マンモス広場で八時~♪ ってことで,psy-pubでーす。どもどもなんでありましてな。
さて,僕が最近好きな2chまとめ系のサイトといえば,そう,
●カオスちゃんねる
http://chaosch.blog106.fc2.com/
なんでありますが,最近更新がなくてサミシイですが,ちょっと前の記事に
なんでパーはグーに勝てるの?
http://chaosch.blog106.fc2.com/blog-entry-236.html
つうのがありましてな,これの最後のところに(以下,引用)
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71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/18(日) 21:40:23.16 ID:VIsV1X8CO
てか、グーだけが暴力的。
チョキはピース、平和の象徴。
パーなら握手ができるだろ。
よって、グーは何よりも弱い。心が
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というのがありましてな,なかなか名文と思うのですが,まあ面白い面白くないはさておいて,気になったのは「心が弱い」という言葉の持つ精神的殺傷力なんでありましてな。
心が弱いっていわれると,なんかモノスゲーだめだめ人間と言われてるような気がするんですが,これって高飛車か? なんつってな。「彼は体は弱いが心は強い」ってのと「彼は体は強いが心が弱い」っつうのは,語順の問題を差し引いても,人間的にダメダメな感じがするのは「心が弱い」なんでありまして,なんでなんだろうね。
リチャード獅子心王とかさ,戦績的にはダメダメだけど,心はライオンハーティッドってことでなんかうやむやのうちにOKになってしまう(かどうかはよくわからないけど)感がなくもない,と思うわけでして,文豪SAW-SEKIの名著『KOKORO』においても「精神的に向上心のない者は、ばかだ」とかって,これ「肉体的に向上心のない者は、ばかだ」って言われてもなんら悔しくないわけで,むしろOREのHARAを見せ付けて,このHARAがかわいくて飯を食うんですわと嘯くのもやぶさかでNIGHT。
同様に,肉体的な愛と精神的な愛,どっちが高尚なんつって,君の肉体が好きだっつうのと,君の精神が好きだっつうのと,考えるまでもありませんな。本音はどうであれ,肉体が好きっつうのはなんつうかアレゲな感じで,少なくとも一般的にはモテませんわな。
あと,『デビルマン』だって勇者アモンの肉体を持つわけですけど,サイコジェニー(マジキモ)の精神攻撃の前には赤子同然なわけでして,怖いよ,サイコジェニー,主にルックスが怖いよ!
で,ですよ。体を病んでると心を病んでる,どっちが言われてヘコむ(まあこのヘコむっつうのがそもそも心の仕業なんですが)かっつったら……まあこれ一般的(と僕が思うところ)には,心を病んでるっていわれるほうが,なんかヘコむなあって感じで,まあ程度にもよりますから一概にもいえないけど,そんな感じがするんですな。
まあそれでこの心理学化する社会,心がすべてに君臨する以上,その心について否定的に云々されることは,これ一部の人格を否定するような動きどころじゃない,なんかイヤーンな印象を持たざるをえないわけですよ。
なんて,まあ適当なことをツラツラ書いてしまったわけですけど,その妥当性はともかくとしても,心を責められるとヘコむ気持ちはCan't Stop,この思い何とかしてくれよってことで,痛いの痛いのFar away!ってことで,「こころの病気ではなく,脳の病気である」とか,「こころだってからだです」とか,いう言辞の有効性,それは自明なんでありますよね。
まあこれ,ひとつの「外在化」ってことでありますが,言い方を換えれば「名前をつけてやる」ってことですね。やっぱ認識論なのかね。閑話休題。精神分裂病→統合失調症とか,痴呆症→認知症とか,Stigma Freeでいこうという試みに思え,つうのはやっぱり名前は影響力あるから,何かが規定されてしまうわけで,特に精神医学の診断名なんて歴史も浅いものばっかりだし,それが自然にであれ人為的にであれ,変わっていくのは当然であり必要であり必然のことだと思うわけですね。
…………
で,ようやく今回のテーマ,発達障害,というところに行き着くわけですが,まあなんかシリーズっぽい雰囲気も出してますが,ここんとこブログを書くってのから離れていたこともあって,あんまり体力もないし,腰の粘りも期待できないんですけど,まあちょっとやってみるべえか,と思います。
発達障害っていうのもひとつの外在化です,などと別に威張っていうことでもなく,まあ当たり前といえば当たり前なんですが,要は発達障害という概念によって得られたBenefitつうのは,結構そういう側面が大きいのではないかと思うわけですね。
まあでも,光があれば影がある,ふと気づくと,児童青年精神医学会の大会,発達障害一色じゃないか,新聞・メディアの取り上げる機会も増え,出版社どももそれに続けと,書籍乱発,その価値は玉石混交とはいえ,いったいどれ読んだらいいんか皆目わからんわけで,まあそういう状況を指して「発達障害ブーム」と断じたのが,
ま,これもう1年も前に出てるわけですけど,これに掲載された小倉清先生の「愛着・甘えと子どもの精神科臨床」っていうのが,かなり激烈な「発達障害」批判になってまして,痛烈なんであります。物議をかもすってのはこういうことね。
ただ痛烈であるがゆえに,やや言葉が足りない(というのも小倉先生の意図なのかもしれませんが)それをきわめて丁寧に解題(ある種,翻訳)したのが,滝川一廣先生の「発達障害再考―診断と脳障害論をめぐって」でありまして,これははっきりいって必読の内容です,って専門家はじめ関係者の方がたは既に読まれてると思いますけど。
まあ結局,発達障害ってのは脳・神経系の認知機能の障害ってことになってますが,たとえば認知症のような明白な変化というか病巣(?)というかそういうものはない,結局,行動的な尺度であり,疫学的な仮説でしかないってことであり,まあそれって部分的にはいわれてたことであれ,こうも正面からドシーンときたのはあんまりなかったんじゃないでしょうかね。「症状から診断を決めるのは前近代的である」(ウロオボス)という滝川先生の主張は,言い得て妙であります。現代医学と現代精神医学の違いはそこですな。
しかしまあ,最後のところでちょっとお茶を濁してる感があるのは,方法としては前近代的であるにしても,現象として,発達障害という概念が言い当ててるものが確かにあるってことなんじゃないかと思うわけでして,
たぶんもっとも過激な「発達障害」論者である杉山先生ですが,最近上辞したのがこちらですな。その旗振りっぷりはさておいて,主張してる本当の内容ってのは,実は小倉先生や滝川先生と本質的にあまり変わるとも思えないんです。そらそうだよな。結局,「子どものことを本当に考える」という根本の姿勢は,きっと同じ,なんですよね。
まあ新書ですから,これで専門家が勉強になるとは思えませんが,手軽さという意味では,なかなかよいと思います。とても読みやすいと思うけど,本来含んでる内容は手軽ではないよな,そういう行間もあり,好感です。
熱い思いがあるから論も生きてる,そんな感じがします。
これだって,タイトル見るとさすがにやりすぎじゃないかと思いますが,ブーム煽りすぎじゃないかと思わないでもないですが,内容は別になんら間違ったことが書かれてるわけでもありません。というか,虐待という問題において,新たな視点を提供するという点で,有用であるといわざるをえないわけですよ。
とはいえ,まあこれが今のコンテクストだとすると,小倉-滝川ラインが「psycho」な冷や水ブッカケであるとすれば,「social」な冷や水ブッカケといえば,
精神医学史あるいは精神医療史的な読み解きから始まり,診断・臨床・療育を考えます。もちろん司法の問題まで切り込みます。そこらへんの手際・切り口の鋭さは
これなんかで実証済みですね。読んどけ,マジで。
……
ま,で,結局これら,どの立場がどうというのを,僕なんかがいうのは差し控えるとしても,バイオ・サイコ・ソーシャルという三位一体が絵に描いた餅でないならば(ないならばですが),どの観点も有効性を持ちうるわけで,全部大切です,などというあまり実効性のない結論にしかならないわけですが,でも実際そうだろうと思うんですよね。
そうだろうと思うんですが,じゃあ現状はどうよ,ということになると,先に書いた「名前をつけてやる」ってことの影響力といいましょうかね,もちろん,発達障害と名づけることの「本当の意味」ってのを全員が理解できてればそういうことは起こり得ない,というのは理想論でありまして,この世の中,「本当の意味」があまねく共通に理解されてることなんて,それがなんであれ,ないんでありまして,これゼロでして,誤解と誤解がたまにすれ違うくらいが関の山なんでございます。特別支援教育という名前も然り。
で,発達障害への特別支援教育ってのは,なるほど,概念的にはわかるけれど,その中身たるや,上記のいずれの観点からであれ,いずれの専門家にとって,本当に望ましい状況になってるとは言いがたいような気がするんですけど,じゃあこれって,政府が能無しなのか官僚が能無しなのか専門家が能無しなのか現場が能無しなのか僕ら国民が能無しなのかそれとも全員能無しなのかわかりませんが,で,それで本当に困ってるのは誰なのか,ってところで,ウームとなってしまうわけですな。
といったところを踏まえ,発達障害の本で気になったのを挙げていこうと思うのですが,なんかここまでである種おなかいっぱいな感もあり。まあなにしろ数も多いですからね。ということで,ここまで書いたところで,タイトルにすばやく「への序章」というのを追加して,あくまで序章だかんね,と予防線を張りつつ,本日はこれまで。
と思ったら,
こんな本を見つけて個人的に気になってます。内容見てないんでわかんないですけど,なるほど,そうくるかって感じですね。潜在的ニーズは確かにあると思います。
次回のテーマは(あればだけど),「愛着・関係性障害と発達障害」でいきたいと思ってマース!
さて,僕が最近好きな2chまとめ系のサイトといえば,そう,
●カオスちゃんねる
http://chaosch.blog106.fc2.com/
なんでありますが,最近更新がなくてサミシイですが,ちょっと前の記事に
なんでパーはグーに勝てるの?
http://chaosch.blog106.fc2.com/blog-entry-236.html
つうのがありましてな,これの最後のところに(以下,引用)
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71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/18(日) 21:40:23.16 ID:VIsV1X8CO
てか、グーだけが暴力的。
チョキはピース、平和の象徴。
パーなら握手ができるだろ。
よって、グーは何よりも弱い。心が
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というのがありましてな,なかなか名文と思うのですが,まあ面白い面白くないはさておいて,気になったのは「心が弱い」という言葉の持つ精神的殺傷力なんでありましてな。
心が弱いっていわれると,なんかモノスゲーだめだめ人間と言われてるような気がするんですが,これって高飛車か? なんつってな。「彼は体は弱いが心は強い」ってのと「彼は体は強いが心が弱い」っつうのは,語順の問題を差し引いても,人間的にダメダメな感じがするのは「心が弱い」なんでありまして,なんでなんだろうね。
リチャード獅子心王とかさ,戦績的にはダメダメだけど,心はライオンハーティッドってことでなんかうやむやのうちにOKになってしまう(かどうかはよくわからないけど)感がなくもない,と思うわけでして,文豪SAW-SEKIの名著『KOKORO』においても「精神的に向上心のない者は、ばかだ」とかって,これ「肉体的に向上心のない者は、ばかだ」って言われてもなんら悔しくないわけで,むしろOREのHARAを見せ付けて,このHARAがかわいくて飯を食うんですわと嘯くのもやぶさかでNIGHT。
同様に,肉体的な愛と精神的な愛,どっちが高尚なんつって,君の肉体が好きだっつうのと,君の精神が好きだっつうのと,考えるまでもありませんな。本音はどうであれ,肉体が好きっつうのはなんつうかアレゲな感じで,少なくとも一般的にはモテませんわな。
あと,『デビルマン』だって勇者アモンの肉体を持つわけですけど,サイコジェニー(マジキモ)の精神攻撃の前には赤子同然なわけでして,怖いよ,サイコジェニー,主にルックスが怖いよ!
で,ですよ。体を病んでると心を病んでる,どっちが言われてヘコむ(まあこのヘコむっつうのがそもそも心の仕業なんですが)かっつったら……まあこれ一般的(と僕が思うところ)には,心を病んでるっていわれるほうが,なんかヘコむなあって感じで,まあ程度にもよりますから一概にもいえないけど,そんな感じがするんですな。
まあそれでこの心理学化する社会,心がすべてに君臨する以上,その心について否定的に云々されることは,これ一部の人格を否定するような動きどころじゃない,なんかイヤーンな印象を持たざるをえないわけですよ。
なんて,まあ適当なことをツラツラ書いてしまったわけですけど,その妥当性はともかくとしても,心を責められるとヘコむ気持ちはCan't Stop,この思い何とかしてくれよってことで,痛いの痛いのFar away!ってことで,「こころの病気ではなく,脳の病気である」とか,「こころだってからだです」とか,いう言辞の有効性,それは自明なんでありますよね。
まあこれ,ひとつの「外在化」ってことでありますが,言い方を換えれば「名前をつけてやる」ってことですね。やっぱ認識論なのかね。閑話休題。精神分裂病→統合失調症とか,痴呆症→認知症とか,Stigma Freeでいこうという試みに思え,つうのはやっぱり名前は影響力あるから,何かが規定されてしまうわけで,特に精神医学の診断名なんて歴史も浅いものばっかりだし,それが自然にであれ人為的にであれ,変わっていくのは当然であり必要であり必然のことだと思うわけですね。
…………
で,ようやく今回のテーマ,発達障害,というところに行き着くわけですが,まあなんかシリーズっぽい雰囲気も出してますが,ここんとこブログを書くってのから離れていたこともあって,あんまり体力もないし,腰の粘りも期待できないんですけど,まあちょっとやってみるべえか,と思います。
発達障害っていうのもひとつの外在化です,などと別に威張っていうことでもなく,まあ当たり前といえば当たり前なんですが,要は発達障害という概念によって得られたBenefitつうのは,結構そういう側面が大きいのではないかと思うわけですね。
まあでも,光があれば影がある,ふと気づくと,児童青年精神医学会の大会,発達障害一色じゃないか,新聞・メディアの取り上げる機会も増え,出版社どももそれに続けと,書籍乱発,その価値は玉石混交とはいえ,いったいどれ読んだらいいんか皆目わからんわけで,まあそういう状況を指して「発達障害ブーム」と断じたのが,
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ま,これもう1年も前に出てるわけですけど,これに掲載された小倉清先生の「愛着・甘えと子どもの精神科臨床」っていうのが,かなり激烈な「発達障害」批判になってまして,痛烈なんであります。物議をかもすってのはこういうことね。
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ただ痛烈であるがゆえに,やや言葉が足りない(というのも小倉先生の意図なのかもしれませんが)それをきわめて丁寧に解題(ある種,翻訳)したのが,滝川一廣先生の「発達障害再考―診断と脳障害論をめぐって」でありまして,これははっきりいって必読の内容です,って専門家はじめ関係者の方がたは既に読まれてると思いますけど。
まあ結局,発達障害ってのは脳・神経系の認知機能の障害ってことになってますが,たとえば認知症のような明白な変化というか病巣(?)というかそういうものはない,結局,行動的な尺度であり,疫学的な仮説でしかないってことであり,まあそれって部分的にはいわれてたことであれ,こうも正面からドシーンときたのはあんまりなかったんじゃないでしょうかね。「症状から診断を決めるのは前近代的である」(ウロオボス)という滝川先生の主張は,言い得て妙であります。現代医学と現代精神医学の違いはそこですな。
しかしまあ,最後のところでちょっとお茶を濁してる感があるのは,方法としては前近代的であるにしても,現象として,発達障害という概念が言い当ててるものが確かにあるってことなんじゃないかと思うわけでして,
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たぶんもっとも過激な「発達障害」論者である杉山先生ですが,最近上辞したのがこちらですな。その旗振りっぷりはさておいて,主張してる本当の内容ってのは,実は小倉先生や滝川先生と本質的にあまり変わるとも思えないんです。そらそうだよな。結局,「子どものことを本当に考える」という根本の姿勢は,きっと同じ,なんですよね。
まあ新書ですから,これで専門家が勉強になるとは思えませんが,手軽さという意味では,なかなかよいと思います。とても読みやすいと思うけど,本来含んでる内容は手軽ではないよな,そういう行間もあり,好感です。
熱い思いがあるから論も生きてる,そんな感じがします。
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これだって,タイトル見るとさすがにやりすぎじゃないかと思いますが,ブーム煽りすぎじゃないかと思わないでもないですが,内容は別になんら間違ったことが書かれてるわけでもありません。というか,虐待という問題において,新たな視点を提供するという点で,有用であるといわざるをえないわけですよ。
とはいえ,まあこれが今のコンテクストだとすると,小倉-滝川ラインが「psycho」な冷や水ブッカケであるとすれば,「social」な冷や水ブッカケといえば,
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精神医学史あるいは精神医療史的な読み解きから始まり,診断・臨床・療育を考えます。もちろん司法の問題まで切り込みます。そこらへんの手際・切り口の鋭さは
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これなんかで実証済みですね。読んどけ,マジで。
……
ま,で,結局これら,どの立場がどうというのを,僕なんかがいうのは差し控えるとしても,バイオ・サイコ・ソーシャルという三位一体が絵に描いた餅でないならば(ないならばですが),どの観点も有効性を持ちうるわけで,全部大切です,などというあまり実効性のない結論にしかならないわけですが,でも実際そうだろうと思うんですよね。
そうだろうと思うんですが,じゃあ現状はどうよ,ということになると,先に書いた「名前をつけてやる」ってことの影響力といいましょうかね,もちろん,発達障害と名づけることの「本当の意味」ってのを全員が理解できてればそういうことは起こり得ない,というのは理想論でありまして,この世の中,「本当の意味」があまねく共通に理解されてることなんて,それがなんであれ,ないんでありまして,これゼロでして,誤解と誤解がたまにすれ違うくらいが関の山なんでございます。特別支援教育という名前も然り。
で,発達障害への特別支援教育ってのは,なるほど,概念的にはわかるけれど,その中身たるや,上記のいずれの観点からであれ,いずれの専門家にとって,本当に望ましい状況になってるとは言いがたいような気がするんですけど,じゃあこれって,政府が能無しなのか官僚が能無しなのか専門家が能無しなのか現場が能無しなのか僕ら国民が能無しなのかそれとも全員能無しなのかわかりませんが,で,それで本当に困ってるのは誰なのか,ってところで,ウームとなってしまうわけですな。
といったところを踏まえ,発達障害の本で気になったのを挙げていこうと思うのですが,なんかここまでである種おなかいっぱいな感もあり。まあなにしろ数も多いですからね。ということで,ここまで書いたところで,タイトルにすばやく「への序章」というのを追加して,あくまで序章だかんね,と予防線を張りつつ,本日はこれまで。
と思ったら,
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こんな本を見つけて個人的に気になってます。内容見てないんでわかんないですけど,なるほど,そうくるかって感じですね。潜在的ニーズは確かにあると思います。
次回のテーマは(あればだけど),「愛着・関係性障害と発達障害」でいきたいと思ってマース!
高岡先生のご本が紹介されているのを見て、
批評社 精神医療29号 特集人格障害のカルテ 理論編
http://www.hihyosya.co.jp/isbn978-4-8265-0396-9.html
批評社 精神医療30号 特集人格障害のカルテ 実践編
http://www.hihyosya.co.jp/isbn978-4-8265-0459-1.html
を思い出したので、これをご紹介(って、psy-pubさんには既知だろうけど)。
批評社 精神医療49号 特集発達障害という記号
http://www.hihyosya.co.jp/isbn978-4-8265-0476-8.html
ありがとうございます!
> 批評社 精神医療49号 特集発達障害という記号
> http://www.hihyosya.co.jp/isbn978-4-8265-0476-8.html
これ読まねば,というか読んでから書こうと思いつつ,見切り発車でやっちゃったんですが,やっぱちゃんと読んでからにすればよかったな……。
いずれにしても深謝デス!
やだ~ん、やっぱ、勇み足だったかあ。
本章楽しみにしてます。
うつ病とか、社会不安障害とかは、高血圧と同じく、例によって製薬会社さんが儲けようと思って煽ってるんだとわかるんですが、発達障害ってのは誰が何を儲けようと思って活動しているのか不明瞭なところが、私には理解できないところです。
発達障害の本は売れるんでしょうけど、そんな小さじ一杯の権益が何かしら意味を持つとは思えませんし。
そんな感じでビジネスとしてみた発達障害についても、いつものナイスな舌鋒を向けてくださるようにお願いします。
コメントありがとうございます! 実は以前からブログを楽しみに拝見しております。
>うつ病とか、社会不安障害とかは、高血圧と同じく、例によって製薬会社さんが儲けようと思って煽ってるんだとわかるんですが、
端的過ぎて,笑いましたw さすがです。
>発達障害ってのは誰が何を儲けようと思って活動しているのか不明瞭なところが、私には理解できないところです。
僕も理解できないのですが,なんかこんぐらがった文脈があることは確かかと思います。
というのも,うつ病はブームにならないし(なってほしないですが),社会不安障害に至っては,一般人は誰も気にしてないですが,それにくらべて,アスペとかADHDとか,一部限定とはいえブームなんですよね。
>発達障害の本は売れるんでしょうけど、そんな小さじ一杯の権益
出版は程度の差こそあれ,権益ではなく,権益のおこぼれに与るコバンザメかと。
>そんな感じでビジネスとしてみた発達障害についても、いつものナイスな舌鋒
スミマセン。ずっと考えてるんですけど,いつもの恣意的なストーリーすら自分でもしっくりこず,なんだろうなと思います。
ひとつ思ったのは「泳げ,たいやきくん」がなぜ流行ったのか(古くてスミマセン),を説明できないのと同様,これはブームなんだというのもあるかなと思うのですが,ただそのブームに現実的な肉付けがどんどんなされていってることは事実で,そのまま消えてくべ,とも思えないわけで。
もうひとつ不思議なのが,「発達障害」ブームを主導してるのが,従来の「発達障害学会」とかでもなければ,発達心理学者でもない,そもそも発達障害でいう発達の概念ってなんぞやっていう疑問もあります。児童精神医学なんて,地域でやることバラバラの,マンパワー重視の領域(その奮闘はもちろん敬意を表しますが)に,その主導があるとも思えないし。
アカデミックには,記述精神病理学のreturnという文脈はありそうだ,というところで,診断というところの話は少しありそうだ,という気はしてます。
いずれにしても,思い込みで突っ走れそうな気がせず,だからダラダラしてるのだと思いますw
私もブログを時折チェックしてました。後ろの黒板に相合傘書かれそうな危険性ですね。
ま、ちなみにおこぼれという意味では、わがCBTもコバンザメ風にPDDからちょっともらってます。
なんにせよCPは不景気に強いってことで、足元見ていく系のお仕事なわけですから、結局のところアレですが。