ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

ユーモア(笑い)をうまく使う

2016-05-20 19:04:08 | 知恵の情報
昭和の初め、ちょうど満州事変のさなかに、斉藤博は駐米大使として赴任したが、
当時の対日感情は言うまでもなく、きわめて悪かった。出迎えの米国新聞記者団の
感情もとがっていて、会見早々彼らの口をついてでた言葉は「何のためにやってきた
のですか?」だった。

斉藤はすかさず「米国人と酒を呑むためにさ」とユーモアの応酬をしたとたん、とがった
空気が笑いでほぐれた。そこを斉藤はとらえて、「ただし、公正な米国人とね」。

この記者会見は斉藤の圧倒的勝利だった。その言のごとく斉藤は公正な米国人に
公正な日本の立場を分からすべく努力を傾注したのである。

国際外交の場や議会政治での議場での上品なユーモアは確かに有効であるが、
社会生活や、家庭生活での役割も大きい。とくにひどくあわてているときなど、
軽いユーモアや笑いがあると落ち着くものである。

わが国喜劇の元祖曾我廼家十郎が高血圧で御殿場の家で静養していた頃、
関東大震災が起こった。十郎は寝床のままかつがれて庭へ出されたが、
あまりの恐怖のショックに全身にふるえを生じ、それがどうしても止まらない。
一同は、心配したが、そのとき十郎は、「こんなにふるえが止まらないと、
次の地震が来てもわかりゃしない」といったので、皆んな思わず泣き笑いを
した。すると、不思議に落ち着きをとりもどし、十郎のふるえもおさまった。

十郎はいつか夜遊びの外泊で帰った時、神さん(妻)の小言を恐れて、
カンナを持ち出し、玄関の敷居を削り始めた。「何してんの」と神さんの
雷鳴に十郎は「敷居が高こうてはいれんさかいに削ってるんや」と応酬、
これには神さんも笑って小言はいえなかったという。
まさにユーモアの功徳。

─『一日一言 人生日記』 古谷綱武編 光文書院より紹介


枡添氏が金の使い方の卑劣さで問題になっているが、ユーモアを使いながら
自分の非を認め謝りながら、都民に「しょうがない許してやろう」と思わせる
ような説得はできないのか・・・彼は、フランスに留学していたんではなかったか。
そういうエスプリはないのか・・・

たとえば、「いま私がリコールになると新たな知事選で税金が45億かかります。
私の’裸の王様(自分がわかっていない)の無駄遣い’をどうぞ許してください。
任期までやらしていただければ、45億もかかりません。けちの能力を都の健全
運営のために使わせてください。今後定例の発表のときにも都民の皆様に
見張ってもらうため私のお金の使い方を発表します。」と言ってみたらどうだろう・・・

笑いなく、細かく説明しているのを見ているとだんだん問題点が大事になっている。
使い方は、大衆の見方が良識として正しいだろう。だから、素直になることだ。

しかし、現場のなかで、忙しい仕事がつづき、慣習にあわせていただけもあるし
政治資金の使い道は公私を分ければ、不動産以外はなんに使っても良いと聞いた
ことがある。彼なりの工夫はあったのだろう。これくらいいいだろうという
油断もあっただろう。
そこをうまく、フランスのしゃれなど使って謝りと許しを乞えないか・・・
仕事はこなす人に見えるのに、彼の欠点が見えてきて、見ていてさびしい気がする。