ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

どうしたら心機一転できるのか・・・

2017-03-06 17:45:23 | 知恵の情報
またたとえば「見つめよ」といわれたときには、すなわち、その言葉にとらわれて、
熱心に、草花ならその草花をみつめておればよい。はからう心なく、素直に見つめて
いれば、その見るものに従って、そのところに必ず我というものが現れてくる。
すなわち、つまらぬ花とか、あるいはその周囲にある勢いのよい奇麗な花とかに、
心がひかれるようになる。すなわち、何かの感じ・連想が発動してくる。これが
我である。この我ととらわれの心とが充分に対立して、相拮抗するときに、そこに
観察と批判とが、続々と進行して、適切な働きが現れてくる。私が前向いての話と、
後ろの枕台とに、心が拮抗しているようになれば、それではじめて、進退が自由
になるのである。ここに我というもの、すなわち感じが、充分に出てこなければ、何
ごとにもけっして進歩も発見も、適応性もないのである。

水谷君が、なにゆえに心機一転しないかというと、たとえば僕から叱られても、これに反して、
スレッカラシになって、少しもビックリしたり、うろたえたりなどしないからいけない。
あるいは腹をすえ、炭田に力を入れ、想を練って、「叱られるのは有難い。
ここが修養である。感謝こそすれ、腹をたつべきでない」とか、さまざまの
屁理屈をつけて、頑張るからである。あっさりと、おとなしく、素直にはからう心なく、
ハッとビックリさえすれば、たちまち心機一転するのである。

─『現代に生きる森田正馬のこどば 生活の発見会 I 悩みには意味がある』
  白揚社

■「見つめよ」の以前のつづきである。精神的なからまわりから脱する方法を
うまくのべている。私たちは、彼のコツを学び、よりよい境地を目指そう・・・