君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク

  

川口由一さん インタビュー 美しき人生の全う

2018年11月27日 | 自然農 川口由一の世界

美しき人生の全う

川口由一さん インタビュー 2018.9

 

八木 装飾について、どのような心の動きでそのようになるのか、川口さんの見方をお聞きしたいのですが。一つには人の身体のところで爪に色を塗るとか耳に穴をあけるなど、そういったことはどのように感じられますか。

 

川口さん それは自分の身体の内に宿している魂や心や精神や思想や哲学や芸術性、あるいは宗教性を美しく養って決して醜悪に落ちることなき人間性の成長を成すべくのことではなくて、身体を表面的に飾ることでしょう。そのことによって自己顕示をする、自己足らんとする、自己主張する、そうしたことは飾ったものに依存していることになりますね。依存しているということはしっかりと自立せずに人としての成長を怠り、そこに逃避しているということにもなります。やがては枝葉で力をつけて依存の裏側の支配に変わることにもなりますね。他を支配するという在り方、生き方に変化することにもなって、人の正しい道からはずれることになり不幸に陥っていくことにもなります。こうした装飾は真の美意識からもはずれたものであって、例えば桜の花にピンク色のカラーを吹きつけるとさらにきれいだと思い考え、野の草に緑のペンキを塗ったり模様をつけたりしたくなるのと相似たことですね。人間も自然そのもので与えられた身体が最も美しいのに、そこに何かつけ加えるわけでしょう、それは最善の在り方からはずれておりマイナスになります。身体そのものが美しいのですから、そのことに気付かないと残念です。心身ともに健康体であれば美しくて爪はきれいであり、不健康になれば爪は波打ってくるし色は紫色を帯びたり輝きがなくなったりします。身と心の健康を維持し損ねることなくさらに育っていかないといけません。その人に美しい情緒や輝きを発するのは内なる人間性からです。爪にいろいろの色や発光色を塗るというのが最近多くなってきていますが、身を飾る場合、そっと添えるのであればその人のその時の彩りとなって生かすことになりますが、だんだんエスカレートしている今日は極端に色濃く多く厚く異常になってきていますね。美しい人間性の発露を基として真に美しい装飾で、素敵で、立派な人間性の高い優れた魅力のある人とならねばなりません。装飾したことによって人としての程度の低さや俗っぽさを現わすことにならぬようにいたさねば残念なことになります。ふさわしくないあらぬことをして納得するとか、安心するとか落ち着くとか、そうしたことになるのは装飾したものに依存しているのであって本当に残念です。綺麗な耳に穴をあけて負担をかけるとか、人として大切な美しい肌に直接何かを描き込むなどは、かけがえのない健康で綺麗な肌のところに生きている人間の美しさを失くすことになります。もちろん大切な生体を傷つけ損ねることになります。そうした行為に走らず心の平安を得ることが大切です。多くは自己不信からくる付け加えであり装飾になっているのですね。与えられた肉体を尊いものとして大切にしながら人間性を養い育ち成長してゆくことによって、自ずからに信が入るものであって美しく心豊かになります。観る目を養い持っている他者からも豊かな美しい人に見えるものです。基本のところからはずれている姿は寂しい姿でもあり、我を見失っているゆえのあらぬ執着は当人が最も心安まりません。もっともっと刺激の多いものを求めるようにもなっていきます。お金に依存する、物質に依存するということにもなり、その依存が顕著になってますます不幸に陥ることになると大変です。他をも自らをも損ねることにもなります。なんとも素晴らしい肉体を与えられているのに。さらに素晴らしい人間性を養うべくのいろんな感覚や感情、視覚や聴覚、触覚や味覚を、あるいは智力能力や察知力、夢想力、行動力、成長能力、審美眼や芸術力、真の美を好み表現するセンスを与えられているのです。それらを正しく大いに豊かに働かせて真の美の創造、創出、そして真の幸福に、美しい人生の全うに至るものでありたいですね。本当にすぐれた美しい人に育つべくの生き方、在り方でないと取り返しのつかない残念な人生、淋しい不幸な人生に陥り一生を終えることになります。

 

八木 何よりも与えられているいのちを大切に真善美に生きるよう心がけたいと思っていますが・・・。

 

川口さん そうですね、大切な基本となる心がけであり生き方ですね。そのうえで真善美に執着せず、解放されたなかで美しく、善なる日々を、真なる誠の日々を生きたいですね。執着心が曇りとなりますので要注意です。真の人に成る、善なる人に成る、美しい人に成るというのは、内なる心のこと人間性のことであり、そのように成長して真善美に生きることが大切です。そのためには真、善、美への執着に落ちない境地を得て宇宙に一人美しく立ち美しく生きる強さがいります。美に執着することなく解放された状態で、真なる人に、善なる人に、美なる人に、一人で宇宙に立って真に善に美に生きないといけないのですね。相対界を超えて絶対界に立つ、宇宙を得る。そのことによってとらわれのない自由のなかで人としての真に正しい道を生きることができます。真に美しい人生を創出することができます。宇宙を得た境地、美醜・善悪・真贋の相対する境地を超えて、絶対の境地を体得して、人間性の成長、崇高なる精神、聖なる霊魂魂魄に養い育って、存在の根底から依存することなく美しくある、真である、善である、すぐれた人に育ってすぐれた仕事をする、役目・天命・使命を果たせる人に成る。真にすぐれた人間に育ち生きて、一度きりの今生、このいのちの根底より人として納得する生き方をしたいですね。心平和で心豊かで心美しく心楽しい人生でありたいですね。

 

八木 絶対なる境地を体得するよう育つには、何が最も大切でしょうか。

 

川口さん 一人で生きることの強さ、人の道を明らかとしてはずれない強さ、絶対世界における相対世界に存在する我であることを悟り知って、相対世界で自と他の別に落ちて対立したり、孤立したり、争ったり、競ったりせずに一体の境地、絶対の境地の体得と人間性の成長に向かって励むことが大切です。誰しもが成長できる人であるのですから。絶対の境地は人本来のところなのですから。最も生きやすいところ、曇ることなき明るく楽しいところなのですね。

 

八木 川口さんに初めてお会いした頃、その当時50代の川口さんは何ものにも依存せず一人でしっかりと立たれておられることを感じました。そのような在り方にたどり着かれたこれまでの生き方についてお話しを聞かせてください。

 

川口さん もちろんこれらの境地のこと、絶対界における相対界のこと、生まれてきた私たち人間も相対界の存在である等々のことは、少年時代、青年時代は正確に認識していませんでした。僕は生まれながらの農夫で、田んぼに立つというのは宇宙自然界生命界に身をおいて、すなわち宇宙空間に身を置いて一人で作業をするわけでしょう。一人で営む、一人で仕事をする、一人で時の流れとなって作業を行なう、一人で生きる日々でしょう。そうした日々のなかで養われたのだと思います。それと人としての本来の正しい道でのことですが、僕は他を支配するという行為行動力は元々少なくて好まない性質であり、枝葉のところで自分を主張するとか、あっと言わせるとか、反対に他に依存するとか生きることから逃避するとか、そうした行為行動に走らなくて、なんとか必死で生きてきたと思います。年重ねるにつれてさらに救われるべく取り組んできました。なぜそうなってきたのかを省みると、心の底から本当に納得し気持ちの落ち着く在り方をしたい、後で悔いの残らない在り方をしたいと強く思うようになっていきました。少しでも道から外れた在り方をすると悔いが残り心が暗くなるのです。そんな状態になると心が落ち着かず安堵しないのでした。

 

 また少年時代に父が入浴中に心臓が止まって突然死んでしまい、冷たくなり死臭を放ち土中に埋められました。生と死のことは何もわからぬいまだ幼い僕に゛僕もやがて死ぬんだ゛という事実をつきつけられて、強い深い不安と怖れに襲われとりつかれるなんともつらい日々となり、なんとか不安と怖れから救われたい思いが強くなったのです。同時にいまだ幼い僕は生きている間に生ききりたい、育ちたい、人として正しい道からはずれるとなんともつらい、淋しい、悲しい、つい我を見失ってしまう、僕は何なのかわからない、こうした不安と不幸に落ちないためにいかにあれば良いのか、我を治めて正しく生きるに欠かせないことがある、その強さを養いたいとの強い思いから境地のことを考えるようになったと思います。人本来の正しい人の道を明らかとし、実際に答えを生きることの強さと本来よりの絶対の境地の必要さ、絶対の境地の体得が欠かせないと気付き取り組んできました。そうしたなかで少しずつ少しずつ救われてきました。

 

八木 幼い頃から心が救われる生き方を求められ、一人で田畑に立つことで一人で生きる強さを身につけてこられ、さらに納得のいく人生へと日々実践されての今の川口さんなのですね。とてもよくわかりました。それでは続けて、成熟にむけて大切なこと、老年期あるいは人生を全うすることについてのお話しをお願いいたします。

 

川口さん そうですね、その年齢に応じての全き在り方があるのですね。自然界の多くは、例えばお米はその時期時期を自ずから全うしているのですが、人間の場合はそこからはずれるでしょう。はずれないように生きないとだめなのにはずれてしまう。もちろん乳幼児期ははずれることがないのですが、青年期、壮年期、老年期になるとはずれてしまうのですね。その時期時期を全うする生き方や、人本来の道からはずれがちな人間であることを自覚することが必要です。その上でその年齢におけるあるべき在り様を明確に認識する。人の道を全うする、いのちの道を全うする、それでいてその年代に応じての生き方を全うする。例えば老年期に青年期のような生き方になればだめですし、あるいは老年期に乳幼児期のような生き方は絶対だめでしょう。心は少年のようなおさな心の純粋さを持っていないとだめですが、具体的な生き方においては、その年代に応じての生き方がありますね。ところで、老年期は人生において最も成熟した年代で、最も多く生きてきた年齢になっていますから、最も成熟した人としての姿を現す中で、それぞれそれぞれの仕事や役目、使命、天命を果たしていかないといけない時期です。自分の人生にとって、家族にとって、地域にとって、国にとって、人類全体にとって、老年期を全うしての役目は大事なことです。欠かすことのできない老年期を生きる人々の働きです。老年期は老年期の全き姿を生きることは、当人にとっても人類にとっても是非に必要です。老いての執着に陥ってはいけないし、逃避してはいけないし、道から外れてはいけないし、いのちの道、人の道から外れないで、全うしなければなりません。ところで正しく生きるのはいずれの年代も容易ではありませんね。老年期においても人の道、いのちの道、我が道を全うするのはなかなか容易ではないですね。ところが、先ほど話しましたお米ですが約七か月の一生、老年期に入るほどに成熟し絶妙に生ききって一生を全うして死に至ります。完結です。その結果、多くの善き美しい真のいのちをたくさん育て上げているのです。お米は三千~四千、四千~五千と新たないのちを産み育てあげて一生を全うします。いのちからのいのちの実りが、次のいのちであってすごいですね。人もまた人としての実りを、成熟した人生の結実を果たして当然なのですね。


八木 ところで画家の横山大観さんは壮年期には素晴らしい作品を描かれていますが老年期には衰退した淋しい姿を見せておられるようです。大観さんは老年期にいかにあられたら良かったのでしょうか。

 

川口さん 横山大観さんの青年期はいまだ真の我に至らず育たずの作品ですが、壮年期の中期から後半期には人としても芸術家としても育たれ、美しい情緒の色濃い絵を描かれています。ところが老年期に入ると作品に生命が宿らず情緒も枯れ、気力も衰退した作品になりますね。作品はその人の姿、大観さんの人間性そのものです。次の機会に人としての年齢を追っての生まれ出づる作品を観てゆきたく思います。

 

八木 はい、楽しみにしております。それでは、人のそれぞれの時期について全き在り方を示していただけますか。

 

川口さん 胎児期、乳幼児期、少年少女期、青年期、壮年期、老年期、死期、に分けて、全き在り方、人本来の正しい在り方、幸福に至る在り方、救われる在り方、心平和で生きることのできる在り方・・・を考えてみます。

 

 全時期いずれも100%他に生かされ100%自分で生きなければならないのですね。他力100%自力100%です。その上で自他の別を超えてその時その時、その時期その時期を生きる。そして死に運ばれ死に至る。日々の生活の生きる基本となる食べて排泄する、住居する、寝る・・・等においては、乳幼児期は最も他に依存度多く他に助けられてのことです。やがて少年少女期、さらに青年期へと成長と共に依存は減少し、自立力が養われて、自立の割合、自立の程度が増していきます。やがて壮年期に入るころには自立して我が道、人の道、いのちの道を得て、人生における役目・使命・天命を生きて全うしてゆきます。大きな大切な働きをするなかで少しずつ老年期となり、老年期の役目、務め、天命、使命を生きる日々の後半には衰えが始まり、死期が近づくにつれて再び他に依存、他に助けられてのことになります。この自ずからの依存はいのちの営みから生じることであり、老年期の後半における全きことです。手助けも見守りも当然自然のことです。これらの時期の運命を認識し受け容れて、その時期時期を全うせねばなりません。もちろん全うすることができることです。乳幼児期はお母さんのおっぱいを自力で飲み、自力で消化吸収し、自力で抱かれ、自力で安心に至って心身共の成長を成していきます。受ける側の幼児も与える側の母親いずれも自ずからであり当然のことであり、その時期その立場を全うして生きています。いのちある者、人として生まれてきた者の運命をあたり前に自然に生きているのです。生まれて来ることも育つことも老いていくことも死に行くことも運命を全うしているのです。あたり前に自然にです。生育も老いも男に生まれくるも女に生まれくるも自ずから然らしむる運命を生きて全うです。その上で時期時期の全き在り方を考えてみます。

 

 乳幼児期は一人立ちできない未熟期であって依存する、助けてもらう、任せる、甘える・・ことが乳幼児期を生きる全き姿です。ところでいかなる年齢においても他との関係において、問題が生じるものです。乳幼児期においても、乳幼児の都合、思い、願い、事情が内なる心からも肉体からも生じます。母親、父親、祖父母や他の家族の事情や思いや願いや心や肉体から生じるものも当然あり、両者の事情から乳幼児も辛い思い悲しい思い不満や残念な想いや不安や恐れや閉ざされている思い、圧迫される状態等々、限りなく生じているはずです。認識せずしてそうしたことが存在のなかで生じており、感じる能力、察知能力を与えられているゆえに人としての心の内における苦労を日々事々においてしており乳幼児も取り組んでいます。もちろん反対のうれしいこと、ありがたく思うこと、よろこび、しあわせ、心平和、安心、あるいは善なる意欲や智恵や美しい情緒の調べを乳幼児も得ています。こうしたことも生きていく上で必要な智力能力を養い、人として成長してゆくことになってゆくものであり、年齢に応じて時期に応じて、夫々に応じて必ず行っているものであって、゛今を生きている゛゛時期を生きている゛゛自分を生きている゛ということです。こうしたことも゛全うしている゛ということになります。乳幼児期、あるいは体内における胎児期においても、当然一人で存在の根底から必死に生きて胎児期を全うしているものであって、この時期を全うして日々に育っています。

 

 やがて少年少女期に至りますが、この時期にはすでに生きるに必要な智力能力と幸福の一生を生きるべくに欠かせぬ人間性の基本となる智情意を中心として総合的に育つべく取り組み始めています。認識と意識を越えたところから、あるいは認識や意識を通して思い考え思索し少年少女期を生きています。もちろんいまだ自立に至らず両親祖父母や大人たちに依存したなかで自立に向け成長に向けてこの時期を全うしているのであって、親は、大人はこのことを承知したうえで、親として役目、務め、使命を行ない、見守り育て、手を貸し、共に生活し、共に生きていなければなりません。いまだ未成人の少年少女にとっては、親として大人としての全き在り方、生き方が必要になります。やがて少年少女期で年重ねるなかで、自我に目覚める、自我を自覚する、自分を意識する、認識する。さらにいろいろのことに生きるなかで出会い経験をして、意識して自立へと育ちゆく年齢に入ります。自我というのは無数にある他に対しての自分という位置づけの自覚と認識と、宇宙自然界生命界における自ずからなる分としての位置づけの認識と自覚、この二つの面での自我の目覚めです。もちろん宇宙自然界における分の認識はまだ少しで薄いものですが、無意識裡ではあっても内には感じ持っているものです。そして多くは自己本位の自分、他の確かなる存在から生まれる自我の目覚め自覚の始まりです。出来る限り多く広く深く確かなる自我の目覚め自覚確立への作業がこの時期においても全き在り方です。もちろんいつの年代にも重要な思索であり全うする作業です。

 

 そして青年期です。青年期の全きを生きるなかで混沌、混乱、暗闇、うす明かり、自信、過信、自己らしくなる、自己をすっかり失う、迷路、邪路、・・・・、等々、真の自己確立、自我の目覚めが小我に陥ったり、小我を超えて大我、真我へと育つ要素も身につき、自己本位の小我がさらに我執に落ち、執着深くなって偏執狂の不幸へと衰退するところから離れて、すぐれた人格に育ちゆくべく取り組むことが青年期の全き生き方、重要な在り方です。青年期を全うしないと壮年期へと全き人として進むことはできません。善悪、真贋、美醜の別を明らかとし、我が内なる人間性においても別を明らかとして、醜悪贋から離れて真の人として育ちゆくことのできる道を得ていかなければなりません。青年期を終える頃には、人の道を明らかとして自ずからの人間性を養いつつ、我が一生の道を見出さねばなりません。農に携わるのか、教育者になるのか、政治家としての一生にするのか、治療者として病人を助ける道を選ぶのか、あるいは芸術家、宗教者、諸々の生きる基本となる生活に欠かすことのできない職人さん、・・・・今日まで生きてきた中から自分の資質を知り、好む仕事を明らかとして、我が道を得る時期です。やがて壮年期、40代に入る頃です。

 

 この壮年期の前半は、我が道における分野の本質を明らかとして、平行して存在している、生きている、生かされている、この舞台である始めなく終わることなき無始無終であり果てなき広大無辺なる宇宙生命界をよく観つめ、宇宙の実相実体、最も身近な地球の実相実体、同時に微小(ミクロ)なるいのちの実相実体を明らかにする思索、追求も欠かせません。我れを知り、人類を知り、存在するすべて、現象界相対界の実相実体をも知ってゆくことがやはり大切であり欠かせない重要なことになります。人生の後半に入る青年期からのやるべきことであり、壮年期、老年期、死期へと生きている間もやり続けることが必要であり重要なことです。そのことによって、いのちの道も明らかとなり、我が道、人の道と共に得て悟り、大人となり成人してのよろこびの人生、意義深い人生、生きる意味を悟る人生ともなります。役目、使命、天命の全うともなります。壮年期前半は精神的要素も多く働き育ちゆく日々であり、肉体も最も大いに働く年代です。

 やがて壮年期後半に入るにつれて最も肉体も精神も深く厚く高く聖にして美しい善なる真なる働きを実践できてゆく年代です。かように生きることが壮年期、全盛時の全き生きる姿です。やがて少しずつ老年期に運ばれてゆきます。生まれること、育つこと、花咲き実ること、次のいのちを産み育て上げること、そして成熟すること、老いること、死ぬこと、いずれも同一なるいのちの営みから生じるできごとです。育つこと、成熟すること、老いること、死ぬこと、生まれること、みな同じ営みからのことなのですから、いのちの世界は本当に摩訶不思議、そのようにしかならない存在であり、そこにおける今日であり、明日であり、昨日だったのです。宇宙現象界におけるすべての姿形を現わしているもの、地球も月も太陽も無数の星々、そして無数の生物・無生物、現象界に存在したもの、今後存在するものすべてしかりです。すべてが同じ運命における生の期間でもあり、死に運ばれる今生なのです。そしてそれぞれ与えられている生の期間は過不足なしで、絶妙に生きて全うできるいのちとして生まれてきており、人は人として100年前後の時空間を幸福によろこびに平和に楽しく生きることができる生命体として数十万年、数百万年前に誕生してきたのです。無目的に自然に。宇宙に存在するすべてが誕生も日々刻々の変化も死も無目的なのです。こうしたすべてを有らしむる宇宙本体も無目的の存在です。なんともすごい世界に誕生してきた私たち人類も無目的の誕生であり、やがては無目的の死でありますが、完全絶妙に生きて幸福に平和に全うすることのできるべく誕生してきているのですね。

 

 老年期は一生の最後となる時期です。精神、霊魂、魂魄、心の底、いのちの根底から人として立派に豊かに大いに育たねばなりません。その成長によって最も豊かに心平和に喜びのなかで、宇宙における他のすべて、生かされ生きる舞台である地球環境・自然環境とも、他人とも、他国とも、他民族とも、さらには宇宙本体とも対立することなく和して争うことなく損ねることなく依存することなく、平和に、個々がしっかり自立して生き、弱きを、いまだ若き幼き未成人を、不幸な環境に生きる人を助け、不足するところには足りているところ余っているところから補い、生かし生かされての人としての在り方・生き方を、日々生きている人間社会、宇宙における人類であるよう整え、説き、示し、導き、先導する在り方が、老年期の役目、使命、天命であり全き在り方、生き方、そして生きている姿です。老年期を生きる男女の全き働きは当人はもとより人間社会に欠かせない重要なものです。母親のおなかに宿った胎児期から、老年期、死期に至るまで正しい人としての道を願い求め、実現、実践してゆく日々となれば、その当人が即救われます。一人一人が真に救われることによって、多くの人たちと共に救われる日々となり、やがては人類社会が平和な社会となってゆきます。

 

八木 いのちの世界における人の一生について、美しき人生の全うにむけて、それぞれの時期時期の生き方を明らかにしてくださりありがとうございました。

 


お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん

 

インタビュー 編集 八木真由美



 

自然濃田にて 川口由一さん 2018 秋

 

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自然農実践家 川口由一さんのスケッチブックより 「栗の絵」

2018年10月23日 | 自然農 川口由一の世界

実りの秋ですね。
今日は自然農実践家川口由一さんのスケッチブックより
栗の絵を四枚、掲載させていただきます。
その時々の川口さんの想いが、
絵と文章より伝わってまいります。

(年代順です) 

 まずは、30代半ばに描かれた絵です。

 

涼気に 玉のクリ 初成り うれし 

 

そして、40年ほど絵を描くことから離れておられ、
ここ数年、 70代後半に描かれた作品が三点です。

 

秋九月 栗熟し はじけ 落ち ころび 並びて 
夫々に 一ツ 一ツ 一ツ 一ツ 

 

 

完結成して 躍り出る 冬の足音聴き 

 

 

親は育てつくして離す
子は落ちて一つ 一つ 一つ・・・
大地で自立なれど・・・
食べられる
いのちうばわれる
僕に・・人に・・
ネズミに・・・。

 

 

生ききる 悟る 任せる 

満ちる 全うする 

死する 

すべてしかり 

2018年 秋  

 

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栗を描く

栗はいのちそのもので
次を生きるいのちであり
いのちの充実ぶりが
なんとも言えず豊かで
輝きがあって艶があって
いのちの存在をつよく感じます。

栗そのものは
その存在を主張せず
静かで
我がいのちのを全うしていますので
なんとも惹かれ描きたくなり
描きます。

描き終わり
想いが落ち着くと
今度はこのいのちが欲しくなり
我がいのちの糧にして
元気をもらいたくなります。

自然農の畑で
全く自然の状態で育った栗は
何とも言えず美味しいです。

文 川口由一さん

2018.10.22

 

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川口由一さんの自然農田畑をお訪ねして 2018.9

2018年09月27日 | 自然農 川口由一の世界

自然農実践家指導者 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
美しく麗しくすこやかに育つ稲の姿に今年も感動です。

川口さんの田んぼは今年自然農40年目です。
自然の営みと稲の性質に 添い応じ
任せる在り方でお米を栽培されておられます。

真に健やかなる豊かで美しい稲のいのちを感じていますと
心も身体も清々しく喜びにあふれてきます。

耕さず40年 稲の足元はとても豊かです。
周囲の畦を歩いて一周させていただきました。

今年は、古代米 アケボノ トヨサト トウカイアサヒ等を
栽培されておられます。

畦には大豆が並んでいます。

 


お元気に毎日田畑に立たれておられる川口さん。
いのちの舞台を大切に大切に慈しみながらの自然農です。 

 

田んぼ横の畑では 
ナス、ピーマン、万願寺唐辛子が実をつけています。

 

収穫中の川口さん。

こちらは玉葱の苗床だそうです。↓

 

昨年は田んぼから離れた畑で栽培されていた小豆、
今年は場所を変えられて、田んぼ北側の畝で育っていました。

 

かわいらしい蓮、周囲は秋桜ですね。

トウモロコシです。↓
二列、時期をずらして栽培されています。

 

 

田んぼの畦にて、お写真を撮っていただきました。↓ 9/18
自然農を川口さんから学ばせていただいたことで
方法技術だけでなく、いのちの世界の本質にふれることができました。
そして、その新鮮な想いは尽きることがありません。

畦道の彼岸花に目をやりながら、田んぼから少し離れた畑へと・・。

ニラのお花が満開です。赤紫蘇も天然自然に健やかです。

そして落花生が可愛い葉を茂らせています。

こちらは、山芋です。↓

手前から、生姜、空芯菜、オクラですね。

 

オクラ側からの写真です。↓

左手にネギ 右手にモロヘイヤです。

三列、人参の種を降ろされていました。↓

 

ゴーヤです。

 

美しく豊かないのちの舞台を感じさせていただいた九月
川口さんの田畑では、空に赤とんぼが飛び交い、
コスモスの花が咲きはじめていました。

自然農の田畑は人の美しい情が花咲くところなのですね。
今回も存在をとおして感じ学ぶひと時をいただきました。
ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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摩訶の世界に 摩訶不思議を現わす 絵と文 川口由一さん

2018年09月20日 | 自然農 川口由一の世界

自然農実践家 川口由一さんのスケッチブックより
四枚の絵を掲載させていただきます。

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川口さんは79歳、自然農40年目です。 
自然に添った暮らしのなかで
数年前から描かれることを
日々の楽しみにされておられます。

絵を描くことを通して自らの状態を見極め
人間性の成長と境地の体得に繋げておられます。

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摩訶の世界に 摩訶不思議を現わす 

七月三十日

 

 

清浄新 豊聖 深々 静々

 

 

美しい 藍 青 緑 

黄 赤 茶 黒・・・生きて 染まりて 

次なるいのちを 生みつくるぞ・・・

生まれ出るぞ 

いのちは営むぞ 時空は営むぞ 

宇宙は営み続くぞ 終わらぬぞ 

生まれ出る現象世界のいのち達は 

終わりがあるぞ 我も地球も太陽も

すごい 素晴らしい 

六月六日 梅雨入る

 

 

足元に 

草萩澄みて 

清みおり

我れ救われん

情緒豊かに秋

九月十五日

 

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川口さんのスケッチブックの内容は、
宇宙自然界生命界の現象や出来事、人間のこと 
その時々に気付いたこと、感じたこと、思うこと、
悟ること、納得すること、願うこと等々、
色や形、線で描き 言葉を添え、
人生の集大成ともしておられます。

八木真由美

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川口由一さん インタビュー ほんとうのしあわせ

2018年05月05日 | 自然農 川口由一の世界

ほんとうのしあわせ
川口由一さん インタビュー 2018.3 

 

八木 私たち人間社会において対立的にならず他の幸せを喜べるかどうか、それは平和な人間社会を築くに大切なことで、「他の幸せが喜べない時の自分はほんとうのしあわせを手にしていないからだ。」と教えていただきましたが、「ほんとうのしあわせ」とはどのような状態をさすのでしょうか。?

 

川口 ほんとうのしあわせを存在の根底から感じて真のしあわせになっている時はどんな状態なのか、あるいはほんとうのしあわせはどこにあるのか、人としてのほんとうのしあわせ、男性としてのほんとうのしあわせ、女性としてのほんとうのしあわせ、大人として、政治家として、芸術家として、宗教家として、農民として・・・、父親として、母親として、子どもとしてのほんとうのしあわせは、その時その時成長過程によってそれは異なるし、置かれている立場によっても時代によっても年齢によっても季節によっても異なりますが、いずれの場合も゛人゛ですから、人としてのほんとうのしあわせは、いつの時代にもすべての人に通じる変わらざる普遍のこととしてあるものです。

 

 ところで、どのような時にほんとうのしあわせを感じられるのかですが、100%正しく生かされて100%美しく生きることができている時はほんとうにしあわせでしょうね。100%正しい他による生かされ方と自らによる生き方を知らないで外れてしまうと決してほんとうのしあわせには至れませんね。在り方生き方にかかっていますが、どのような生かされ方と生き方をすればしあわせなのか。どんな時、どのような時、ほんとうのしあわせなのかを思い起こし、深くみつめてみたいですね。その先にしあわせの反対の状態をみつめてみますと、淋しい、悲しい、不安だ、恐ろしい、落ち着かない、心配だ、苦しい、あるいは他人に負けて悔しい、他人に脅されて、他人にいじめられて他国に侵されて恐ろしい、不幸だ、他人をいじめて、他国を侵して心が安まらない。あるいは仕事が順調に進まなくてつらい、お金が充分入ってこなくて残念、お金がなくなってきて不安、物質的に貧しくてつらい、心が貧しくなって淋しい、怒りっぽくなる、他虐的になる、自虐的になる、攻撃する、攻撃される、等で心が安まらない。他人に怒られて悲しい、怒って心が落ち着かない、怪我をして痛い、病気で苦しい、老いてきて淋しい、恋に破れて生きる意欲をなくして耐え難い、死ぬのがこわい、あるいは他人の不幸が悲しい、人類が不幸へと流れてゆくことが恐ろしくてつらい、人間社会の混沌混乱がつらい、人間社会の不条理や矛盾が耐え難い、国の政治の誤りから不安を覚える、国と国、民族と民族の戦争、殺し合いは不幸の極み・・・等々、幸福から離れゆくことも限りなしです。祖父母の死が、親の死が、我が子の死が、我が孫の死は耐えられない、変わってやりたい、悲しい、家族の病気がつらい、兄弟姉妹げんかになってつらい、等と数えきれません。我が内なる心でのことであったり、外部の事柄であったりします。台風がくれば、地震がおこれば、豪雨になれば不安、晴天続きで困る、雨が降ってほしい、低温続きで稲の生育が心配、殺したり殺されたりは恐ろしい、なんとも悲しい・・、等々、悲しみ、不安、恐れも限りなしです。これらいずれも他から生じることと自らの内から生じることに大別できますが、別けようのないものでもありますね。

 

 ところで、他のことは別にして自らの在り方のところでのことですが、人としての正しい道を得てその答えを生きることができ、いのちの道からも外れることなく生きることができたら、あるいは真に我にふさわしい我が道を得て正しく生きることができたら、あるいは選んだ我が道で優れた答えや成果を出すことができたらしあわせですね。人の道、いのちの道、我が道をみつけられただけでもしあわせです。40代に入る頃にはその道をみつけて、50代60代とその道で答えを生きることによってしあわせが色濃く深くなりますね。それは実際に具現化したことからのしあわせです。真に優れた人間に、優れた農民に、優れた教育者に、優れた芸術家に、優れた政治家に、優れた宗教家に、優れた治療者に、真に優れた親に、優れた夫に、妻に、優れた職人に・・とね。ところで基本のところは生まれてきたことが喜び。そして今も生きている、存在している、そのことが喜び、そのことがしあわせ、そのようになって心平和、心豊かで心静かな喜びに至るようになるのがしあわせの基本になりますね。

 

 さらにその上でそれぞれの道で、それぞれの行為行動でほんとうにしあわせに至るようになるといいですね。これとこれを手にしたらしあわせだ、等々の何かを得る以前に存在そのものが、生かされて生きていることがそのままでしあわせだ、不足することがない、足りているところに生かされ生きている、このことがありがたい、という境地に至ることが基本になりますね。

 

  その境地に至れないと、金銭欲や物質欲、名誉欲、権勢欲、支配欲にとらわれることになります。足るを知って心が満たされていると、何もなくても生きていることがしあわせだというようになります。事実は何もないことはなくて、生かされている私が存在しているし、生きるに必要なものは過不足なく与えられているし、生かしてくれるなんともすごい美しい豊かな宇宙自然界生命界があるし、それをしっかりと観つめ宇宙の実相実体を察知し認識し理解できて、その美しさ豊かさを全存在で、心で、魂で受けとり味わい絶妙さに感動し喜ぶことかできる状態になっていればほんとうにしあわせですね。そしてその宇宙における人類の位置と人間の実相実体と自分を知ることのできるその境地に至っていなかったら心は足らぬ状態になり不安となってあらぬものを求めるようになってしあわせから遠のいてしまい、迷いの日々、暗闇の日々に陥ってしまうのですね。不幸となりますね。

 

 生きることのできている舞台のことですが、太陽があるのが、光が、熱が、明かりが、ぬくもりが、適量届くのがありがたい、水が、海が、大地があるのがうれしい。空間があるのが、時間があるのが、宇宙があるのが、宇宙いのちと時空は無くなることは決してなく存在し続くのがなんとも安心だ、ありがたい。地球が今日もあって衰えずにすごい生命活動をしているのでなんとも言えずありがたい、安心だ。宇宙は常に大調和で常に変化変化で破綻することなき秩序で在り続くことが安心だ、なんともすごい宇宙に生かされて生きているんだなぁ。しかもこの宇宙生命界は何もかもなんとも美しい、本当にありがたい、となりますね。雨露をしのぐ住居がある、寒さを守る衣類がある、今日も生きるに必要な食べ物もある、田畑でお米や野菜や果物が育ってくれた、野山で山草がキノコが育っている、心身健康であることができて一日の生活が無事に終わり、お布団に入った時は「ああ、うれしい、ありがたい、寝ることができる。なんともしあわせ。」身近なことから遠大な宇宙のことまで、いのちのことまで、気付けば気付くほど、知れば知るほどに、わかればわかるほどに美しい妙なる営みで、豊かで、止まることなく在り続くことが驚きであり感動であり感謝の思い湧き出でてきますね。

 

 我が道のところでは、たとえば農民でしたら、自然農で自然界を損ねず負荷をかけず有限の資源を浪費せず、安全でいのちの充実した良いお米や野菜や果物を育てることができればしあわせですし、それを届けてあげられるのもしあわせですし、喜んでくださるのもしあわせですね。人類を持続可能にする自然農の正しい答えを誠実に生きることができればしあわせになりますね。傷寒論・金匱要略を宗とした古方の漢方医学を修得して病からの自立を成し、さらに病気で苦しむ人々を根本から治癒してあげることができる医者になれば深い喜びであるし、救われた人々も本当に幸福ですね。芸術の本質である美と醜の別を明らかとして決して醜を現わすことなく真に美しい芸術作品を創造することができる芸術家になると深い深い喜びです。また、真に美しい作品に出逢い観賞できることもしみじみとした喜びとなります。心から魂から全存在から真に美しい人に出い、結婚し心から肉体から魂から全存在で愛し合うことができている時は深い深いこの上なき人生における喜びとなり人間の尊さ存在のありがたさを覚えます。自然界を大切にし、一人一人を、人類を真の幸福に誘うことのできる政治を実現する政治家が誕生してくれば本当にうれしいですね。大きな喜びです。自らも偽りから離れて真を生き、悪から離れて善を生き、醜から離れて美を生きることのできる人間性に成長すれば、本当に喜びの今を、幸福の人生を全うすることができますね。他に依存することなく自立することができる人に、宇宙を得、絶対界に立つことのできる人に育てば心平和で豊かで喜びでありがたい日々となり平安の人生を歩むことができるようになりますね。

 

 存在そのものがしあわせ、過不足なく満たされている、それと同時に我が道において答えを生きて、そして実際に答えを出すことによってさらに豊かな深いしあわせを得る。こうして全体もしあわせに至るのですね。しあわせに至るとは生きていることがしあわせになっている状態です。他に生かされ、天地自然に生かされ、自ずから道を得て正しく生きることができて、真の自立ができて、さらに役目・使命・天命を、親として大人としてあるいはそれぞれの道、それぞれの分野において人々の幸福につながるべくの仕事ができればほんとうのしあわせに至りますね。しあわせになると心の底から平安となり魂から生きていることに納得が入りますね。一人一人が幸せになることと人類全体が幸せになることは同一のことであり異にすることではないですね。一人の人間として生きるにおいて矛盾することなく実践できるようになりたいです。本当にしあわせでありたいですね。すべての時代のすべての人が心底から望み願っていることです。一人が、人類が、しあわせに至るべくの働きができるように育つことができればうれしいですね。

 

 たとえば大切な分野の一つである教育においては次の時代を生きる若者をほんとうにしあわせに生きることができる人に育てないといけないのですが、まず自分が幸せになる。そうしてどういうところにしあわせがあるのかをはっきりと認識する。その上でどうしたらしあわせに生きることができるのかを、教育者として、あるいは大人として認識して育てることの智力能力を養い身に付ける。一人一人皆異にするいのちであるし性格であるし資質であるし人間性であるし、今日に育ってくるまでの生い立ちや長い過去の歴史も事情も異なり、しあわせに生きることができなくなっている人、不幸を背負って生まれてきたかわいそうな人、等いろいろですので、一人一人に適確に応じてゆくことのできる智力能力が必要です。そこまで育った上で真のしあわせの人生を生きることのできる若者を育てることができて教育者としても真のしあわせに至れます。しあわせに至るには人間性の成長が最重要で欠かせません。総合的に育ち、人格形成を立派に成し遂げた上でさらにそれぞれの分野の本質を明らめ極め、真の答えを見出し体得した上で実践、実現、具現化することによってしあわせの日々を生きることができますね。ここまでの話は人としての生き方でのことでした。

 

 ところで宇宙は他が喜ぶとか悲しむとか、あるいは人類をはじめ、他のすべての生物あるいは地球や太陽・月や銀河の星々が喜ぶとか悲しむとか幸福になるとか不幸になるとか生むとか死なせるとかは考えることも思慮することも配慮することも心くばりすることもなく存在し、ひたすら我が宇宙いのちを営み続けています。そうした宇宙ですが、人類全体が、一人ひとりが、しあわせになることのできる生物として宇宙に誕生してきました。そしてなんともありがたいことに人類が、すべての生物が幸せになることのできる舞台として黙して語らず永遠完全無欠の宇宙であり続けています。宇宙は止まることなく終わることなく誤ることなく、壊れることなく存在し続け営み続けます。その営みは無目的にです。なんら目的を持ってではないのですが、たくさんの生物が完全体として自然に誕生し死ぬまで生かされ生きることができています。人間もしあわせになることのできる智力能力を授かって、完全な生命体として、この宇宙、この地球に誕生し今も存在しています。もちろん宇宙は計算、計画、愛情、親心で人類を産み創ったのではないのですが、絶妙に完全な生命体として数十万年、数百万年前に誕生したのです。自ずから然らしむる自然なる人類の誕生であり、すべての生物、すべての無生物、すべての物質、すべての営み、すべての完全なる現象界・・・なのですね。もちろん現象界におけるすべて、誕生してきたすべては、いつかは必ず死に運ばれます。人類も、地球も、太陽も・・です。このことは悟らねばなりません。死滅は嫌だと逆らい怯え怖れてはなりません。

 

 そのように人類もいのちある間はしあわせに生きることのできる宇宙であり、人という生き物です。この宇宙生命界のできごとは自ずから然らしむることであって、誕生したすべての生物、無生物、いずれもかならず変化し、やがては死に運ばれ死に至るものです。もちろん新たないのち達の誕生であり、この誕生もまた無目的にです。やがていつかは人類も目的無く滅亡に運ばれます。しあわせに生きたい、喜びの日々でありたい、心平和に、心豊かに生きる。これらの願いも実現も生きている間でのことです。授かった百年前後の生の時空間をほんとうにしあわせに喜びに生きたいですね。

 

八木 そうですね。お話しを伺いはっきりと見えてくるものがありました。宇宙自然界生命界に、他の存在に、生かされていることに深い喜びを覚え、自らが成長する在り方で人生を全うすれば絶対なる確かさで「ほんとうのしあわせ」を手にできるように思いました。人類一人ひとりがそのように目覚めれば、地球の真の平和もすぐにでも実現可能なはずですね。お話しをありがとうございました。


 

お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん

インタビュー 編集 八木真由美

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川口由一さん 自然農田畑 2018年 3月 

2018年05月04日 | 自然農 川口由一の世界

三月の末、桜の季節に、
自然農実践家指導者の川口由一さんの畑をお訪ねいたしました。 


水仙が咲いている頃にぜひにとの想いが
実現いたしました。
うららかな春の光につつまれ 
花々のよいかおり・・。


ヒヤシンスも水仙の足元に咲いています。
朱木蓮もやわらかな空にむかって花ひらき、
春風がそよ吹く畑はやさしさに包まれています。

 

ああ、いい気持ち。
川口さんの自然農畑には人工的なものが全くありません。
自然に沿った在り様はほんとうに美しくて
心からしあわせを感じます。

その畑で育つ作物や果実が真に健康で美味しいことは
言うまでもありませんが、

畑に立つ人の心も身体も
深く深くくつろぎ癒されます。 
 

↑ こちらは花木のスペースで木蓮が満開でした。
蝋梅、紫陽花、ムクゲ、ライラックなどが並んでいます。
冬の間に剪定をされている木もありました。
  

畑の入り口です。

可愛いチューリップやムスカリが並んでいます。
手前にはこぼれ種で育ったゴボウが種取り用に・・。  

↓ レタスとチシャ、サニーレタスの畝です。 

種取り用の人参だそうです。↓ 

草たちもほんとうにかわいいですね。 

 

お花のコーナーでは、百合、牡丹、芍薬、ハーブ類、などが植えられ、
畑の北側には 平戸つつじが並んでいます。 

 

サヤエンドウです。 

健やかに育っています。
初々しくまぶしいです。 背丈が伸びてきたら
稲わらの支柱を二段にされるそうです。


こにやかにご案内くださる川口さん。

日々、お元気に田畑に立たれておられるとのこと、
うれしいです。  

 

グミの木が衰えてキノコが生えています。 ↑

こちらは山芋の畝だそうです。↑↓
ほくほくの土 いのちの重なりが層を成しています。 

 

畝の左に並ぶのはニンニクですね。 

春草のなかにキャベツを見つけました。
こんな畑で育つキャベツは幸せですね。 

 大根のお花、清らかですね、
種をつけていのちを繋げてゆきます。

 こちらには、ブドウの苗木が植えられています。↓

花梨の木です。↓
小さなお花を咲かせていました。 

三月下旬 お花が満開の杏子。↓
はなやかに空をいろどり
春を歌っています。 

↓ こちらは梨の木です。 

足元にはフキ。↓ 

落葉樹の下には 葉物や大根の花が咲き
フキが群生しています。 

桜の苗木の前で川口さん。
この桜は、お孫さんの成長とともに大きくなるのでしょうね。
楽しみですね。

 

野菜、果樹 花 木・・ 
ここに居るだけでしあわせな気持ちにあふれます。

美しい春の日に 美しい畑で
喜びのひとときをいただきました。 

ありがとうございました。

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写真は3月末の様子です。

 

 

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川口由一さん インタビュー 取り込み過ぎず「足るを知る」境地で生きる 

2018年03月08日 | 自然農 川口由一の世界


 取り込み過ぎず「足るを知る」境地で生きる 
川口由一さん インタビュー 2018.1 
 

八木 現代人の取り込み過ぎについて、具体的には何がどのように過ぎて問題を招いているのかお話しいただけますでしょうか。 

 

川口 現代人においては取り込み過ぎる人があり、取り込み過ぎる国があり、不足している人、不足している国があり、人類の歴史において最も顕著になっていると思えます。食において、あるいは衣と住に、そして生活全体において、あるいは国の建設、国の維持、保持、防衛、社会の建設において、゛過不足なし゛の在り方を実現しているのはごく少しではないでしょうか。

 

 ところで生まれてきた者は、生きている間は生きねばなりませんが、まず生きるに大切なのは食ですね。不足しているところ、飢え死にしているところ、反対に過ぎて身体を損ね病みいのちを短くし、大切な食べ物を無駄に捨て去っているという現実があります。なんとも言えない不幸です。食べ物において取り込み過ぎると胃腸に負担がかかり順調に消化ができず、血肉にならず内臓内腑に負担をかけ大切な身体そのものを弱らせていくことになります。その結果、与えられているいのちを全うできなくなり短命となります。もちろん心と身体、霊魂と肉体は別であって、同時に別けることのできない一つのものですから、心も霊魂も精神をも損ね病しめ衰退、退廃させてしまいます。人生全体におけるすべてにおいて取り込み過ぎると大変になってしまいます。もちろん不足であることもしかりです。この過ぎることも不足することも起こり得ぬ生き方、在り方のできる人間に育たねばなりません。

 

 今日の多くの取り込み過ぎは、基本である生かされていることにおいて足りていることを知らないゆえに取り込み過ぎに陥っています。足りていることを知っていないからです。足りているのに足りていることに気づかず知らず悟らず、さらに取り込んでいます。足りていることを知ることのできない者はいくら取り込んでも心は満ち足りないゆえに、さらに取り込み続けることに陥っていきます。その結果、自らにも周囲にもいろんな問題を次々と多く深く強く招きゆくことになります。

 

八木 全てにおいて過不足なしの在り方ができれば心身ともに健やかでしょうね。具体的に、例えば食においても他と比べることなく自分にふさわしいものを適量いただけば足りるわけですね。

 

川口 そうですね。いのちは皆別々であり、一人の人間にとっても固定することなく変化し異なりますので、過不足なき適量は数字では決められないし示せませんね。真由美さんの場合は僕からみればもう少し食べれたらいいのになぁ、って思うくらいに自制し選択もしておられますよね。あれもこれもとなったら良くないことがわかっておられ自分に合った食べ物、合った量、合った食べ方、そして合った生き方ができておられますよね。みんな人間の分を、地球における人類の分を、そして自分の分を自国の分を知ることが本当に大事ですね。

 

八木 自然農の田畑における農作業も、自分にあった広さ・作業の量を意識し取り組むようにしています。義務感や使命感ではなく私のいのちが真に喜ぶことをあらわしている時は、今にいる感覚とともに内容も充実しているように感じます。その中で少しずつ成長してゆけたらいいなと思っています。

 

川口 そうですね。面積においても、日々の作業量においても、作業の行ない方においても、過ぎたら最も大切な身体を損ねますし、適期に的確に適量の作業をやり通せなくもなりますものね。若い時は過ぎるくらいになりますが、元気、体力、気力が強くありますから・・・。でもそういう若さゆえのところも経験を通して歴史を重ねて自分の分に応じて生きれるように成長していきますよね。

 

八木 はい、経験を通して感じあらわしてゆけたらと思います。ところで学ぶことについても取り込み過ぎがあると思うのですが・・。

 

川口 そうですね、学んだことも読書したことも、学びへの一日の予定も一年の予定も、人生の予定も、食べたものと同じで過ぎると消化できないで負担になり心を損ね霊魂にまで負担が及び病しめ大切な身体にも同時に及び胃腸を損ね不健康になりますね。不足すると成長できません。学びは大切であって、気付き、目覚め、成長、悟り、成熟は、一人一人が幸福に、人類が平和に心豊かに生きるに欠かせません。足るを知り、過不足なく生きるにも欠かせない学びです。本当に本当のことがわかるのは是非に必要です。本当のこと、真実、真理が解ってゆくのは楽しいしですから、生きる意欲になり、喜びになり成長になります。枝葉にとらわれて無差別に無秩序にあれもこれもとなると負担になり消化できないでマイナスになりますので、心の内での整理が必要です。例えば最も身近な一日の生活のことで、朝早くから田んぼに行って仕事をする、仕事をする、食べる時間も惜しんで仕事をする、夕食後も夜も仕事をする、それで疲れきって寝ざるを得なくなる。寝てからも「あれもしたらよかった、これもしたらよかった。」と思い悩むのはさらなる心身の疲労になります。なんと言っても心も身体も休まないといけないですね。ゆとりが大事、寝る時は寝ないといけない、一日の生活だってより成果を求め過ぎたらだめ、取り込み過ぎたらだめですね。人生においてもしかりです。年齢に応じた学びもしかりであって、ゆとりを持って確実に積み重ねて成長してゆかねばなりません。

 

  生きている間は、人としての成長、人間性の成長、人生の完熟、完成、完結に向けて、宇宙のこと、自然界生命界のこと、いのちのこと、人類のこと、人間のこと、自分のことを、学ぶ、知る、観つめる、静観する、止観する、悟観する、観極め尽すことは是非にやり続けて極めたいですね。挫折せず、屈折せず、投げ出さず、逃避せず、心身を壊すことなく、心を身体を魂を正しく開発して大いに働かせて極め続ける、年齢と共にいつまでも極め続け学び続けることは本当に必要であり大切なことですね。真実が見え、真理が観えて、悟り知ってゆけることはなんとも楽しくうれしくて魂から感動し身震いします。大いなる宇宙のことも微小のいのちのこともね。宇宙本体も、心も霊魂魂魄、いずれも姿形なきものですが、そして人間の内もわが心の内も人間のいのちも姿形なきものですが観極め悟り知っていきたいですね。また、宇宙生命界の現象世界における姿形あるものは、広大無辺の宇宙ですので見尽くすことはできませんが、宇宙現象界の部分を見つめ知り察知することによって宇宙本体の実相実体は観えてきますので、この作業は心弾みゆくものです。

 

八木 はい、人に生まれて学び続けられることは本当に心が弾むことです。ものごとの本質に深くふれ魂から喜びあふれる人になりたいです。ところで、これは必ずやりとげたいと思うようなことにも取り込み過ぎはあらわれるのでしょうか。

 

川口 やりとげたいことが、本当に必要なことなのかの察知判別をした上で、本当に必要なことは是非にやりとげないといけないですね。その場合はやりとげ方が重要になりますね。必ずやり遂げることのできるやり方ができないといけません。それに関わる基となることですが、゛過不足なく、足るを知る゛ことが必要になります。生きられるのは他力100%、そして同時に自力100%です。自分で生きないといけないゆえの自力においてすでに過不足なく足りていることを悟り知ることが必要です。同時に他力である生かされていることにおいても過不足なく足りていることの事実を知らねばなりません。足りていることを知らず見失っているゆえに生きることに執着が入ってしまうのですね。過不足なく足りていることを知らず悟らずのゆえに欲が頭をもたげて、過ちに落ち大変な問題を招いて取り返しのつかない不幸になってゆくのですね。それゆえに現代の多くは取り込み過ぎに陥り心と身体に問題を招き、地球に問題を招き、生かされ生きる舞台である大切な環境に問題を招き、生きるに必要な基本のものに不足をきたし実際に足りなくしていっています。生きるには人間の精神も心も魂も大切ですが物質も大切です。その物質を取り込み過ぎ、使い過ぎて無くしてゆく在り方をしています。そして奪い合い取り込み合いの争いに落ち不幸に陥っています。我が身に我が国にわが民族に我が会社に我が教団に我が集団に・・・。足るを知らないゆえの奪い合いによる取り込み過ぎは、やがて本当に足りなくしてしまいます。生きるに必要なものが無くなるのです。多くの日本人も、世界の人々も、世界の国々の政治の在り方もあらゆる分野でそうした誤った流れが顕著になっています。例えば今日の経済中心、お金中心、物質中心で消費を是とする生き方あり方を続けてゆきたい為に必要とするエネルギーの確保で、太陽の光や熱、地熱、風力、潮力、水素等々の利用は、無智ゆえの物欲心、邪心、悪心で取り込んではいけないものを取り込み、消費し消し去り無くしていくことを盲目的にやっているのですね。人類やすべての生物が生きるに絶対に必要不可欠な舞台を破壊し無くしていく、この過ちに気づかずにやり進めています。足るを知り、分かち合ってさわやかで心よき安らかな本当にいのちが楽しく幸せになる持続可能の生き方、在り方を悟り知って、生き方を変えないと人類滅亡への加速となりますね。

 

八木 それでは、「足るを知る」知り方について教えてください。

 

川口 足るを知るには自分の内なる心や思いや人生観を確認して正すと同時に、生かされている宇宙を知り地球環境もしっかりと正しく見た上で足るを知っていくことが基本となります。取り込み過ぎたら自らのいのちや心も損ねるし、近辺の環境を損ねるし、地球環境そのものを損ねます。ですから事実を知ることは本当に大事なことです。生きる舞台である自然環境、そして生きねばならない私たち人という生物、いずれも生きるに必要なものを過不足なく与えられているのです。この事実に気づくことと、欲心を起こさないように人として正しく立派に育って、悟りの日々、さわやかな喜びの日々、生きていることが楽しいありがたい日々になるように成長できるといいのですね。気づき悟り知り正しく生きることのできる人間性の成長が欠かせません。事実は足りているということですが、これに気付くことのできる人間としての目覚めと、欲心邪心を現わさぬ人間性の成長が是非に必要です。一生を全うするに、人類が幸福に平和に生きるのに基本となることであり、ここに人類が真に救われる道があります。 


  新人類の誕生数十万年前、猿人の誕生数百年前ですが、誕生した人類生きている間は生きなければならず、今日まで生きてきたわけですが、それは生きる舞台も、生きなければならない人間の身体も身体に宿るいのちも知力も能力も生きるに必要なものはすべて過不足なく与えられて足りていたゆえです。生きるに必要なものはこの地球生命圏にすべてあったのです。また、生きるに必要な身体も智恵と能力も過不足なく与えられていたゆえです。現代もなお過不足なくあるのです。左右2本の脚、2本の手、それぞれ10本の指、頭部には髪の毛、その中には生きるに必要な働きをする器管が備わっており、顔部には目、鼻、耳、口、歯、舌、が備わっており、もちろん働きを成すものとして過不足なしです。それらを守るべく、皮膚、肉、骨もあり、働くに必要な体液、血液あり、親から子へと巡り続くに必要な精子卵子有り、精子卵子の働く能力も与えられており、100年前後の時空間を生きることのできるいのちを宿しており、このいのちを維持する食べて消化吸収し排泄する器管も内臓内腑も宿し、夫々が働きを成す生命力を宿しております。いずれも過不足なく自ずから与えられて誕生してきているのです。幸福に生きるに必要な感情、感覚、智力、意志力、察知力、触覚、臭覚、思考力、思索力、哲学力、直感力、持続力、成長力、生命力・・・、必要なものすべて過不足なく与えられています。このことに気づけば、存在そのもの、生きていることがそのままで平安、安心立命に至れるものです。生きていることが不安で心配で、物欲、金銭欲、支配欲、権勢欲、我欲・・等に心を奪われ、聖なる魂を悪に支配されることなく、人本来の正しい平和な心豊かな心楽しい心清明なる人として生かされており、生かしてくれる宇宙自然界生命界であります。そして生まれきた若いいのちが日々に心身共に成長することのできる人という生物なのです。成長せねばなりません。成長に必要なものを与えられています。幸福に生きるに必要なものを与えられています。このことに気づき育ち悟れば自力による生き方において足るを知らず取り込み過ぎ、欲心、邪心、悪心に陥り不幸な人生、不幸な混沌混乱の人間社会とはなりません。足るを知る生き方の基本となるところです。自然界生命界における他力100%自力100%の私たちであり存在するすべてでありますが、過不足なきなのです。 


  それから同時に非常に大切なことがあります。大切な物質面ですが、もう一方の心の面、精神、魂の面においてです。こちらも解決しないと真の幸福には一人一人至れず、真の幸福は人類に訪れません。それは他人の心を取り込み過ぎる、他人の魂を取り込み過ぎるということです。人と人の心からの出逢いは真の生かし合いに欠かせない必要なことですが、他人の心を取り込み魂を奪うという行為行動を起こしてはいけません。こうした過ちを起こす性のある私たち人間でもあるのですね。こうしたことが起こるのは一方で生きることから逃避して他者に依存するゆえに生じることでもありますが、未熟で未だ自立するべく育ち切れていない者を引き込むのは、支配欲であり悪魔的であり、病的でもある我欲であり、人としての真の幸福からはずれた生き方になります。わかりやすい例で話しをします。インドのお釈迦さんの生きられた姿からこのことを考えてみます。

 

  一国の王子として誕生したお釈迦さんですが、階級制度のはっきりした国でもあって王様や王子様に仕える人が多くおられて、仕え尽くしてもらう日々の生活ですが、心の底から尊敬し、敬い、尽くしてくれているのではない事に気づいたお釈迦さんは淋しさを感じむなしさを覚えるようになられ、ある時゛心の王になる゛と、王子の地位を捨て、両親も捨て、まず自ずからの心の修行、心の旅に出られ、あちこちの智恵者、賢者を訪ねて学び修業を重ねられ、ついに゛育った、わかった、悟った ゛ と自覚されます。やがて道を求める人、悩める人、苦しむ人、恐れおののき不安の中に落ちて救われることを求め訪ね来る人に導き示し悟らし救う宗教者としての生き方をされますが、真の宗教者としての生き方からはずれてゆかれます。慕う人、信奉する人、訪ね来る人、求め来る人、依存する人が増えていきます。これらの人たちの心を救い、目覚めさせ、自立させるべく送り出すのが宗教者としての真の在り方ですが、それらの人を引き寄せてゆかれます。悩む人、苦しむ人、道を求める人に答えを示し、しっかりと自立して生きるように正しい道を示し導き、送り出すことはされずに心を引き寄せ魂を取り込みゆかれるのです。゛心の王゛を実現してゆかれるのです。゛魂゛を゛心゛を奪い我がものとした誤れる心の王として生きられるのです。やがてはその生き方のなか途上で亡くなられます。決して真に魂の根底から救われることなく、多くの人をも救うことなく不幸の道連れにしていかれたのです。両親をも悲しませ、道連れの人たちにも家族があってそれらの人たちをも悲しませたと思えます。今日の世界三大宗教の一つである仏教の教祖として崇められ、その後においても多くの人たちに、そして日本においても慕われ恋焦がれられていますが、お釈迦さん自らも多くの信者さんも真の悟り、真の自立、真の人生の全うとして生きられなかったことになったと思えます。三大宗教においても、いずれの宗教団体においても相似たことになり、相似た不幸が生じてしまうのですね。人との真の出逢いは大切であり、生かし合い助け合いが欠かせぬ大切なことですが、足るを知らない心の取り込み過ぎ、魂の取り込み過ぎに陥ってはいけません。迷いであり人に非ざる大きな間違いであり罪深い不幸な生き方であり、宗教の基本となる本質からはずれたあり方です。

 

八木 足るを知らず本当に足りなくなるということが起きているなかで、魂や心まで取り込み過ぎになっているのですね。人との関係において自分を見つめそれを通して真の自立へと成長してゆけたらと願います。ところで、先ほどお話しくださいましたお釈迦様が人々を真の幸福・真の自立に導くことができなかったのは、大いなる宇宙の本質を理解されておられなかったことが根本にあるのでしょうか。

 

川口 そうですね、人に生まれてきての絶対なる運命がありますね。生まれる、育つ、やがて老いる、病む、死ぬ、この運命に対してのことや、人間の内なる心の曇りや未熟ゆえの愚かさから生じる不幸や悩みや不安や苦しみに対しての救われ方等を示しゆかれたと思いますが、この人間の存在している宇宙、自然界生命界のことは観極めることはされず、宇宙の実相実体を明らかとできず、この宇宙における人間の位置づけや関係や生き方を問い明らかとして真の救われ方と真に救われた生き方を悟り実践するところには至られなかったのではないでしょうか。また、自分の内なる心の根底における自己執着心には気づくことができなかったのでしょうね。心の曇りで魂に明かりがささないゆえに誤りが見えなかったのでしょうね。宇宙本体を知る、実相実体を観ることはできず、絶対宇宙における相対界の位置づけや、相対界に存在する私たち人類の位置づけと生き方・悟り方を正確に極めることはできなかったのではと思えます。般若心経で悟り方を説き示しておられますが正しくはありません。絶対宇宙における相対する現象世界に存在している私たち人間の位置づけが正確にできていないからです。般若心経においてもその不確かさが表れています。お釈迦様直接の言葉ではありませんが、多くの弟子と共に真に悟り救われなかったと思えます。

 

八木 人としてほんとうの喜びに至るには、宇宙自然界生命界のことがわかり人間性の成長や境地の体得が必要ということですね。それを自覚して学び養うことができる今をありがたく思います。そして生かされ生きるこの世界で、あらためて内に外に「足りている」ことをいのちから感じる時、さらなる学びへの意欲が湧いてきます。

 

川口 本当にそのようにあることが大事ですね。尊くて貴重でかけがえのない身体を有しいのちを宿した生の期間です。確かなる存在です。幸福に生きることのできる人間です。真由美さんもそのことを知っておられるし実行でき求め来る人を導き、それぞれの人たちを自然農や宇宙自然界生命界における生き方等の学びの場で真の自立へと送り出しておられますね。そこから生じてくる喜びも体験しておられるし、それが明日への糧にもなることを実感しておられますよね。日々の生活のなかで学び、宇宙のこと、いのちのこと、本当のことがわかり、次の時代を生きる若者を正しく導き、若者が本当に幸福へと生きてゆく姿を見ることのできる喜びは、深く静かに湧きいずるものであって明日への糧になりますね。年を重ね老いてなお常に学んでいることが明日への意欲になる、喜びになる、その喜びが明日への糧になる、そして成長になりますので、正しく生きることを、立派に育つことを死ぬまでやり続けなくてはいけませんね。本当に道を得て生きていることは楽しくて、心平安で、心豊かで、生きていることの意義も意味も理解できて納得の中で死ぬまで生きることができますね。

 

八木 はい。宇宙は生きるに必要なものをすべて過不足なく与えてくれており、私たちは、いのちの道、人の道、私の道を安心のなかで生きればいいのですね。取り込み過ぎず「足るを知る」ことについて、とても明確になりました。ありがとうございました。


 

お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん

インタビュー 編集 八木真由美

写真 TOMOKA.K

 

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川口由一さん 自然農田畑 2018年1月 

2018年01月18日 | 自然農 川口由一の世界

新しい年のはじまりに 三輪山のふもと奈良県桜井市の
 自然農実践家指導者 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
うっすらと雪を纏う大和の山々、清らかな冬の景色です。

昨年末、お米の収穫を終えられ、稲わらが還された田んぼ。
自然農40年、耕さず、いのちの重なりが続いています。
写真手前の畝には麦が植えられ、↑
近づくと稲わらの下から麦の姿が見られます。↓

夏には緑あふれ 躍動していたいのちたちも
静まり返る冬。
やがて訪れる春の日まで
無数の種や宿根たちが眠っている大地。
ふっくらとした畝は、こんなに寒い冬の日にも
やわらかで暖かそうです。

こちらは田んぼ南側の畑です。↓
キャベツが育ち、いちご・玉葱の苗も元気です。


田んぼから歩いて数分、
果樹・花木・野菜などを栽培されている一反一畝の畑です。 ↓
入り口付近には柿の木が二本並んでいます。


雨が小降りになると
雲の合間から光が射してきました。
清々しい一年の始まりに
美しい畑に入らせていただきうれしいです。

川口さんの畑には様々な種類の水仙があります。
白や黄色の濃淡 春の香りを漂わせ咲きにおうのでしょう。
もうすぐ もうすぐ。

こちらはレモングラス、↑ ↓
素敵な寒さ除けをしてもらっていますね。
支柱を三本立て周囲をライ麦のわらで囲み、
風に飛ばないように麻ひもで留めておられました。

麦藁はしっかりしてますね。

こちらはエンドウの畝です。
三列、種を蒔かれ 
稲わらで支柱と鳥よけをされています。↓

稲わら 麦わら 稲の縄 木々
自然界にあるもので、田畑で栽培したものの一部で、
手作りする美しい支柱や寒さ除け・・、
自然に沿っていのちを育てる自然農において
楽しみ&喜びの作業ですね。


川口さんの畑では近年、
お野菜の芽が鳥についばまれることがよくあるそうです。
その場合には種の蒔き直しをされることも・・。

藁に守られて冬を越すエンドウ。↓

こちらはそら豆です。↓
元気そうですね。
畑の草草や木々の落ち葉がたっぷりの畝で。

「枝を立てておられるそちらの畝には何が育っているのですか?」
とお尋ねいたしましたら ↓
「ここにはラッパ水仙があるのです。これから育ってくるのですが、
間違えて刈ってしまわないように目印にしています。」
と、水仙が咲く頃を待ち望まれる川口さん。

全ての畝にふんわりと枯れ草や木々の葉、
所々に古木の幹が置かれている畝も。
ここで生きるすべてのいのちたちが、
他のいのちのを生かす巡りのなかにあります。

こちらも美しい寒さ除けです。↓
ライ麦の藁で作られていました。

風に飛ばないように古木でおさえて。
寒さ除けの内側には春菊が・・。

北風や霜から守られ 陽ざしをあびて。 

つかの間太陽の光が降りそそぎ、気持ちが和みます。

春に蒔いた夏人参の説明をして下さる川口さん。↑
種用に少し残されています。
自家採取して四年目くらいだそうです。


一昨年のキャベツが復活。↑

ほんとうに美しいいのちです。
不耕起 無肥料 草草や虫たちと同じ舞台で
たくましく美しく生きています。
 

大根です。↑ 
滋味深い自然農のお野菜。
姿形にもあらわれていますが、
いただいた時の喜びは格別で
天然自然というものを全身で味わうことができます。

人参の畝に上がられて ↑
ネズミの穴を踏んでおられる川口さん。
「全部は食べられないのですが、結構食べてるんや。」
「何か対策はされているのですか。?」
「こうして穴を踏むことくらいやな。」

 

さて、こちらは畑南西の角、花木です。

ムクゲがすっきりと剪定されていました。
ライラック 蝋梅 紫陽花 木苺 萩 山吹 ザクロ
そして畑の周囲には平戸つつじが並んでいます。 

木々の足元に水仙の葉が光っています。
厳寒期より花を咲かせ春を待つ清らかな生命たち。

苗木を植えて五年目くらいの桜の木です。↓

「これはね、お茶の木に絡んでいますが藤です。」「藤ですか・・。」
↓ 春には色とりどりの楽園になりますね。

そしてさりげなく目をやった先にクコの実を発見。↓
クコは自然農を始められる前から育てておられたものが
今も実をつけているのだそうです。

 

今年は落葉樹の足元にばら蒔きされた大根の生育がゆっくりだそうです。
毎年同じ場所にばら蒔きをすると、それを好む虫たちも増えるとのこと。
また天候気候にも影響され、早目の寒波などで生育が思わしくない場合は、
新たに筋蒔きなどもされるそうです。 

霰が降ってきました。↑
今年一番の寒さでしょうか。
カメラを持つ手がかじかんできましたが、
冬の自然農田畑も趣があり安らぎます。 

一つ所に寄せられた古木の幹や枝は、
畝に巡らせるなどすべて無駄なく使われます。

ふと見ると手前に大きなキノコが・・。
松または桑の幹の下にできた菌核だそうで、
一本の木が死んだ後にきのこが誕生するそうです。
もし松の木でしたら生薬に使われる「茯苓」かもしれません。

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今回も森のような花園のような川口さんの自然農田畑にて、
自然に沿って生きるということを想いました。


時のかさなりは、いのちの歴史であり
  最善の在り方でいのちを育んでくれます。

余計なことをせず 
必要なことだけを的確に見極めて少しだけ。

人もこの自然の巡りの中にいて
人の分にふさわしい恵みをいただけるのです。

それを、本当のしあわせと感じられ、
豊かな人生と感じられる心が育っていれば
自然はいつまでも私たちとともにいて
よろこびを与え続けてくれるのだと。

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今回も五感を通して全身で 
また川口さんから言葉を通して
自然農の世界を感じ学ばせていただくことができました。

道中の雪景色も清らかな新年の氣にあふれ
静かな冬の営みもまた光かがやき
温かな気持ちに包まれました。

岡山から奈良へ
今年もいのちの世界を観つめる旅は続きます。
写真はすべて1月10日撮影です。

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いつもブログをご覧くださいまして
ありがとうございます。
八木真由美

 

 

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川口由一さん 自然農田畑 2017年12月

2017年12月28日 | 自然農 川口由一の世界

2017年 12月
自然農実践家指導者 川口由一さんの田畑をお訪ねしいたしました。 
写真を中心に12/1の田畑の様子をおとどけいたします。
冬のはじまりの美しい営みです。


水色の空を背景に、粳米の見事な稲架けです。↑
その豊かな恵みに感動、そしてなんとも絶景ですね。
天日に干され、さらに実りが充実いたします。

こちらは香米と大豆です。↑ 

↑ 手前が古代米です。
古代米は普段のご飯に混ぜていただかれたり、
お餅にして召し上がられるそうです。

↓ 緑米の稲刈りはこれからです。(写真は12/1です。)

三輪山を背に田んぼにて、にこやかな川口さん。

脱穀は12月の半ば頃に・・。

稲架けの前で一年の感謝をこめて記念撮影。 

川口さん 三輪山を背に冬の畑にて。 

 

畝の右側は小麦(強力粉)です。↑
左側にはコカブを植えられているそうです。 

 

麦の芽がきれいです。
キラキラと光っています。
勢いがありますね。

こちらの苗床から田んぼに移植されるそうです。 

キャベツとブロッコリーです。 ↓

 

↑ キャベツの左は、裸麦とライ麦の苗床です。 

↑ こちらはイチゴの苗床です。
「広めに植えているので移植せずこのまま育てます。」とのこと。
 
写真の右端は四年目の葉ねぎ。↓

11月半ば、ゴマの収穫あとに玉葱の苗を植えておられます。 ↑

「今年は玉葱をネズミに食べられて種が採れず、
購入した種もなんとなく発芽しにくくなっています。
種やさんの種は栽培地が外国であることが多く、
それも関係しているように思います。
自家採取が基本ですね。」と川口さん。

「ヘビやイタチとの関係もありますが、
モグラが走ると野ねずみが、イタチが走るとネズミがね。
特にネズミ年にネズミが多いような気がします。」(笑)
とも。 

田んぼの北側の畑です。

 こちらの畑は以前お米づくりをされていた場所で
近隣の田とゆるやかな棚田になっており、
お米の時期には隣の田からの水も流れ込み、
時には排水が難しいこともあるそうです。

里芋・クワイ・蓮・スイレンなどにはふさわしく、
トマトなどは根を損ねやすく影響があることも。
ピーマン・ナス・キュウリ・雑穀などは元気に育ち、
作付け内容に配慮され支障なく栽培されておられるようです。

カボチャ、冬瓜などもこの場所で育っていましたが、
高畝はもちろんのこと、鞍を直径約70㎝と幅広く作られ
対応されておられました。

温床もこの畑の南端に作られています。
この時期の溝の水は前日の雨の影響もあるとか。

最近はお花畑もふえ、ご年齢にあった内容と
 添い応じられる在り方を見せて頂いています。 

トマトを栽培された畝にはチンゲン菜と小松菜です。
手前が玉葱の苗床です。 ↑

チンゲン菜 小松菜  かつお菜

白菜の苗床です。↓

 

 

こちらは里芋の畝です。↑ ↓

川口さんの畑ではスペースに余裕があるので、
里芋は掘り上げて収穫をされず
保温になるよう周囲に土を盛り
召し上がられる時に掘っていただかれるそうです。

茎も食べれるのだそうです。 

スコップで掘り上げるところを見せていただきました。 

豊かな自然農の畝で
本来の美味しさたっぷりの里芋です。 

土を落として乾燥させ貯蔵することもできます。 

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さて、こちらは果樹 野菜 お花を育てておられる畑です。
柿の木の足元には、からし菜を蒔かれています。
チューリップ、桔梗、彼岸花も季節には花を咲かせるそうです。
↓ レモングラスも寒くなってきたら霜除けをされるとのこと。


こちらは、お花の畝だそうです。
柴桜 ヒヤシンス クロッカス 芍薬 牡丹 など。
こぼれ種の大根も育っていますね。


こんもりとした淡い緑は、人参によく似た葉をしたお花で、
白い花を咲かせるそうです。

近年、川口さんの畑では鳥たちがお野菜を食べに来ることがよくあるそうです。 

春菊とサニーレタスの畝です。↑

サニーレタスは、発芽が思わしくなかったので
二回目を蒔かれたとのこと。

モロヘイヤ、種とりができそうですね。↓

種をつけているニラ。↓
ニラは株で大きくなりますが、
今回、種を少しいただきましたので蒔いて育ててみたいです。

 

エンドウの畝です。
↓ こちらに三列に種を降ろされています。

可愛い芽がのぞいていました。↓

こちらの畝はさつまいもの収穫後だそうです。↓

大根の点蒔きです。↓

人参ですね。↓

ニンニクです。↓ 


ニンニクのお隣には山芋が・・。
畝にはたっぷりと刈られた笹が置かれています。
山芋は山で育つものなので、
畑の笹などを巡らせると豊かに育つのだそうです。   ↓

去年の夏キャベツです。↓
小鳥に食べられたり、草に埋もれたり、
梅雨時には葉っぱが全部なくなり茎だけになったそうですが、
芯から新しい葉が出ています。

瑞々しいですね。

畑の畝に貝殻が・・。

「野菜くず、果物の皮 漢方生薬の煎じかす、貝類は田畑に巡らせています。
無機質の貝は植物を強くしてくれるカルシウムが豊富ですね。
その他の生ごみは養分過多になるので、巡らせていません。」
とのことです。

ゆっくりと分解して巡る貝類、
海のいのちが畑で野菜を強くする。
なるほどなぁ・・・と思いました。


花を咲かせる木々も静かな冬の営みです。
ムクゲ、ライラック、皇帝ダリア、など。
足元には 菖蒲 アヤメ グラジオラス シャクナゲ スイセンなど 
美しく咲き誇る季節を待っています。


こちらの二本の木は、鳥が運んできた種で大きくなったそうです。
向って右側は落葉樹で、その枝は畑で使う支柱に使われます。↑

畑をご案内してくださる川口さん。

 

こちらの畑は一反一畝、 
果樹も草木も花々もお野菜もそれぞれにふさわしい空間で
いのちを輝かせています。 

落葉樹の木の下にフキです。
フキは冬に一旦枯れて春にフキノトウの花が咲き、
それがまた一旦枯れて同じ茎のところにフキがどんどんでてくるのです。

こちらは同じく樹の下に葉物です。 

 

今年は少し成長が遅めだそうです。12/1 

  

同じく樹の下に大根のばらまきです。↓

いきいきとした大根が芽を出している果樹園、
鮮やかに色づいたミカンが目に入りました。

「一番黄色く色づいているのを一つ採って食べましょう。」と川口さんに言われて
足元の大根を踏まないように木の下に・・。

  

瑞々しくて美味しい~。

すっぱいものはあまり召し上がられない川口さんですが、
この日は美味しそうにいただかれていました。

 

ミカンの木の足元は、大根と牧草の絨毯。
このやわらかな大地の営みと色づいた実
冬の光をうけて輝いています。
なんだか歌いたくなるような、朗らかな光景です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自然農は、耕さず 
農薬・肥料・除草剤・大きな機械などを持ちこまず、
全てのいのちと共に 美しく豊かな地球の舞台で
自然に沿って手作業で栽培する農です。

今年は春 初夏 夏 初秋 秋 初冬
川口さんの田畑をお訪ねすることができました。
たくさんの感動と学びをいただき
楽しく心をはずませました。
心より感謝申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブログをご覧いただいています皆様
いつもありがとうございます。
これからも美しい自然農の世界を
ご案内してゆけたらと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。
八木真由美

 



 

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川口由一さん インタビュー 「宇宙の創造 人の創造」第三話 人生の全う

2017年12月25日 | 自然農 川口由一の世界


絶対界に立ち 大いなる働きをし 喜びの日々を生きるに必要な男女の出逢い~人生の全う~ 
「宇宙の創造 人の創造 ③」インタビュー2017.10

 

八木 前回のインタビューでは、宇宙の創造 人の創造の第二話として「いのちの誕生の瞬間」についてお話しいただきました。人の人生において男女が出逢い結婚し次のいのちを授かり育てることは尊いことですが、今回はさらに男女の出逢いの意義について思われることをお話しいただけますでしょうか。
 

川口 う~ん、大事なことやなぁ。百年前後の一生をいかに全うできるかどうか、人としていかに幸せに喜びの人生を生きることができるかに関わる重要なことやねえ。その為にも男性は男性として女性は女性として全うできるかどうかが本当に大事なことになりますね。
 

 私たち人という生き物もある時この宇宙に生まれてきたのですね。人類の親は人類ではなかったのです。47億年前の地球の誕生からすればつい最近ですが、新人は数十万年、猿人は数百万年くらい前に生まれてきたのですね。その際男性と女性に産み分けられていた。すごいね。同じ人であって同時に男女の別のある生物としての誕生だった。ゆえに次のいのちをつくるのは男女が出逢わないと、そして男女が交わらないと産みつくれない。地球上に自然に生まれてきた人類ですが、その後は自分たちで産み育てていきなさいというわけですね。すべての生物がそのようになっていますね。人もそんな生物であるゆえに男女は自ずから引き合うことにもなるのですね。

 
 すべてのいのちは次のいのちをつくることのできる生物として自ずからの誕生でありますが、この自然界生命界は無目的に生まれたのですね。自然に生まれてきているのです。宇宙に誕生するものすべてがそうであり、人間もそうなんです。無目的にです。もちろんやがてかならずの死滅も無目的にです。なのに過不足なき完全体として誕生してきているのです。すごいですね。人間の場合は男女に産み分けられての完全体です。またまたすごい。お米なんかは一粒のところに雌しべと雄しべがそろっている。ある生物は雌しべと雄しべが別の場合もある。人間の場合も別なんですね。そしていずれも過不足なき完全体としての誕生です。この完全体としての存在であり営みの性質の一つである次のいのちをつくることにおいては、すべての生物自ずからの営みとしてのことであって、人間も同じです。

 
 ところで、次のいのちをつくるということ以上に男女の出逢いは大切で重要なるものであり必要とすることです。いのち自ずから必要としています。子どもをつくるためだけではなくて、男女夫々が我が人生を全うするに欠かせないことであります。もちろん私たち人間の社会を構築してゆくうえにおいても欠かせません。ゆえに引き合うのですね。男女の出逢いは男として女としてのそれぞれの性を生きることと同時に、人として生きて全うするに必要なことなのですね。男女の出逢いは夫々が人間性を養い立派に成長するに欠かせないことともなります。お互いに愛おしみあって相手を大切に大切に尊重して生かし合い育て合い、育ち合うことはそれぞれの人生を豊かに全うさせてくれるのですね。心からも、魂からも、肉体からもお互いに愛おしみ合う、接する、交わる、大切にしあう、共に生きる、そのことによってその時その時を全うすることができる、育つことができる、大いに人としての智恵と能力が湧き出で発揮し働きを成すことができる。意味のある、意義深い人生を全うすることができる。そうなるのですね、人という生き物は。 


 男女の出逢いは別の生き物として誕生してきた人間の基本となる生き方になります。出逢った男女それぞれが相手を大切にしながら愛おしみながら心も身体も一つにして子どもをつくる、そして子どもを育てる。さらに100年前後の人生の全うにおいて、精神から、心から、霊魂魂魄から、肉体から大切にしあう、尊重し合う、尊敬し合う、愛おしみ合う、愛し合う、求め合い与え合う素直で誠実な心身からの交わりの営みを大切にしあうことによって今を喜びのうちに生きることになる。その結果、大いなる人としての智力能力が働き、優れたものを創造してゆくことができる。そうした日々が人生を全うするに欠かせないことになる。喜びの今、今、今、平安の今、心身安定の今になる。そうした心身の交わりを深め極めることによって湧きいで生まれ出る喜びは明日へのかけがえのない糧になる、意欲になる、希望になる、と同時にその喜びは生きている意味と意義ともなり大きく人として育ち成長してゆくことにもなる。交わってこの肉体と精神一つとなって全存在から、存在の根底から深く深く感得、感入する、喜ぶ、極まる、安定する、深くより自己実現する、存在に納得する、そのことが生きていることの意味にも意義にも繋がり、それがそのまま成長に繋がる、さらに絶対界に立つことになる。宇宙を得ること、宇宙を観ること、宇宙を体得することになる。


 相対界を超えて男女の別を超えて一体の営みをする中で極まった時には、絶対界に至っているのですね、相対する男と女が相対を超えて絶対に至る。絶対の境地に入る。時の流れを超え、自他の別を超え、遠近、大少、貧富の別など、相対する世界を超え別なき絶対の世界に至る。無始無終なる永遠の宇宙に至る。極まって絶対の境地を得ることによって絶対界が観える、絶対なる宇宙が観える、絶対の境地を体得する。大きく成人する。宇宙人となる。愛し合う男と女が一つとなって生きることによって人は人として大いなる全き人に大きく成人する。男女が尊重しあい尊敬しあい愛おしみあい成人することによって宇宙がどうなっているのか、いのちの世界がどうなっているのか、そして人類はどんな存在なのか、宇宙における人類の分を、さらに自分の分をも悟り人間の運命をも識っていくことになる。100年前後の生の期間のあること、やがて死に運ばれることの事実がわかり受け容れられるようになる。この悟り知るに欠かせない宇宙の実相実体を見極め真実と真理を知るに必要な智力能力がしっかりと働くようになる。そして大切な高い絶対の境地を得ることになるのですね。


 人は絶対の境地に至ることなく相対の境地にとどまっていると他と相対的になる。自他が相対する境地は他者と対立的となり争いともなる、他国と対立する、他国と戦争することになる・・・・。こうした不幸に陥らない為には絶対の境地の体得と人間性の成長が是非に必要です。
 

 
 真の幸福、真の平和に至るに欠かせない男女の出逢いです。男女が喜びの中で幸せの中で愛おしみ合いそれぞれの性を極め全うすることによって、優れた絶対の境地を体得することができる。あるいはその智力能力が大きく養われる。あるいは人として真にすぐれた人間に成長する。本当に大切な男女の身と心の交わりだなぁとつくづく思います。明日への糧になると同時に共に大きく育ってゆくのですね。誰しもが必要となる人生における全き人間性の成長に欠かせない男女の出逢いです。時を得て生き、年を重ね、青年期を生き、そうしてやがて壮年期、老年期に至れば誰しも人としての役目務め使命天命があります。我が子を更に立派に育てないといけない、次の若者を立派に育てないといけない。その為には育てることのできる人間に、育てることのできる男性に、育てることのできる女性に必ず育たないといけない。男女が出逢い、和し、生きてゆくことによって人として大いなる働きを有した、すぐれた智力能力を養い育てた立派な大人に育ってゆくことができるのですね。
 

 それぞれそれぞれの我が道における分野で、政治の舞台で、教育の舞台で、芸術の舞台で、宗教の舞台で、医療の舞台で、経済の舞台で、農・林・漁の舞台で、衣食住の舞台で・・・。真に正しい働きを成す人に育ち、人間社会において正しく美しく立派に働きを成し、やがてはそれぞれそれぞれの分野で次の若者を立派に育てないといけないのですね。幸福に生きることのできる人間に育てないといけない大人としての役目があります。平和な社会を創っていくことのできる人に育てる智力能力は、優れた出逢いと相和し一体となって生きることによって養われるのですね。そのようにもつながり広がり実ることにもなりますね。ですから子どもを産みつくるのも大事なことですが、一生の全うに、あるいは大いなる働きをする人間に成長するに欠かすことのできない男女の出逢いであり交わりです。人生をそのように認識していないと、そのように位置づけしていないと、そのように生きないと、やはり一生を全うできないし、一人の人間として救われないし、しっかりとした仕事ができないし、優れた平和な人間社会を創造し建設していけないですね。


 なんと言っても事実は霊肉一体です。肉体も精神も美しくきれいな善なる人間に育たないといけないし、次の世代も育てないといけないですね。真に優れた人間としての一生の全うに欠かすことのできない男女の出逢いであり男女の交わりであり一体となっての営みであり日々の生活です。何においても、人としての成長においても生きがいにおいても喜びにおいても幸せにおいても、明日への糧を生み出すにおいても、生きている間は男性と女性が一体となって生きることが欠かすことのできない大事な大事な基本となります。そのように理解して、そのように認識して、そのように生きないといけないですね。そういう人という生き物なのです。本来は自ずからそうなるのです。僕はこうした人類に生まれてきて本当にしあわせだなぁとの思いが静かに湧き出でてきます。約78年間生きてきて、よろこびのなかで生きることができるようになっています。本当にうれしくありがたい今です。


八木 人生の全うにつながる大切なお話しをありがとうございました。



2017年10月
お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん 
インタビュー 編集 八木真由美
写真 Tomoka.K

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川口由一さん 自然農田畑 2017年10月

2017年11月28日 | 自然農 川口由一の世界

秋雨続く10月半ば・・、
自然農実践家指導者でいらっしゃる川口由一さんを
奈良にお訪ねいたしました。 

 

 

可憐なコスモスが咲く頃、
稲穂とコスモス、その美しい光景をぜひ拝見したくて
雨の中 田畑を見学させていただきました。
川口さんもお元気でうれしいです。‼

・・・・・・・・・・・・・・・・・

稲刈りまで約一か月、(稲刈りは11月中旬以降)
まだまだ初々しく生気に満ちた稲の姿です。10/16

写真手前は古代米の緑米です。
そして赤米 黒米と並んでいます。

分けつも素晴らしいです。

10月は雨が多く 台風も二つ来ましたが、
しっかりと逞しく育っています。  

水田のすぐ南側の畑です。
こちらにもコスモスがやさしい彩。
インゲンは種取り用を残されていました。

9月に定植されたキャベツが健やかに育っています。 

 

 キャベツのお隣の畝にはネギです。↓
豊かな畝ですね。

耕さず 草や虫たちを敵にせず 
持ち込まず持ち出さず 
いのちの営みを重ねた川口さんの自然農畑。
この豊かさは、心の眼と全身で感じていただければ
写真からも伝わるのではと思います。

こちらはイチゴですね。↓

田んぼの北側の畑も見せて頂きましょう。
こちらにもコスモスがやさしく咲いています。
風情がありますね。

 

三輪山も雨に抱かれています。 

玉葱の苗床です。↑ ↓ 

胡瓜や冬瓜を栽培されていた畝の一画が
からし菜と白菜の苗床になっています。↓

唐きびです。↓
粟とキビは収穫をすまされていました。

唐きびの隣の畝には ライ麦を栽培される予定だそうです。

↑ 手前は温床にされておられた場所ですが、
また来年も同様にされるそうです。
温床の向こう側には水菜の種が蒔かれています。 

手前は、そろそろ終わりをむかえる胡瓜の畝です。 ↑
その向こう側の細長い畝には、
小松菜とチンゲン菜とかつお菜を蒔かれています。
夏にはトマトを栽培されていた場所ですね。

秋そばです。 ↑ ↓
最初に蒔いたものは鳥に食べられ、
蒔き直しをされたそうです。
鳥よけ紐が張られていますね。

ピーマン・万願寺唐辛子です。 ↓ 

田んぼから歩いて南の畑へ。

紅葉した落ち葉がとてもきれいです。
柿の木下のスペースにはチューリップとからし菜。
春が楽しみですね。

その周囲には、こぼれ種で育ったゴボウがイキイキしています。↑
素晴らしいです。

こちらの畝には、さつまいも 人参、元気いっぱいですね。↑ ↓


耕さず年月を重ねた畝にゆったりと
心地よく並ぶじゃがいも。
もし私がじゃがいもだったら夢見心地かも・・。
じゃがいもと小豆ですね。↓

ジャガイモの隣に生姜が並んでいます。

来年は私もじゃがいもと生姜を育ててみたいので、
しっかりと見せていただき 感じさせていただきました。

 

 

花梨ですね。↑ 

実を結ぶニラです。雨の雫が光っていました。↑

落葉樹の下にフキが顔を出していました。↑

落葉樹の下には
大根 チンゲン菜 小松菜
大カブ 小カブの種をばら蒔きされています。

奥の果樹の木の下には
桜島大根の種をばら蒔きされておられるそうです。 

春には一面の菜の花に・・。

川口さん 今回も田畑をご案内いただきありがとうございました。
コスモスのお花もやさしく出迎えてくれました。

次回は冬の訪れとともに、またお会いできますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆様
いつもブログをご覧いただきましてありがとうございます。
これからも自然農・いのちの世界のことを
発信してゆけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。♪

八木真由美  岡山

  

 

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川口由一さん インタビュー 「 宇宙の創造 人の創造」 第二話 誕生の瞬間 

2017年10月29日 | 自然農 川口由一の世界

誕生の瞬間
「宇宙の創造 人の創造②」
インタビュー 2017.9

 

八木 今回は宇宙や人における誕生の瞬間についてお話しを聞かせてください。

 

川口 そうやねぇ、本質に迫る大事な大事な話ですね。ところでその話をする時にやはり僕も宇宙はどうなっているのか、何が起こるのか、宇宙の現象界における諸々の誕生の瞬間はどうなっているのか、それと男女が交わって営みをして次のいのちが宿る時の瞬間がどうなっているのか、と思索するのは挑戦的なんですよね。なんとなく感じているところ観えているところ観えてくることの話であり、姿形あるものではないのですからね。挑戦的にともなるのですね。でもなんとなく観えてくるもの察知していることを言葉に換えるというのは正確に認識するということですよね。挑戦的と言いましたが他者と戦うということではなくてですよ。何度も何度も僕、関心があるからやっていることなんです。何がなんでも知りたい、分かりたい、納得したいのですね。それでいてなかなかね、こうだとは言い切れない、でもその近辺を観続け察知し続け思索し続けていたら、なるほどそうなっているのだなと言うことが観えてくるし、明らかになってくるのですね。こうだと一言で言いきれるものではないので、いくつかの言葉を用いたくなるのですが。

 

 ところで私たち人間をはじめ、現象界に誕生してきたすべての姿形あるものは皆同じ存在に置いたらいいのであって、姿形あるものすべては宇宙の子ですよね。そして姿形あるもの物質を授かっているもの生まれてきたものは必ず死ぬ、と言う絶対の運命があっての限られた生の期間があるのですね。生の期間があるというのは宇宙の子であって宇宙いのちを少し授かっているということですね。いずれのいのちにとっても必要な量だけ授かっていて、人間は人間として一生を全うするのに必要な量としていのちを授かっており、それを時間で言うならば100年前後与えられているのですね。それ以上は必要ない、それ以下だったら足りない、過不足なきです。適量なのです。すごいですね。お米は六ヶ月から七か月、それで過不足なきいのちとして与えられており、その期間に次のいのちを産み創って親は死んでいきます。いのちの量も知力能力も身体そのものも過不足なくです。すべてそうです。地球だってそうです。地球も47億年前に生まれ後何年間生きられるかわかりませんが、過不足なき有限の物質、物体、身体でありいのちなのですよね。宿しているいのちは有限で、太陽だって50億年くらい前に水素とヘリウムを主とした物質のガス体で生まれたと言われていますけれども、その前は存在してなくて、生まれたのはいのちを宿しているゆえだけれども、やがては消滅していく、生きるだけ生きたらそれはそのまま燃焼ですので、だんだんだんだん燃焼していったら滅してしまう、亡くなる、死ぬ、そういう営みであり存在なんですね。

 

 ところで姿形のない宇宙が姿形のあるものを生み続け生かし続け、死なせ続けているわけですが、産む瞬間に何が起こっているのか。宇宙の子の私たちが次のいのちを産む瞬間に何が起こっているのか。それは宇宙の子ゆえに親である宇宙と相似た出来事だと捉えていいと思うのです。姿形のある男女が交わって営みをしている時のことと、姿形のない宇宙の営みが相似ている、そこのところに焦点を合わせてよく観つめきって考えてみるならば、宇宙というのはいのち、大いなるいのち、すべてのものを生み続ける大いなるいのちととらえたらいいと思うのです。宇宙の子の私たちも男性も女性も宇宙いのちを宿している、ゆえに宿しているいのちの営みの中で宇宙と相似て次のいのちを生み創り生かすことができる。もちろん無限のいのちの宇宙とは異なる有限のいのちですから、限られた期間だけですが。

 

 ところで姿形のない宇宙はどうして生むのか、何が起こって生まれるのだろうか、を明らかとするために宇宙を違った視点から観ますと、時空、時間・空間と観ることができます。これは宇宙の働きのことです。宇宙は時空、そのように置き換えられます。さらに宇宙というのは『いのち』と置き換えられます。大いなる『いのち』です。『いのち』というのは時空という働きがあるということです。ところで『いのち』を産むにおいては、すべて陰と陽の営みで起こる、生じる。『いのち』はプラス、マイナス、陰、陽の別なきなのだけれども、同時に陰と陽の異なる働きを有している。それでプラスとマイナス、陰と陽の異なる働きによる営みのなかで起こるわけですね、行動、活動が起きる。現象が生じる。


 宇宙の「宇」は「空間」を表してそれは「マイナス・陰」です。「宙」は「時」を表して「プラス・陽」、活動を司るエネルギーを有している。宙なる活動する陽のエネルギーは宇なる陰の空間のところで活動する。人間の新たないのちの誕生においては女性の子宮は宇、空間です。それで陰。男性の生殖器は陽で活動を司るエネルギーを有しているので盛んに活動する。ところで宇宙の子であるゆえに限られたいのちであり働きである運命ですから、次のいのちを産むことのできる期間が定められているわけですよね。寿命は100年前後だし、次のいのちを産み創る働きの有る期間があるのです。その間でしか次のいのちは産み創れないのですね。

 

 ところで、陽の宙でもある動的で積極的な男性が陰の空間で陰の宇のところで静的で受動的な女性の子宮の中で活動の営みをするのは、時が営まれるということですね。時が営まれるというのは時が流れるということです。いのちが営まれるというのは空において時が流れるということと同じですね。営んでいるというのは時の流れが瞬間瞬間に止まることなく時が流れていっているということであって、瞬間瞬間営んでいるのですね。営みができ活動できるのは空間があるからです。時が流れることができるのは空があるからですね。「陰の空」と「陽の時」は自ずから活動する。宇宙においては常に休むことなく止まることなく活動し続けている。常に活動を盛んにしているわけですよね。姿形あるすべてのいのち達しかりです。陰陽夫々の性を有するいのちであるゆえに夫々が陰陽の活動をするのですね。それで私達人間である陽の男性が陰の女性の空なるところでその営みの時を続けているとやがては熱が生まれてくるわけですよね。陰の宇のところで時が営み流れることによって陰の女性の子宮の中で陽の男性が活動続けると熱が生まれてくるわけです。これは結果であり現象ですが、熱が生まれる、光が生まれる、やがては電気が生まれる、磁気が生まれる、いのちの誕生に欠かせない液が生まれる。そしてさらに活動盛んになって受動的な女性のいのちも活動盛んとなり、ついには陰陽別なく一つのいのちとなってそれぞれの性が強く発揮して、やがては夫々の気が盛んにとなって熱は強く高く多くなり、電力、磁力が増して電磁波が流れて変化を起こす。同時にそれぞれの男性女性の内なる性からの心、精神、霊魂、魂魄が大いに働き、やがては絶対界に送られることとなって、感謝の思い深くより湧き出で、男女が思い一つ、願い一つ、心一つ、よろこび一つになって全身全霊で愛し合いきって、ある瞬間に大きな変化が生じて男女共にそれぞれの男性性が女性性が恍惚となって極まる。男性性は極まれば内に宿していた特殊なる能力を発して精液勢いよく発して女性の子宮に送られるわけですね。それだけのエネルギーと働きを持っているゆえに愛し合い交われば湧き上がって発するわけです。そして女性は子宮のところでそれを受け入れて、そしてそこに卵子がある時は夫々から発したものが一つに溶けあい合体するわけです。受精する。新しいいのちが誕生する。子宮の中で。この際、女性も女性性が恍惚状態に極まっているならば男女同時に絶対界に入りきって極まり深い喜びと平和の中での新しいいのちの宿りですね。しあわせのなか異にする男性と女性が別を越え一体となることによって、大きな変化、新たな一つのいのちが宿るのです。新しいいのちも深い深いよろこび、真なる幸福からの誕生ですね。そして宇宙における誕生にはない人間ゆえの情緒があり、人間にしかない喜びがあり、人夫々の幸福感となるものが伴っているのですね。男女にも新しく誕生したいのちにも。



 ところで宇宙においてですが、宇の空なるところで陽の時が流れる、営む、時間が休まず止まらず、すごいエネルギーで営み流れて経過しているわけですね。広大無辺なる宇宙で絶大なる営みによってやはり熱が生まれる、光が生まれる、電気が生まれる、磁気が生まれる、電磁波となり動く、走る、あるいはすごい風が生まれる、あるいはいろいろの姿の動きや強いすごいことが生まれ起こる、上下左右無数のうねりが起こる、そうした出来事の中でやがてなんらかの最小の物質、微小の素粒子、姿形のあるものの元となる粒子が生まれる。或いは姿形質量が生まれる前段階の何らかのものが生まれる。例えばダークエネルギー、ダークマターとも名付けられる謎のエネルギー、謎の物質らしきものが生まれる。そしていかなるものといえどもすべて生まれてきたものは刻々刻々、時の流れの中でいのちを宿しているゆえに変化する、あるいはくっつきあう、あるいは分解する、あるいは分かれる、あるいは衝突する、あるいは衝き放す、引き寄せる。いろんな営みの中でくっつきあうものはくっつく、くっつかないものはくっつかないではじいたり、はじきとばしたり、はじきとばされたりがいのち自ずからの営みで自然に生じ起こるのですね。いのち自ずからくっつくものはくっついてだんだんだんだん姿形を質を量を重さを色を香りを働きを性質を現わしてゆく。もちろん小さな物質の最少の素粒子のところにもいのちを宿しているから、くっつきながら離れながら変化して、だんだんだんだん体(たい)を現わし変化してゆく。常にそこにいのちを宿していて、自ずからそれぞれそれぞれの性質と働きによって変化し、新たな体を現わしてゆく。そうしたことから地球が生まれ現れてきた、太陽が生まれ現れてきた、いろいろの星々が生まれ現れてきた。そして夫々の星と星とが群がり一体となっての生命圏が生まれる。地球生命圏、太陽系の生命圏、銀河系の生命圏・・・さらに夫々の生命圏においても繋がり軍団を成すのですね。人類社会においても同じですね。一人一人、夫婦、家族、国家、民族、夫々の如くです。宇宙自然界生命界でそのようなことが起こっているのだと思い考えられます。

 

 ところで、宇宙本体には姿形がない。本体のその宇宙を生んだのは誰なのかということになりますが、本体の宇宙は誰が生んだのでもなく、いつ生まれてきたのかでもなく始めから在る、宇宙は始めから在り終わることなく在り続けているのです。宇宙は不生不滅です。生まれることなく死ぬことなき絶対の存在、永遠不滅の存在なのです。この姿なき永遠の存在で在り続く宇宙が生む営みをやり続けている、変化させる営みをやり続けている、死なせる営みをやり続けている、星を生む、星を変化させる、星を死なせる、あるいは地球生命圏の中でたくさんのいのちを産む、創る、今までなかった生物を生む、創る、死なせてしまう、そういう営みをし続けている変化変化新た新たのこの世界は現象世界です。この現象世界は本体の宇宙が現出させているのですね。そしてなんともすごいことですが現象世界も宇宙なのです。そして宇宙における現象世界は常に大調和であり壊れることなき秩序なのですね。本体の宇宙はそういう営みをし続けていて、始めなく終わりなく在り続く。無くならない。宇宙を時空でとらえるならば、時空は止まらない、無くならない、在り続く。この宇宙を『大いなるいのち』ととらえるならば、在り続く、営み続く、無くならない、いくら営んでもその営みは即ち時空の営みはなくならない。消耗しないのですよね。宇宙本体は無限のエネルギーを有して営み続けるのですね。


 この宇宙生命界における無限のエネルギーは宇宙本体のみであって、宇宙が生む現象世界におけるいのちあるすべての姿形を有するものはかならず終わりがある。太陽だって地球だってたくさんのエネルギーを有し発している、けれどもそれは有限でかならず無くなり死ぬ時が来る。でも宇宙は営み続ける、消耗しない、消費しない、営み続けて産み続ける、育て続ける、変化させ続ける、死なせ続ける、それは始めなく終わりなくその営みをし続けて無くならず終わらずです。しかも調和が続き秩序があり続ける、壊れない。それが時空・宇宙なんですね。あるいは陰の性質と陽の性質を持ったいのちが営み続けているのですから、宇宙の中では色んなことが起こっているのですよね。色んなことが起こっているなかで大きなうねりが大きな風が大きな変化が、そして地球生命圏の中ですごい台風があるとか竜巻があるとか、あるいはあるところで勝手に山火事が起きるとか地形が大きく変わるとか、すごい熱を生じるとか、すごい氷河が生じるとか、氷河期が続くとか、海から大地が隆起するとか、大地が海に没するとか色んなことが起きるのですね。宇宙における一つの生命体であり生命圏である地球と同じように宇宙における現象界で相似たもっともっと激しいことが起こり続けている。宇宙は、時空は、いのちは、生む、育てる、変化させる、老いさせる、死なせる、をやり続けている。なれど本体の宇宙を生んだ親はない。宇宙は元より在り続けている存在、絶対の存在、そう捉えたらいいと思うのです。それで初めて疑問が解け謎が解けて明らかとなり納得が入るのですね。 

 

 ところで、今日の専門家の人たちは宇宙には始まりがあって終わりがあるととっているのですね。今日の宇宙は360億年前に誕生したと言っているのです。やがて宇宙は死ぬ、壊れると言っているのです。誕生した時は無のエネルギーがインフレーションを起こして大きく大きくなってそのエネルギーがビックバンを起こして爆発して宇宙が誕生した。そしてどんどんどんどん膨らんでいる、宇宙はどんどんどんどん膨張していて、ある時がきたら壊れるってそんなことを推測しているようだけれども。それは宇宙における部分での現象世界の出来事なのですね。もしそうしたことが実際に起こっているならばそれは宇宙本体ではなくて、宇宙におけるある部分での生命圏における生まれる死ぬの営みであり出来事であり、宇宙で生じている現象世界でのことですね。それは宇宙本体ではなくて宇宙で起こっている出来事ですね。果てのない宇宙のところで起こっている出来事です。


 果てのない宇宙、姿形のない宇宙、姿形を現していないいのち、姿形のない時空はあり続けている。宇宙は、時空は、姿形がないのですから膨張することも壊れることもない。不生不滅、不増不減で営み続け在り続く無限エネルギーを有する大いなるいのち。そうした宇宙で誕生し今も営みをしている地球であり私たちなのです。宇宙は亡くならないし終わらないし壊れない。現象界における地球や多くの多くのすべてのいのち達私達は亡くなるし終わるし壊れるし死ぬのです。黙して語らぬ永遠不滅なる絶対存在の静寂なる宇宙ですが、激しい宇宙生命界でもあるのですね。地球も太陽も銀河の星々も、すべての生物無生物も死ぬ。変化する。壊れる。それも時空の営みで起こっている激しい活動なのです。宇宙で現れる現象世界は激しいのですね。
 

 ところで人間の男性も女性もそれぞれの働きが与えられているから、大きな働き、時には激しい働きをするのですね。それが宇宙と相似た営みをする中で働きが現れて発して男性の子種である精子が女性の子宮の中に発してそこで卵子と結ばれるのです。新たないのちが生まれるわけです。今までなかったのに。本体の宇宙の創造と宇宙から与えられている人間のいのち、有限のいのちにおける親から子への創造との違いはありますが相似た営みから相似た出来事の中でのことだと観えてくるのです。こちらは有限で宇宙は無限なのですよ。そのところでずっと思い凝らしていることを、今それなりに言葉で観えてくるものを話しました。ああそうなっているのかって。 

 

 ところでこんな説を立てている人があるそうです。月はある時、地球から分かれて生まれた星だと。あるいは勿論、ある星が死期に至って分解して散った物質がまたまたいのち宿した一つの星になるとか。陰陽の営みによるのではなくて細胞分裂して新しいいのちが誕生する生物もあるのですね。その時何が起こっているのかも観つめてみたいですね。糸川という星なんかは小さいのだけれど卵型のような蚕の繭のような姿をしていますよね。もちろん中にいのちを宿しているからですが、そういう形をして生まれてきたのですね。生まれ姿形を有し、やがて死ぬ、生まれて死ぬことが果てなき宇宙で無数に起こり続けているのですね。新たに生まれて来る、死んでいく、そういう営みをし続けているこの宇宙生命界における地球の存在、地球におけるそれぞれそれぞれの生命体であり私達人類ですね。

 

八木  大いなる宇宙はあり続け、その宇宙におけるいのちの誕生についてお話しいただきましたが、この地球も生まれた瞬間があったのですね。

 

川口 そうですね、あったのですね。47億年前と言われていますが、存在してなかった星であり生命体ですが、ゆえあって生まれてきたのですね。いかなるゆえあってなのか知りたいわけですが、とにかく生まれる条件が備わったゆえに生まれるしかなかったのですね。生まれた当初は生物に欠かせない水も存在しなかった、もちろん生物は存在しなかった。が、やがていのちの営み、すなわち地球における空における時の流れで、ある時に水が誕生してきた。やがて生物の誕生は38億年前頃で、始まりは水中の生物ですね。それはだいたい地球のいのちの営みが9億年くらい経ってからだそうです。そして長い長い時を流して今度は陸上の生物が生まれてきた。そして陸上でもたくさんたくさんの生物が今日までに誕生してきた。もちろんある時までには存在した生物が死滅していった。それからかつてはいなかった生物が誕生して今も生き続けている。今日に繋がる新人類は数十万年くらい前に生まれてきたのですね。猿人は数百万年前くらいに生まれてきたと言われていますね。いずれもかつてはいなかった生物ですよね。ですから人間の親は人間ではないんやね。地球だって同じで、地球を生んだ親は地球ではないのですね。 宇宙本体と本体に現出し生滅を重ね続けている色んないのちたちが一体の営みの中で人といういのちが自然に生まれてきたのですよね。自ずから然らしむる誕生ですよね。目的無く無目的の中で人という生き物も生まれてきたのですね。地球しかり、太陽しかり、現象界におけるすべての生物・無生物しかりです。そしてなんと無目的に生み、無目的に生かし、無目的に死なせるのです。宇宙本体の存在も宇宙に現出するすべての存在、生滅・生死も無目的なのですね、すごいですね。 


 ところで無目的に生まれ続けているが、すべては完全絶妙。夫々のいのちが全うできるべくの時間も能力も智力も過不足なく与えられているのです。もちろん存在することの場である空間もある。私達はそのような中で今日も親から子へと巡り続けているんやな。人として生きることができるようになっているんやね。でも、いつかはいなくなりますよ。生まれてきたもの姿形のあるものは必ず死に運ばれる定めですものね。一人一人の寿命があって、人類の寿命もある。後どのくらい人類は地球の上に生存しているかわかりませんけれども。この果てのない宇宙に47億年前に生まれてきた地球ですけれども、たくさんのいのちを生み創り死なせてきましたけれど、地球もやがて終わりがあるし地球の上に生まれてきたたくさんのいのちたちも個々の寿命と生物そのものの寿命かあり、やがて終わりがある、そういう定めの中でのこの今なんだと言うところを正確に認識して今を大切に生きないといけないですね。人間の間違った生き方で人類の生存の危機を早めるようなことをしてはいけないしね、早めるようなことをしたら皆苦しみの中で一生を終わってしまうのでしょうね。自然に死滅していく場合はそういう苦しみはないと思うのですよね。自ずから死に運ばれていく。ところが人類の間違った生き方から環境に大きな問題を招いてしまうと人々は苦しみながら末期を迎える、そんなふうに考えられますよね。 


八木 宇宙の本質、いのちの本質、果てのない無限の宇宙と有限のいのちである星々や私たちのこと、それらのことを理解しかけがえのない時を大切に生きることができたらいいわけですね。

 

川口 そうやねぇ。人の道からはずれずに喜びの日々に心豊かな平和の日々に楽しい美しい善き日々に幸せの日々にしていかないといけないなぁ。人としての成長の道を明らかにして成長の日々とし正しい生き方を明らかにして正しく生きないといけないなぁ。もちろん宇宙を知る、いのちを知る、宇宙における人類の位置や分を知る、そして与えられている智力能力を知った上で夫々が我が道を明らかにして、心平和に、豊かに、美しく、正しく生きていかないといけないね。人は悪や醜や偽りについ落ちてしまいますね。ですから、人は人として育たないといけないのですね。人は育つことのできる存在なのです。人間性の成長、人格の形成が必要なのですね。自然界は美そのもの善そのもの真そのものですから、すごいですし、ありがたいですし、うれしいですね。

  

八木 ほんとうにそうですね。この地球という美しき星に抱かれ日々生かされ生きることの喜びを感じています。そしてお日様もお月様も実にきれいですよね。

 

川口 本当にきれいやなぁ。

 

八木 昇る太陽も沈む太陽もうっとりするほどきれいですし、夜空に輝くお月様もなんて美しいのだろうと見上げています。

 

川口 自然界のものはそれぞれに性質があるのだけれどすべてきれいやなぁ。色も姿形も動きも異なるけれどもすごいですね。そして真やねぇ、偽りではないね。そしてすべてのいのち達が我がいのちを全うしている。ひたすら生きているのですね。たくさんたくさんのいのち達が生かされそして生きているのですが、決して他を生かす為に生きているのではないのです。太陽は地球上の生物を地球上の人々を生かすために光や熱を届けるべく生きているのではないのですね。そしてそれがそのまま生かし合いともなっているのですね。もちろん生かし合いと同時に殺し合いであって常に大調和、大秩序の生命界であり自然界なのですね。


八木 すべてのいのちの営みは自ずから然らしむる営みで、すべてのいのちは無目的に生まれてきたのですね、そして大調和、なんてすごいことでしょう。

 

川口 完全な生命体として営みをしているし、それでいてそれが無目的であって目的があってのことではないね。すごいよなぁ。今日も太陽が朝東から登って西に沈んでいくけれども、それは目的があってのことではないのです。空間があるのも時間があるのも時が流れるのも営むのも目的があってではないのです。ゆえに自ずから然らしむる『自然界』と命名したのですね。すごいよなぁ。

 

八木 目的をはるかに超えたところでの自ずからの営みによってこんなにも見事な世界が誕生している、宇宙の創造はすごいですね。

 

川口 太陽そのものも目的があって営んでいるのではないし、それを生む宇宙も目的があって存在しているのではないのですね。すべては無目的やねぇ、無目的の誕生、存在、営み、無目的の死、無目的の終わりやなぁ。その中で人は幸せの日々に、喜びの日々に、美しい日々にするべく目的を持って生活しないとな。そのためには100年の生の期間ひたすら人間性の成長に励み、人格形成に取り組まないといけないね。誰しもが成長できるんですよ。誰しもが幸福になることができるべくの私達人間なのですね。


八木 はい、そう在りたいと思います。 
ところで宇宙本体と宇宙の子である私達は創造するものと創造されるものという相対的な関係であると同時に一体であり多元的にこの世界を織りなしていると感じていますが、いのちの生滅における営みをその視点から観るとどのようになっているのか教えてください。


 川口 そうですね、宇宙本体と宇宙の子である私達、あるいは誕生したすべての姿形を有するものとの関係は一体であると同時に個々夫々別々ですね。一体であるというのは対の絶えた絶対の存在、別けようのない一つなる存在。別であるというのは対の有する相対の存在、相対する別々の存在。この一体であると同時に別々というのは一つのことにおける観方からのことと、宇宙における事実であります。一つなる絶対世界と同時に個々別々の無限数なる相対世界でもあります。このことは一つなる宇宙における二面性でもありますね。宇宙本体とも宇宙に誕生したすべてとも一体であると同時に別々。もちろん流れる時、営むいのちの世界ですから、過去・現在・未来の別、過去のすべて、全過去と一体であって終わりなき全未来とも決して切り離すことのできない一体の存在であり営みなのですね。そうした一体の存在であり営みから生じる現象世界であり、そこから生じる私達人類をはじめすべての誕生であり、姿形であり、寿命であり、智力能力であり特性ですね。47億年の時を流し、宇宙で、そして地球で生じる出来事すべてによって、いのち達の寿命も性質も能力も姿形等々、何もかも決まるのですね。そうした世界で人類は少し前にこのような生物として生まれるようになっていて生まれたのです。生まれるしかなかったのですね。生まれるようになると生まれるしかない。死ぬようになると死ぬしかないのですね。人類も滅亡するようになれば滅亡するしかないのです。そうした宇宙自然界・生命界なのですね。すごいですね。

 


八木 ほんとうにすごいですね。宇宙のしくみが観えてくると人としての生き方においても大きな我が目覚めるような気がいたします。今回もいのちの原点を深く観つめることになりとても楽しく心が弾みました。ありがとうございました。

 


川口 いやいや僕も楽しかったです。弾みました。ありがとうございました。


お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん


 

2017年9月 インタビュー 文字起こし 八木真由美
文中の写真 Tomoka.K

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宇宙の創造 人の創造①

自然農 川口由一の世界

気楽に自然農

自然農 いのちのことわり

自然農稲作教室 岡山 


 

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川口由一さん インタビュー 「添う 応じる 従う 任せる」人間関係において 2017.9

2017年10月21日 | 自然農 川口由一の世界

添う 応じる 従う 任せる 

「人間関係において」インタビュー2017.9 

 

八木 川口さん こんにちは。自然農の栽培では気候風土や作物に添い応じ従い最後に任せます。人との関係においても「任せる」ということが大切になってくると思いますが、任せることができるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。?

 

川口 私が宇宙・絶対界に立って自立していないとね。一人で立つだけの強さを養っていないとね。そして宇宙いのちの道、人の道、我が道を体得していないとね。そしてそれぞれがどういう存在かということを正確に知ることが大切です。人との場合には一人ひとりが今どこに立っているのかを親の立場・先生の立場、農夫の立場で見ていないと任せきれませんね。幼子がおっぱいを欲しがっていたらあげる。まず応じる、従う、そして任せるね。その子のことがわかっていない場合は正確に応じられず、曖昧なままだと放任になりますね。正しく応じられずに問題を招くことになりますね。農夫や親や先生は曇ることなき深く澄んだ清らかな智力で察知する能力を養い持っていないとね。

 

八木 察知していない場合は、干渉しすぎたり放任になったりするのですね。

 

川口 そうそう、そうなりますね。ところで成長過程おいては全部わかりきらないから、その時精一杯に対応して結果も見て失敗を繰り返さないように対応する、そうしながら育ってゆく、子どもを育てる、お米を育てる、そしてだんだんだんだん年齢と共に絶妙に育てられる、若者を絶妙に生きられる人に育てられるわけでしょう。お米や野菜を絶妙に育てられる、事々において絶妙に手を貸せる、もちろん添えるし応じられるし従えるし任せられますね。そうできるまでには色々と苦労や試行錯誤がありますが、あきらめないで投げ出さないでね、その中で育つから。年齢が若い場合、未熟な場合は必ず失敗するものだから。そんなの当然なので。あるいは混沌とするのは当然で、混沌としている中で成長してゆきますね。


2017年9月 インタビュー 文字起こし 八木真由美

   写真 Tomoka.K

 

 

 

 

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川口由一さん 自然農田畑 2017年9月 後編

2017年10月02日 | 自然農 川口由一の世界

 

川口由一さんの自然農田畑 9月後編です。
まずは田んぼ南側の畑の様子から。

ゴマが美しく並んでいます。
元気はつらつ ゴマたちの歌声が聴こえるようです。

しっかりと実がついており、
健康な氣を発しています。
9/12

 


田んぼと畑の堺のゆったりとした畦に川口さんが座っておられます。

スケッチブックを広げられていますね。

何を描かれているのでしょうか。

畑の可愛らしい草花のようです。
この季節に田畑で元気に生きる美しい草です。
私の田んぼにもたくさん咲いている黄色いお花。

そばに座らせていただき描かれているところを拝見しながら、
芸術のお話しを伺いました。

八木『描いておられる時はどのような状態なのですか。?』

川口さん『描く時は、色鉛筆に添ってもらいながら
僕も色鉛筆に添いながら、見えている花に添いながらです。
美しく見えている花に添い応じながら納得のいくまで色で表現し続けています。
美しい花が消えないように、美しさに感動している僕の新鮮な心が
薄まり消えていくことのなきように、描くことの喜びに生ききっています。』

描いておられる途中ですが写真を撮らせていただきました。↓


川口さんにとって自然農田畑は絵を描かれる創作の場でもあり
心から寛ぐことのできる憩いの場なのですね。

そして畑をご案内していただく前にちょっと休憩。
畑で涅槃?のポーズがこんなに似合う方はおられるでしょうか。(*^^*)
ゆとりを感じます。

ところで、ブッダは周りに動物たちが集まって来たと言われていますが、
川口さんの場合、作物たちが寄り添っているようにも見えます。
でも同時に作物たちはしっかりと自立していて、人に依存しておらず
川口さんも自然界や作物のいのちに添い応じ任せておられる、
そのような感じが爽やかに伝わってきます。

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それでは、畑をご案内していただきましょう。


まずは、さつまいも、紫蘇、ごぼうです。
少し離れた所には大きな実がぶら下がっています。
ヘチマですね。

グミの古木に登りしっかり実をつけています。
立派なヘチマタワシになる日も近いですね。

こちらの畝にはモロヘイヤとオクラです。
オクラはまだまだ実をつけています。

モロヘイヤの足元にバシルのお花が咲いていました。
やわらかでとてもきれいです。

こちらの畝には手前に春菊、
奥にサニーレタスの種を降ろされているそうです。↓

こちらは人参です。↓
8/28に種降しをされ、二週間で3㎝くらいになっています。
そろそろ間引かれるとのことでした。

こちらは空芯菜です。↓

美味しそうなマクワウリ。
お味を想像するだけで満足。
完熟中だそうです。

夏野菜たちが夏を過した畝に、秋が訪れています。

↓ 左側に生姜 右側の畝には秋ジャガが三列。↓

ここですよ、とジャガイモを見せてくださいました。

品種はアンデスです。↓

ジャガイモの隣の畝には小豆です。
ゆったりとした空間に健やかに育っています。↓

こちらは菊芋ですね。↓

あちらに見えるのはオリーブですね。↓
その近くにはシャクナゲなどの花木もありました。

真ん中の木は皇帝ダリアだそうです。↓
お花が咲いている季節の華やかさを想います。

ふんわりとアスパラ。↓

ムクゲ ライラックの木が並んでいます。↓
リラとも呼ばれるライラックは大好きなお花。
いつかお花が咲く頃、会いに来たいです。

黄色いお花は山吹だそうです。
春に咲くそうですが、秋にも咲いていますね。

果樹園へと・・・。

栗ですね。

山椒の実です。↓

 

こちらはミカン、豊かな実りです。
このあたりには 梨やリンゴ、桃の木、
柿の木も数本、新しいもの古いものとがありました。
そして梅の木です。↓

お茶の木も三本ほど育てておられます。
梅雨明けに摘んで干して番茶にしていただかれるそうです。↓

 

落葉高木の下に、10月になると大根のばら蒔きをされるそうです。
こぼれ種も落ちているので木の下をご覧になられ、
今年はどの程度蒔いたらいいのかを考えておられる川口さん。 

 

 

こぼれ種で育ったゴボウが豊かです。↑
そろそろ順に収穫できるそうです。

ゴウヤです。↑ ↓

トウモロコシは三回に分けて植えておられます。

ニラが花盛りでとても綺麗でした。↓

トウモロコシとニラのお花の前で記念撮影。

空も水色に光っていました。

夏の終わりの美しい自然農畑、
写真でふり返りながら
あらためてその豊かな園をなつかしく思います。

天も地も美しい宇宙に生かされ生きる喜びと共に
今回 感じさせていただいたことを心に想い描きながら
また明日から私なりの小さな楽園を創っていきたいと思います。

川口さん ありがとうございました。
お読みくださった皆様、ありがとうございました。

八木真由美 岡山

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川口由一さん 自然農田畑 2017年9月 前編

2017年09月29日 | 自然農 川口由一の世界

 

夏のなごりを残しながらも秋の訪れを感じる 九月上旬
自然農実践家 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
田んぼではお米が出穂・開花交配の時期をむかえています。


穂を垂れはじめているのが早生の黒米
うすい赤色の穂が立っているのは赤米です。
その隣は晩生の緑米です。9/11
うるち米は花盛りでした。



田んぼの周囲をゆっくりと歩きながら見せていただくことにいたします。

 


手作業での夏の除草も見事にされておられました。

 


自然に沿って 耕さず 
虫や草草と仲良く40年。
稲の足元はゆたかなゆたかな 豊穣の舞台です。

 

ほんとうに美しいですね。
晩生種の分けつは50~60本。
条間・株間ともにゆったりと植えておられます。
右端は香り米二種です。↓

背の低い方はタイの香米でうるち米とのこと。
こちらの背の高い香米は古代米でもち米だそうです。↓


健やかに清らかに育つ稲穂の美しさ
栽培される人の姿にも重なります。
大和 三輪山を望む川口さんの自然農田、
今年も豊かな実りになりそうですね。

 

 東南の方角から見た田んぼ全体です。↓

 


ご案内してくださいました川口さんは、
自然農40年、今も実践家として 指導者として
田畑と共に生きる姿を見せてくださいます。

この日はキャベツの苗を定植されていました。
鳥たちがやわらかな芽を食べたり
遊びにくるので苗床にはヒモが張られていました。


成長した苗から順番に広い畝に移植されます。

移植先は今夏 スイカを育てられた畝です。
まず植えるラインにヒモを引っ張り
株間を定めて植穴を掘ります。 

畝は耕されることなく、草草もそのままです。

 

田んぼの溝から水を運び植穴に注ぎます。 


水が浸透した後 苗を土付きのまま植えつけます。

周囲となじませまて出来上がり。
周りの草が伸びてきたら刈られるそうですが、
今のところはこのままで見守られるそうです。

草草の中に植わったキャベツの苗。
とっても居心地良さそうですね。

ふりむけば、つるありインゲンのやわらかな緑。 

そして今年最後のスイカの収穫です。
インゲンと朝顔も暮れゆく夕陽に美しく
静かな夏の終わりを感じます。

 

 

さらに田んぼの続きの畑も見せて頂きました。

アマランサスが立派に育っています。

きれいな色ですね。
枯れて黄土色になったら収穫とのことです。
どのようなお味なのでしょう。

アマランサスの隣の畝には
秋そばの種が降ろされ芽が出ていました。
前作はライ麦だったそうです。

そして粟・キビ・唐きびです。
下の写真の右列が唐きびです。

豊かな穂をつけた粟。

キビも素晴らしいです。

そしてゆったりと里芋。
素晴らしい生育でした。
田んぼを畑にされての栽培ですので
湿気を好む里芋にぴったりの環境で育っているようです。

夏野菜のピーマン、シシトウはやさしい佇まいで実をつけています。

バジルの良い香りもしていました。

こちらは夏野菜の地ばいキュウリの畝です。
実りの季節は終わりに近づき、
畝には種取り用の胡瓜を残しておられました。

種取り用です。↓

夕暮れの畑は なんともやわらかな風情。
秋へと少しずつ静まりゆくいのちの舞台で
心も身体も穏やかに・・。

今回は 夏から秋へと移り変わる季節に
川口さんの田畑にてゆったりと過ごさせていただき
自然農の舞台がいずれの季節にも 本当に美しいことを実感いたしました。
自然に添って、いのちの営みをたっぷりと感じることが
どれほど私たちを健やかに育んでくれることか・・。
自然農をとおして感じることは多くあります。
川口さん、ありがとうございました。

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さて、後編は果樹や畑を中心に、
畑での過ごし方など
楽しいお写真も掲載させていただく予定です。
どうぞお楽しみに。

 

八木真由美 

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