴシック小説と言われているらしいけれど、こういった死のイメージもその一環なのだろう。そのイメージが何に繋がるのかはわからないままだったけれど、印象に残るものであったことはまちがいない。

二つ目は主人公の傷付きやすいイメージだ。
主人公のジョエルは特に繊細な傷付きやすい少年である。彼が感じる思いのいくつかは僕にも経験があるものがあり、懐かしさすら感じた。
例えば誰もが自分に対して悪意を感じているのではないか、と思うところや、お世辞を言われてからかわれているのではと疑うところ等は記憶を呼び起こすものがあり、パーソナルな部分に訴えるものがあった。

三つ目は個性的で魅力的な登場人物である。
ランドルフもなかなかいい存在だが、個人的にはアイダベルが気に入った。彼女のはちゃめちゃに見えるけれど、どこかに繊細さな傷付きやすい少女像は完全にヒット。アイダベルが登場する部分は読んでいる最中、萌えまくりであった

そして四つ目はこの作品の底辺に流れる切なさである。
例えばジョエルとアイダベルが喧嘩をして眼鏡が壊れたとき、「あんたのせいじゃないわ」と寂しそうに言うシーン。
ミス・ウィスティーリアが小さな男の子たちがいずれ大きくなっていく、と考えて泣くと語るシーンや、そのミス・ウィスティーリアをジョエルが見捨てる形になるシーンは何とも言えず切ない。そこには失われていくという根源的な恐ろしさと悲しみが流れているように思えて心に響いた。

というわけで作品を理解できなかったもの、所々に光るイメージの数々のため、読後に清新な感覚を残すこととなった。この作品に関しては、それで充分だという気がする。ブルース・リーじゃないが、「Don't think. Feel!」こそがこの作品を楽しむカギかもしれない。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『泥棒日記』 ジャン・ジュネ

2006-04-08 23:52:25 | 小説(海外作家)


パリで私生児として生まれ、泥棒、男娼を続けながら各地を遍歴。その後、作家として世に認められたジャン・ジュネ。
『泥棒日記』は彼の自伝的作品である。


本書の文章は極めて読みにくい。抽象的な言辞が羅列されている上に、装飾的な言葉も多く、かなり集中して読まないと、文章の意味が頭の中に入ってこないのだ。よく言えばこういうのを詩的な文章と言うのだろう。
実際、そこにある言語表現の中には僕レベルではパッと思い浮かばないような独特なものもある。

でも、そういった文章にかなりイライラしてしまったのも否定できない。
例えば、スティリターノの服にペンチがぶら下がっているのを見て、彼は物品さえも惹き付けるって思うシーンや、アルマンの慈愛は折れた汽車も繋ぎ合わせるって感じるシーンを読んだ瞬間、僕はイラッときてしまった。「んなわきゃねえだろう、なんじゃそりゃ」とそういう厄介な比喩を読むと、僕は思ってしまうのである。
本来、こういう表現は笑って受け入れるものなのだろう。
岡野宏文と豊崎由美の対談(タイミングの良いことに今月号の「ダ・ヴィンチ」に本書が取り上げられていた)にも本書は笑えるとも書いてあったが、きっとこういったシーンも笑いの対象になるのだと思う。
でも読みづらい文章にかなりイラついていた僕に、それを笑って受け入れるだけの心の余裕はなかった。

もちろんこの本にも良い点はある。
悪を一つの美としてとらえる独特の価値観、孤児として生まれたゆえの社会から疎外された者の感性、それに男色者としての視点等々、一般的感覚とは異なる世界観の描写がそれにあたる。
でもそういった感性が優れていたとしてもそれを伝える文章が僕の好みには合わないのではどうにもならない。
そういうわけで僕はこの本を楽しんで読むことはできなかった。残念なことである。

評価:★★(満点は★★★★★)

『ダロウェイ夫人』 ヴァージニア・ウルフ

2006-03-28 21:15:20 | 小説(海外作家)


「意識の流れ」の手法を駆使し、革新的な小説を書き続けたヴァージニア・ウルフの代表作。
ウルフを本書ではじめて「意識の流れ」を自由に使いこなし、50代の女性を中心にある一日の動きを描ききっている。


はっきり言って、読みづらい作品であった。
いわゆる「意識の流れ」と呼ばれる手法の作品を読むのは僕は初めてなのだが、それだけに、人称がすぐにあっちこっちに飛んだり、同じ段落なのに唐突に、違和感無く違う人称に切り替わったりする筆致には驚きと同時に戸惑いを感じることは多かった。
確かにそれは斬新で刺激的である。しかし読んでいて感じるストレスは間違いなく大きい。
しかし、こういった流れる川のように滑らかに描出することが、あらゆる登場人物の内面を次から次へと描く上で、適していることは確かだろう。そしてこの小説の構造において、その描出がどれほど効果的かということも段々と見えてくる。

物語はあって無いようなものだ。
しかし流れるような意識の手法から、それぞれの人物の屈折した心情、嫉妬、複雑な感慨などが開示されていく様は圧巻ですらあった。その丁寧で細やかな描写によって、それぞれの人物がきっかりと三次元的な人物像へと形成される点がすばらしい。
そして各種の登場人物や、クラリッサ自身の独白から、クラリッサ・ダロウェイという一人物の人生が明確に浮かび上がってくる過程も見事なものである。
そのあまりに見事で美しい、小説の構造に、読みながら興奮すら覚えた。その技術は80年も前の小説なのに、いまでも全く新しい。

確かに本書は読みづらい。明確な物語性も薄く、楽しいと思うことはできないかもしれない。
しかし、そんな細かいことを気にせず、その小説構造の卓抜さや、流れる川のように静かに押し寄せてくる登場人物の感情をただ静かに受け止めればいいのだと思う。
そうすれば物語全体が圧倒的なまでに美しいということに気づくはずだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『田園交響楽』 ジッド

2006-02-25 23:42:16 | 小説(海外作家)


手術が成功して目が見えるようになった盲目の少女。しかし彼女は自殺をしてしまう。盲目の少女と牧師一家の相克と葛藤を描いた作品。
本作は昼のテレビドラマ「緋の十字架」の原作にもなった。
フランスのノーベル賞作家ジッドの中篇。


本作は古典的な悲恋ロマンである。
死んだ唖の老婆のもとで見つけた盲目の少女ジェルトルート、牧師は彼女を教え導くつもりで引き取るが、彼はやがて男として彼女に惹かれていく。妻はそんな夫の変化に気付いているが、牧師自体は自分自身の感情に気付こうとしない。
筋を細かく書くと、こうなる。ベタという点で昼ドラ的ともいえるだろう。昼ドラの方は見ていないけれど。

一応、本作は恋愛物と言えるが、同時に父と子の確執の話としても読むことができる。
僕自身はカトリックとプロテスタントの対立についてうまく理解できないし、牧師とジャックが交わした聖書の文言を用いたやり取りも完全に理解できたわけではない。
そういうわけで、幾分わからないものはあるけれど、父親と息子が精神的なレベルでは分かり合えていないことが伝わってくる。

ジャックがジェルトルートに改宗を勧めたのは、昔その女を愛していたこともあるだろうし、建前上、自身の司祭としての使命感もあっただろう。しかしそれ以上に父親に対するあてつけもあったのではないだろうか、と思えてくる。
それが救いを求めるジェルトルートの心を傷つける行為になっていなかっただろうか、という気もしないではない。
それにプラスしての、アメリーの苦悩に牧師の行動。そういった諸々の事に絶望と憤りと苦悩をジェルトルートは感じたのではないだろうか。そしてジェルトルートはカトリックによって禁じられている自殺に(ある意味、ジャックへのあてつけみたいな思いもこめて)踏み切ったのではないだろうか。
僕はそのように読み取った。もちろん誤読に決まっているのだけど。

それはそれとして4人が共に盲人であったというこの本のテーマはなかなかに良いと思う。ありきたりな感じではあるが、優れた小品と感じた。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『悪霊』 ドストエフスキー

2006-01-06 20:56:30 | 小説(海外作家)


ドストエフスキーの思想的文学的探求の頂点に位置する大作。無神論的革命思想を悪霊に見立て、それに憑かれながら自らを滅ぼしていく人間たちの姿を描く。


この作品のすばらしさを一言で語るのは簡単ではない。正直、何から語ればいいのかわからないほどだ。

各キャラに対する奥深くも混沌とした人間描写、盛り上がりとうねりに富んだプロット、その物語の悲劇性。抽象的な言葉しか出てこないが、この本を読んでいる最中は完全にそのすべての要素に、そして面白さにはまってしまった。読んでいる最中、何度ゾクゾクとしたことか。

しかし、本書を読み終わった後で僕は今ひとつすっきりしない気持を味わった。
それは全てスタヴローギンというキャラクターのせいである。僕はこの男のことを掴みきることができなかったからだ。

スタヴローギンは本書でももっとも重要な人物である。前半では多くの人間に影響を与える人間として登場する。その存在感は圧倒的で、登場人物の多くに彼の影が見られる様は恐ろしくさえある。策士として表立って動き回るピョートルよりも影にいる分、不気味さが付きまとっている。加えて悪徳を犯しながらも、その悪徳に対して理知的に振舞う姿には、人間的なものが決定的に欠けているように見えてならない。それがこの男の像を更に大きくしている。

そんな大きな存在のスタヴローギンがラストで死を決するのだが、僕にはその理由がどうしてもわからなかった。それがこの男を、ひいては「悪霊」という作品をつかめきれない最大の理由になっている。
多分それは「スタヴローギンの告白」に出てくるマトリョーシャの夢(美しい場面だ)と結びついているのだろう。スタヴローギンは理性的な男であるけれど、完璧な存在ではなく、脆さも抱え持っていることは間違いない。しかしそのスタヴローギンの弱さと最後の自殺とが結びついているようには感じられないのだ。
だから僕にとって、スタヴローギンの自殺はどこか宙ぶらりんな感じがして落ち着かないのである。多分僕の読み方がどこかで間違っているのだろう。けど、どこで間違えたかもわからず、もどかしくてならない。
面白かっただけに、最後にそんな気分になってしまった自分がすこし悲しくてならない。

ほとんどスタヴローギンの話題に埋もれてしまったが、本書には他にも魅力的なキャラは多い。やることは中途半端だけどそのバイタリティはすばらしいピョートル。頼りない存在だけど大衆を前に自分の信念を語る(これも好きな場面だ)ステパン。出産のシーンであまりに人間的な姿を見せたシャートフなどなど。

名キャラクターに名シーン、そして深い思想性も兼ね備えた本書。個人的には何かともどかしいのだけど、一読の価値があることだけは断言してもいい。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『虐げられた人びと』 ドストエフスキー

2005-11-28 22:06:25 | 小説(海外作家)


わかりやすいくらいのメロドラマである。加えて文章も読みやすく、難解な思想性があるわけではない。人情話やミステリタッチのプロットなど怒涛の展開で突き進み(一部ベタな面もあるけれど)、一気に読ませる勢いがある。
最高に面白い一品だ。

キャラクターも魅力的な面々が揃っている。
特に注目すべきはアリョーシャだろう。無邪気で陽気で楽観主義で気も意思も弱く、それゆえに八方美人で、でも基本的にはいい人というこの男はかなり存在感があり、登場すると場面が生き生きすることが行間から伝わってくる。「この男はアホなんじゃないか」と僕は読みながら何度も思ったのだが、それゆえに愛すべきキャラクターになっていることは間違いないだろう。
他にも不幸ばかりが襲うネリー(あまりにかわいそうなキャラだ)など、魅力的な人物には事欠かない。
ある意味、キャラ萌え小説として読むことも可能なのだ。そんな腐女子的な発想でも読み解くことができるのがドストエフスキーの懐の深さと言えるのかもしれない。

この作品がドストエフスキーの一連の作品の中でどのような位置づけにあるのかはわからないし興味もない。
しかし文学的な小難しさもないこの作品こそ、ドストエフスキーの、ひいてはロシア文学の入門書としてはうってつけだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)