ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

見つめよ、逃げるな

2017-03-18 19:16:09 | 社会
(迷うこと)このことを、私は「見つめよ、逃げるな」といって教えます。たとえば、便所
の掃除などは、誰も嫌いです。普通の人は、これを「いやという心を捨てて精神努力
して、掃除せよ」というふうに解釈します。しかしこれは、ワサビの嫌いな人に、それを
好きと思え、死にたくない人に、死を恐れるなと忠告すると同様に、実は不可能で
あるから、世人は、修養とか捨て身とかいうことに、非常の苦難をするのであります。

私の教えに従えば、たとえば便所を見つめていると、いろいろの汚いものが目に
ついてくる。少し我慢して、逃げずにいれば、手をだすのは苦しいけれども、汚い
ままに放任して置くのも、気になってしかたがない。心の内には、さまざまの
葛藤があり、種々の思想が浮かんでくるけれども、結局これを実行したときに、
はじめ想像したよりも楽であり、その奇麗になった結果を眺めて、自分の力と
善行とを喜ぶことになる。このときはじめて、「捨身精進」という結果になって
いるのである。それで私からいえば、汚いことをすることの嫌いなのも我で
あり、清潔にしておきたいと思うのも、両面ともに我である。すなわち我を
捨てるのではなくて、自我を発揮すると解釈するのである。こんな手近な
手段によって、私は多くの患者の修養に成功しているのである。

─『現代に生きる森田正馬のこどば 生活の発見会 I 悩みには意味がある』
  白揚社

■自我をなくすとよくいわれるがそうではなく、自我を発揮すると解釈する
というのは、興味深い。自我は自分の機能であるというとらえ方だと思う。
トルストイなどは、自我を捨てよ、というようなことを言っているがそれは
観念的なとらえ方だろう。第三者の立場から自分をみる、正見(八正道)
を行えばよい。