ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

科学と宗教の本質的なとらえ方の境地は一致する

2016-05-03 17:46:33 | 知恵の情報
宗教は遠く自然信仰より発しており、科学は、自然の法則を探求しています。
そうして、人間も含め、すべてのものは、自然から発生したことが科学で立証されました。

大宇宙、大自然に含まれるすべての元素、恒星、惑星、動・植物、鉱物は、すべて
一定の法則に従って循環し、存在しており、人間の魂も、ギリシャのアポロや古代印度の
釈迦の説いた霊魂不滅・輪廻転生の教えのごとく輪廻している、すなわち循環している
のではないかと考えが及びます。その具体的証拠は、臨死体験、幽体離脱体験、
古くは、古典資料スェーデンボルグの著作集をはじめとして、数多くの異次元体験談から
見て取れます。霊の世界がない、霊魂の存在がない、という説は、この現代で言われただけで、
何世紀もの間、それは、理解されてきたことです。科学が小さく分析的になったことで、全体が
見えなくなっているのです。科学が発達してきたので霊の世界がないと証明されたわけではないのです。
科学の力が足りないために証明できないだけなのです。

ですから、私たちは、この「宇宙の法則」を達観する(法則を正しいととらえる、仏教用語で正法と使う)
高みを目指すのです。そこにいたることができれば世界すべてのものが「法則」によって支配され
ており、霊の世界、霊魂も含めて何者も「法則」から逃れることはできないことを知るでしょう。
私たちのごく些細な考えや、言葉、行いから、天体の配列にいたるまで、すべては「法則」が支配して
います。人生のすべての状態は、秩序と調和に満ちた連なりの中にあります。

それだからこそ、自然信仰から、現代に至るまでに出てきたいろいろな考え方の宗教概念は、科学の
立証によって、超越する概念を考えなくてはいけないのではないか。「自然の法則」という概念を
とらえる姿勢の拡張(法則が正しいという倫理観を入れた)と超越した宗教の概念(流派を超えた地球人と
して共通のなすべきこと)の一致が求められていると思います。宗教と科学の本質の解釈が求められて
いるわけです。つまるところ、今までも存在していた、一つの大きな存在の解釈が二様に分かれ
ていたにすぎないことに気づく必要があります。

アインシュタィンは、それに気づいていたと思われます。
「宗教のない科学は不具であり、科学のない宗教は盲目である」という言葉で表現しています。

─「The Path to Prosperity」ジェームズ・アレン/高橋信次・千乃裕子言参照