君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク

  

川口由一さん インタビュー ほんとうのしあわせ

2018年05月05日 | 自然農 川口由一の世界

ほんとうのしあわせ
川口由一さん インタビュー 2018.3 

 

八木 私たち人間社会において対立的にならず他の幸せを喜べるかどうか、それは平和な人間社会を築くに大切なことで、「他の幸せが喜べない時の自分はほんとうのしあわせを手にしていないからだ。」と教えていただきましたが、「ほんとうのしあわせ」とはどのような状態をさすのでしょうか。?

 

川口 ほんとうのしあわせを存在の根底から感じて真のしあわせになっている時はどんな状態なのか、あるいはほんとうのしあわせはどこにあるのか、人としてのほんとうのしあわせ、男性としてのほんとうのしあわせ、女性としてのほんとうのしあわせ、大人として、政治家として、芸術家として、宗教家として、農民として・・・、父親として、母親として、子どもとしてのほんとうのしあわせは、その時その時成長過程によってそれは異なるし、置かれている立場によっても時代によっても年齢によっても季節によっても異なりますが、いずれの場合も゛人゛ですから、人としてのほんとうのしあわせは、いつの時代にもすべての人に通じる変わらざる普遍のこととしてあるものです。

 

 ところで、どのような時にほんとうのしあわせを感じられるのかですが、100%正しく生かされて100%美しく生きることができている時はほんとうにしあわせでしょうね。100%正しい他による生かされ方と自らによる生き方を知らないで外れてしまうと決してほんとうのしあわせには至れませんね。在り方生き方にかかっていますが、どのような生かされ方と生き方をすればしあわせなのか。どんな時、どのような時、ほんとうのしあわせなのかを思い起こし、深くみつめてみたいですね。その先にしあわせの反対の状態をみつめてみますと、淋しい、悲しい、不安だ、恐ろしい、落ち着かない、心配だ、苦しい、あるいは他人に負けて悔しい、他人に脅されて、他人にいじめられて他国に侵されて恐ろしい、不幸だ、他人をいじめて、他国を侵して心が安まらない。あるいは仕事が順調に進まなくてつらい、お金が充分入ってこなくて残念、お金がなくなってきて不安、物質的に貧しくてつらい、心が貧しくなって淋しい、怒りっぽくなる、他虐的になる、自虐的になる、攻撃する、攻撃される、等で心が安まらない。他人に怒られて悲しい、怒って心が落ち着かない、怪我をして痛い、病気で苦しい、老いてきて淋しい、恋に破れて生きる意欲をなくして耐え難い、死ぬのがこわい、あるいは他人の不幸が悲しい、人類が不幸へと流れてゆくことが恐ろしくてつらい、人間社会の混沌混乱がつらい、人間社会の不条理や矛盾が耐え難い、国の政治の誤りから不安を覚える、国と国、民族と民族の戦争、殺し合いは不幸の極み・・・等々、幸福から離れゆくことも限りなしです。祖父母の死が、親の死が、我が子の死が、我が孫の死は耐えられない、変わってやりたい、悲しい、家族の病気がつらい、兄弟姉妹げんかになってつらい、等と数えきれません。我が内なる心でのことであったり、外部の事柄であったりします。台風がくれば、地震がおこれば、豪雨になれば不安、晴天続きで困る、雨が降ってほしい、低温続きで稲の生育が心配、殺したり殺されたりは恐ろしい、なんとも悲しい・・、等々、悲しみ、不安、恐れも限りなしです。これらいずれも他から生じることと自らの内から生じることに大別できますが、別けようのないものでもありますね。

 

 ところで、他のことは別にして自らの在り方のところでのことですが、人としての正しい道を得てその答えを生きることができ、いのちの道からも外れることなく生きることができたら、あるいは真に我にふさわしい我が道を得て正しく生きることができたら、あるいは選んだ我が道で優れた答えや成果を出すことができたらしあわせですね。人の道、いのちの道、我が道をみつけられただけでもしあわせです。40代に入る頃にはその道をみつけて、50代60代とその道で答えを生きることによってしあわせが色濃く深くなりますね。それは実際に具現化したことからのしあわせです。真に優れた人間に、優れた農民に、優れた教育者に、優れた芸術家に、優れた政治家に、優れた宗教家に、優れた治療者に、真に優れた親に、優れた夫に、妻に、優れた職人に・・とね。ところで基本のところは生まれてきたことが喜び。そして今も生きている、存在している、そのことが喜び、そのことがしあわせ、そのようになって心平和、心豊かで心静かな喜びに至るようになるのがしあわせの基本になりますね。

 

 さらにその上でそれぞれの道で、それぞれの行為行動でほんとうにしあわせに至るようになるといいですね。これとこれを手にしたらしあわせだ、等々の何かを得る以前に存在そのものが、生かされて生きていることがそのままでしあわせだ、不足することがない、足りているところに生かされ生きている、このことがありがたい、という境地に至ることが基本になりますね。

 

  その境地に至れないと、金銭欲や物質欲、名誉欲、権勢欲、支配欲にとらわれることになります。足るを知って心が満たされていると、何もなくても生きていることがしあわせだというようになります。事実は何もないことはなくて、生かされている私が存在しているし、生きるに必要なものは過不足なく与えられているし、生かしてくれるなんともすごい美しい豊かな宇宙自然界生命界があるし、それをしっかりと観つめ宇宙の実相実体を察知し認識し理解できて、その美しさ豊かさを全存在で、心で、魂で受けとり味わい絶妙さに感動し喜ぶことかできる状態になっていればほんとうにしあわせですね。そしてその宇宙における人類の位置と人間の実相実体と自分を知ることのできるその境地に至っていなかったら心は足らぬ状態になり不安となってあらぬものを求めるようになってしあわせから遠のいてしまい、迷いの日々、暗闇の日々に陥ってしまうのですね。不幸となりますね。

 

 生きることのできている舞台のことですが、太陽があるのが、光が、熱が、明かりが、ぬくもりが、適量届くのがありがたい、水が、海が、大地があるのがうれしい。空間があるのが、時間があるのが、宇宙があるのが、宇宙いのちと時空は無くなることは決してなく存在し続くのがなんとも安心だ、ありがたい。地球が今日もあって衰えずにすごい生命活動をしているのでなんとも言えずありがたい、安心だ。宇宙は常に大調和で常に変化変化で破綻することなき秩序で在り続くことが安心だ、なんともすごい宇宙に生かされて生きているんだなぁ。しかもこの宇宙生命界は何もかもなんとも美しい、本当にありがたい、となりますね。雨露をしのぐ住居がある、寒さを守る衣類がある、今日も生きるに必要な食べ物もある、田畑でお米や野菜や果物が育ってくれた、野山で山草がキノコが育っている、心身健康であることができて一日の生活が無事に終わり、お布団に入った時は「ああ、うれしい、ありがたい、寝ることができる。なんともしあわせ。」身近なことから遠大な宇宙のことまで、いのちのことまで、気付けば気付くほど、知れば知るほどに、わかればわかるほどに美しい妙なる営みで、豊かで、止まることなく在り続くことが驚きであり感動であり感謝の思い湧き出でてきますね。

 

 我が道のところでは、たとえば農民でしたら、自然農で自然界を損ねず負荷をかけず有限の資源を浪費せず、安全でいのちの充実した良いお米や野菜や果物を育てることができればしあわせですし、それを届けてあげられるのもしあわせですし、喜んでくださるのもしあわせですね。人類を持続可能にする自然農の正しい答えを誠実に生きることができればしあわせになりますね。傷寒論・金匱要略を宗とした古方の漢方医学を修得して病からの自立を成し、さらに病気で苦しむ人々を根本から治癒してあげることができる医者になれば深い喜びであるし、救われた人々も本当に幸福ですね。芸術の本質である美と醜の別を明らかとして決して醜を現わすことなく真に美しい芸術作品を創造することができる芸術家になると深い深い喜びです。また、真に美しい作品に出逢い観賞できることもしみじみとした喜びとなります。心から魂から全存在から真に美しい人に出い、結婚し心から肉体から魂から全存在で愛し合うことができている時は深い深いこの上なき人生における喜びとなり人間の尊さ存在のありがたさを覚えます。自然界を大切にし、一人一人を、人類を真の幸福に誘うことのできる政治を実現する政治家が誕生してくれば本当にうれしいですね。大きな喜びです。自らも偽りから離れて真を生き、悪から離れて善を生き、醜から離れて美を生きることのできる人間性に成長すれば、本当に喜びの今を、幸福の人生を全うすることができますね。他に依存することなく自立することができる人に、宇宙を得、絶対界に立つことのできる人に育てば心平和で豊かで喜びでありがたい日々となり平安の人生を歩むことができるようになりますね。

 

 存在そのものがしあわせ、過不足なく満たされている、それと同時に我が道において答えを生きて、そして実際に答えを出すことによってさらに豊かな深いしあわせを得る。こうして全体もしあわせに至るのですね。しあわせに至るとは生きていることがしあわせになっている状態です。他に生かされ、天地自然に生かされ、自ずから道を得て正しく生きることができて、真の自立ができて、さらに役目・使命・天命を、親として大人としてあるいはそれぞれの道、それぞれの分野において人々の幸福につながるべくの仕事ができればほんとうのしあわせに至りますね。しあわせになると心の底から平安となり魂から生きていることに納得が入りますね。一人一人が幸せになることと人類全体が幸せになることは同一のことであり異にすることではないですね。一人の人間として生きるにおいて矛盾することなく実践できるようになりたいです。本当にしあわせでありたいですね。すべての時代のすべての人が心底から望み願っていることです。一人が、人類が、しあわせに至るべくの働きができるように育つことができればうれしいですね。

 

 たとえば大切な分野の一つである教育においては次の時代を生きる若者をほんとうにしあわせに生きることができる人に育てないといけないのですが、まず自分が幸せになる。そうしてどういうところにしあわせがあるのかをはっきりと認識する。その上でどうしたらしあわせに生きることができるのかを、教育者として、あるいは大人として認識して育てることの智力能力を養い身に付ける。一人一人皆異にするいのちであるし性格であるし資質であるし人間性であるし、今日に育ってくるまでの生い立ちや長い過去の歴史も事情も異なり、しあわせに生きることができなくなっている人、不幸を背負って生まれてきたかわいそうな人、等いろいろですので、一人一人に適確に応じてゆくことのできる智力能力が必要です。そこまで育った上で真のしあわせの人生を生きることのできる若者を育てることができて教育者としても真のしあわせに至れます。しあわせに至るには人間性の成長が最重要で欠かせません。総合的に育ち、人格形成を立派に成し遂げた上でさらにそれぞれの分野の本質を明らめ極め、真の答えを見出し体得した上で実践、実現、具現化することによってしあわせの日々を生きることができますね。ここまでの話は人としての生き方でのことでした。

 

 ところで宇宙は他が喜ぶとか悲しむとか、あるいは人類をはじめ、他のすべての生物あるいは地球や太陽・月や銀河の星々が喜ぶとか悲しむとか幸福になるとか不幸になるとか生むとか死なせるとかは考えることも思慮することも配慮することも心くばりすることもなく存在し、ひたすら我が宇宙いのちを営み続けています。そうした宇宙ですが、人類全体が、一人ひとりが、しあわせになることのできる生物として宇宙に誕生してきました。そしてなんともありがたいことに人類が、すべての生物が幸せになることのできる舞台として黙して語らず永遠完全無欠の宇宙であり続けています。宇宙は止まることなく終わることなく誤ることなく、壊れることなく存在し続け営み続けます。その営みは無目的にです。なんら目的を持ってではないのですが、たくさんの生物が完全体として自然に誕生し死ぬまで生かされ生きることができています。人間もしあわせになることのできる智力能力を授かって、完全な生命体として、この宇宙、この地球に誕生し今も存在しています。もちろん宇宙は計算、計画、愛情、親心で人類を産み創ったのではないのですが、絶妙に完全な生命体として数十万年、数百万年前に誕生したのです。自ずから然らしむる自然なる人類の誕生であり、すべての生物、すべての無生物、すべての物質、すべての営み、すべての完全なる現象界・・・なのですね。もちろん現象界におけるすべて、誕生してきたすべては、いつかは必ず死に運ばれます。人類も、地球も、太陽も・・です。このことは悟らねばなりません。死滅は嫌だと逆らい怯え怖れてはなりません。

 

 そのように人類もいのちある間はしあわせに生きることのできる宇宙であり、人という生き物です。この宇宙生命界のできごとは自ずから然らしむることであって、誕生したすべての生物、無生物、いずれもかならず変化し、やがては死に運ばれ死に至るものです。もちろん新たないのち達の誕生であり、この誕生もまた無目的にです。やがていつかは人類も目的無く滅亡に運ばれます。しあわせに生きたい、喜びの日々でありたい、心平和に、心豊かに生きる。これらの願いも実現も生きている間でのことです。授かった百年前後の生の時空間をほんとうにしあわせに喜びに生きたいですね。

 

八木 そうですね。お話しを伺いはっきりと見えてくるものがありました。宇宙自然界生命界に、他の存在に、生かされていることに深い喜びを覚え、自らが成長する在り方で人生を全うすれば絶対なる確かさで「ほんとうのしあわせ」を手にできるように思いました。人類一人ひとりがそのように目覚めれば、地球の真の平和もすぐにでも実現可能なはずですね。お話しをありがとうございました。


 

お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん

インタビュー 編集 八木真由美

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川口由一さん 自然農田畑 2018年 3月 

2018年05月04日 | 自然農 川口由一の世界

三月の末、桜の季節に、
自然農実践家指導者の川口由一さんの畑をお訪ねいたしました。 


水仙が咲いている頃にぜひにとの想いが
実現いたしました。
うららかな春の光につつまれ 
花々のよいかおり・・。


ヒヤシンスも水仙の足元に咲いています。
朱木蓮もやわらかな空にむかって花ひらき、
春風がそよ吹く畑はやさしさに包まれています。

 

ああ、いい気持ち。
川口さんの自然農畑には人工的なものが全くありません。
自然に沿った在り様はほんとうに美しくて
心からしあわせを感じます。

その畑で育つ作物や果実が真に健康で美味しいことは
言うまでもありませんが、

畑に立つ人の心も身体も
深く深くくつろぎ癒されます。 
 

↑ こちらは花木のスペースで木蓮が満開でした。
蝋梅、紫陽花、ムクゲ、ライラックなどが並んでいます。
冬の間に剪定をされている木もありました。
  

畑の入り口です。

可愛いチューリップやムスカリが並んでいます。
手前にはこぼれ種で育ったゴボウが種取り用に・・。  

↓ レタスとチシャ、サニーレタスの畝です。 

種取り用の人参だそうです。↓ 

草たちもほんとうにかわいいですね。 

 

お花のコーナーでは、百合、牡丹、芍薬、ハーブ類、などが植えられ、
畑の北側には 平戸つつじが並んでいます。 

 

サヤエンドウです。 

健やかに育っています。
初々しくまぶしいです。 背丈が伸びてきたら
稲わらの支柱を二段にされるそうです。


こにやかにご案内くださる川口さん。

日々、お元気に田畑に立たれておられるとのこと、
うれしいです。  

 

グミの木が衰えてキノコが生えています。 ↑

こちらは山芋の畝だそうです。↑↓
ほくほくの土 いのちの重なりが層を成しています。 

 

畝の左に並ぶのはニンニクですね。 

春草のなかにキャベツを見つけました。
こんな畑で育つキャベツは幸せですね。 

 大根のお花、清らかですね、
種をつけていのちを繋げてゆきます。

 こちらには、ブドウの苗木が植えられています。↓

花梨の木です。↓
小さなお花を咲かせていました。 

三月下旬 お花が満開の杏子。↓
はなやかに空をいろどり
春を歌っています。 

↓ こちらは梨の木です。 

足元にはフキ。↓ 

落葉樹の下には 葉物や大根の花が咲き
フキが群生しています。 

桜の苗木の前で川口さん。
この桜は、お孫さんの成長とともに大きくなるのでしょうね。
楽しみですね。

 

野菜、果樹 花 木・・ 
ここに居るだけでしあわせな気持ちにあふれます。

美しい春の日に 美しい畑で
喜びのひとときをいただきました。 

ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真は3月末の様子です。

 

 

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川口由一さん インタビュー 取り込み過ぎず「足るを知る」境地で生きる 

2018年03月08日 | 自然農 川口由一の世界


 取り込み過ぎず「足るを知る」境地で生きる 
川口由一さん インタビュー 2018.1 
 

八木 現代人の取り込み過ぎについて、具体的には何がどのように過ぎて問題を招いているのかお話しいただけますでしょうか。 

 

川口 現代人においては取り込み過ぎる人があり、取り込み過ぎる国があり、不足している人、不足している国があり、人類の歴史において最も顕著になっていると思えます。食において、あるいは衣と住に、そして生活全体において、あるいは国の建設、国の維持、保持、防衛、社会の建設において、゛過不足なし゛の在り方を実現しているのはごく少しではないでしょうか。

 

 ところで生まれてきた者は、生きている間は生きねばなりませんが、まず生きるに大切なのは食ですね。不足しているところ、飢え死にしているところ、反対に過ぎて身体を損ね病みいのちを短くし、大切な食べ物を無駄に捨て去っているという現実があります。なんとも言えない不幸です。食べ物において取り込み過ぎると胃腸に負担がかかり順調に消化ができず、血肉にならず内臓内腑に負担をかけ大切な身体そのものを弱らせていくことになります。その結果、与えられているいのちを全うできなくなり短命となります。もちろん心と身体、霊魂と肉体は別であって、同時に別けることのできない一つのものですから、心も霊魂も精神をも損ね病しめ衰退、退廃させてしまいます。人生全体におけるすべてにおいて取り込み過ぎると大変になってしまいます。もちろん不足であることもしかりです。この過ぎることも不足することも起こり得ぬ生き方、在り方のできる人間に育たねばなりません。

 

 今日の多くの取り込み過ぎは、基本である生かされていることにおいて足りていることを知らないゆえに取り込み過ぎに陥っています。足りていることを知っていないからです。足りているのに足りていることに気づかず知らず悟らず、さらに取り込んでいます。足りていることを知ることのできない者はいくら取り込んでも心は満ち足りないゆえに、さらに取り込み続けることに陥っていきます。その結果、自らにも周囲にもいろんな問題を次々と多く深く強く招きゆくことになります。

 

八木 全てにおいて過不足なしの在り方ができれば心身ともに健やかでしょうね。具体的に、例えば食においても他と比べることなく自分にふさわしいものを適量いただけば足りるわけですね。

 

川口 そうですね。いのちは皆別々であり、一人の人間にとっても固定することなく変化し異なりますので、過不足なき適量は数字では決められないし示せませんね。真由美さんの場合は僕からみればもう少し食べれたらいいのになぁ、って思うくらいに自制し選択もしておられますよね。あれもこれもとなったら良くないことがわかっておられ自分に合った食べ物、合った量、合った食べ方、そして合った生き方ができておられますよね。みんな人間の分を、地球における人類の分を、そして自分の分を自国の分を知ることが本当に大事ですね。

 

八木 自然農の田畑における農作業も、自分にあった広さ・作業の量を意識し取り組むようにしています。義務感や使命感ではなく私のいのちが真に喜ぶことをあらわしている時は、今にいる感覚とともに内容も充実しているように感じます。その中で少しずつ成長してゆけたらいいなと思っています。

 

川口 そうですね。面積においても、日々の作業量においても、作業の行ない方においても、過ぎたら最も大切な身体を損ねますし、適期に的確に適量の作業をやり通せなくもなりますものね。若い時は過ぎるくらいになりますが、元気、体力、気力が強くありますから・・・。でもそういう若さゆえのところも経験を通して歴史を重ねて自分の分に応じて生きれるように成長していきますよね。

 

八木 はい、経験を通して感じあらわしてゆけたらと思います。ところで学ぶことについても取り込み過ぎがあると思うのですが・・。

 

川口 そうですね、学んだことも読書したことも、学びへの一日の予定も一年の予定も、人生の予定も、食べたものと同じで過ぎると消化できないで負担になり心を損ね霊魂にまで負担が及び病しめ大切な身体にも同時に及び胃腸を損ね不健康になりますね。不足すると成長できません。学びは大切であって、気付き、目覚め、成長、悟り、成熟は、一人一人が幸福に、人類が平和に心豊かに生きるに欠かせません。足るを知り、過不足なく生きるにも欠かせない学びです。本当に本当のことがわかるのは是非に必要です。本当のこと、真実、真理が解ってゆくのは楽しいしですから、生きる意欲になり、喜びになり成長になります。枝葉にとらわれて無差別に無秩序にあれもこれもとなると負担になり消化できないでマイナスになりますので、心の内での整理が必要です。例えば最も身近な一日の生活のことで、朝早くから田んぼに行って仕事をする、仕事をする、食べる時間も惜しんで仕事をする、夕食後も夜も仕事をする、それで疲れきって寝ざるを得なくなる。寝てからも「あれもしたらよかった、これもしたらよかった。」と思い悩むのはさらなる心身の疲労になります。なんと言っても心も身体も休まないといけないですね。ゆとりが大事、寝る時は寝ないといけない、一日の生活だってより成果を求め過ぎたらだめ、取り込み過ぎたらだめですね。人生においてもしかりです。年齢に応じた学びもしかりであって、ゆとりを持って確実に積み重ねて成長してゆかねばなりません。

 

  生きている間は、人としての成長、人間性の成長、人生の完熟、完成、完結に向けて、宇宙のこと、自然界生命界のこと、いのちのこと、人類のこと、人間のこと、自分のことを、学ぶ、知る、観つめる、静観する、止観する、悟観する、観極め尽すことは是非にやり続けて極めたいですね。挫折せず、屈折せず、投げ出さず、逃避せず、心身を壊すことなく、心を身体を魂を正しく開発して大いに働かせて極め続ける、年齢と共にいつまでも極め続け学び続けることは本当に必要であり大切なことですね。真実が見え、真理が観えて、悟り知ってゆけることはなんとも楽しくうれしくて魂から感動し身震いします。大いなる宇宙のことも微小のいのちのこともね。宇宙本体も、心も霊魂魂魄、いずれも姿形なきものですが、そして人間の内もわが心の内も人間のいのちも姿形なきものですが観極め悟り知っていきたいですね。また、宇宙生命界の現象世界における姿形あるものは、広大無辺の宇宙ですので見尽くすことはできませんが、宇宙現象界の部分を見つめ知り察知することによって宇宙本体の実相実体は観えてきますので、この作業は心弾みゆくものです。

 

八木 はい、人に生まれて学び続けられることは本当に心が弾むことです。ものごとの本質に深くふれ魂から喜びあふれる人になりたいです。ところで、これは必ずやりとげたいと思うようなことにも取り込み過ぎはあらわれるのでしょうか。

 

川口 やりとげたいことが、本当に必要なことなのかの察知判別をした上で、本当に必要なことは是非にやりとげないといけないですね。その場合はやりとげ方が重要になりますね。必ずやり遂げることのできるやり方ができないといけません。それに関わる基となることですが、゛過不足なく、足るを知る゛ことが必要になります。生きられるのは他力100%、そして同時に自力100%です。自分で生きないといけないゆえの自力においてすでに過不足なく足りていることを悟り知ることが必要です。同時に他力である生かされていることにおいても過不足なく足りていることの事実を知らねばなりません。足りていることを知らず見失っているゆえに生きることに執着が入ってしまうのですね。過不足なく足りていることを知らず悟らずのゆえに欲が頭をもたげて、過ちに落ち大変な問題を招いて取り返しのつかない不幸になってゆくのですね。それゆえに現代の多くは取り込み過ぎに陥り心と身体に問題を招き、地球に問題を招き、生かされ生きる舞台である大切な環境に問題を招き、生きるに必要な基本のものに不足をきたし実際に足りなくしていっています。生きるには人間の精神も心も魂も大切ですが物質も大切です。その物質を取り込み過ぎ、使い過ぎて無くしてゆく在り方をしています。そして奪い合い取り込み合いの争いに落ち不幸に陥っています。我が身に我が国にわが民族に我が会社に我が教団に我が集団に・・・。足るを知らないゆえの奪い合いによる取り込み過ぎは、やがて本当に足りなくしてしまいます。生きるに必要なものが無くなるのです。多くの日本人も、世界の人々も、世界の国々の政治の在り方もあらゆる分野でそうした誤った流れが顕著になっています。例えば今日の経済中心、お金中心、物質中心で消費を是とする生き方あり方を続けてゆきたい為に必要とするエネルギーの確保で、太陽の光や熱、地熱、風力、潮力、水素等々の利用は、無智ゆえの物欲心、邪心、悪心で取り込んではいけないものを取り込み、消費し消し去り無くしていくことを盲目的にやっているのですね。人類やすべての生物が生きるに絶対に必要不可欠な舞台を破壊し無くしていく、この過ちに気づかずにやり進めています。足るを知り、分かち合ってさわやかで心よき安らかな本当にいのちが楽しく幸せになる持続可能の生き方、在り方を悟り知って、生き方を変えないと人類滅亡への加速となりますね。

 

八木 それでは、「足るを知る」知り方について教えてください。

 

川口 足るを知るには自分の内なる心や思いや人生観を確認して正すと同時に、生かされている宇宙を知り地球環境もしっかりと正しく見た上で足るを知っていくことが基本となります。取り込み過ぎたら自らのいのちや心も損ねるし、近辺の環境を損ねるし、地球環境そのものを損ねます。ですから事実を知ることは本当に大事なことです。生きる舞台である自然環境、そして生きねばならない私たち人という生物、いずれも生きるに必要なものを過不足なく与えられているのです。この事実に気づくことと、欲心を起こさないように人として正しく立派に育って、悟りの日々、さわやかな喜びの日々、生きていることが楽しいありがたい日々になるように成長できるといいのですね。気づき悟り知り正しく生きることのできる人間性の成長が欠かせません。事実は足りているということですが、これに気付くことのできる人間としての目覚めと、欲心邪心を現わさぬ人間性の成長が是非に必要です。一生を全うするに、人類が幸福に平和に生きるのに基本となることであり、ここに人類が真に救われる道があります。 


  新人類の誕生数十万年前、猿人の誕生数百年前ですが、誕生した人類生きている間は生きなければならず、今日まで生きてきたわけですが、それは生きる舞台も、生きなければならない人間の身体も身体に宿るいのちも知力も能力も生きるに必要なものはすべて過不足なく与えられて足りていたゆえです。生きるに必要なものはこの地球生命圏にすべてあったのです。また、生きるに必要な身体も智恵と能力も過不足なく与えられていたゆえです。現代もなお過不足なくあるのです。左右2本の脚、2本の手、それぞれ10本の指、頭部には髪の毛、その中には生きるに必要な働きをする器管が備わっており、顔部には目、鼻、耳、口、歯、舌、が備わっており、もちろん働きを成すものとして過不足なしです。それらを守るべく、皮膚、肉、骨もあり、働くに必要な体液、血液あり、親から子へと巡り続くに必要な精子卵子有り、精子卵子の働く能力も与えられており、100年前後の時空間を生きることのできるいのちを宿しており、このいのちを維持する食べて消化吸収し排泄する器管も内臓内腑も宿し、夫々が働きを成す生命力を宿しております。いずれも過不足なく自ずから与えられて誕生してきているのです。幸福に生きるに必要な感情、感覚、智力、意志力、察知力、触覚、臭覚、思考力、思索力、哲学力、直感力、持続力、成長力、生命力・・・、必要なものすべて過不足なく与えられています。このことに気づけば、存在そのもの、生きていることがそのままで平安、安心立命に至れるものです。生きていることが不安で心配で、物欲、金銭欲、支配欲、権勢欲、我欲・・等に心を奪われ、聖なる魂を悪に支配されることなく、人本来の正しい平和な心豊かな心楽しい心清明なる人として生かされており、生かしてくれる宇宙自然界生命界であります。そして生まれきた若いいのちが日々に心身共に成長することのできる人という生物なのです。成長せねばなりません。成長に必要なものを与えられています。幸福に生きるに必要なものを与えられています。このことに気づき育ち悟れば自力による生き方において足るを知らず取り込み過ぎ、欲心、邪心、悪心に陥り不幸な人生、不幸な混沌混乱の人間社会とはなりません。足るを知る生き方の基本となるところです。自然界生命界における他力100%自力100%の私たちであり存在するすべてでありますが、過不足なきなのです。 


  それから同時に非常に大切なことがあります。大切な物質面ですが、もう一方の心の面、精神、魂の面においてです。こちらも解決しないと真の幸福には一人一人至れず、真の幸福は人類に訪れません。それは他人の心を取り込み過ぎる、他人の魂を取り込み過ぎるということです。人と人の心からの出逢いは真の生かし合いに欠かせない必要なことですが、他人の心を取り込み魂を奪うという行為行動を起こしてはいけません。こうした過ちを起こす性のある私たち人間でもあるのですね。こうしたことが起こるのは一方で生きることから逃避して他者に依存するゆえに生じることでもありますが、未熟で未だ自立するべく育ち切れていない者を引き込むのは、支配欲であり悪魔的であり、病的でもある我欲であり、人としての真の幸福からはずれた生き方になります。わかりやすい例で話しをします。インドのお釈迦さんの生きられた姿からこのことを考えてみます。

 

  一国の王子として誕生したお釈迦さんですが、階級制度のはっきりした国でもあって王様や王子様に仕える人が多くおられて、仕え尽くしてもらう日々の生活ですが、心の底から尊敬し、敬い、尽くしてくれているのではない事に気づいたお釈迦さんは淋しさを感じむなしさを覚えるようになられ、ある時゛心の王になる゛と、王子の地位を捨て、両親も捨て、まず自ずからの心の修行、心の旅に出られ、あちこちの智恵者、賢者を訪ねて学び修業を重ねられ、ついに゛育った、わかった、悟った ゛ と自覚されます。やがて道を求める人、悩める人、苦しむ人、恐れおののき不安の中に落ちて救われることを求め訪ね来る人に導き示し悟らし救う宗教者としての生き方をされますが、真の宗教者としての生き方からはずれてゆかれます。慕う人、信奉する人、訪ね来る人、求め来る人、依存する人が増えていきます。これらの人たちの心を救い、目覚めさせ、自立させるべく送り出すのが宗教者としての真の在り方ですが、それらの人を引き寄せてゆかれます。悩む人、苦しむ人、道を求める人に答えを示し、しっかりと自立して生きるように正しい道を示し導き、送り出すことはされずに心を引き寄せ魂を取り込みゆかれるのです。゛心の王゛を実現してゆかれるのです。゛魂゛を゛心゛を奪い我がものとした誤れる心の王として生きられるのです。やがてはその生き方のなか途上で亡くなられます。決して真に魂の根底から救われることなく、多くの人をも救うことなく不幸の道連れにしていかれたのです。両親をも悲しませ、道連れの人たちにも家族があってそれらの人たちをも悲しませたと思えます。今日の世界三大宗教の一つである仏教の教祖として崇められ、その後においても多くの人たちに、そして日本においても慕われ恋焦がれられていますが、お釈迦さん自らも多くの信者さんも真の悟り、真の自立、真の人生の全うとして生きられなかったことになったと思えます。三大宗教においても、いずれの宗教団体においても相似たことになり、相似た不幸が生じてしまうのですね。人との真の出逢いは大切であり、生かし合い助け合いが欠かせぬ大切なことですが、足るを知らない心の取り込み過ぎ、魂の取り込み過ぎに陥ってはいけません。迷いであり人に非ざる大きな間違いであり罪深い不幸な生き方であり、宗教の基本となる本質からはずれたあり方です。

 

八木 足るを知らず本当に足りなくなるということが起きているなかで、魂や心まで取り込み過ぎになっているのですね。人との関係において自分を見つめそれを通して真の自立へと成長してゆけたらと願います。ところで、先ほどお話しくださいましたお釈迦様が人々を真の幸福・真の自立に導くことができなかったのは、大いなる宇宙の本質を理解されておられなかったことが根本にあるのでしょうか。

 

川口 そうですね、人に生まれてきての絶対なる運命がありますね。生まれる、育つ、やがて老いる、病む、死ぬ、この運命に対してのことや、人間の内なる心の曇りや未熟ゆえの愚かさから生じる不幸や悩みや不安や苦しみに対しての救われ方等を示しゆかれたと思いますが、この人間の存在している宇宙、自然界生命界のことは観極めることはされず、宇宙の実相実体を明らかとできず、この宇宙における人間の位置づけや関係や生き方を問い明らかとして真の救われ方と真に救われた生き方を悟り実践するところには至られなかったのではないでしょうか。また、自分の内なる心の根底における自己執着心には気づくことができなかったのでしょうね。心の曇りで魂に明かりがささないゆえに誤りが見えなかったのでしょうね。宇宙本体を知る、実相実体を観ることはできず、絶対宇宙における相対界の位置づけや、相対界に存在する私たち人類の位置づけと生き方・悟り方を正確に極めることはできなかったのではと思えます。般若心経で悟り方を説き示しておられますが正しくはありません。絶対宇宙における相対する現象世界に存在している私たち人間の位置づけが正確にできていないからです。般若心経においてもその不確かさが表れています。お釈迦様直接の言葉ではありませんが、多くの弟子と共に真に悟り救われなかったと思えます。

 

八木 人としてほんとうの喜びに至るには、宇宙自然界生命界のことがわかり人間性の成長や境地の体得が必要ということですね。それを自覚して学び養うことができる今をありがたく思います。そして生かされ生きるこの世界で、あらためて内に外に「足りている」ことをいのちから感じる時、さらなる学びへの意欲が湧いてきます。

 

川口 本当にそのようにあることが大事ですね。尊くて貴重でかけがえのない身体を有しいのちを宿した生の期間です。確かなる存在です。幸福に生きることのできる人間です。真由美さんもそのことを知っておられるし実行でき求め来る人を導き、それぞれの人たちを自然農や宇宙自然界生命界における生き方等の学びの場で真の自立へと送り出しておられますね。そこから生じてくる喜びも体験しておられるし、それが明日への糧にもなることを実感しておられますよね。日々の生活のなかで学び、宇宙のこと、いのちのこと、本当のことがわかり、次の時代を生きる若者を正しく導き、若者が本当に幸福へと生きてゆく姿を見ることのできる喜びは、深く静かに湧きいずるものであって明日への糧になりますね。年を重ね老いてなお常に学んでいることが明日への意欲になる、喜びになる、その喜びが明日への糧になる、そして成長になりますので、正しく生きることを、立派に育つことを死ぬまでやり続けなくてはいけませんね。本当に道を得て生きていることは楽しくて、心平安で、心豊かで、生きていることの意義も意味も理解できて納得の中で死ぬまで生きることができますね。

 

八木 はい。宇宙は生きるに必要なものをすべて過不足なく与えてくれており、私たちは、いのちの道、人の道、私の道を安心のなかで生きればいいのですね。取り込み過ぎず「足るを知る」ことについて、とても明確になりました。ありがとうございました。


 

お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん

インタビュー 編集 八木真由美

写真 TOMOKA.K

 

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川口由一さん 自然農田畑 2018年1月 

2018年01月18日 | 自然農 川口由一の世界

新しい年のはじまりに 三輪山のふもと奈良県桜井市の
 自然農実践家指導者 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
うっすらと雪を纏う大和の山々、清らかな冬の景色です。

昨年末、お米の収穫を終えられ、稲わらが還された田んぼ。
自然農40年、耕さず、いのちの重なりが続いています。
写真手前の畝には麦が植えられ、↑
近づくと稲わらの下から麦の姿が見られます。↓

夏には緑あふれ 躍動していたいのちたちも
静まり返る冬。
やがて訪れる春の日まで
無数の種や宿根たちが眠っている大地。
ふっくらとした畝は、こんなに寒い冬の日にも
やわらかで暖かそうです。

こちらは田んぼ南側の畑です。↓
キャベツが育ち、いちご・玉葱の苗も元気です。


田んぼから歩いて数分、
果樹・花木・野菜などを栽培されている一反一畝の畑です。 ↓
入り口付近には柿の木が二本並んでいます。


雨が小降りになると
雲の合間から光が射してきました。
清々しい一年の始まりに
美しい畑に入らせていただきうれしいです。

川口さんの畑には様々な種類の水仙があります。
白や黄色の濃淡 春の香りを漂わせ咲きにおうのでしょう。
もうすぐ もうすぐ。

こちらはレモングラス、↑ ↓
素敵な寒さ除けをしてもらっていますね。
支柱を三本立て周囲をライ麦のわらで囲み、
風に飛ばないように麻ひもで留めておられました。

麦藁はしっかりしてますね。

こちらはエンドウの畝です。
三列、種を蒔かれ 
稲わらで支柱と鳥よけをされています。↓

稲わら 麦わら 稲の縄 木々
自然界にあるもので、田畑で栽培したものの一部で、
手作りする美しい支柱や寒さ除け・・、
自然に沿っていのちを育てる自然農において
楽しみ&喜びの作業ですね。


川口さんの畑では近年、
お野菜の芽が鳥についばまれることがよくあるそうです。
その場合には種の蒔き直しをされることも・・。

藁に守られて冬を越すエンドウ。↓

こちらはそら豆です。↓
元気そうですね。
畑の草草や木々の落ち葉がたっぷりの畝で。

「枝を立てておられるそちらの畝には何が育っているのですか?」
とお尋ねいたしましたら ↓
「ここにはラッパ水仙があるのです。これから育ってくるのですが、
間違えて刈ってしまわないように目印にしています。」
と、水仙が咲く頃を待ち望まれる川口さん。

全ての畝にふんわりと枯れ草や木々の葉、
所々に古木の幹が置かれている畝も。
ここで生きるすべてのいのちたちが、
他のいのちのを生かす巡りのなかにあります。

こちらも美しい寒さ除けです。↓
ライ麦の藁で作られていました。

風に飛ばないように古木でおさえて。
寒さ除けの内側には春菊が・・。

北風や霜から守られ 陽ざしをあびて。 

つかの間太陽の光が降りそそぎ、気持ちが和みます。

春に蒔いた夏人参の説明をして下さる川口さん。↑
種用に少し残されています。
自家採取して四年目くらいだそうです。


一昨年のキャベツが復活。↑

ほんとうに美しいいのちです。
不耕起 無肥料 草草や虫たちと同じ舞台で
たくましく美しく生きています。
 

大根です。↑ 
滋味深い自然農のお野菜。
姿形にもあらわれていますが、
いただいた時の喜びは格別で
天然自然というものを全身で味わうことができます。

人参の畝に上がられて ↑
ネズミの穴を踏んでおられる川口さん。
「全部は食べられないのですが、結構食べてるんや。」
「何か対策はされているのですか。?」
「こうして穴を踏むことくらいやな。」

 

さて、こちらは畑南西の角、花木です。

ムクゲがすっきりと剪定されていました。
ライラック 蝋梅 紫陽花 木苺 萩 山吹 ザクロ
そして畑の周囲には平戸つつじが並んでいます。 

木々の足元に水仙の葉が光っています。
厳寒期より花を咲かせ春を待つ清らかな生命たち。

苗木を植えて五年目くらいの桜の木です。↓

「これはね、お茶の木に絡んでいますが藤です。」「藤ですか・・。」
↓ 春には色とりどりの楽園になりますね。

そしてさりげなく目をやった先にクコの実を発見。↓
クコは自然農を始められる前から育てておられたものが
今も実をつけているのだそうです。

 

今年は落葉樹の足元にばら蒔きされた大根の生育がゆっくりだそうです。
毎年同じ場所にばら蒔きをすると、それを好む虫たちも増えるとのこと。
また天候気候にも影響され、早目の寒波などで生育が思わしくない場合は、
新たに筋蒔きなどもされるそうです。 

霰が降ってきました。↑
今年一番の寒さでしょうか。
カメラを持つ手がかじかんできましたが、
冬の自然農田畑も趣があり安らぎます。 

一つ所に寄せられた古木の幹や枝は、
畝に巡らせるなどすべて無駄なく使われます。

ふと見ると手前に大きなキノコが・・。
松または桑の幹の下にできた菌核だそうで、
一本の木が死んだ後にきのこが誕生するそうです。
もし松の木でしたら生薬に使われる「茯苓」かもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回も森のような花園のような川口さんの自然農田畑にて、
自然に沿って生きるということを想いました。


時のかさなりは、いのちの歴史であり
  最善の在り方でいのちを育んでくれます。

余計なことをせず 
必要なことだけを的確に見極めて少しだけ。

人もこの自然の巡りの中にいて
人の分にふさわしい恵みをいただけるのです。

それを、本当のしあわせと感じられ、
豊かな人生と感じられる心が育っていれば
自然はいつまでも私たちとともにいて
よろこびを与え続けてくれるのだと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回も五感を通して全身で 
また川口さんから言葉を通して
自然農の世界を感じ学ばせていただくことができました。

道中の雪景色も清らかな新年の氣にあふれ
静かな冬の営みもまた光かがやき
温かな気持ちに包まれました。

岡山から奈良へ
今年もいのちの世界を観つめる旅は続きます。
写真はすべて1月10日撮影です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもブログをご覧くださいまして
ありがとうございます。
八木真由美

 

 

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川口由一さん 自然農田畑 2017年12月

2017年12月28日 | 自然農 川口由一の世界

2017年 12月
自然農実践家指導者 川口由一さんの田畑をお訪ねしいたしました。 
写真を中心に12/1の田畑の様子をおとどけいたします。
冬のはじまりの美しい営みです。


水色の空を背景に、粳米の見事な稲架けです。↑
その豊かな恵みに感動、そしてなんとも絶景ですね。
天日に干され、さらに実りが充実いたします。

こちらは香米と大豆です。↑ 

↑ 手前が古代米です。
古代米は普段のご飯に混ぜていただかれたり、
お餅にして召し上がられるそうです。

↓ 緑米の稲刈りはこれからです。(写真は12/1です。)

三輪山を背に田んぼにて、にこやかな川口さん。

脱穀は12月の半ば頃に・・。

稲架けの前で一年の感謝をこめて記念撮影。 

川口さん 三輪山を背に冬の畑にて。 

 

畝の右側は小麦(強力粉)です。↑
左側にはコカブを植えられているそうです。 

 

麦の芽がきれいです。
キラキラと光っています。
勢いがありますね。

こちらの苗床から田んぼに移植されるそうです。 

キャベツとブロッコリーです。 ↓

 

↑ キャベツの左は、裸麦とライ麦の苗床です。 

↑ こちらはイチゴの苗床です。
「広めに植えているので移植せずこのまま育てます。」とのこと。
 
写真の右端は四年目の葉ねぎ。↓

11月半ば、ゴマの収穫あとに玉葱の苗を植えておられます。 ↑

「今年は玉葱をネズミに食べられて種が採れず、
購入した種もなんとなく発芽しにくくなっています。
種やさんの種は栽培地が外国であることが多く、
それも関係しているように思います。
自家採取が基本ですね。」と川口さん。

「ヘビやイタチとの関係もありますが、
モグラが走ると野ねずみが、イタチが走るとネズミがね。
特にネズミ年にネズミが多いような気がします。」(笑)
とも。 

田んぼの北側の畑です。

 こちらの畑は以前お米づくりをされていた場所で
近隣の田とゆるやかな棚田になっており、
お米の時期には隣の田からの水も流れ込み、
時には排水が難しいこともあるそうです。

里芋・クワイ・蓮・スイレンなどにはふさわしく、
トマトなどは根を損ねやすく影響があることも。
ピーマン・ナス・キュウリ・雑穀などは元気に育ち、
作付け内容に配慮され支障なく栽培されておられるようです。

カボチャ、冬瓜などもこの場所で育っていましたが、
高畝はもちろんのこと、鞍を直径約70㎝と幅広く作られ
対応されておられました。

温床もこの畑の南端に作られています。
この時期の溝の水は前日の雨の影響もあるとか。

最近はお花畑もふえ、ご年齢にあった内容と
 添い応じられる在り方を見せて頂いています。 

トマトを栽培された畝にはチンゲン菜と小松菜です。
手前が玉葱の苗床です。 ↑

チンゲン菜 小松菜  かつお菜

白菜の苗床です。↓

 

 

こちらは里芋の畝です。↑ ↓

川口さんの畑ではスペースに余裕があるので、
里芋は掘り上げて収穫をされず
保温になるよう周囲に土を盛り
召し上がられる時に掘っていただかれるそうです。

茎も食べれるのだそうです。 

スコップで掘り上げるところを見せていただきました。 

豊かな自然農の畝で
本来の美味しさたっぷりの里芋です。 

土を落として乾燥させ貯蔵することもできます。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

さて、こちらは果樹 野菜 お花を育てておられる畑です。
柿の木の足元には、からし菜を蒔かれています。
チューリップ、桔梗、彼岸花も季節には花を咲かせるそうです。
↓ レモングラスも寒くなってきたら霜除けをされるとのこと。


こちらは、お花の畝だそうです。
柴桜 ヒヤシンス クロッカス 芍薬 牡丹 など。
こぼれ種の大根も育っていますね。


こんもりとした淡い緑は、人参によく似た葉をしたお花で、
白い花を咲かせるそうです。

近年、川口さんの畑では鳥たちがお野菜を食べに来ることがよくあるそうです。 

春菊とサニーレタスの畝です。↑

サニーレタスは、発芽が思わしくなかったので
二回目を蒔かれたとのこと。

モロヘイヤ、種とりができそうですね。↓

種をつけているニラ。↓
ニラは株で大きくなりますが、
今回、種を少しいただきましたので蒔いて育ててみたいです。

 

エンドウの畝です。
↓ こちらに三列に種を降ろされています。

可愛い芽がのぞいていました。↓

こちらの畝はさつまいもの収穫後だそうです。↓

大根の点蒔きです。↓

人参ですね。↓

ニンニクです。↓ 


ニンニクのお隣には山芋が・・。
畝にはたっぷりと刈られた笹が置かれています。
山芋は山で育つものなので、
畑の笹などを巡らせると豊かに育つのだそうです。   ↓

去年の夏キャベツです。↓
小鳥に食べられたり、草に埋もれたり、
梅雨時には葉っぱが全部なくなり茎だけになったそうですが、
芯から新しい葉が出ています。

瑞々しいですね。

畑の畝に貝殻が・・。

「野菜くず、果物の皮 漢方生薬の煎じかす、貝類は田畑に巡らせています。
無機質の貝は植物を強くしてくれるカルシウムが豊富ですね。
その他の生ごみは養分過多になるので、巡らせていません。」
とのことです。

ゆっくりと分解して巡る貝類、
海のいのちが畑で野菜を強くする。
なるほどなぁ・・・と思いました。


花を咲かせる木々も静かな冬の営みです。
ムクゲ、ライラック、皇帝ダリア、など。
足元には 菖蒲 アヤメ グラジオラス シャクナゲ スイセンなど 
美しく咲き誇る季節を待っています。


こちらの二本の木は、鳥が運んできた種で大きくなったそうです。
向って右側は落葉樹で、その枝は畑で使う支柱に使われます。↑

畑をご案内してくださる川口さん。

 

こちらの畑は一反一畝、 
果樹も草木も花々もお野菜もそれぞれにふさわしい空間で
いのちを輝かせています。 

落葉樹の木の下にフキです。
フキは冬に一旦枯れて春にフキノトウの花が咲き、
それがまた一旦枯れて同じ茎のところにフキがどんどんでてくるのです。

こちらは同じく樹の下に葉物です。 

 

今年は少し成長が遅めだそうです。12/1 

  

同じく樹の下に大根のばらまきです。↓

いきいきとした大根が芽を出している果樹園、
鮮やかに色づいたミカンが目に入りました。

「一番黄色く色づいているのを一つ採って食べましょう。」と川口さんに言われて
足元の大根を踏まないように木の下に・・。

  

瑞々しくて美味しい~。

すっぱいものはあまり召し上がられない川口さんですが、
この日は美味しそうにいただかれていました。

 

ミカンの木の足元は、大根と牧草の絨毯。
このやわらかな大地の営みと色づいた実
冬の光をうけて輝いています。
なんだか歌いたくなるような、朗らかな光景です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自然農は、耕さず 
農薬・肥料・除草剤・大きな機械などを持ちこまず、
全てのいのちと共に 美しく豊かな地球の舞台で
自然に沿って手作業で栽培する農です。

今年は春 初夏 夏 初秋 秋 初冬
川口さんの田畑をお訪ねすることができました。
たくさんの感動と学びをいただき
楽しく心をはずませました。
心より感謝申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブログをご覧いただいています皆様
いつもありがとうございます。
これからも美しい自然農の世界を
ご案内してゆけたらと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。
八木真由美

 



 

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川口由一さん インタビュー 「宇宙の創造 人の創造」第三話 人生の全う

2017年12月25日 | 自然農 川口由一の世界


絶対界に立ち 大いなる働きをし 喜びの日々を生きるに必要な男女の出逢い~人生の全う~ 
「宇宙の創造 人の創造 ③」インタビュー2017.10

 

八木 前回のインタビューでは、宇宙の創造 人の創造の第二話として「いのちの誕生の瞬間」についてお話しいただきました。人の人生において男女が出逢い結婚し次のいのちを授かり育てることは尊いことですが、今回はさらに男女の出逢いの意義について思われることをお話しいただけますでしょうか。
 

川口 う~ん、大事なことやなぁ。百年前後の一生をいかに全うできるかどうか、人としていかに幸せに喜びの人生を生きることができるかに関わる重要なことやねえ。その為にも男性は男性として女性は女性として全うできるかどうかが本当に大事なことになりますね。
 

 私たち人という生き物もある時この宇宙に生まれてきたのですね。人類の親は人類ではなかったのです。47億年前の地球の誕生からすればつい最近ですが、新人は数十万年、猿人は数百万年くらい前に生まれてきたのですね。その際男性と女性に産み分けられていた。すごいね。同じ人であって同時に男女の別のある生物としての誕生だった。ゆえに次のいのちをつくるのは男女が出逢わないと、そして男女が交わらないと産みつくれない。地球上に自然に生まれてきた人類ですが、その後は自分たちで産み育てていきなさいというわけですね。すべての生物がそのようになっていますね。人もそんな生物であるゆえに男女は自ずから引き合うことにもなるのですね。

 
 すべてのいのちは次のいのちをつくることのできる生物として自ずからの誕生でありますが、この自然界生命界は無目的に生まれたのですね。自然に生まれてきているのです。宇宙に誕生するものすべてがそうであり、人間もそうなんです。無目的にです。もちろんやがてかならずの死滅も無目的にです。なのに過不足なき完全体として誕生してきているのです。すごいですね。人間の場合は男女に産み分けられての完全体です。またまたすごい。お米なんかは一粒のところに雌しべと雄しべがそろっている。ある生物は雌しべと雄しべが別の場合もある。人間の場合も別なんですね。そしていずれも過不足なき完全体としての誕生です。この完全体としての存在であり営みの性質の一つである次のいのちをつくることにおいては、すべての生物自ずからの営みとしてのことであって、人間も同じです。

 
 ところで、次のいのちをつくるということ以上に男女の出逢いは大切で重要なるものであり必要とすることです。いのち自ずから必要としています。子どもをつくるためだけではなくて、男女夫々が我が人生を全うするに欠かせないことであります。もちろん私たち人間の社会を構築してゆくうえにおいても欠かせません。ゆえに引き合うのですね。男女の出逢いは男として女としてのそれぞれの性を生きることと同時に、人として生きて全うするに必要なことなのですね。男女の出逢いは夫々が人間性を養い立派に成長するに欠かせないことともなります。お互いに愛おしみあって相手を大切に大切に尊重して生かし合い育て合い、育ち合うことはそれぞれの人生を豊かに全うさせてくれるのですね。心からも、魂からも、肉体からもお互いに愛おしみ合う、接する、交わる、大切にしあう、共に生きる、そのことによってその時その時を全うすることができる、育つことができる、大いに人としての智恵と能力が湧き出で発揮し働きを成すことができる。意味のある、意義深い人生を全うすることができる。そうなるのですね、人という生き物は。 


 男女の出逢いは別の生き物として誕生してきた人間の基本となる生き方になります。出逢った男女それぞれが相手を大切にしながら愛おしみながら心も身体も一つにして子どもをつくる、そして子どもを育てる。さらに100年前後の人生の全うにおいて、精神から、心から、霊魂魂魄から、肉体から大切にしあう、尊重し合う、尊敬し合う、愛おしみ合う、愛し合う、求め合い与え合う素直で誠実な心身からの交わりの営みを大切にしあうことによって今を喜びのうちに生きることになる。その結果、大いなる人としての智力能力が働き、優れたものを創造してゆくことができる。そうした日々が人生を全うするに欠かせないことになる。喜びの今、今、今、平安の今、心身安定の今になる。そうした心身の交わりを深め極めることによって湧きいで生まれ出る喜びは明日へのかけがえのない糧になる、意欲になる、希望になる、と同時にその喜びは生きている意味と意義ともなり大きく人として育ち成長してゆくことにもなる。交わってこの肉体と精神一つとなって全存在から、存在の根底から深く深く感得、感入する、喜ぶ、極まる、安定する、深くより自己実現する、存在に納得する、そのことが生きていることの意味にも意義にも繋がり、それがそのまま成長に繋がる、さらに絶対界に立つことになる。宇宙を得ること、宇宙を観ること、宇宙を体得することになる。


 相対界を超えて男女の別を超えて一体の営みをする中で極まった時には、絶対界に至っているのですね、相対する男と女が相対を超えて絶対に至る。絶対の境地に入る。時の流れを超え、自他の別を超え、遠近、大少、貧富の別など、相対する世界を超え別なき絶対の世界に至る。無始無終なる永遠の宇宙に至る。極まって絶対の境地を得ることによって絶対界が観える、絶対なる宇宙が観える、絶対の境地を体得する。大きく成人する。宇宙人となる。愛し合う男と女が一つとなって生きることによって人は人として大いなる全き人に大きく成人する。男女が尊重しあい尊敬しあい愛おしみあい成人することによって宇宙がどうなっているのか、いのちの世界がどうなっているのか、そして人類はどんな存在なのか、宇宙における人類の分を、さらに自分の分をも悟り人間の運命をも識っていくことになる。100年前後の生の期間のあること、やがて死に運ばれることの事実がわかり受け容れられるようになる。この悟り知るに欠かせない宇宙の実相実体を見極め真実と真理を知るに必要な智力能力がしっかりと働くようになる。そして大切な高い絶対の境地を得ることになるのですね。


 人は絶対の境地に至ることなく相対の境地にとどまっていると他と相対的になる。自他が相対する境地は他者と対立的となり争いともなる、他国と対立する、他国と戦争することになる・・・・。こうした不幸に陥らない為には絶対の境地の体得と人間性の成長が是非に必要です。
 

 
 真の幸福、真の平和に至るに欠かせない男女の出逢いです。男女が喜びの中で幸せの中で愛おしみ合いそれぞれの性を極め全うすることによって、優れた絶対の境地を体得することができる。あるいはその智力能力が大きく養われる。あるいは人として真にすぐれた人間に成長する。本当に大切な男女の身と心の交わりだなぁとつくづく思います。明日への糧になると同時に共に大きく育ってゆくのですね。誰しもが必要となる人生における全き人間性の成長に欠かせない男女の出逢いです。時を得て生き、年を重ね、青年期を生き、そうしてやがて壮年期、老年期に至れば誰しも人としての役目務め使命天命があります。我が子を更に立派に育てないといけない、次の若者を立派に育てないといけない。その為には育てることのできる人間に、育てることのできる男性に、育てることのできる女性に必ず育たないといけない。男女が出逢い、和し、生きてゆくことによって人として大いなる働きを有した、すぐれた智力能力を養い育てた立派な大人に育ってゆくことができるのですね。
 

 それぞれそれぞれの我が道における分野で、政治の舞台で、教育の舞台で、芸術の舞台で、宗教の舞台で、医療の舞台で、経済の舞台で、農・林・漁の舞台で、衣食住の舞台で・・・。真に正しい働きを成す人に育ち、人間社会において正しく美しく立派に働きを成し、やがてはそれぞれそれぞれの分野で次の若者を立派に育てないといけないのですね。幸福に生きることのできる人間に育てないといけない大人としての役目があります。平和な社会を創っていくことのできる人に育てる智力能力は、優れた出逢いと相和し一体となって生きることによって養われるのですね。そのようにもつながり広がり実ることにもなりますね。ですから子どもを産みつくるのも大事なことですが、一生の全うに、あるいは大いなる働きをする人間に成長するに欠かすことのできない男女の出逢いであり交わりです。人生をそのように認識していないと、そのように位置づけしていないと、そのように生きないと、やはり一生を全うできないし、一人の人間として救われないし、しっかりとした仕事ができないし、優れた平和な人間社会を創造し建設していけないですね。


 なんと言っても事実は霊肉一体です。肉体も精神も美しくきれいな善なる人間に育たないといけないし、次の世代も育てないといけないですね。真に優れた人間としての一生の全うに欠かすことのできない男女の出逢いであり男女の交わりであり一体となっての営みであり日々の生活です。何においても、人としての成長においても生きがいにおいても喜びにおいても幸せにおいても、明日への糧を生み出すにおいても、生きている間は男性と女性が一体となって生きることが欠かすことのできない大事な大事な基本となります。そのように理解して、そのように認識して、そのように生きないといけないですね。そういう人という生き物なのです。本来は自ずからそうなるのです。僕はこうした人類に生まれてきて本当にしあわせだなぁとの思いが静かに湧き出でてきます。約78年間生きてきて、よろこびのなかで生きることができるようになっています。本当にうれしくありがたい今です。


八木 人生の全うにつながる大切なお話しをありがとうございました。



2017年10月
お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん 
インタビュー 編集 八木真由美
写真 Tomoka.K

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川口由一さん 自然農田畑 2017年10月

2017年11月28日 | 自然農 川口由一の世界

秋雨続く10月半ば・・、
自然農実践家指導者でいらっしゃる川口由一さんを
奈良にお訪ねいたしました。 

 

 

可憐なコスモスが咲く頃、
稲穂とコスモス、その美しい光景をぜひ拝見したくて
雨の中 田畑を見学させていただきました。
川口さんもお元気でうれしいです。‼

・・・・・・・・・・・・・・・・・

稲刈りまで約一か月、(稲刈りは11月中旬以降)
まだまだ初々しく生気に満ちた稲の姿です。10/16

写真手前は古代米の緑米です。
そして赤米 黒米と並んでいます。

分けつも素晴らしいです。

10月は雨が多く 台風も二つ来ましたが、
しっかりと逞しく育っています。  

水田のすぐ南側の畑です。
こちらにもコスモスがやさしい彩。
インゲンは種取り用を残されていました。

9月に定植されたキャベツが健やかに育っています。 

 

 キャベツのお隣の畝にはネギです。↓
豊かな畝ですね。

耕さず 草や虫たちを敵にせず 
持ち込まず持ち出さず 
いのちの営みを重ねた川口さんの自然農畑。
この豊かさは、心の眼と全身で感じていただければ
写真からも伝わるのではと思います。

こちらはイチゴですね。↓

田んぼの北側の畑も見せて頂きましょう。
こちらにもコスモスがやさしく咲いています。
風情がありますね。

 

三輪山も雨に抱かれています。 

玉葱の苗床です。↑ ↓ 

胡瓜や冬瓜を栽培されていた畝の一画が
からし菜と白菜の苗床になっています。↓

唐きびです。↓
粟とキビは収穫をすまされていました。

唐きびの隣の畝には ライ麦を栽培される予定だそうです。

↑ 手前は温床にされておられた場所ですが、
また来年も同様にされるそうです。
温床の向こう側には水菜の種が蒔かれています。 

手前は、そろそろ終わりをむかえる胡瓜の畝です。 ↑
その向こう側の細長い畝には、
小松菜とチンゲン菜とかつお菜を蒔かれています。
夏にはトマトを栽培されていた場所ですね。

秋そばです。 ↑ ↓
最初に蒔いたものは鳥に食べられ、
蒔き直しをされたそうです。
鳥よけ紐が張られていますね。

ピーマン・万願寺唐辛子です。 ↓ 

田んぼから歩いて南の畑へ。

紅葉した落ち葉がとてもきれいです。
柿の木下のスペースにはチューリップとからし菜。
春が楽しみですね。

その周囲には、こぼれ種で育ったゴボウがイキイキしています。↑
素晴らしいです。

こちらの畝には、さつまいも 人参、元気いっぱいですね。↑ ↓


耕さず年月を重ねた畝にゆったりと
心地よく並ぶじゃがいも。
もし私がじゃがいもだったら夢見心地かも・・。
じゃがいもと小豆ですね。↓

ジャガイモの隣に生姜が並んでいます。

来年は私もじゃがいもと生姜を育ててみたいので、
しっかりと見せていただき 感じさせていただきました。

 

 

花梨ですね。↑ 

実を結ぶニラです。雨の雫が光っていました。↑

落葉樹の下にフキが顔を出していました。↑

落葉樹の下には
大根 チンゲン菜 小松菜
大カブ 小カブの種をばら蒔きされています。

奥の果樹の木の下には
桜島大根の種をばら蒔きされておられるそうです。 

春には一面の菜の花に・・。

川口さん 今回も田畑をご案内いただきありがとうございました。
コスモスのお花もやさしく出迎えてくれました。

次回は冬の訪れとともに、またお会いできますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆様
いつもブログをご覧いただきましてありがとうございます。
これからも自然農・いのちの世界のことを
発信してゆけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。♪

八木真由美  岡山

  

 

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川口由一さん インタビュー 「 宇宙の創造 人の創造」 第二話 誕生の瞬間 

2017年10月29日 | 自然農 川口由一の世界

誕生の瞬間
「宇宙の創造 人の創造②」
インタビュー 2017.9

 

八木 今回は宇宙や人における誕生の瞬間についてお話しを聞かせてください。

 

川口 そうやねぇ、本質に迫る大事な大事な話ですね。ところでその話をする時にやはり僕も宇宙はどうなっているのか、何が起こるのか、宇宙の現象界における諸々の誕生の瞬間はどうなっているのか、それと男女が交わって営みをして次のいのちが宿る時の瞬間がどうなっているのか、と思索するのは挑戦的なんですよね。なんとなく感じているところ観えているところ観えてくることの話であり、姿形あるものではないのですからね。挑戦的にともなるのですね。でもなんとなく観えてくるもの察知していることを言葉に換えるというのは正確に認識するということですよね。挑戦的と言いましたが他者と戦うということではなくてですよ。何度も何度も僕、関心があるからやっていることなんです。何がなんでも知りたい、分かりたい、納得したいのですね。それでいてなかなかね、こうだとは言い切れない、でもその近辺を観続け察知し続け思索し続けていたら、なるほどそうなっているのだなと言うことが観えてくるし、明らかになってくるのですね。こうだと一言で言いきれるものではないので、いくつかの言葉を用いたくなるのですが。

 

 ところで私たち人間をはじめ、現象界に誕生してきたすべての姿形あるものは皆同じ存在に置いたらいいのであって、姿形あるものすべては宇宙の子ですよね。そして姿形あるもの物質を授かっているもの生まれてきたものは必ず死ぬ、と言う絶対の運命があっての限られた生の期間があるのですね。生の期間があるというのは宇宙の子であって宇宙いのちを少し授かっているということですね。いずれのいのちにとっても必要な量だけ授かっていて、人間は人間として一生を全うするのに必要な量としていのちを授かっており、それを時間で言うならば100年前後与えられているのですね。それ以上は必要ない、それ以下だったら足りない、過不足なきです。適量なのです。すごいですね。お米は六ヶ月から七か月、それで過不足なきいのちとして与えられており、その期間に次のいのちを産み創って親は死んでいきます。いのちの量も知力能力も身体そのものも過不足なくです。すべてそうです。地球だってそうです。地球も47億年前に生まれ後何年間生きられるかわかりませんが、過不足なき有限の物質、物体、身体でありいのちなのですよね。宿しているいのちは有限で、太陽だって50億年くらい前に水素とヘリウムを主とした物質のガス体で生まれたと言われていますけれども、その前は存在してなくて、生まれたのはいのちを宿しているゆえだけれども、やがては消滅していく、生きるだけ生きたらそれはそのまま燃焼ですので、だんだんだんだん燃焼していったら滅してしまう、亡くなる、死ぬ、そういう営みであり存在なんですね。

 

 ところで姿形のない宇宙が姿形のあるものを生み続け生かし続け、死なせ続けているわけですが、産む瞬間に何が起こっているのか。宇宙の子の私たちが次のいのちを産む瞬間に何が起こっているのか。それは宇宙の子ゆえに親である宇宙と相似た出来事だと捉えていいと思うのです。姿形のある男女が交わって営みをしている時のことと、姿形のない宇宙の営みが相似ている、そこのところに焦点を合わせてよく観つめきって考えてみるならば、宇宙というのはいのち、大いなるいのち、すべてのものを生み続ける大いなるいのちととらえたらいいと思うのです。宇宙の子の私たちも男性も女性も宇宙いのちを宿している、ゆえに宿しているいのちの営みの中で宇宙と相似て次のいのちを生み創り生かすことができる。もちろん無限のいのちの宇宙とは異なる有限のいのちですから、限られた期間だけですが。

 

 ところで姿形のない宇宙はどうして生むのか、何が起こって生まれるのだろうか、を明らかとするために宇宙を違った視点から観ますと、時空、時間・空間と観ることができます。これは宇宙の働きのことです。宇宙は時空、そのように置き換えられます。さらに宇宙というのは『いのち』と置き換えられます。大いなる『いのち』です。『いのち』というのは時空という働きがあるということです。ところで『いのち』を産むにおいては、すべて陰と陽の営みで起こる、生じる。『いのち』はプラス、マイナス、陰、陽の別なきなのだけれども、同時に陰と陽の異なる働きを有している。それでプラスとマイナス、陰と陽の異なる働きによる営みのなかで起こるわけですね、行動、活動が起きる。現象が生じる。


 宇宙の「宇」は「空間」を表してそれは「マイナス・陰」です。「宙」は「時」を表して「プラス・陽」、活動を司るエネルギーを有している。宙なる活動する陽のエネルギーは宇なる陰の空間のところで活動する。人間の新たないのちの誕生においては女性の子宮は宇、空間です。それで陰。男性の生殖器は陽で活動を司るエネルギーを有しているので盛んに活動する。ところで宇宙の子であるゆえに限られたいのちであり働きである運命ですから、次のいのちを産むことのできる期間が定められているわけですよね。寿命は100年前後だし、次のいのちを産み創る働きの有る期間があるのです。その間でしか次のいのちは産み創れないのですね。

 

 ところで、陽の宙でもある動的で積極的な男性が陰の空間で陰の宇のところで静的で受動的な女性の子宮の中で活動の営みをするのは、時が営まれるということですね。時が営まれるというのは時が流れるということです。いのちが営まれるというのは空において時が流れるということと同じですね。営んでいるというのは時の流れが瞬間瞬間に止まることなく時が流れていっているということであって、瞬間瞬間営んでいるのですね。営みができ活動できるのは空間があるからです。時が流れることができるのは空があるからですね。「陰の空」と「陽の時」は自ずから活動する。宇宙においては常に休むことなく止まることなく活動し続けている。常に活動を盛んにしているわけですよね。姿形あるすべてのいのち達しかりです。陰陽夫々の性を有するいのちであるゆえに夫々が陰陽の活動をするのですね。それで私達人間である陽の男性が陰の女性の空なるところでその営みの時を続けているとやがては熱が生まれてくるわけですよね。陰の宇のところで時が営み流れることによって陰の女性の子宮の中で陽の男性が活動続けると熱が生まれてくるわけです。これは結果であり現象ですが、熱が生まれる、光が生まれる、やがては電気が生まれる、磁気が生まれる、いのちの誕生に欠かせない液が生まれる。そしてさらに活動盛んになって受動的な女性のいのちも活動盛んとなり、ついには陰陽別なく一つのいのちとなってそれぞれの性が強く発揮して、やがては夫々の気が盛んにとなって熱は強く高く多くなり、電力、磁力が増して電磁波が流れて変化を起こす。同時にそれぞれの男性女性の内なる性からの心、精神、霊魂、魂魄が大いに働き、やがては絶対界に送られることとなって、感謝の思い深くより湧き出で、男女が思い一つ、願い一つ、心一つ、よろこび一つになって全身全霊で愛し合いきって、ある瞬間に大きな変化が生じて男女共にそれぞれの男性性が女性性が恍惚となって極まる。男性性は極まれば内に宿していた特殊なる能力を発して精液勢いよく発して女性の子宮に送られるわけですね。それだけのエネルギーと働きを持っているゆえに愛し合い交われば湧き上がって発するわけです。そして女性は子宮のところでそれを受け入れて、そしてそこに卵子がある時は夫々から発したものが一つに溶けあい合体するわけです。受精する。新しいいのちが誕生する。子宮の中で。この際、女性も女性性が恍惚状態に極まっているならば男女同時に絶対界に入りきって極まり深い喜びと平和の中での新しいいのちの宿りですね。しあわせのなか異にする男性と女性が別を越え一体となることによって、大きな変化、新たな一つのいのちが宿るのです。新しいいのちも深い深いよろこび、真なる幸福からの誕生ですね。そして宇宙における誕生にはない人間ゆえの情緒があり、人間にしかない喜びがあり、人夫々の幸福感となるものが伴っているのですね。男女にも新しく誕生したいのちにも。



 ところで宇宙においてですが、宇の空なるところで陽の時が流れる、営む、時間が休まず止まらず、すごいエネルギーで営み流れて経過しているわけですね。広大無辺なる宇宙で絶大なる営みによってやはり熱が生まれる、光が生まれる、電気が生まれる、磁気が生まれる、電磁波となり動く、走る、あるいはすごい風が生まれる、あるいはいろいろの姿の動きや強いすごいことが生まれ起こる、上下左右無数のうねりが起こる、そうした出来事の中でやがてなんらかの最小の物質、微小の素粒子、姿形のあるものの元となる粒子が生まれる。或いは姿形質量が生まれる前段階の何らかのものが生まれる。例えばダークエネルギー、ダークマターとも名付けられる謎のエネルギー、謎の物質らしきものが生まれる。そしていかなるものといえどもすべて生まれてきたものは刻々刻々、時の流れの中でいのちを宿しているゆえに変化する、あるいはくっつきあう、あるいは分解する、あるいは分かれる、あるいは衝突する、あるいは衝き放す、引き寄せる。いろんな営みの中でくっつきあうものはくっつく、くっつかないものはくっつかないではじいたり、はじきとばしたり、はじきとばされたりがいのち自ずからの営みで自然に生じ起こるのですね。いのち自ずからくっつくものはくっついてだんだんだんだん姿形を質を量を重さを色を香りを働きを性質を現わしてゆく。もちろん小さな物質の最少の素粒子のところにもいのちを宿しているから、くっつきながら離れながら変化して、だんだんだんだん体(たい)を現わし変化してゆく。常にそこにいのちを宿していて、自ずからそれぞれそれぞれの性質と働きによって変化し、新たな体を現わしてゆく。そうしたことから地球が生まれ現れてきた、太陽が生まれ現れてきた、いろいろの星々が生まれ現れてきた。そして夫々の星と星とが群がり一体となっての生命圏が生まれる。地球生命圏、太陽系の生命圏、銀河系の生命圏・・・さらに夫々の生命圏においても繋がり軍団を成すのですね。人類社会においても同じですね。一人一人、夫婦、家族、国家、民族、夫々の如くです。宇宙自然界生命界でそのようなことが起こっているのだと思い考えられます。

 

 ところで、宇宙本体には姿形がない。本体のその宇宙を生んだのは誰なのかということになりますが、本体の宇宙は誰が生んだのでもなく、いつ生まれてきたのかでもなく始めから在る、宇宙は始めから在り終わることなく在り続けているのです。宇宙は不生不滅です。生まれることなく死ぬことなき絶対の存在、永遠不滅の存在なのです。この姿なき永遠の存在で在り続く宇宙が生む営みをやり続けている、変化させる営みをやり続けている、死なせる営みをやり続けている、星を生む、星を変化させる、星を死なせる、あるいは地球生命圏の中でたくさんのいのちを産む、創る、今までなかった生物を生む、創る、死なせてしまう、そういう営みをし続けている変化変化新た新たのこの世界は現象世界です。この現象世界は本体の宇宙が現出させているのですね。そしてなんともすごいことですが現象世界も宇宙なのです。そして宇宙における現象世界は常に大調和であり壊れることなき秩序なのですね。本体の宇宙はそういう営みをし続けていて、始めなく終わりなく在り続く。無くならない。宇宙を時空でとらえるならば、時空は止まらない、無くならない、在り続く。この宇宙を『大いなるいのち』ととらえるならば、在り続く、営み続く、無くならない、いくら営んでもその営みは即ち時空の営みはなくならない。消耗しないのですよね。宇宙本体は無限のエネルギーを有して営み続けるのですね。


 この宇宙生命界における無限のエネルギーは宇宙本体のみであって、宇宙が生む現象世界におけるいのちあるすべての姿形を有するものはかならず終わりがある。太陽だって地球だってたくさんのエネルギーを有し発している、けれどもそれは有限でかならず無くなり死ぬ時が来る。でも宇宙は営み続ける、消耗しない、消費しない、営み続けて産み続ける、育て続ける、変化させ続ける、死なせ続ける、それは始めなく終わりなくその営みをし続けて無くならず終わらずです。しかも調和が続き秩序があり続ける、壊れない。それが時空・宇宙なんですね。あるいは陰の性質と陽の性質を持ったいのちが営み続けているのですから、宇宙の中では色んなことが起こっているのですよね。色んなことが起こっているなかで大きなうねりが大きな風が大きな変化が、そして地球生命圏の中ですごい台風があるとか竜巻があるとか、あるいはあるところで勝手に山火事が起きるとか地形が大きく変わるとか、すごい熱を生じるとか、すごい氷河が生じるとか、氷河期が続くとか、海から大地が隆起するとか、大地が海に没するとか色んなことが起きるのですね。宇宙における一つの生命体であり生命圏である地球と同じように宇宙における現象界で相似たもっともっと激しいことが起こり続けている。宇宙は、時空は、いのちは、生む、育てる、変化させる、老いさせる、死なせる、をやり続けている。なれど本体の宇宙を生んだ親はない。宇宙は元より在り続けている存在、絶対の存在、そう捉えたらいいと思うのです。それで初めて疑問が解け謎が解けて明らかとなり納得が入るのですね。 

 

 ところで、今日の専門家の人たちは宇宙には始まりがあって終わりがあるととっているのですね。今日の宇宙は360億年前に誕生したと言っているのです。やがて宇宙は死ぬ、壊れると言っているのです。誕生した時は無のエネルギーがインフレーションを起こして大きく大きくなってそのエネルギーがビックバンを起こして爆発して宇宙が誕生した。そしてどんどんどんどん膨らんでいる、宇宙はどんどんどんどん膨張していて、ある時がきたら壊れるってそんなことを推測しているようだけれども。それは宇宙における部分での現象世界の出来事なのですね。もしそうしたことが実際に起こっているならばそれは宇宙本体ではなくて、宇宙におけるある部分での生命圏における生まれる死ぬの営みであり出来事であり、宇宙で生じている現象世界でのことですね。それは宇宙本体ではなくて宇宙で起こっている出来事ですね。果てのない宇宙のところで起こっている出来事です。


 果てのない宇宙、姿形のない宇宙、姿形を現していないいのち、姿形のない時空はあり続けている。宇宙は、時空は、姿形がないのですから膨張することも壊れることもない。不生不滅、不増不減で営み続け在り続く無限エネルギーを有する大いなるいのち。そうした宇宙で誕生し今も営みをしている地球であり私たちなのです。宇宙は亡くならないし終わらないし壊れない。現象界における地球や多くの多くのすべてのいのち達私達は亡くなるし終わるし壊れるし死ぬのです。黙して語らぬ永遠不滅なる絶対存在の静寂なる宇宙ですが、激しい宇宙生命界でもあるのですね。地球も太陽も銀河の星々も、すべての生物無生物も死ぬ。変化する。壊れる。それも時空の営みで起こっている激しい活動なのです。宇宙で現れる現象世界は激しいのですね。
 

 ところで人間の男性も女性もそれぞれの働きが与えられているから、大きな働き、時には激しい働きをするのですね。それが宇宙と相似た営みをする中で働きが現れて発して男性の子種である精子が女性の子宮の中に発してそこで卵子と結ばれるのです。新たないのちが生まれるわけです。今までなかったのに。本体の宇宙の創造と宇宙から与えられている人間のいのち、有限のいのちにおける親から子への創造との違いはありますが相似た営みから相似た出来事の中でのことだと観えてくるのです。こちらは有限で宇宙は無限なのですよ。そのところでずっと思い凝らしていることを、今それなりに言葉で観えてくるものを話しました。ああそうなっているのかって。 

 

 ところでこんな説を立てている人があるそうです。月はある時、地球から分かれて生まれた星だと。あるいは勿論、ある星が死期に至って分解して散った物質がまたまたいのち宿した一つの星になるとか。陰陽の営みによるのではなくて細胞分裂して新しいいのちが誕生する生物もあるのですね。その時何が起こっているのかも観つめてみたいですね。糸川という星なんかは小さいのだけれど卵型のような蚕の繭のような姿をしていますよね。もちろん中にいのちを宿しているからですが、そういう形をして生まれてきたのですね。生まれ姿形を有し、やがて死ぬ、生まれて死ぬことが果てなき宇宙で無数に起こり続けているのですね。新たに生まれて来る、死んでいく、そういう営みをし続けているこの宇宙生命界における地球の存在、地球におけるそれぞれそれぞれの生命体であり私達人類ですね。

 

八木  大いなる宇宙はあり続け、その宇宙におけるいのちの誕生についてお話しいただきましたが、この地球も生まれた瞬間があったのですね。

 

川口 そうですね、あったのですね。47億年前と言われていますが、存在してなかった星であり生命体ですが、ゆえあって生まれてきたのですね。いかなるゆえあってなのか知りたいわけですが、とにかく生まれる条件が備わったゆえに生まれるしかなかったのですね。生まれた当初は生物に欠かせない水も存在しなかった、もちろん生物は存在しなかった。が、やがていのちの営み、すなわち地球における空における時の流れで、ある時に水が誕生してきた。やがて生物の誕生は38億年前頃で、始まりは水中の生物ですね。それはだいたい地球のいのちの営みが9億年くらい経ってからだそうです。そして長い長い時を流して今度は陸上の生物が生まれてきた。そして陸上でもたくさんたくさんの生物が今日までに誕生してきた。もちろんある時までには存在した生物が死滅していった。それからかつてはいなかった生物が誕生して今も生き続けている。今日に繋がる新人類は数十万年くらい前に生まれてきたのですね。猿人は数百万年前くらいに生まれてきたと言われていますね。いずれもかつてはいなかった生物ですよね。ですから人間の親は人間ではないんやね。地球だって同じで、地球を生んだ親は地球ではないのですね。 宇宙本体と本体に現出し生滅を重ね続けている色んないのちたちが一体の営みの中で人といういのちが自然に生まれてきたのですよね。自ずから然らしむる誕生ですよね。目的無く無目的の中で人という生き物も生まれてきたのですね。地球しかり、太陽しかり、現象界におけるすべての生物・無生物しかりです。そしてなんと無目的に生み、無目的に生かし、無目的に死なせるのです。宇宙本体の存在も宇宙に現出するすべての存在、生滅・生死も無目的なのですね、すごいですね。 


 ところで無目的に生まれ続けているが、すべては完全絶妙。夫々のいのちが全うできるべくの時間も能力も智力も過不足なく与えられているのです。もちろん存在することの場である空間もある。私達はそのような中で今日も親から子へと巡り続けているんやな。人として生きることができるようになっているんやね。でも、いつかはいなくなりますよ。生まれてきたもの姿形のあるものは必ず死に運ばれる定めですものね。一人一人の寿命があって、人類の寿命もある。後どのくらい人類は地球の上に生存しているかわかりませんけれども。この果てのない宇宙に47億年前に生まれてきた地球ですけれども、たくさんのいのちを生み創り死なせてきましたけれど、地球もやがて終わりがあるし地球の上に生まれてきたたくさんのいのちたちも個々の寿命と生物そのものの寿命かあり、やがて終わりがある、そういう定めの中でのこの今なんだと言うところを正確に認識して今を大切に生きないといけないですね。人間の間違った生き方で人類の生存の危機を早めるようなことをしてはいけないしね、早めるようなことをしたら皆苦しみの中で一生を終わってしまうのでしょうね。自然に死滅していく場合はそういう苦しみはないと思うのですよね。自ずから死に運ばれていく。ところが人類の間違った生き方から環境に大きな問題を招いてしまうと人々は苦しみながら末期を迎える、そんなふうに考えられますよね。 


八木 宇宙の本質、いのちの本質、果てのない無限の宇宙と有限のいのちである星々や私たちのこと、それらのことを理解しかけがえのない時を大切に生きることができたらいいわけですね。

 

川口 そうやねぇ。人の道からはずれずに喜びの日々に心豊かな平和の日々に楽しい美しい善き日々に幸せの日々にしていかないといけないなぁ。人としての成長の道を明らかにして成長の日々とし正しい生き方を明らかにして正しく生きないといけないなぁ。もちろん宇宙を知る、いのちを知る、宇宙における人類の位置や分を知る、そして与えられている智力能力を知った上で夫々が我が道を明らかにして、心平和に、豊かに、美しく、正しく生きていかないといけないね。人は悪や醜や偽りについ落ちてしまいますね。ですから、人は人として育たないといけないのですね。人は育つことのできる存在なのです。人間性の成長、人格の形成が必要なのですね。自然界は美そのもの善そのもの真そのものですから、すごいですし、ありがたいですし、うれしいですね。

  

八木 ほんとうにそうですね。この地球という美しき星に抱かれ日々生かされ生きることの喜びを感じています。そしてお日様もお月様も実にきれいですよね。

 

川口 本当にきれいやなぁ。

 

八木 昇る太陽も沈む太陽もうっとりするほどきれいですし、夜空に輝くお月様もなんて美しいのだろうと見上げています。

 

川口 自然界のものはそれぞれに性質があるのだけれどすべてきれいやなぁ。色も姿形も動きも異なるけれどもすごいですね。そして真やねぇ、偽りではないね。そしてすべてのいのち達が我がいのちを全うしている。ひたすら生きているのですね。たくさんたくさんのいのち達が生かされそして生きているのですが、決して他を生かす為に生きているのではないのです。太陽は地球上の生物を地球上の人々を生かすために光や熱を届けるべく生きているのではないのですね。そしてそれがそのまま生かし合いともなっているのですね。もちろん生かし合いと同時に殺し合いであって常に大調和、大秩序の生命界であり自然界なのですね。


八木 すべてのいのちの営みは自ずから然らしむる営みで、すべてのいのちは無目的に生まれてきたのですね、そして大調和、なんてすごいことでしょう。

 

川口 完全な生命体として営みをしているし、それでいてそれが無目的であって目的があってのことではないね。すごいよなぁ。今日も太陽が朝東から登って西に沈んでいくけれども、それは目的があってのことではないのです。空間があるのも時間があるのも時が流れるのも営むのも目的があってではないのです。ゆえに自ずから然らしむる『自然界』と命名したのですね。すごいよなぁ。

 

八木 目的をはるかに超えたところでの自ずからの営みによってこんなにも見事な世界が誕生している、宇宙の創造はすごいですね。

 

川口 太陽そのものも目的があって営んでいるのではないし、それを生む宇宙も目的があって存在しているのではないのですね。すべては無目的やねぇ、無目的の誕生、存在、営み、無目的の死、無目的の終わりやなぁ。その中で人は幸せの日々に、喜びの日々に、美しい日々にするべく目的を持って生活しないとな。そのためには100年の生の期間ひたすら人間性の成長に励み、人格形成に取り組まないといけないね。誰しもが成長できるんですよ。誰しもが幸福になることができるべくの私達人間なのですね。


八木 はい、そう在りたいと思います。 
ところで宇宙本体と宇宙の子である私達は創造するものと創造されるものという相対的な関係であると同時に一体であり多元的にこの世界を織りなしていると感じていますが、いのちの生滅における営みをその視点から観るとどのようになっているのか教えてください。


 川口 そうですね、宇宙本体と宇宙の子である私達、あるいは誕生したすべての姿形を有するものとの関係は一体であると同時に個々夫々別々ですね。一体であるというのは対の絶えた絶対の存在、別けようのない一つなる存在。別であるというのは対の有する相対の存在、相対する別々の存在。この一体であると同時に別々というのは一つのことにおける観方からのことと、宇宙における事実であります。一つなる絶対世界と同時に個々別々の無限数なる相対世界でもあります。このことは一つなる宇宙における二面性でもありますね。宇宙本体とも宇宙に誕生したすべてとも一体であると同時に別々。もちろん流れる時、営むいのちの世界ですから、過去・現在・未来の別、過去のすべて、全過去と一体であって終わりなき全未来とも決して切り離すことのできない一体の存在であり営みなのですね。そうした一体の存在であり営みから生じる現象世界であり、そこから生じる私達人類をはじめすべての誕生であり、姿形であり、寿命であり、智力能力であり特性ですね。47億年の時を流し、宇宙で、そして地球で生じる出来事すべてによって、いのち達の寿命も性質も能力も姿形等々、何もかも決まるのですね。そうした世界で人類は少し前にこのような生物として生まれるようになっていて生まれたのです。生まれるしかなかったのですね。生まれるようになると生まれるしかない。死ぬようになると死ぬしかないのですね。人類も滅亡するようになれば滅亡するしかないのです。そうした宇宙自然界・生命界なのですね。すごいですね。

 


八木 ほんとうにすごいですね。宇宙のしくみが観えてくると人としての生き方においても大きな我が目覚めるような気がいたします。今回もいのちの原点を深く観つめることになりとても楽しく心が弾みました。ありがとうございました。

 


川口 いやいや僕も楽しかったです。弾みました。ありがとうございました。


お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん


 

2017年9月 インタビュー 文字起こし 八木真由美
文中の写真 Tomoka.K

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宇宙の創造 人の創造①

自然農 川口由一の世界

気楽に自然農

自然農 いのちのことわり

自然農稲作教室 岡山 


 

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川口由一さん インタビュー 「添う 応じる 従う 任せる」人間関係において 2017.9

2017年10月21日 | 自然農 川口由一の世界

添う 応じる 従う 任せる 

「人間関係において」インタビュー2017.9 

 

八木 川口さん こんにちは。自然農の栽培では気候風土や作物に添い応じ従い最後に任せます。人との関係においても「任せる」ということが大切になってくると思いますが、任せることができるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。?

 

川口 私が宇宙・絶対界に立って自立していないとね。一人で立つだけの強さを養っていないとね。そして宇宙いのちの道、人の道、我が道を体得していないとね。そしてそれぞれがどういう存在かということを正確に知ることが大切です。人との場合には一人ひとりが今どこに立っているのかを親の立場・先生の立場、農夫の立場で見ていないと任せきれませんね。幼子がおっぱいを欲しがっていたらあげる。まず応じる、従う、そして任せるね。その子のことがわかっていない場合は正確に応じられず、曖昧なままだと放任になりますね。正しく応じられずに問題を招くことになりますね。農夫や親や先生は曇ることなき深く澄んだ清らかな智力で察知する能力を養い持っていないとね。

 

八木 察知していない場合は、干渉しすぎたり放任になったりするのですね。

 

川口 そうそう、そうなりますね。ところで成長過程おいては全部わかりきらないから、その時精一杯に対応して結果も見て失敗を繰り返さないように対応する、そうしながら育ってゆく、子どもを育てる、お米を育てる、そしてだんだんだんだん年齢と共に絶妙に育てられる、若者を絶妙に生きられる人に育てられるわけでしょう。お米や野菜を絶妙に育てられる、事々において絶妙に手を貸せる、もちろん添えるし応じられるし従えるし任せられますね。そうできるまでには色々と苦労や試行錯誤がありますが、あきらめないで投げ出さないでね、その中で育つから。年齢が若い場合、未熟な場合は必ず失敗するものだから。そんなの当然なので。あるいは混沌とするのは当然で、混沌としている中で成長してゆきますね。


2017年9月 インタビュー 文字起こし 八木真由美

   写真 Tomoka.K

 

 

 

 

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川口由一さん 自然農田畑 2017年9月 後編

2017年10月02日 | 自然農 川口由一の世界

 

川口由一さんの自然農田畑 9月後編です。
まずは田んぼ南側の畑の様子から。

ゴマが美しく並んでいます。
元気はつらつ ゴマたちの歌声が聴こえるようです。

しっかりと実がついており、
健康な氣を発しています。
9/12

 


田んぼと畑の堺のゆったりとした畦に川口さんが座っておられます。

スケッチブックを広げられていますね。

何を描かれているのでしょうか。

畑の可愛らしい草花のようです。
この季節に田畑で元気に生きる美しい草です。
私の田んぼにもたくさん咲いている黄色いお花。

そばに座らせていただき描かれているところを拝見しながら、
芸術のお話しを伺いました。

八木『描いておられる時はどのような状態なのですか。?』

川口さん『描く時は、色鉛筆に添ってもらいながら
僕も色鉛筆に添いながら、見えている花に添いながらです。
美しく見えている花に添い応じながら納得のいくまで色で表現し続けています。
美しい花が消えないように、美しさに感動している僕の新鮮な心が
薄まり消えていくことのなきように、描くことの喜びに生ききっています。』

描いておられる途中ですが写真を撮らせていただきました。↓


川口さんにとって自然農田畑は絵を描かれる創作の場でもあり
心から寛ぐことのできる憩いの場なのですね。

そして畑をご案内していただく前にちょっと休憩。
畑で涅槃?のポーズがこんなに似合う方はおられるでしょうか。(*^^*)
ゆとりを感じます。

ところで、ブッダは周りに動物たちが集まって来たと言われていますが、
川口さんの場合、作物たちが寄り添っているようにも見えます。
でも同時に作物たちはしっかりと自立していて、人に依存しておらず
川口さんも自然界や作物のいのちに添い応じ任せておられる、
そのような感じが爽やかに伝わってきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでは、畑をご案内していただきましょう。


まずは、さつまいも、紫蘇、ごぼうです。
少し離れた所には大きな実がぶら下がっています。
ヘチマですね。

グミの古木に登りしっかり実をつけています。
立派なヘチマタワシになる日も近いですね。

こちらの畝にはモロヘイヤとオクラです。
オクラはまだまだ実をつけています。

モロヘイヤの足元にバシルのお花が咲いていました。
やわらかでとてもきれいです。

こちらの畝には手前に春菊、
奥にサニーレタスの種を降ろされているそうです。↓

こちらは人参です。↓
8/28に種降しをされ、二週間で3㎝くらいになっています。
そろそろ間引かれるとのことでした。

こちらは空芯菜です。↓

美味しそうなマクワウリ。
お味を想像するだけで満足。
完熟中だそうです。

夏野菜たちが夏を過した畝に、秋が訪れています。

↓ 左側に生姜 右側の畝には秋ジャガが三列。↓

ここですよ、とジャガイモを見せてくださいました。

品種はアンデスです。↓

ジャガイモの隣の畝には小豆です。
ゆったりとした空間に健やかに育っています。↓

こちらは菊芋ですね。↓

あちらに見えるのはオリーブですね。↓
その近くにはシャクナゲなどの花木もありました。

真ん中の木は皇帝ダリアだそうです。↓
お花が咲いている季節の華やかさを想います。

ふんわりとアスパラ。↓

ムクゲ ライラックの木が並んでいます。↓
リラとも呼ばれるライラックは大好きなお花。
いつかお花が咲く頃、会いに来たいです。

黄色いお花は山吹だそうです。
春に咲くそうですが、秋にも咲いていますね。

果樹園へと・・・。

栗ですね。

山椒の実です。↓

 

こちらはミカン、豊かな実りです。
このあたりには 梨やリンゴ、桃の木、
柿の木も数本、新しいもの古いものとがありました。
そして梅の木です。↓

お茶の木も三本ほど育てておられます。
梅雨明けに摘んで干して番茶にしていただかれるそうです。↓

 

落葉高木の下に、10月になると大根のばら蒔きをされるそうです。
こぼれ種も落ちているので木の下をご覧になられ、
今年はどの程度蒔いたらいいのかを考えておられる川口さん。 

 

 

こぼれ種で育ったゴボウが豊かです。↑
そろそろ順に収穫できるそうです。

ゴウヤです。↑ ↓

トウモロコシは三回に分けて植えておられます。

ニラが花盛りでとても綺麗でした。↓

トウモロコシとニラのお花の前で記念撮影。

空も水色に光っていました。

夏の終わりの美しい自然農畑、
写真でふり返りながら
あらためてその豊かな園をなつかしく思います。

天も地も美しい宇宙に生かされ生きる喜びと共に
今回 感じさせていただいたことを心に想い描きながら
また明日から私なりの小さな楽園を創っていきたいと思います。

川口さん ありがとうございました。
お読みくださった皆様、ありがとうございました。

八木真由美 岡山

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自然農 川口由一の世界

気楽に自然農

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自然農 稲作教室岡山 

 

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川口由一さん 自然農田畑 2017年9月 前編

2017年09月29日 | 自然農 川口由一の世界

 

夏のなごりを残しながらも秋の訪れを感じる 九月上旬
自然農実践家 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
田んぼではお米が出穂・開花交配の時期をむかえています。


穂を垂れはじめているのが早生の黒米
うすい赤色の穂が立っているのは赤米です。
その隣は晩生の緑米です。9/11
うるち米は花盛りでした。



田んぼの周囲をゆっくりと歩きながら見せていただくことにいたします。

 


手作業での夏の除草も見事にされておられました。

 


自然に沿って 耕さず 
虫や草草と仲良く40年。
稲の足元はゆたかなゆたかな 豊穣の舞台です。

 

ほんとうに美しいですね。
晩生種の分けつは50~60本。
条間・株間ともにゆったりと植えておられます。
右端は香り米二種です。↓

背の低い方はタイの香米でうるち米とのこと。
こちらの背の高い香米は古代米でもち米だそうです。↓


健やかに清らかに育つ稲穂の美しさ
栽培される人の姿にも重なります。
大和 三輪山を望む川口さんの自然農田、
今年も豊かな実りになりそうですね。

 

 東南の方角から見た田んぼ全体です。↓

 


ご案内してくださいました川口さんは、
自然農40年、今も実践家として 指導者として
田畑と共に生きる姿を見せてくださいます。

この日はキャベツの苗を定植されていました。
鳥たちがやわらかな芽を食べたり
遊びにくるので苗床にはヒモが張られていました。


成長した苗から順番に広い畝に移植されます。

移植先は今夏 スイカを育てられた畝です。
まず植えるラインにヒモを引っ張り
株間を定めて植穴を掘ります。 

畝は耕されることなく、草草もそのままです。

 

田んぼの溝から水を運び植穴に注ぎます。 


水が浸透した後 苗を土付きのまま植えつけます。

周囲となじませまて出来上がり。
周りの草が伸びてきたら刈られるそうですが、
今のところはこのままで見守られるそうです。

草草の中に植わったキャベツの苗。
とっても居心地良さそうですね。

ふりむけば、つるありインゲンのやわらかな緑。 

そして今年最後のスイカの収穫です。
インゲンと朝顔も暮れゆく夕陽に美しく
静かな夏の終わりを感じます。

 

 

さらに田んぼの続きの畑も見せて頂きました。

アマランサスが立派に育っています。

きれいな色ですね。
枯れて黄土色になったら収穫とのことです。
どのようなお味なのでしょう。

アマランサスの隣の畝には
秋そばの種が降ろされ芽が出ていました。
前作はライ麦だったそうです。

そして粟・キビ・唐きびです。
下の写真の右列が唐きびです。

豊かな穂をつけた粟。

キビも素晴らしいです。

そしてゆったりと里芋。
素晴らしい生育でした。
田んぼを畑にされての栽培ですので
湿気を好む里芋にぴったりの環境で育っているようです。

夏野菜のピーマン、シシトウはやさしい佇まいで実をつけています。

バジルの良い香りもしていました。

こちらは夏野菜の地ばいキュウリの畝です。
実りの季節は終わりに近づき、
畝には種取り用の胡瓜を残しておられました。

種取り用です。↓

夕暮れの畑は なんともやわらかな風情。
秋へと少しずつ静まりゆくいのちの舞台で
心も身体も穏やかに・・。

今回は 夏から秋へと移り変わる季節に
川口さんの田畑にてゆったりと過ごさせていただき
自然農の舞台がいずれの季節にも 本当に美しいことを実感いたしました。
自然に添って、いのちの営みをたっぷりと感じることが
どれほど私たちを健やかに育んでくれることか・・。
自然農をとおして感じることは多くあります。
川口さん、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、後編は果樹や畑を中心に、
畑での過ごし方など
楽しいお写真も掲載させていただく予定です。
どうぞお楽しみに。

 

八木真由美 

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川口由一さん インタビュー 「宇宙の創造 人の創造」第一話 

2017年09月14日 | 自然農 川口由一の世界

無目的なる宇宙創造の営みに照らして人の創造の営みを知る
「宇宙の創造 人の創造 ①」インタビュー2017.4

 

八木 こんにちは。今回は「宇宙の創造 人の創造」の性質についてまずお話しを聞かせていただき、さらに宇宙の創造と宇宙の子である私たち人が創造をする時の在り方について照らし合わせてお伺いできたらと思います。

 

川口 宇宙の創造と人の創造なぁ。そうやなぁ。宇宙本体はいろんなものを創っている。休みなく作り続けている。始めなく終わることなく創り続けていますね。でも計算していないし、それから色々と思慮分別してないし、それから計画を立てるとか、或は修正するとか、そういうことは一切なく誤ることなく休むこともなく創り続けている、生み続けている、同時に壊し続けている、死なせ続けている、生死、育つ、刻々変化する、それらを現し続けていますね。それらはいずれも完全絶妙。生んだいのちがそれぞれに間違うことなく全うできるだけのいのちと智恵と能力を与え、時空をも与える。そういう存在として営み続けています。 

 

 ところで宇宙から生まれてきた人間ですけれども、宇宙と相似て完全絶妙に創造することができる存在です。我が人生を創造する、我が人間性を創造する、家庭を創造する、田畑を創造する、国を創造する、人間社会を創造する、宇宙はそれだけの智力能力を与えているのだけれども、でも宇宙のように常に無目的に無計画に思慮分別することなくその時その時絶妙に営めるかと言えば人はそういう存在ではなくて、それを得ることができる存在として生まれて来ているのですね。ですから成長しないとそれはできなくて、成長するに必要な時間を100年前後与えられているから、そこで自らを養って素晴らしい創造力を育み養って、総合的に偏ることなく、あるいは道からはずれることなく、退廃的な醜悪なものを創造するのではなく美しいものを創造する、そうした幸福に至ることのできるものを身に付けないといけないわけです。それを実現することのできる存在なのですよね。

 

 想い描き想像している時も宇宙に想像している、それを実際に具現化する時も私が生きているその舞台に創っていくわけです。宇宙に具現化しています。いずれの場合もこの舞台・宇宙にですね。宇宙という舞台に創造するには私が宇宙を得ていないとできない、人として育っていないと具現化できません。そして絶対界に立って創るのは相対の世界のものです。このことは宇宙と同じです。与えられている知恵と能力を大いに養い育ませて働かせないと宇宙と同じようには創造できないですよね。ところで宇宙の子である人間ですが、人間には宇宙にはないものが与えられています。人間にしかない人としての情緒、彩りです。さらに智力、意志力を働かせそれらを豊かに色づかせることができればなんとも言えず素晴らしいものを創造できる、人間社会を創造できる、あるいは衣食住を、あるいは芸術作品を創造できる、あるいは政治の舞台も宗教の舞台においても、親である宇宙を超えた人間しかできないものを創ることができる、そんなふうにつくづく思いますね。すでに人類はそうしたすぐれたものを過去からたくさん創ってきています。本当に優れた存在なのだなぁと思いますよね。なんとも言えない美しいもの、善きもの、真なるもの、なんとも言えない絶妙なものを、たくさんのものを、建造物に彫像に絵画に器に、あるいはいろんな装飾品に創造していますものね。

 

 紀元前数千年に遡るとすごいですよね。あるいは紀元後にもごくまれにですが優れた芸術家はおられますものね。無名でも優れた日々を生きている方もあちこちにたくさんおられるのだと思います。そういう人は救われていますよね、喜びの日々を送っておられますよね。100年前後の生の期間、親なる宇宙に劣らず、あるいは宇宙を超えて人としての優れた資質を大いに発揮して、宇宙の道、いのちの道からはずれることなく、人としての道からも外れることなく大いに養って発揮すれば素晴らしい人生を創造できるし、それぞれの分野で生み創ることができますものね。楽しいですよね、そこまで自らを養って創造することができるように育ち創造する日々だったらね。一枚の絵を描くにも一つの器を作るにも、そのように育ったうえでの創作をしている時はなんとも言えず楽しいし嬉しいし納得が入った全うしたものを得ていますよね、今にいて。静かな深い幸せの極みですよね、平安の中で、安定した中で、心平和な中で今に居ることができますよね。

 

  桜の花びらがはらはらと散っていますけれど、わずかな風で。風が起これば枝が揺れて花びらを散らせる、ちょうど今その時期ですが、散り方もなんとも言えない風情をあらわしながら音もなくですね。一つのいのちの一部が終わる新たな変化の時の姿を音なき音にあらわしている、あるいは花びらの舞方にその風情をあらわしています。花びらがひらひらと舞うのは時の流れでもありますが、舞っているところは宇宙空間です。時と空を得て花びらがちょっと風が強く吹けば、あるいは自らの動きで枝が揺れているのではないか、そんなふうな動きをした時にたくさんの花びらがひらひらひらひらと舞い降りてきますね。今を生きていたいのちが次の瞬間に部分の死へ運ばれる、部分ではありますが死に運ばれている姿までやはり趣があって、なんとも言えない存在の悲哀をも表わしますね。悲しいとか淋しいということを超えた趣のある生きている意味にも通じる悲哀ですが、いのちあるものの趣を花びらが舞い降りる時にもあらわしますね。死に運ばれていくその時にも美しい姿をあらわしています。舞い降りている音は音なき音ですが、それでいて静寂ですね。宇宙空間も静かで、そこに舞い降りる花びらも静かに静かにです。



 ところで鶯が鳴いているなぁ。宇宙しじまに空間があるから鶯が鳴けるのですが、時の流れがあるから、いのちの営みがあるから鳴けるのですが、すごいですね。個々個々のいのちも絶妙に我が姿をあらわしているし生きているし、まさしく創造しているわけです。あの鶯もこの桜もやはり図り事をすることなく、生かされるなかで絶対の定めのなかで今を生きて、やがて花びらを落としてゆく、あるがままの姿でそれは絶妙です。人間の場合はなかなか創造するにおいても、死という創造においてもやはり色々と図り事をしたり、死に至るその前に図り事をしたり思い悩んだり、定めの中で定めのままに生きることも死ぬことも自然にとはいかないね。宇宙の子なのですからやはり宇宙と相似て図ることなく絶妙に在りたいですが、それには成長しないとだめなんです。

 

 たとえば一枚の絵を描く時に、どのような絵にしたらいいのかなとか、どのような構図にしたらいいのかなとかね、どういう色づかいにしたらいいのかなとか、あるいは新しいものをとか、個性の強いものをとか、自己足らんととか、それがそのまま自己執着になる図り事ですよね。あるいは死に方においてもどのように死んだらいいのかとか、ね。たとえば禅坊主さんは死ぬときに坐禅を組みながら死ぬとか、死に方に於いてもいろいろと図り事をするのですよね。死ぬことは考えなくても必ず死にますので任せておいたらいいのですけれど、任せられない、預けられない、自然のままに。生まれる時は最善の対応だけれど、生まれたその瞬間からいろいろと図り事をしますよね。だんだん成長するにつれて大きな強力な図り事ができるようになるわけですが、小さな自己本位の意のままになることがあるゆえに図り事をする。やがて我儘になるとか、支配するとか、欲しいままにしてしまうとか、あるべき在り様、或は正しい在り方を見失ってしまうのですね。

 

 他者との関係、他国との関係、宇宙との関係、自然界との関係においても図り事をしてしまう。自らの治め方においても図り事をしてしまうのですよね、意識をなかなか越えられないのです。またしても我が人生を創造するにおいて図り事になってしまうんですね。ところで図り事というのも必要あって人に与えられている能力だと思うのです。ですから図り事もして、それでいて自意識を超えて思いや願いに、思想、哲学等々にも解放された状態で生きられたらいいのですよね。なのに図らないと生きられない存在なんですね。それが小賢しい図り事をするとかね、道から外れた悪い醜い図り事をしてしまうとかね。そこに陥るとだめなんですね。その辺のところは間違うことなく美しくね。図りの中で美しい結果が出せるようにね。図り事も一時の間に合せではなくやがて成長する在り方になったらいいですね。無駄がなく理にかない解放されていないとね。自分が立てた計画から解放されている、それでいて向かうべきところがあるわけですから、そこに向って今を生きれるといいんやね。

 

八木 計画を立てても今の瞬間を正確に位置づけ、向かうところを明確にしつつ柔軟に解放されてやっていけたらいいのでしょうか。?

 

川口 そうやな、やがて年を重ねてきたら計画は要らなくて、その時その時絶妙に答えを出せると思います。もちろん頭の中でああしようかな、こうしようかなと巡らせることがあったとしても最善の答えを、やがては即即即即に、その時その時に最善の答えを出せるようになると思いますね。成長したならば図り事を超える。図り事を必要としなくなって、目的を達成できる、今を生きることができる、ね。ある年齢に達したらそこまでに至らないとね。そこに至るまでは図り事は必要、図る能力が与えられているから大いにそれを働かせる。成長してそういう図り事をしなくて絶妙に生きている時は、図るその能力も入っていると思ったらいいですね、しっかりと正しく図っているんですよね。

 

八木 その状態は大いなる宇宙の創造に近いのでしょうか。?

 

川口 図り事をすることから解放されたら宇宙と相似た姿をする、そう考えたらいいですね。宇宙の子ですからできるはずなんですよね。

 

八木 その状態の時はただ計画どおりにできている喜びとはまた違うものがあるのでしょうね。この瞬間に全存在で生きているという大きな喜びがあるのでしょうね。

 

川口 そうやな、解放され障ることのない大きな大きな深い静かな喜びですね。自らに対する確信ともなるのでしょうね。ところで一人の時はいいんやけど多人数の時にはそれが難しいなぁ。みんなが足並みそろえないと秩序が乱れるしな。でも、それもできると思うな。例えばお城を立てる場合、中心の人が最初は計画を立てるけれど、動き出したらみんながそちらに向って解放された中で作業を進め創っていったら素晴らしいものができる、そうとったらいいんとちがうかな。そういう智力能力を私たち人間に与えられているのです。そういう中で創られたお城は華やかで軽やかで柔らかで捉われがなく強健で美しくなるのだと思います。 

 

八木 ところで、すべてを創造している大元の宇宙には「意識」というものはあるのでしょうか。

 

川口 意識だとか、意志だとか、計画だとか、愛だとか、想いだとか、親心だとか、そのような表現で宇宙にそういう要素があると捉えることはできますが、それはあくまでも人間に与えられている働きのことであって宇宙そのものにはそれはないととったらいいのではないかな。人間本位の捉え方であり人間の方に引っぱり過ぎの捉え方であって、人間は特別な存在なんだということになって正確さを欠きますね。宇宙のことはもっと冷静に見つめないといけませんね。

 

八木 それでは人の持っている意識のようなものよりもっと大きな何かが宇宙にはあるのでしょうか。?

 

川口 いやいや、意識とか気持ちとか愛とか計画というのは人間の行為行動における一つの視点に過ぎないと思ったらいいと思う。それは人間に与えられている一面に過ぎない、ね。宇宙はもっと総合的で一部を現すとかある部分だけを突出して現すとか、そういう言葉ではとらえられない総合的なものです。宇宙の意識や愛や計画で太陽や地球や人間が創られたのではない、そうとったらいいですね。広くとらえれば何もかも無目的なのですね。人類を生むのも、地球、太陽、星々を生みやがて死なせるのも無目的です。自ずから然らしむることごとなのですね。

 

八木 人は何かを創造する時に「智情意」を働かせて生み出しますが、宇宙にはそういったものは一切なく人の考え得るようなそういうところで創造しているのではない、ということですね。

 

川口 そうそう。宇宙の子である私たちも「智情意」が大切で養わなければいけないと捉えますけれど、それも一面に過ぎません。養い成長しなければ宇宙の子として与えられている能力を発揮して完全絶妙な生き方ができないので、人間性の成長に必要とする要素を例えば智情意とそれぞれ分けて人間性を養い絶対の境地を体得していかないといけない存在ゆえに分け認識分析して養ってゆくことになります。でも養った暁にはそうした諸々のあらねばならないところを超えていないとね。そして解放された中で総てが含まれていないとね。いのちの道、人の道からはずれることなく妙なる境地、絶妙な境地で生きないとね。そこに至ることのできる存在ですね。

 

2017年4月 インタビュー 文字起こし 八木真由美

   文中の写真 Tomoka.K

 

 

 

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川口由一さん 自然農田畑 2017年8月後編

2017年08月23日 | 自然農 川口由一の世界

 

2017年 8月1日 
自然農実践家 川口由一さんの田畑のレポート 後編です。

田んぼの水管理をされておられる川口さん。8/1
「もう少し水位をあげて分けつを促したいと思います。」
排水口の出口の板を高くされ水がもれないように
溝の土を盛っておられます。

ゆったりとした溝ですね。
水がたっぷりと溜められますね。
なんだか泳ぎたくなります。
(暑い日だったので。8/1)


分けつ後期の稲、とても元気がいいです。

こちらの畝は 左二列が黒米
真ん中の二列が赤米
右の四列が緑米です。↓


条間にはいられての夏草刈も進んでおられます。
こちらはトヨサトでしょうか。↓

 

左手前にトウカイアサヒ
その向こう側にアケボノ。↓

 
こちらは古代米の畝です。↓

 

今年のお米の作付けは七種類だそうです。
トヨサト トウカイアサヒ アケボノ
香り米二種
古代米の黒米・赤米・緑米です。


川口さんの田んぼには三年ほど前からジャンボタニシがいます。


卵は水に弱いので稲の茎に産みつけます。
稲の生育に影響があるかもしれないと思い、
最初は卵を水に落とすなどされておられましたが、
今ではそのようなことはせず任せておられるそうです。

なぜなら自然農の稲の茎は丈夫で食べられませんし、
畝にはタニシが好む草もあります。
他の小動物との関係で増えすぎることはないのだそうです。

ただ、溝から畝に上がる時に、
溝際の稲の根を食べられることがあるそうです。
また、草を食べることで畝の端の土が崩れると
その補修が必要になります。

しかし、タニシの甲羅にはカルシウムが多く含まれ、
生死に巡る中でその成分が田んぼを豊かにしてくれるそうです。



『川口さん 帽子にカマキリがいますよ。』
『そうか、それはうれしいなぁ~。』
『仲良しですね。』『そうやなぁ。』


 

田に水が入っているので涼しげです。
が、じっとしていても汗が流れます。
陽ざしはほんの少し夕暮色になってきたでしょうか。



畦で記念写真、
そして田んぼを後に
畑へと。

写真中央はさつまいもです。
元気に育っていますね。
その向こうの木々の下にはこほれ種で育っているゴボウ。

近くで見ると なんと大らかな育ち具合なのでしょう。
その足元に桔梗が可憐です。

こちらは、ささげ豆です。↑

さざけは、つるの先端を摘み取ってあげると
その手前のところに花を咲かせ実をつけるそうです


ふと見ると畝に大根の種が置かれていました。
こぼれ種で育つことになるのでしょうか。

目をあげると 実をつけはじめた柿の木です。
猛暑の夏に 結実への営みが始まっています。


グミの古木に登っているのはヘチマです。
タワシとしてお台所やお風呂で使われるそうです。
天然のスポンジですね。

 

マクワウリです。
いろんな種類を育てておられ
こちらはアオマクワでしょうか。


  

 

 

こちらは白マクワ? 黄マクワでしょうか。?

 

こちらはシマウリでしょうね。

 

 

食用のヒマワリ、その隣にオクラ、そしてモロヘイヤです。

 

空芯菜の畝です。

 

『ここに生姜がありますよ。』と川口さん。↓


『こちらはミョウガです。』↓ と教えて頂きました。


自然農は 耕さず

虫や草を敵とせず

持ちこまず 持ち出さず

自然に 添い 応じ 任せ、

栽培する農です。 

一つひとつの作物の性質を知り
そのいのちに添い応じ任せます。


 

こちらはニラの畝ですね。↓

 

人参の葉が草の中に見えています。
↓『ここは草刈りが必要ですね。』と川口さん。


トウモロコシ、
水色の空に健やかな姿が美しいです。↓
手前にも時期をずらして植えておられます。

 


食用(種)のヒマワリがきれいです。
その後ろには百日紅のお花が咲き揺れています。

 

汗びっしょりになりながらも
にこやかに田畑をご案内してくださいました川口さん。
ひまわりがお似合いですね。

 

爽やかな槿のお花が水色の空に映え
グラジオラスが鮮やかです。
楽園のような自然農の畑。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現在、川口さんは78歳。

『自然農は決まった形ではないので新たなことが起きてきます。
その答えを出していくとともに、
二か月に一度、田畑にて見学会を開いていますので、
その時々に皆さんの見本となるよう、
励みになるようにと思っています。』
とおっしゃられる川口さん。

ご自身の健康のためにも
お天気の良い日はほぼ毎日四時間ほど楽しく田畑に立たれ、
雨の日は座り仕事(執筆等)をされておられるそうです。

今回も 明るい夏空の元
美しい田畑にてやわらかないのちのひびきを
全身で感じさせていただきました。
川口さん ありがとうございました。

みなさま 最後までお読みいただき、
ありがとうございます。

八木真由美

 

  

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川口由一さん 自然農田畑 2017年8月前編

2017年08月17日 | 自然農 川口由一の世界

 

2017年 8月1日 盛夏
自然農実践家 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
写真を中心にレポートさせていただきます。


岡山からよく来てくれましたね、と
にこやかに出迎えてくださった川口さん。
ありがとうございます。
暑い夏にもお元気なお姿がうれしいです。


川口さんの自然農田畑は、
自然界の営みに添い応じ任し栽培されており、
四季を通して彩り豊かな楽園のようです。
真夏の田畑も楽しみです。



田んぼの北端に小さなお池が三つあります。

そこではスイレンのお花が清らかに咲いており、
やわからに透きとおる夏のいのちを感じさせていただきました。

地球の花々の美しさは
宇宙でも話題になっているのでは・・。

こちらの細長いお池ではクワイが元気に育っていました。↓


周囲の草花も可憐ですね。


スイレンのお隣は水ナスの畝です。
きれいなお花を咲かせ 実も付け始めていました。


雨に濡れないように 
お花は下向きに咲いているそうです。

ピカピカのナス。
絵のモチーフになることが多いそうです。


こちらは粟です。↑
立派に育っていますね。
苗床で大きくされ定植されています。
昨年は鳥たちにずいぶん食べられたそうですが、
この時は、まだ気づかれていないようでした。


左側が粟 右側がキビです。↑
おいしいお団子を作られるのでしょうか。

畝の間に入らせていただきました。
粟やキビ、こんなに美しいのですね。

そしてひと際鮮やかに目を引くアマランサス。
アマランサスの左側にはトウキビです。
輝いていますね。

三輪山を背に トウキビとキビです。↓


田んぼ北側の畑全体の様子です。
のどかに明るく 豊かな光景。
私の目には眩しいほどです。

実際に土に触れさせていただきますと
耕さず・自然農40年目の畝はとってもやわらかです。
いのちの歴史が層になっています。

いのちの営みが十全であるよう
ここに生きる すべてのいのちを
大切にされていることが伝わってきます。

多次元的な眼差しで時空を見つめ
五感でたっぷり感じさせていただきました。

 
収穫の作業をされる川口さん。
ピーマン 万願寺唐辛子が実をつけていました。





夏は日の出とともに出かけられ
田畑の手入れをされておられるそうです。
こちらは地這胡瓜でしょうか。↓

向こう側に里芋の大きな葉がゆらゆら。
今年も立派に育っています。

里芋の葉に露が光るととてもきれいですね。
川口さんのスケッチブックにもきっと描かれていることでしょう。


さて、お野菜を順番に見せて頂きましょう。


万願寺唐辛子です。

 


右奥の背丈が低いものはピーマンです。
 

 

 


右側はナスの畝です。



ナスの隣はトマトです。
お野菜を育てる畝はいずれもフカフカとしてとても豊かです。
程よく草刈をされ、風通し 日当たりも良く
気持ちがよいです。

刈った草は畝に戻され
土が露になることはありません。
歴史を重ねた畝、憧れます。


こちらは、バジルですね。↓


 

ゆったりと育つ地這胡瓜です。↑
支柱をしなくても育ちますし、
「味もとても美味しいのですよ。」と川口さん。


カボチャ ズッキーニ 地這胡瓜の畝です。

仲良く並んで大きくなっています。

次々と花を咲かせて実になる
美しく豊かな舞台。

そしてスイカです。

とても健やかそうです。↑


地這胡瓜とスイカの畝を南から写したものです。↓

収穫の後 網をお持ちの川口さん。
何に使われるのでしょう。

 

『川口さん 何をされているのですか?』

『ウリハムシがスイカの葉を食べるので捕獲しています。』


よく見ると小さな虫が飛んでいます。
『毎朝こうして捕っています。葉を食べられるとスイカの生育に影響しますので・・。』

 

自然農において虫は敵にいたしませんが
このように手作業でできることをされておられるのだなぁと思いました。
『ネットは張りたくないので・・』とも。

安心して大きくなっているように見えますね。 ↓

スイカのお隣には、つるありインゲンです。

インゲンは時期をずらして二度育てるそうです。
下写真の畝は二度目用だそうです。

インゲンのお隣に、スイカとネギです。

 

そして、手前にゴマです。


今回も畑をご案内していただき、とても心が弾みました。
年々想いを形にされ楽しまれているご様子も伝わってきました。

美しい自然農
人も作物もすこやかであれる自然農
暮らしを豊かにしてくれる自然農

これからも学び実践してゆきたいと思います。
川口さん、ありがとうございました。

 

後編に続きます。
お楽しみに。‼

八木


2017年6月の様子はこちらです。
作物の成長の様子がわかります。

 

 

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川口由一さん インタビュー 『あばたもえくぼ』2017.8

2017年08月08日 | 自然農 川口由一の世界

 

人生の創造・出逢い・結婚・成長
「あばたもえくぼ」インタビュー2017.8 

 

八木 こんにちは。夏ですね。蝉たちの声も元気いっぱいですね。さて今回は人生の創造・出逢い・結婚・成長について、「あばたもえくぼ」という視点からお話しをいただけますでしょうか。

川口  そうやなぁ、あばたもえくぼね。ある時、そうなんだなぁと気付いたことなのですが・・。

 あばたもえくぼの時は好き好き好きなのです。ところがやがてえくぼまであばたに見える、ひっくり返ってしまう、そういうことになりがちですね。そうなると不幸ですよね。意外とそうなりがちで、そうなる要素を誰しもが持っていますね。あばたもえくぼも相対的なものですが、そういうところを越えてその人の人間性のところで惹かれていたら、全部えくぼと言えばえくぼですし、いずれも成長過程なので未熟なところは未熟、あばたはあばた、でもそのあばたにいとおしみを覚える、未熟さのなかにもその人そのものが現れているから、それに惹かれて好きだったならば何もかもが好きですよね。それでやがて育ちあっていったらえくぼが一段と輝き、あばたが美しく変化してゆくのが楽しみになりますね。なんとも言えず愛おしくなりますよね。

 まだ育ちきっていない若い頃の恋愛はあばたもえくぼに見えて好き好きで結婚して、何年かしたら本当のえくぼがあるのにそれもあばたに見えてしまうのですね。そんなふうになりがちですね。でも一緒に生活してくるなかで、そのあばたが(あばたと言うのは人格におけるまだ未熟なところから生じること)、一緒に生活する中で表面に出てきますので、あばたはあばたとして現れてくるわけですよね、両者に。それが二人の生活の舞台のところで衝突してケンカになるとか別れてしまうとかね。どうしても未だ若い時はその人の優れているえくぼまであばたに見えきて正しく位置付けられなくなるのですね。そうなると破局と言うか衝突やね。今まではあばたまでえくぼに見えていたのが、えくぼがあばたに見えてしまう、もう一緒に生活ができなくなってしまうということがありますよね。それゆえに存在そのものまでも受け入れられなくなって破局ですね。

 ところで、それぞれに成長することができたならば、やがてあばたはあばた、えくぼはえくぼとして正確に見れるようになり受けとめられるようにもなります。そして自らのこととして内を問うて人間性の成長を図れば、お互いに幸福への人生展開になりますね。 結婚と言うのは相手を得ることによって自らが成長する、共に成長しあう相手であって自分に足りないものがその出会いによって養われる、あるいは養わなければならない機会を出会った人からもらう、そんなふうにもなっていると思うのです。あばたもえくぼ、えくぼもあばたのところで終わってしまったら成長に繋がらなくて、それはもう人生を共にするということを認識できていないですよね。それは未熟な男女の出逢いのところで起きることですよね。お互いに正確に判別して受けとめ合って成長する、それがまさしく人生を二人で創っていく、あるいは人間性の成長を図っていく、そういうことですものね。人間性のところと境地のところで相対界を越えて絶対界に立って正確に問題を解決する、あるいは共に育ちあうこと、それが大切なことになりますね。 


八木 出逢い・結婚・成長、そして人生の創造におけるとてもわかりやすいお話し
をありがとうございました。



 2017年8月1日  インタビュー 文字起こし  八木真由美

写真 Tomoka.K

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