ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

同情───それは、普遍的な人間愛のもとになるもの

2016-05-17 18:46:53 | 日記
「いかに世慣れた人でも、他人に同情を持ち得ない限りたいていは、人間を軽蔑するか、
あるいは恐怖することになりやすいものである。そういうことにならないようにわれわれ
を守ってくれるのは、ひとり同情のみであって、理性や愛ではない。

普遍的な人間愛といっても、それは、同情ということにほかならない。
さもなければ、それは、ただ、無害ではあっても、しょせんかなり無関心な心構えを
呼ぶ名称にすぎない。
 
同情のみが、力強い、あたたかい、活動的な感情である。それは、傲慢に上から
見下ろすような気持ちでもなければ、また、他人の不幸を見てよろこぶような不純な
気持ちでは絶対にない。とういうのは同情とはまさに「苦しみを共にする」ことだから
である。

他人の苦しみを自分の苦しみと感じることから、他人に救いの手をさしのべようと
いう本当の衝動がわいてくるのであって、そういうことがなければ、せっかくの
気持ちの張りもあまりに微力な心のはずみに終わってしまうであろう。

ある美しい回教の物語に次のような話が語られている。
ある男が、とある深い泉で渇きをいやして上ってくると、そこに一匹の犬がいて、
のどから舌を垂れさげているのに気がついた。この時、この男は自分にこう言って
きかせた、「この犬は、さきほどの私と同じ苦しいおもいをしているのだ」と。
男はもういちど泉へ下りていき、長靴に水を一杯入れて、歯で長靴の口をおさえ
ながら、上へ上がってきて、その犬に飲ませてやった。」

「すべての生物に対して平和の心(同情)をもって生活をするならば、その心の持ち主
には、おびただしい平和がもたらされる。」

─『希望と幸福』ヒルティ 秋山英夫編 現代教養文庫 社会思想社より


「同情するなら金をくれ」というドラマの言葉が心に残っている。
あのドラマは、強烈だった。逆説的な主人公の救いへの叫びがあのような
表現になったのだと思うが粗い言い方である。
同情しないでくれ、などと否定的な使い方もよくする。
しかし、この行為の本当の力は、人に対する愛情を育てるものだ。
子供のころに遊びを通して学んだり、日常、人間の感情を共感するとても
美しい、人間として大事な行為の一つだろう。相手の立場に立つときにやさしく、
同情する心を持って接したい。 

(エル・ピラッテラ─ダンテ─ミルトン─ヒルティ)