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レンブラントの教訓

2016-07-09 17:32:13 | 知恵の情報
 

その独特な光の明暗を対立させるリアリズムな画風で売り出したレンブラントは、
はじめ肖像画家として大成功した。アムステルダムで広大なな邸宅に住み、美しい
妻や多くの弟子にかこまれて、レンブラントは幸福の絶頂にあるように思われた。
三十五歳のときである。この年、射手組合から、金を出し合った組合員の全部を
一枚の絵にかく大きな肖像の群像を頼まれた。

頼んだ組合員はだれもが正面から美しい姿に描かれるものと思ったが、レンブラントは
自由な構想で、全体としての生命の躍動を描いたので、各人の肖像は期待はずれの
ポーズになってしまった。この芸術的意図は組合員にはわからず、そういう勝手に
見えるやり方を傲慢と見て非難し、以後レンブラントには肖像を頼まないように
なった。これがもとでレンブラントの中年から晩年は不遇で、死の前は食うや
食わずであった。この組合員を描いた群像は「夜警隊」となづけられレンブラントを
代表する傑作の一つである。

先年レンブラントの生涯をテーマとした映画(旧)が封切られたが、そのラストの描写に
観客は大きな感動につつまれた。食うに困った老練レンブラントが海岸で打ち上げられた
腐った魚を拾っている。そこへ紳士が来て食物を買うと約束させて金貨を与える。
レンブラントは食品店へ行くと思いきや、絵具屋へ行き絵具の借りを払って新たに
絵具を買い、そして最後の傑作「ダビデに捧ぐ」を描き上げる。

この自分を捨てて後世に傑作を残そうとするひたむきな行動に、大きな感激を覚える
のである。もちろん映画制作者のラストの感激を盛り上げるためのフィクションで
あるが、このように感銘の要素の中には何らかの意味で「世の中のためになる
こと」という内容が包まれている。たんなるハッピーエンドに深い感銘はない。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より

レンブラントの作品のなかにイエスがペテロに「お前は朝の鶏がなく前に三度
私を知らないというであろう」、というテーマを描いたものがある。その絵が印象
的だったが、フランコ・ゼフェレリの映画を見ていて、その絵を参考にしている
と感じたことがあった。ゼフェレリがイエスとして使おうとしていた役者のペテロ役
だったので、見事に自分が三度言ってしまったその瞬間の惨めな後悔の表情が
とても感動的だった・・・



(エル・ピラッテラ─レオナルド・ダ・ヴィンチ─レンブラント─セザンヌ)

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