心理学の本(仮題)

【職場に】心理学書編集研究会(略称:心編研)による臨床心理学・精神医学関連書籍のブックレヴュー【内緒♪】

俺の虫歯のオルタナティブ・ストーリー

2006-12-19 13:26:19 | 臨床心理学
あ,どうもどうも。ルサンチマンでアンガージュマンでアパルトマンでロバート・アルトマン大好きなpsy-pubです。皆さんお元気?

さてもさても,いい大人を悩ませるもの,それは歯科治療であります。個人的に思うのは,歯科系の疾患って,基本的には自業自得というか,もちろん不可抗力的なものもありますが,う歯すなわち虫歯,これはね,自業自得でありますな。そうなんです,そんなことわかってるんです。でも辛いんです。でも大人なんです。自責に自責を重ねたところで,辛さは変わらんし,なんかね,ある種,お前の人生どうよ?的なね,深遠な問いを激しく詰問されてるような気になってきて,もう俺ほどのダメ人間はこの世にはいないのではないか,と,それなのに,一時の苦痛に耐えるのがなんでこんなに辛いのかよ。ああ,僕が悪いんです,神様どうか道端に咲く花に光を……とやってますと,一週間なんてアッチューマ。来たヨ来た来た歯医者の日が。あ,先生どうもどうも。今日はちょっと頑張ってもらいましょうか。あ,ハイ。ショボーンエーンドガクブルで,まな板の上の鯉,処刑台上のジャンヌダルク,診察台上のpsy-pub,アハーン,ウフーン,キュイーーーン,キュイーーーーーーーーーーン,チュ,チュミミーーン,アガガ,アガガ。アバアバ,グルグルグルグル,ペッ。二度とこねえよ!(来週来るけど)。

ま,そんなわけでね(どんなわけか),自業自得は棚の上にレイアップ(置いてくる)しまして,歯科技術よ,さらなる無痛治療の理想を目指せ! と思いつつ,もちろん一番の苦痛は,痛み,なわけですが,もうひとつ辛いのが,歯医者さんによる言葉責め。スイマセン,僕,Mの才能ないNo。わかってます,僕が悪いんですし,あなたが悪いわけでもない。だから,そんなの無理なお願いだとは思うんです……でも……


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ハイ,というわけでね,いっぺん行ってみたいよ,この先生たちのやってる歯医者に。いやマジで。つっても,メンタル面で抜群の対応で,実際の治療はペンチでボキッだったらヤだけど,こんな熱心な先生方なら,きっと技術もあるのじゃないかとね,希望的に観測しちゃいますのう。まあむしろ希望的に観測しちゃいたい俺の心が抑えきれない,つう感じもありあり。


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こんなのもあるんね。これもいっぺん読んでみたいのう。


ま,以上が前フリでして,これまで何度かやってるナラティブなんですが,


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こういうすごいやつが出た模様です。まさにナラティブ界のオールスターキャスト大感謝祭的な豪華な顔ぶれで,云々してくれてます。『妖怪セラピー』読んでる場合じゃねえ! 形而上的な話題から,実践的な展開まで,読むっきゃねえな!

ナラティブの標的つうのは,治療の内容はもとより,治療そのもの,はては医療そのものすら相対化して,扱いうるわけですけど,そうすると,これも精神科医療のひとつのオルタナティブストーリーということになるのかな? と思ったのが,


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ご存知これですわ。メタ物語オブ神田橋。「」付きの「という物語」というのは,きっとそういう意味なんだろうな,そういう意味に違いない。少なくとも,これを書こうと思った神田橋先生の姿勢はナラティブ的だと言えましょうね(たぶんね……)。


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1 コメント

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やっぱ違うワ (psy-pub)
2006-12-20 13:22:13
自己レス三四郎です。

「神田橋先生の姿勢はナラティブ的だと言えましょうね(たぶんね……)」

と書いた後もなんか気になっていたので,も一回,『ナラティブと医療』の最終章(斎藤論文)を読み直したわけですが,やっぱちょい無理があったね。

神田橋先生の物語は,モダンからプレモダンに回帰するような,なんかその過程で,モダンに対する批判が浮かび上がってくるような,そんな感じかな。「ファントム」に引っ張られたかもしれません。

だから,結果として,ナラティブ的なものと似たようなところに行き着く場合があっても,根本的にスタンスというか仕方というか作法というか,そういうものが違うよなあと思い至りました。

それが良い・悪いじゃなくてね,単に違うものよなあって思うので,追記しときますです。
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