私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

「猿の惑星:創世記」

2011-10-19 20:17:56 | 映画(さ行)

2011年度作品。アメリカ映画。
アルツハイマーの薬を研究しているウィルは、チンパンジーに新薬を投与する。目覚ましい知能の伸びを見せたメスのチンパンジーがいたが、彼女は暴れだし、射殺されてしまう。妊娠していた彼女が産み落とした赤ん坊チンパンジーを育てていたウィルは、シーザーと名付けた彼に高い知能があることに気付く。ある日、アルツハイマーを患うウィルの父親が隣人ともめているのを見たシーザーは、彼を守ろうと暴れ、霊長類保護施設に入れられてしまう。(猿の惑星:創世記(ジェネシス) - goo 映画より)
監督はルパート・ワイアット。
出演はジェームズ・フランコ、フリーダ・ピントら。




もちろん、つっこもうと思えば、いくらでもつっこみどころのある映画ではある。
ストーリー的に見れば、事態が悪化する流れはテンプレ通りだし、アルツハイマーの新薬に関しても引っかかるポイントがいくつかある(なぜ新薬がミスト状なのか。固形タイプでなく、むしろミストにする方が技術的に大変だろうに。しかも脳に作用する最新の薬が吸入摂取っていうのは、医学的にありうるのか、など)。

しかし総じて言えば、本作はおもしろい作品であった。
それはエンタメとして盛り上がるよう、意識してつくられているからだろう。


まず猿たちのCGが迫力満点で、おもしろい。
たとえば橋を進んでいくシーンや、建物をよじ登るシーンなどは臨場感があって、見ていても惹かれるし、ワクワクした思いにさせられる。
なかなか力の入った映像処理ではないだろうか。


ストーリーもおもしろい。
知性を持った猿が、人間に叛逆していく展開(No!と叫ぶシーンが良かった)や、育ての親との信頼関係の揺らぎなどが、無理なく描かれていて引き込まれる。
また自分たちを襲った人間にとどめをささないなどの場面もあり、猿たちの方が紳士的に見えることもある、という点がおもしろい。


僕はティム・バートン版の「PLANET OF APES/猿の惑星」しか見たことがない。
そんな中途半端な知識しかなくても楽しめる作品となっている。
見事なエンタテイメントと言ってもいいのだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



出演者の関連作品感想
・ジェームズ・フランコ出演作
 「告発のとき」
 「127時間」
 「ミルク」
・フリーダ・ピント出演作
 「スラムドッグ$ミリオネア」
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「ザ・ファイター」

2011-06-07 21:21:01 | 映画(さ行)

マサチューセッツ州ローウェルに住むプロボクサーの兄弟。兄のディッキーは町の期待を一身に背負う名ボクサーだが、その短気で怠惰な性格からすさんだ毎日を送っていた。一方異父弟のミッキーは、地道な性格。兄と母に言われるがままに試合を重ねるが、どうにも勝つことが出来ない。そんなある日、ディッキーが薬物に手を出し逮捕されてしまい、ミッキーはリングから遠ざかっていく。しかし恋人シャーリーンの支えもあり、ミッキーはもう一度リングに上がる決意をする。(ザ・ファイター - goo 映画より)
監督は「ハッカビーズ」のデヴィッド・O・ラッセル。
出演はマーク・ウォールバーグ、クリスチャン・ベイル ら。




家族ってのは、ときとして厄介な存在である。
近しい人間同士だからこそ、そこに感情のもつれが生まれることもあるからだ。

良かれと思って相手の行動に口出しすることだってあるし、それが相手の重荷になってしまうことだってある。
また相手の行動にガマンできないだってあるし、自分の思い通りにしようと、愛情を押しつけることもある。
そして近しい人間だからこそ、そういう許しがたいことがあっても、簡単には切り捨てられなかったりする。


「ザ・ファイター」は、ボクシングの映画だが、家族の映画でもあり、兄弟の映画でもある。
そのため上記のような、家族ゆえのぶつかり合いや愛情なりがうかがえる作品となっている。


この映画の中で、主人公のミッキーはボクサーだった兄に憧れてボクシングを始めている。トレーナーも兄で、マネジメントは母が行なっているなど、家族ぐるみでボクシングに取り組んでいるような状況だ。
その姿からは家族の強いきずなが見えてくる。
でもそのためにミッキーは、ヤク中の兄にふり回され、母親の過剰な干渉を受けたりもする。
ミッキー当人にとっては、その強いきずなが逆に重荷になっているようなものだ。


だから、ミッキーが一旦、家族と距離を置くのは、他人である僕からすると、正しい行為だと感じる。
むしろもっと早くにそうしていれば、と思うくらいだ。

だけど、ミッキーはそう簡単に割り切って家族を切り捨てることはできない。
ミッキーの家族と、ミッキーの恋人やエージェントたちは、ミッキーへの対応をめぐり、対立することになる。
だけど、彼はどちらかの側に肩入れするのではなく、両者が仲良くやっていってほしいと願っている。
彼は基本的にやさしい人なのだろう。

それに散々ふり回されながらも、ミッキーは兄のことを信頼しているのだ。
兄のアドバイスに従って戦うシーンがあるが、そこから兄弟のきずなが感じられる。
そういう弟を前にしてか、兄の方も自ら変わろうと心がけるようになる。その関係性が温かい。


個人的にはラストの試合の、兄のセリフが好きだ。
その場面で、兄は自分が果たせなかった夢を、弟に託すことになる。そこにあるのは兄弟の強い思いだ。
そのようにして、「ローウェルの誇り」をしっかりと受け取った弟と、一歩身を引いた兄の姿が心に響く。

そんな二人の雰囲気が暖かく、心に届く一品となりえている。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



製作者・出演者の関連作品感想
・マーク・ウォールバーグ出演作
 「ディパーテッド」
 「ラブリーボーン」
・クリスチャン・ベイル出演作
 「アイム・ノット・ゼア」
 「3時10分、決断のとき」
 「ダークナイト」
 「ニュー・ワールド」
 「パブリック・エネミーズ」
 「プレステージ」
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「白いリボン」

2011-04-25 20:42:34 | 映画(さ行)

2009年度作品。ドイツ=オーストリア=フランス=イタリア映画。
1913年夏、北ドイツのある村。張られた針金が原因でドクターが落馬したのが発端だった。翌日にはその針金が消え、小作人の妻が男爵家の納屋で起きた事故で命を落とす。秋、収穫祭の日、母の死に納得できない息子が、男爵の畑のキャベツを切り刻む。その夜、男爵家の長男ジギが行方不明になった。一方、牧師は反抗的な自分の子供たちに“純心”の象徴である白いリボンを腕に巻かせる。犯人がわからないまま、不信感が村に広がっていく。(白いリボン - goo 映画より)
監督は「ピアニスト」のミヒャエル・ハネケ。
出演はクリスティアン・フリーデル、レオニー・ベネシュら。




えーっ、これで終わり? っていうのが、この映画を見終わった後に思ったことだ。
そう感じたのは、この映画、どう見てもまったくオチがついていないからだ。


「白いリボン」はいろいろな謎が未解明のままで終わっている。
助産婦はどこにいったのか? 彼女の息子はどこにいったのか? 犯人は誰か? ドクターたちはどこへいったのか? などなど、気になる点を挙げればきりがない。

もちろん現実はすべて説明できるもので構成されているわけじゃない。
けれど、これは映画で、物語なのだ。だから、見ているこっちは何かしらのオチを期待してしまう。
そのため、映画を終わった後、ぽーんと放り出されたような気分になってしまった。それがとってももどかしい。


しかしオチ以外の部分は、結構好きだ。
ハネケが映画をこんなラストにしたのは、ひょっとすると、人間たちの悪意の予感を描きたかったからかもしれない、そんなことを思ったりする。

実際、この映画では、悪意や嫉妬、背徳など、人間の醜い部分が多く出てくる。

牧師一家は厳格な教育を子どもたちにほどこし、ときには虐待めいた行為に及ぶことだってある。
その子どもたちの中には鳥を殺す子もいるし、暴行事件にからんでいる可能性もほのめかされる。
ドクターは娘と性的関係にあることが示唆される。また彼は古くからの愛人を、ものすごくひどい言葉を吐いて、捨ててもいる。
そのほかにも、小作人一家の話など、人間の感情の中でも汚い側面や、無残な運命を描く場面は多い。

しかしそれをハネケはセンセーショナルには描いていない。あくまで淡々とした抑えたトーンでアプローチしている。
おかげで、暗い雰囲気が静かに立ち上がり、そこはかとなく、不気味な感じが残る。
その空気に僕は大いにひきつけられた。


そんな不穏な空気の中で、語り手の教師だけが、唯一その暗部の中に取り込まれていない点が、個人的にいいと感じた。

悪意は猜疑心や嫉妬、相手を蔑む感情から生まれる。
そんな負の感情に彼が囚われていないのは、彼の寛容な心に由来するのではないか、と思う。
彼は婚約者に対してずいぶん優しい。たとえば池に行くのを拒んだのを深く追求せず、彼女の要望を受け入れている。
その思いやりのある心が、彼に猜疑心や疑心暗鬼を呼び起こさずの済んだのではないかと、僕は思うがどうだろう。

そしてその点こそは、このオチのない映画の一つのオチであるのかもしれない。
ちがうかもしれないけれど、ちょっとそんなことを感じた次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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「ザ・タウン」

2011-02-13 18:17:28 | 映画(さ行)

2010年度作品。アメリカ映画。
親から子へ家業のように犯罪が受け継がれる街チャールズタウン。一度はアイスホッケー選手として将来を嘱望されたダグも今では銀行強盗団を率い、その完璧な仕事ぶりで警察を翻弄していた。ところが、ある日の銀行襲撃で支店長のクレアを図らずも人質にとったことから、“タウン”の外で生きる人生を再び思い描くようになる。その行く手をFBIや“タウン”の元締めファーギー、さらには長年の相棒ジェムが阻むのだった。(ザ・タウン - goo 映画より)
監督はベン・アフレック。
出演はベン・アフレック、ジョン・ハムら。




普通の映画である。つまらない映画では決してないのだけど、取り立てて誉めるべき点もない。
困ってしまうくらいに平均点の映画、それが僕の中の「ザ・タウン」の評価だ。

話としては、銀行強盗集団のリーダーが、襲撃した銀行強盗の支店長に惚れていくという話だ。
細かい部分はともかくも、大筋としては既視感のつきまとう設定のお話である。
そして設定だけでなく、物語の展開そのものも予想の範疇で進んでいくのだ。そこには、格別の新しさはほとんどない。
映画内にはアクションシーンもあり、それなりに盛り上がるようにつくられているけれど、あくまでそれなりのレベルにしか達していない。
本当に困ってしまうくらいに平均点の映画だ。

もちろん、平均点なのでそれほど悪くもないけれど、僕には際立っていいところも見つけられなかった。
あえて、力を込めて言えるとしたら、時間潰しにはなる一品ですよ、というところだろうか。
「ザ・タウン」は僕の中では、そういう位置づけの作品である。

評価:★★(満点は★★★★★)



出演者の関連作品感想
・ベン・アフレック出演作
 「消されたヘッドライン」
 「スモーキン・エース / 暗殺者がいっぱい」
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「スプリング・フィーバー」

2011-02-13 18:14:37 | 映画(さ行)

2009年度作品。中国=フランス映画。
現代の南京。夫ワン・ピンの浮気を疑う女性教師リン・シュエは、その調査を探偵に依頼し、夫の行動を調査させる。やがて浮気の相手がジャン・チェンというゲイの青年であることを突き止める。夫婦関係は破綻し、ワンはジャンのからも距離を置かれ始める。その一方、探偵とジャンは惹かれ合い始め……。(スプリング・フィーバー - goo 映画より)
監督は「天安門、恋人たち」のロウ・イエ。
出演はチン・ハオ、チェン・スーチェンら。




愛の映画。リーフレットの言葉を使えば本作はそういうタイプの作品であるらしい。
とは言え、その愛を交わすカップルは男女ではない。男同士のいわゆるゲイのカップルだ。

そういうこともあってか、本作はいきなり、男同士のセックスシーンで始まる。
正直ノーマル男子の僕としては、いきなりすぎてぎょっとさせられた。最初からある程度わかっていた展開ではあるけれど、はっきり言ってちょっときつい。
どうやら僕は生々しいBLは無理のようだ。


さてお話だが、カップリングこそ男同士なだけで、中身は波乱万丈なラブストーリーである。
一つの愛があり、三角関係が生まれ、修羅場に発展、結果一つの愛が終わり、意気消沈するけれど、やがて新しい恋が生まれる。
書いて見るとずいぶんイベントは多い。
だが、映画自体はそれを淡々と描いている。これが監督の持ち味ですと言われたら、ああそうなんですか、としか言いようがないけれど、僕としてはちょっと物足りない。


何か、さっきから誉めている文章がないのだが、それでもこの映画にはいい面はある。
それは人間の表情の撮り方だ。

男二人はゲイだが、一方は普通に女と結婚して家庭を持っている。そして当の妻は、夫に愛人がいるとわかり、修羅場に発展していく。
だが男と女ではなく、男同士の恋愛だから、妻としては嫉妬のぶつけ方がわからない。

そのときの微妙な表情の切り取り方が良かった。その表情の中には、妻の感情がすべて出ていたと思う。
その場面に限らず、監督は感情の機微を丁寧にすくいとっている。
そしてその繊細さがこの映画の余韻を深いものにしているのだ。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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「ソフィアの夜明け」

2011-02-02 21:06:39 | 映画(さ行)

2009年度作品。ブルガリア映画。
ブルガリアの首都ソフィア。38歳のイツォはドラッグ中毒を克服すべくメタドン治療を続けている。仕事は木工技師だ。恋人ニキの誕生日の晩、レストランに出かけるが、そっけない態度をとって喧嘩別れになってしまう。帰り道、観光客のトルコ人一家がネオナチの集団に襲われている現場に遭遇し、スキンヘッドの弟ゲオルギの姿を見つける。助けに入って怪我をしたイツォは一家の美しい娘ウシュルと親しくなるのだった。(ソフィアの夜明け - goo 映画より)
監督はカメン・カレフ。
出演はフリスト・フリストフ、サーデット・ウシュル・アクソイ ら。




「ソフィアの夜明け」はいい映画だと思うのだ。
絶賛とまではいかないまでも、胸に染入るような味わいがあり、なかなか心に残る。

それなのに、同時に本作は非常に感想に困る作品でもある。
それはプロットに一本筋の通ったものが見出せないからかもしれないし、結局何を描きたかったのか、ちゃんと僕が感じ取れなかったからかもしれない。
ただ、いい映画だと思うよ、としか言えない。僕にとって「ソフィアの夜明け」はそういう作品でもある。


とは言え、それで終わり、というわけにもいかないので、自分なりに理屈をつけて述べてみよう。

本作は二人の兄弟が主人公だ。
兄は芸術的な素養はあるものの、木工所で働かざるをえない状況にある。一方の学生の弟は、排外思想に凝り固まったワルと付き合っている。そんなある日、ブルガリアにやって来たトルコ人が襲撃にあう。その襲撃者は弟たちであり、たまたま通りかかった兄はそのトルコ人一家を助けようとして返り討ちに遭い……という風に話は進んでいく。

内容的にはちょっとおもしろそうだが、そのメインのプロットは中途半端に終わっている印象が強い。


僕がこの映画でよかったのは、主筋よりもむしろ断片的なエピソードの方である。
たとえば薬物治療にはげむ兄が、現実に対してうまく実感をもつことができないことを、泣きながら医師に独白するシーンや、父や義母と兄弟がいさかいを起こすシーン、恋人とのケンカのシーンなどに、僕は妙に心惹かれた。

それらのシーンが魅力的なのは、生身の人間たちのやり取りがその中にあるからかもしれない。

生きて、それなりにつらいことがあって、苦しんでいる姿が、上手く説明できないが、僕の心にやんわりと触れ、訴えてくる。
それが何とも言えず心地よい。


この映画の良さを説明できていない気がするが、ともあれ魅力的なシーンがあり、純文学っぽい味わいも悪くない。
少なくとも僕はそれなりに好きな作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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「ソーシャル・ネットワーク」

2011-01-18 20:02:12 | 映画(さ行)

2010年度作品。アメリカ映画。
マーク・ザッカーバーグは、友人のエドゥアルドにサーバ費用などを提供してもらい、ハーバードの学生だけが使える“ザ・フェイスブック”を作る。ザ・フェイスブックはすぐに多くの会員を獲得し、ハーバード大生以外にも人気を広げていた。しかしマークは、「アイデアを盗用された」と訴えられる。そして、サイトが大きくなり、マークが“ナップスター”の創始者に心酔するようになると、親友のエドゥアルドもマークから離れて行く…。(ソーシャル・ネットワーク - goo 映画より)
監督は「セブン」のデヴィッド・フィンチャー。
出演はジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド。




天才というものに対して、他人がどういうイメージを持っているかは知らないが、僕は次のようなイメージを持っている。

他人には思いつかないような鋭い発想と能力を持ち、移り気な傾向はあるものの、偏執的な側面ももっているため、自分のアイデアを実現するためパワフルに動く。しかしそのために視野狭窄的になり、持ち前の対人能力の不足もあり、ときに周りを混乱に陥れる。
それが僕の中の典型的な天才像だ。
一言で片づけるなら、才能がなかったら、ただの変人である。


映画の主人公マーク・ザッカーバーグはその典型的天才像とぴったり合致する。

冒頭シーンの、早口でころころと話題が変わり、人の思いを読めないところはいかにも変人的で、そこからフェイスマッシュというサイトを立ち上げる流れは、いささか偏執的。
しかし鋭い発想を持っているため、その能力により成功者へとなっていく。

彼の行動は他人からすれば、はた迷惑だけど、能力があることは見ていてもよくわかる。
好き嫌いはあるだろうが、まちがいなく彼は天才なのだろう。

そして天才特有の自恃の念ゆえに、社会で生きる上では、とてつもなく危うい。


後にマークは、諸事情も重なり、訴訟を起こされることになる。
それは結局のところ、彼の対人能力の不足によるものだ。

それを責めるつもりなど僕にはない。人間にはできることとできないことがある。
そのトラブルを回避する上で重要な、調整役とマネジメント役の役割を、マークがこなせないのはわかりきったことだ。

だからこそ、彼には女房役とも言うべきナンバー2が絶対的に必要だったのだろう。
しかし結果的に、決定的な考え方の違いと、その対人能力の不足ともあり、自分を支えてくれるはずのナンバー2と袂を分かつことになってしまう。

それは皮肉な話だなと見ていて思う。
先にも触れたが、人間にはできることとできないことがある。
そしてそのできないことゆえに、マークは一人の人間としては、ちょっと悲しい立場に追い込まれてしまったらしい。


そんな不完全な人間たちのドラマが普通におもしろいと思えた。
「ソーシャル・ネットワーク」は言ってみれば、若くして億万長者になった男の成功物語なのだろう。
だが別の側面においては、苦い挫折の物語とも言えるのかもしれない。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



製作者・出演者の関連作品感想
・デヴィッド・フィンチャー監督作
 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
・アンドリュー・ガーフィールド出演作
 「大いなる陰謀」
 「BOY A」
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「最後の忠臣蔵」

2011-01-06 21:10:45 | 映画(さ行)

2010年度作品。日本映画。
吉良上野介邸討ち入りの後に、大石内蔵助から「討ち入りの真実を赤穂の遺族たちに伝え、彼らの生活を助けよ」という命を受けた寺坂吉右衛門。16年後、彼は最後の遺族を訪ね、すべての使命を果たし終えた。その後京都を訪れた寺坂は、討ち入りの前日に逃亡した瀬尾孫左衛門の姿を見かける。実は瀬尾も大石から密命を与えられていたのだった。その密命とは、大石内蔵助と側女の間にできた子どもを、保護して育てよと言うものだった。(最後の忠臣蔵 - goo 映画より)
監督は「北の国から」の杉田成道。
出演は役所広司、佐藤浩市 ら。




忠臣蔵、こと元禄赤穂事件は非常に有名な事件だが、吉良邸討ち入りに参加しなかったものは、世間的には白眼視されたという話はよく聞く。
有名どころだと大野九郎兵衛などがいいところだ。
芝居の中だとかわいそうなことに、完全に彼は大石の敵役である。

彼らは討入りに参加しなかったために、臆病者と罵られ、世間からはつらい仕打ちを受けることになる。
そしてそうやって英雄たちに荷担しなかったことを責めるのは、人間心理としてはありがちなのだ。

だが残った者には残った者の理由や事情があり、それ相応の苦悩があるものだ。そして生き残ったがゆえの罪悪感というものもある。
さながら重大事件の被害者が感じるというサバイバーズギルドのような感覚だって覚えるのかもしれない。


役所広司演じる瀬尾孫左衛門も吉良邸討ち入り直前に逐電して生き延びることになる。
しかしそこには大石内蔵之介の愛人と子を守るという理由があり、そしてそれをもって生き延びろ、とも言われている。


そんな孫左衛門は大石の忘れ形見、可音に惚れられることとなる。
可音の恋心はいかにもファザコン的で、ちょっとゆがんで見えるのだが、少し切なく感じられる点がいい。
ついでに言うと、孫左衛門は可音以外の別の女にも惚れられることになる。
孫左衛門、やたらモテモテである。うらやましい役どころだ。

だが孫左衛門は、そんな二人の愛をあくまで拒絶する。
二人の愛を拒絶する理由はそれぞれ微妙に異なっている。だが結論的に見ると、根っこは一緒だ。
それは孫左衛門は武士道を貫きたかった、という一点に尽きるのである。


正直な話、現代を生きる僕からすると、彼の武士道を貫こうとする生き方は理解できない面はある。
それは自分の生き方を狭めるものでしかないからだ。
僕には、彼の生き様はあまりに窮屈で面倒なものにしか見えない。

しかし彼はそういう生き方しかできない男なのだろう。
そしてその窮屈としか見えない生き方こそ彼の美学でもあるのだ。
そしてそんな彼の武士道の美学がラストの行動を生んでいるのだろう、と思う。


僕は孫左衛門の生き方をとやかく言う資格はない。
だが僕には、彼の行動と武士道は、あまりに悲しいものとしか映らなかった。正直に言うなら、それはないよ、と思ってしまう。たとえ、彼がそういう生き方しかできない男だとしてもだ。

その悲しみと武士道の価値観が、個人的にはうまくなじめなず、どうしても高評価をつける気分にはなれない。
だが丁寧に忠臣蔵の一側面を描いていて、興味深い作品というのは確かだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)



出演者の関連作品感想
・役所広司出演作
 「THE 有頂天ホテル」
 「叫」
 「SAYURI」
 「十三人の刺客」(2010)
 「それでもボクはやってない」
 「劔岳 点の記」
 「トウキョウソナタ」
 「パコと魔法の絵本」
・佐藤浩市出演作
 「秋深き」
 「アマルフィ 女神の報酬」
 「暗いところで待ち合わせ」
 「THE 有頂天ホテル」
 「ザ・マジックアワー」
 「誰も守ってくれない」
 「天然コケッコー」 
 「闇の子供たち」
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「終着駅 トルストイ最後の旅」

2010-11-23 20:56:14 | 映画(さ行)

2009年度作品。ドイツ=ロシア映画。
トルストイ主義者の青年・ワレンチンはトルストイの秘書に採用され、トルストイと同居する事となる。トルストイの妻・ソフィヤと対立するトルストイの一番弟子・チェルトコフから、ソフィヤの動向を報告するよう命じられていたワレンチンだが、ソフィヤにも気に入られ、トルストイ夫妻が深く愛し合っている事を知る。しかし、ソフィヤとチェルトコフの板挟みになり苦悩するトルストイは、娘・サーシャを連れて家出するのだった…。(終着駅-トルストイ最後の旅- - goo 映画より)
監督は「ライフ・イズ・ベースボール」のマイケル・ホフマン。
出演はヘレン・ミレン、クリストファー・プラマー ら。




トルストイはこれまで何冊か読んできたが、作家の人生についてくわしく知っているわけではない。
だが禁欲的で人道主義的な、いわゆるトルストイ主義を標榜した人ということは知っているし、作家の最期がどんなものかも知っている。

そして彼の妻が悪妻という評価を下されていることも知っている。


史実を知らないが、映画の中のトルストイの妻ソフィヤを見ていると、悪妻と言われるのにも、それなりの理由があるのだな、とは思わされる。

ソフィヤは気性が荒く、テンションが高くなると、わ~っ、て感じになっちゃうし、ときに突発的な行動に出て、騒動を起こしたりする。
それにトルストイの取り巻きと対立していたことも、後世の悪評に拍車をかけているのかもしれない。


だがそれを差し引いても、彼女はごくごく普通の女性だな、と見ていて感じる。
少なくとも映画だけで判断するなら、悪妻という評価は一方的だと思う。

映画の中のソフィヤは長年連れ添った夫を愛している。
夫であるトルストイと彼女が一緒になって戯れるシーンがいくつかあるが、それらのシーンは結構好きだ。
そのシーンからは、他人にはわからない、夫婦の強いきずなが感じられ、あったかい気分になれる。
トルストイの最期のシーンで、涙を流すソフィヤも姿も忘れがたい。

またトルストイの取り巻きと争うのも、子どものために自分たち夫婦の財産を残そうと考えているだけなのだ。
それは普通の親なら、そんなにまちがったことでもあるまい。

そんなソフィヤをヘレン・ミレンが見事に演じていて、魅せられる。
非常にすばらしい演技ばかりで、どれを取り出しても印象的だ。


僕は独身なのでピンと来ない部分もなくはないが、長年連れ添った伴侶のいる既婚者ならば、もっと心に響くのだろう、と見ていて感じた。
ともあれ、夫婦のきずなを滋味深く描いた、達者な作品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



製作者・出演者の関連作品感想
・ヘレン・ミレン出演作
 「クィーン」
 「消されたヘッドライン」
・クリストファー・プラマー出演作
 「インサイド・マン」
 「シリアナ」
 「ニュー・ワールド」

トルストイ作品感想
 『アンナ・カレーニナ』
 『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』
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「セラフィーヌの庭」

2010-10-19 21:00:11 | 映画(さ行)

2008年度作品。フランス=ベルギー=ドイツ映画。
1912年、フランス・パリ郊外のサンリス。貧しく孤独な女性セラフィーヌの日々を支えていたのは、草木との対話や歌うこと、そしてなによりも絵を描くことだった。ある日、彼女はアンリ・ルソーを発見し、ピカソをいち早く評価したドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデに見出され、その後、彼の援助のもと、個展を開くことを夢見るようになる。そんな中、第一次世界大戦が起こり……(。セラフィーヌの庭 - goo 映画より)
監督はマルタン・プロヴォスト。
出演はヨランド・モロー、ウルリッヒ・トゥクール ら。




セラフィーヌ・ルイという画家を、この映画を通して、今回初めて知った。
多分日本ではそこまでメジャーではないのだろう。実際ウィキペディアの日本版にもないくらいだし。

だが知名度はともかく、彼女はおもしろい絵を描く人だ、と本作を見ていて強く感じた。
映画本編や映画のホームページには、植物の絵しか出ていないが、それらの絵はキャンバスいっぱいに描かれていて、枝葉や花はうねるような格好で描出されている。

映画中に、葉っぱが昆虫のように蠢いて見えるという言葉があったが、的確な言葉だ。
そう感じられるのは、絵が全体的にパワフルだからだろう。

ナイーヴ・アート(素朴派(アンリ・ルソーたちの系列の作品))とくくられているが、彼女の絵はプリミティヴ・アートだ、ってな感じのセリフも作中で出てきたが、まさに原初の力を感じさせるような、勢いを絵の中に見出すことができる。
きっと彼女の内面には、そのようなものを生み出す力が眠っていたのだろう。


そんなパワフルな絵を描く人ということもあってか、セラフィーヌは少し変わった人生を歩んできたらしい。
掃除婦などの日銭労働に従事しながら、天使のお告げのために絵を描き続ける彼女は、エキセントリックな感性の人のようだ。

その個性のゆえか、他人に認められない不遇の期間が長く続いた。
そしてようやく報われたってところで、あのような結末になるのはちょっと悲しくもある。
彼女のようにエキセントリックな人には、いきなり売れっ子になるという環境の変化は、精神的負担が大きかったのかもしれない。
人生は往々にしてままならぬ。そんなことを考えてしまう。


ともあれ、知らない画家の人生を知ることができて、それなりに楽しくあった。
物語自体は平坦で、少し退屈な面もあるけれど、孤独な画家の一生を丁寧に描いていて、好ましい一品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



出演者の関連作品感想
・ヨランド・モロー出演作
 「ベティの小さな秘密」
・ウルリッヒ・トゥクール出演作
 「アイガー北壁」
 「善き人のためのソナタ」
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「十三人の刺客」

2010-09-29 20:46:27 | 映画(さ行)

2010年度作品。日本映画。
島田新左衛門の下に集められた13人の刺客は天下万民のため、将軍の弟・松平斉韶に一世一代の戦いを挑む。生来の残虐な性質で罪なき民衆に不条理な殺戮を繰り返し、幕府の権力を我が物にしようとする史上最凶の暴君・斉韶。その軍、総勢300人超。斉韶の名参謀にして新左衛門のかつての同門・鬼頭半兵衛との知力を尽くした戦いを制し、斉韶暗殺は果たせるのか。参勤交代の帰国の道中、要塞へと改造された落合宿で、想像を絶する壮絶な戦いの火蓋が切って落とされる。(十三人の刺客 - goo 映画より)
監督は三池崇史。
出演は役所広司、山田孝之 ら。




オリジナルの方を見たことないが、少なくとも三池バージョンの本作はエンタメ色の強い作品になっている。
そう感じた理由は、殺陣のシーンが圧巻だったからにほかならない。


本作は、13人という少人数で、数百人の敵に挑むという内容である。
敵がやたらに多いということもあり、とにかく人が斬りに斬られ、斬られまくる。

その徹底した戦闘シーンの描写はすさまじい。
刀で胸は刺し貫かれるし、首を斬られることもある。文字通り、命を賭けた殺伐とした状況に、気の狂う者まで出てくるくらいだ。
血と泥にまみれての宿場での戦いは、迫力も見応えも抜群である。


だが、そんなアドレナリン全開の戦闘シーンを描きながら、ラストできっちり戦いの惨さと虚しさも描くあたりはなかなか憎い、と思った。
ラストは本来的には、もっとカタルシスが得られて然るべきところだろう。
だけど、監督はあえてそのような描き方をせずに、もやもやとしたラストにしている。

そのあたりに、つくり手の思いを見るような気がして、感心させられる。


アクションシーンばかり触れたが、物語もそれなりにおもしろい。

本作はいわゆる勧善懲悪もので、将軍の弟をわかりやすい悪人に設定している。
彼は他者に対する共感能力に乏しく、著しく残忍だ。ほぼサイコパスと言っていい。
彼にとっては、他人の命も、自分の命も軽いものでしかない。完全に病気なのだ。

だが彼はほぼ病気であるがゆえに、反省の弁もなく、喜びながら死んでいくことになる。
その常人とはちがった感性は印象的だ。ラストの虚しさの一因は彼の性質によるところも大きいのかもしれない。


ほかにも、侍という立場にいることの、しがらみの強さだとか、本作はいろいろなメッセージを含んでいる。
娯楽ものであるが、問題意識もうかがえる作品と言えるかもしれない。

まとまりを欠いたが、ともあれ、個人的には納得の一品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)




出演者の関連作品感想
・役所広司出演作
 「THE 有頂天ホテル」
 「叫」
 「SAYURI」
 「それでもボクはやってない」
 「劔岳 点の記」
 「トウキョウソナタ」
 「パコと魔法の絵本」
・山田孝之出演作
 「手紙」
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「ザ・ロード」

2010-08-24 21:02:06 | 映画(さ行)

2009年度作品。アメリカ映画。
文明が崩壊して10年あまり。空を厚い雲が覆い、寒冷化が進んだ世界には生物の姿はなく、食料もわずかしかない。生き残った人々のなかには、人を狩り人肉を食らう集団もいた。そんな大地を、ひたすら南を目指して歩く親子がいた。道徳や理性を失った世界で、父親は息子に正しく生きることを教える。自分たちが人類最後の「希望の火」になるかもしれないと。人間狩りの集団におびえながらも、二人は海にたどり着く…。(ザ・ロード - goo 映画より)
監督はジョン・ヒルコート。
出演はヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー ら。




映画に向く題材と向かない題材というものがある。
「ザ・ロード」は映画に向かない題材を映像化しているように僕には感じられた。


過程はよくわからないものの、人類の多くは死滅してしまい、世界から秩序が失われ、暴力が支配するようになっている。そんな世界を、父子はひたすら進んでいくという内容である。
ドラマ的なイベントはあるものの、物語自体は、見ようによっては単調だ。

原作の小説は想像力に訴えかけるものがあったため、おもしろく読むことができた。
だがその世界を映像化すると、どうしても牽引力に乏しいように見えてならない。


だが部分部分のエピソードは、やっぱりそれなりにおもしろい。
人肉を食べる集団から逃げるシーンなどはハラハラさせられるし、父と子の関係の描き方も心に残る。
父が子どもを守ろうとする――その姿は物語の中心を、終始貫いており、その姿が忘れがたい。


しかし終末の世界を描いているだけに、親子には、厳しい試練が待ち受けている。
息子を苦しめないためにも、万が一のときは自分が息子を殺さねばならない。そう父親は思っているが、その心情はなかなか切ない。
そしてそういう覚悟を、持たなければならない状況は、大変悲しいことだとつくづく思ってしまう。

それにその世界では、自分が生きていくため、他人を押しのけねばならない場面も生まれる。
たとえば、父は息子を守るために、人を傷つけることもある。

善き者であり続けることを、息子は望んでいるが、この絶望的な世界ではそれすら容易ではない。
そこにあるのは、どうしようもならない重苦しいほどの悲壮感だ。


だがラストにはかすかな希望が混じっているように感じられ、少しだけほっとする。
全体のトーンは沈んでしまいそうな、灰色のトーンで描かれているけれど、カラーのついた映像と同様、息子の前途には、それなりに明るい予感が漂っているようにも感じられる。

その印象が麗しく、忘れがたい。
地味であり、必ずしも上手い作品と思えないが、静かに胸に響く一品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



原作の感想
 コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』

出演者の関連作品感想
・ヴィゴ・モーテンセン出演作
 「イースタン・プロミス」
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「さんかく」

2010-08-11 20:16:27 | 映画(さ行)

2010年度作品。日本映画。
自意識過剰のダメ男、百瀬は恋人、佳代と同棲中。百瀬が大好きな佳代は、百瀬中心の生活を送っていたが、空回り。二人の生活はすっかり倦怠期になっていた。そんな時、夏休みを利用して、佳代の中学生の妹、桃が泊まりで遊びに来る。下着姿で部屋をうろついたり、15歳とは思えない早熟な桃の行動に、佳代がいることも忘れ、百瀬は恋心を抱くように…。(さんかく - goo 映画より)
監督は「純喫茶磯辺」の吉田恵輔。
出演は高岡蒼甫、小野恵令奈 ら。




「さんかく」は笑える映画であり、笑えない映画でもある。


物語は同棲中の恋人の妹がやって来たことから三角関係が生まれるという内容である。
主人公の百瀬はその十五歳の桃に恋をするわけだが、この姿がなんとも情けない。

彼女らと一緒に暮らすことになった百瀬は、実家にいるような感じで過ごす桃を見ることになる。当然、男である以上、いやらしい意味でくらっとくるシチュエーションだ。
加えて、桃は突然前触れもなく、百瀬の手を握ったりするような女の子だ。
そんな子が近くにいたら、いろいろとまいってしまうだろうな、というのは、同じ男の僕にも、わからなくはない。
けれど、もう少し自省はできなかったのかな、という気もしなくもないのだ。

桃の方には、自分が相手を誘惑しているという意識など、それほどないのだろう。
ただ何となく好意を持って、それっぽくふるまっただけでしかない。性質が悪いとは思うけれど、多分幼い彼女は単純に雰囲気を楽しんでいただけでしかないのだ。

でもそれは冷静になり、もっと周りを見れば、百瀬だって大人である以上わかることなのだ。仮にわからなくても理性を働かせるべきポイントでもある(もうむっちゃ他人事目線で語っているけれど)。
しかしどうやら百瀬は、それに気づけないタイプの人間であるらしい。
えらそうなことを言うならば、そんな百瀬の姿は見ていて、僕は軽く引いてしまうのだ。
そして同時に思いっきり笑ってしまうのである。


だが、軽く引き、同時に笑ってしまいたくなるのは、百瀬の彼女の、佳代だって似たようなものだ。

彼女はヒステリックで、ちょっとうざい女性だ。
それは男に甘えていることの裏返しでもあるけれど、男からすれば正直疲れる。

そんな彼女が男にストーカー行為をくり返すようになる。それがちょっとおもしろい。
出て行った元カレの家に不法侵入したり、男がトイレにいるところを窓からのぞくところなどは不覚にも笑ってしまった。
その姿は言っては悪いけれど、百瀬と同様、どうしようもなく、アホで滑稽なのだ。


だけどそんな二人の行動が度を越すと笑えなくなる。
百瀬は桃に恋するあまり、元カノの佳代みたいにストーカー状態になってしまうし、佳代の方は元カレの気持ちを引き止めるため、自殺未遂までする始末。
どちらも、滑稽、を跳び越して、ドン引き、の域にまで達してしまう。
しかも無駄にリアルだから、ドン引きの度合いはかなりでかい。


だがそんな状況を描いているのに、映画自体が暗くなっていないのだ。
その理由は、多分ラストが優れていることが大きい、と思う。

ラストシーン、三人は結局どうなるのか。監督はまったく描かず、観客の想像に任せている。
だが各人の表情はどこか晴れやかにすら見え、明るい予感が漂っているように感じられた。それがちょっと心地よく、後味も悪くない。

滑稽で愚かで、でもそんな三人の姿がおかしい。本作はそういう映画である。
なかなかおもしろい一品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



出演者の関連作品感想
・田畑智子出演作
 「アフタースクール」
 「ハッピーフライト」
 「花よりもなほ」
 「ブタがいた教室」
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「ソルト」

2010-08-08 21:35:29 | 映画(さ行)

2010年度作品。アメリカ映画。
アメリカCIA本部。優秀な分析官イブリン・ソルトは、突然現われたロシアからの亡命者・オルロフを尋問する。特殊スパイ養成機関の元教官だという彼は、アメリカに長年潜伏してきたロシアのスパイが、訪米中のロシア大統領を暗殺すると予告する。そして、そのスパイの名は「イブリン・ソルト」だと告げる。一転して二重スパイ容疑をかけられたソルトは、身の潔白を訴えるが聞いてもらえず、最愛の夫の身を案じてCIA本部から逃走。だが自宅に夫の姿はなく、何者かに連れ去られた形跡が残っていた…。(ソルト - goo 映画より)
監督は「ボーン・コレクター」のフィリップ・ノイス。
出演はアンジェリーナ・ジョリー、リーヴ・シュレイバーら。




わかりやすいくらいのエンタテイメント作品である。
派手なカーチェイスがあり、銃撃戦があり、接近戦がある。アクションものの基本をほぼ網羅していると言っていい。
しかもそれらの映像は見応えがあるのだ。見せ方はともかく上手で、おかげで始終物語に釘付けになる。

プロットそのものも楽しめるつくりになっている。
いくつかのミスリードを用意しながら、真相に至る展開はお見事。最後まで、観客の集中力を切らさずにラストまで一気に運ぶ手腕はすばらしい。

ただ美点はいくつも見出せるものの、見終わった後、僕の中には何も残っていないことに気づく。後味とか余韻とかいうものとは無縁の映画だ。
だがエンタテイメントなんてそんなものなのだろう。

気楽に楽しめ、ハラハラドキドキでき、映画を見ている最中は満足することができる。
そういう点、「ソルト」は上質な作品と言えるのかもしれない。

評価:★★★(満点は★★★★★)



出演者の関連作品感想
・アンジェリーナ・ジョリー出演作
 「グッド・シェパード」
 「チェンジリング」
 「Mr.&Mrs.スミス」
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「17歳の肖像」

2010-07-07 21:00:55 | 映画(さ行)

1961年、ロンドン郊外で両親と暮らす16歳のジェニーは、オックスフォード大学入学を目指して勉強に励んでいた。ある雨の日、ジェニーはデイヴィッドという大人の男性と出会い、音楽会や食事に誘われる。ジェニーの両親をうまく説得し、彼女を連れ出したデイヴィッドは、友人のダニーとその恋人ヘレンらと引き合わせ、ジェニーに大人の世界を教えて行く。だんだんと彼への恋を募らせていくジェニーだが、学校で噂になり…。(17歳の肖像 - goo 映画より)
監督は「幸せになるためのイタリア語講座」のロネ・シェルフィグ。
出演はキャリー・マリガン、ピーター・サースガード ら。




「17歳の肖像」は、格別な発見も驚きもない映画である。
しかし安心して見ることができ、それなりに楽しめる映画でもある。
一言で言うならば、手堅い作品といったところかもしれない。


実際物語はオーソドックスなつくりだ。

お堅い家庭で育ち、お堅い教師から授業を受ける女子高生が、派手な世界を生きる男と出会い、恋に落ちる。だが、男はヤバめの仕事についている気配がある。
そのような内容の予告編を見たとき、僕なりに展開を予想したのだが、映画は概ね、その予想した通りに進み、予想通りの場所に着地する。そういう点、あっと驚くポイントはない。

だがそれでもそれなりに楽しめたのは、つくりが丁寧なことと、観客の興味を引く勘所を押さえた演出が利いていたからと思う。


はっきり言って、この映画の主人公ジェニーは調子に乗っている。

もちろん、これまでくそマジメな世界に生きてきたわけで、派手な世界にいきなりつれて来られたら、胸も躍るよな、と思わなくもない。羽目だってそりゃはずしたくもなる。人間、刺激がないよりも、ある方が楽しいに決まっているからだ。
けれど、そうはわかっていても、見ている間、彼女にいらっとするときもなくはない。
それは、(17歳の少女に言うことではないかもしれないが)彼女の危機意識が低くて、アホに見えかねないからだ。

だから最終的に彼女がしっぺ返しを食らったときは、性格が悪いけれど、自業自得だろ、と突き放したように考えてしまう。
だがそこから彼女は彼女なりに反省し、人生を生きていく。その展開を僕は暖かい気分で見ることができた。
もちろんそれはベタな展開ではある。
しかしそれこそが、観客が望んでいることでもあるのだろう。実際、見ていて、ああ、そうなって良かったね、とすなおに思うことができたし。

それに偏狭な考えの父親が娘に謝るシーンとか、堅物っぽい教師が、主人公を助けてくれる過程も、優しげで、そうであったらいいな、とこっちが思うような方向に物語を進めていってくれている。
ベタではあるけれど、その展開はなんだかんだで、僕は好きだ。


個人的には、ラストの主人公のセリフが気に入っている。
パリに行くとき、まるで初めて行ったかのように演技をする、という内容の言葉に少しにやりとさせられた。
彼女はそれなりに痛い目にあったけれど、その経験から多少図太くなったのかもしれない。なかなか女ってこわいって思ったりする。

ともあれ、なかなか楽しめる一品である。絶賛はしないが、僕はわりに好きだ。

評価:★★★(満点は★★★★★)



出演者の関連作品感想
・キャリー・マリガン出演作
 「パブリック・エネミーズ」
 「プライドと偏見」
・ピーター・サースガード出演作
 「ジャーヘッド」
 「フライトプラン」
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