ほんとうのしあわせ
川口由一さん インタビュー 2018.3
八木 私たち人間社会において対立的にならず他の幸せを喜べるかどうか、それは平和な人間社会を築くに大切なことで、「他の幸せが喜べない時の自分はほんとうのしあわせを手にしていないからだ。」と教えていただきましたが、「ほんとうのしあわせ」とはどのような状態をさすのでしょうか。?
川口 ほんとうのしあわせを存在の根底から感じて真のしあわせになっている時はどんな状態なのか、あるいはほんとうのしあわせはどこにあるのか、人としてのほんとうのしあわせ、男性としてのほんとうのしあわせ、女性としてのほんとうのしあわせ、大人として、政治家として、芸術家として、宗教家として、農民として・・・、父親として、母親として、子どもとしてのほんとうのしあわせは、その時その時成長過程によってそれは異なるし、置かれている立場によっても時代によっても年齢によっても季節によっても異なりますが、いずれの場合も゛人゛ですから、人としてのほんとうのしあわせは、いつの時代にもすべての人に通じる変わらざる普遍のこととしてあるものです。
ところで、どのような時にほんとうのしあわせを感じられるのかですが、100%正しく生かされて100%美しく生きることができている時はほんとうにしあわせでしょうね。100%正しい他による生かされ方と自らによる生き方を知らないで外れてしまうと決してほんとうのしあわせには至れませんね。在り方生き方にかかっていますが、どのような生かされ方と生き方をすればしあわせなのか。どんな時、どのような時、ほんとうのしあわせなのかを思い起こし、深くみつめてみたいですね。その先にしあわせの反対の状態をみつめてみますと、淋しい、悲しい、不安だ、恐ろしい、落ち着かない、心配だ、苦しい、あるいは他人に負けて悔しい、他人に脅されて、他人にいじめられて他国に侵されて恐ろしい、不幸だ、他人をいじめて、他国を侵して心が安まらない。あるいは仕事が順調に進まなくてつらい、お金が充分入ってこなくて残念、お金がなくなってきて不安、物質的に貧しくてつらい、心が貧しくなって淋しい、怒りっぽくなる、他虐的になる、自虐的になる、攻撃する、攻撃される、等で心が安まらない。他人に怒られて悲しい、怒って心が落ち着かない、怪我をして痛い、病気で苦しい、老いてきて淋しい、恋に破れて生きる意欲をなくして耐え難い、死ぬのがこわい、あるいは他人の不幸が悲しい、人類が不幸へと流れてゆくことが恐ろしくてつらい、人間社会の混沌混乱がつらい、人間社会の不条理や矛盾が耐え難い、国の政治の誤りから不安を覚える、国と国、民族と民族の戦争、殺し合いは不幸の極み・・・等々、幸福から離れゆくことも限りなしです。祖父母の死が、親の死が、我が子の死が、我が孫の死は耐えられない、変わってやりたい、悲しい、家族の病気がつらい、兄弟姉妹げんかになってつらい、等と数えきれません。我が内なる心でのことであったり、外部の事柄であったりします。台風がくれば、地震がおこれば、豪雨になれば不安、晴天続きで困る、雨が降ってほしい、低温続きで稲の生育が心配、殺したり殺されたりは恐ろしい、なんとも悲しい・・、等々、悲しみ、不安、恐れも限りなしです。これらいずれも他から生じることと自らの内から生じることに大別できますが、別けようのないものでもありますね。
ところで、他のことは別にして自らの在り方のところでのことですが、人としての正しい道を得てその答えを生きることができ、いのちの道からも外れることなく生きることができたら、あるいは真に我にふさわしい我が道を得て正しく生きることができたら、あるいは選んだ我が道で優れた答えや成果を出すことができたらしあわせですね。人の道、いのちの道、我が道をみつけられただけでもしあわせです。40代に入る頃にはその道をみつけて、50代60代とその道で答えを生きることによってしあわせが色濃く深くなりますね。それは実際に具現化したことからのしあわせです。真に優れた人間に、優れた農民に、優れた教育者に、優れた芸術家に、優れた政治家に、優れた宗教家に、優れた治療者に、真に優れた親に、優れた夫に、妻に、優れた職人に・・とね。ところで基本のところは生まれてきたことが喜び。そして今も生きている、存在している、そのことが喜び、そのことがしあわせ、そのようになって心平和、心豊かで心静かな喜びに至るようになるのがしあわせの基本になりますね。
さらにその上でそれぞれの道で、それぞれの行為行動でほんとうにしあわせに至るようになるといいですね。これとこれを手にしたらしあわせだ、等々の何かを得る以前に存在そのものが、生かされて生きていることがそのままでしあわせだ、不足することがない、足りているところに生かされ生きている、このことがありがたい、という境地に至ることが基本になりますね。
その境地に至れないと、金銭欲や物質欲、名誉欲、権勢欲、支配欲にとらわれることになります。足るを知って心が満たされていると、何もなくても生きていることがしあわせだというようになります。事実は何もないことはなくて、生かされている私が存在しているし、生きるに必要なものは過不足なく与えられているし、生かしてくれるなんともすごい美しい豊かな宇宙自然界生命界があるし、それをしっかりと観つめ宇宙の実相実体を察知し認識し理解できて、その美しさ豊かさを全存在で、心で、魂で受けとり味わい絶妙さに感動し喜ぶことかできる状態になっていればほんとうにしあわせですね。そしてその宇宙における人類の位置と人間の実相実体と自分を知ることのできるその境地に至っていなかったら心は足らぬ状態になり不安となってあらぬものを求めるようになってしあわせから遠のいてしまい、迷いの日々、暗闇の日々に陥ってしまうのですね。不幸となりますね。
生きることのできている舞台のことですが、太陽があるのが、光が、熱が、明かりが、ぬくもりが、適量届くのがありがたい、水が、海が、大地があるのがうれしい。空間があるのが、時間があるのが、宇宙があるのが、宇宙いのちと時空は無くなることは決してなく存在し続くのがなんとも安心だ、ありがたい。地球が今日もあって衰えずにすごい生命活動をしているのでなんとも言えずありがたい、安心だ。宇宙は常に大調和で常に変化変化で破綻することなき秩序で在り続くことが安心だ、なんともすごい宇宙に生かされて生きているんだなぁ。しかもこの宇宙生命界は何もかもなんとも美しい、本当にありがたい、となりますね。雨露をしのぐ住居がある、寒さを守る衣類がある、今日も生きるに必要な食べ物もある、田畑でお米や野菜や果物が育ってくれた、野山で山草がキノコが育っている、心身健康であることができて一日の生活が無事に終わり、お布団に入った時は「ああ、うれしい、ありがたい、寝ることができる。なんともしあわせ。」身近なことから遠大な宇宙のことまで、いのちのことまで、気付けば気付くほど、知れば知るほどに、わかればわかるほどに美しい妙なる営みで、豊かで、止まることなく在り続くことが驚きであり感動であり感謝の思い湧き出でてきますね。
我が道のところでは、たとえば農民でしたら、自然農で自然界を損ねず負荷をかけず有限の資源を浪費せず、安全でいのちの充実した良いお米や野菜や果物を育てることができればしあわせですし、それを届けてあげられるのもしあわせですし、喜んでくださるのもしあわせですね。人類を持続可能にする自然農の正しい答えを誠実に生きることができればしあわせになりますね。傷寒論・金匱要略を宗とした古方の漢方医学を修得して病からの自立を成し、さらに病気で苦しむ人々を根本から治癒してあげることができる医者になれば深い喜びであるし、救われた人々も本当に幸福ですね。芸術の本質である美と醜の別を明らかとして決して醜を現わすことなく真に美しい芸術作品を創造することができる芸術家になると深い深い喜びです。また、真に美しい作品に出逢い観賞できることもしみじみとした喜びとなります。心から魂から全存在から真に美しい人に出い、結婚し心から肉体から魂から全存在で愛し合うことができている時は深い深いこの上なき人生における喜びとなり人間の尊さ存在のありがたさを覚えます。自然界を大切にし、一人一人を、人類を真の幸福に誘うことのできる政治を実現する政治家が誕生してくれば本当にうれしいですね。大きな喜びです。自らも偽りから離れて真を生き、悪から離れて善を生き、醜から離れて美を生きることのできる人間性に成長すれば、本当に喜びの今を、幸福の人生を全うすることができますね。他に依存することなく自立することができる人に、宇宙を得、絶対界に立つことのできる人に育てば心平和で豊かで喜びでありがたい日々となり平安の人生を歩むことができるようになりますね。
存在そのものがしあわせ、過不足なく満たされている、それと同時に我が道において答えを生きて、そして実際に答えを出すことによってさらに豊かな深いしあわせを得る。こうして全体もしあわせに至るのですね。しあわせに至るとは生きていることがしあわせになっている状態です。他に生かされ、天地自然に生かされ、自ずから道を得て正しく生きることができて、真の自立ができて、さらに役目・使命・天命を、親として大人としてあるいはそれぞれの道、それぞれの分野において人々の幸福につながるべくの仕事ができればほんとうのしあわせに至りますね。しあわせになると心の底から平安となり魂から生きていることに納得が入りますね。一人一人が幸せになることと人類全体が幸せになることは同一のことであり異にすることではないですね。一人の人間として生きるにおいて矛盾することなく実践できるようになりたいです。本当にしあわせでありたいですね。すべての時代のすべての人が心底から望み願っていることです。一人が、人類が、しあわせに至るべくの働きができるように育つことができればうれしいですね。
たとえば大切な分野の一つである教育においては次の時代を生きる若者をほんとうにしあわせに生きることができる人に育てないといけないのですが、まず自分が幸せになる。そうしてどういうところにしあわせがあるのかをはっきりと認識する。その上でどうしたらしあわせに生きることができるのかを、教育者として、あるいは大人として認識して育てることの智力能力を養い身に付ける。一人一人皆異にするいのちであるし性格であるし資質であるし人間性であるし、今日に育ってくるまでの生い立ちや長い過去の歴史も事情も異なり、しあわせに生きることができなくなっている人、不幸を背負って生まれてきたかわいそうな人、等いろいろですので、一人一人に適確に応じてゆくことのできる智力能力が必要です。そこまで育った上で真のしあわせの人生を生きることのできる若者を育てることができて教育者としても真のしあわせに至れます。しあわせに至るには人間性の成長が最重要で欠かせません。総合的に育ち、人格形成を立派に成し遂げた上でさらにそれぞれの分野の本質を明らめ極め、真の答えを見出し体得した上で実践、実現、具現化することによってしあわせの日々を生きることができますね。ここまでの話は人としての生き方でのことでした。
ところで宇宙は他が喜ぶとか悲しむとか、あるいは人類をはじめ、他のすべての生物あるいは地球や太陽・月や銀河の星々が喜ぶとか悲しむとか幸福になるとか不幸になるとか生むとか死なせるとかは考えることも思慮することも配慮することも心くばりすることもなく存在し、ひたすら我が宇宙いのちを営み続けています。そうした宇宙ですが、人類全体が、一人ひとりが、しあわせになることのできる生物として宇宙に誕生してきました。そしてなんともありがたいことに人類が、すべての生物が幸せになることのできる舞台として黙して語らず永遠完全無欠の宇宙であり続けています。宇宙は止まることなく終わることなく誤ることなく、壊れることなく存在し続け営み続けます。その営みは無目的にです。なんら目的を持ってではないのですが、たくさんの生物が完全体として自然に誕生し死ぬまで生かされ生きることができています。人間もしあわせになることのできる智力能力を授かって、完全な生命体として、この宇宙、この地球に誕生し今も存在しています。もちろん宇宙は計算、計画、愛情、親心で人類を産み創ったのではないのですが、絶妙に完全な生命体として数十万年、数百万年前に誕生したのです。自ずから然らしむる自然なる人類の誕生であり、すべての生物、すべての無生物、すべての物質、すべての営み、すべての完全なる現象界・・・なのですね。もちろん現象界におけるすべて、誕生してきたすべては、いつかは必ず死に運ばれます。人類も、地球も、太陽も・・です。このことは悟らねばなりません。死滅は嫌だと逆らい怯え怖れてはなりません。
そのように人類もいのちある間はしあわせに生きることのできる宇宙であり、人という生き物です。この宇宙生命界のできごとは自ずから然らしむることであって、誕生したすべての生物、無生物、いずれもかならず変化し、やがては死に運ばれ死に至るものです。もちろん新たないのち達の誕生であり、この誕生もまた無目的にです。やがていつかは人類も目的無く滅亡に運ばれます。しあわせに生きたい、喜びの日々でありたい、心平和に、心豊かに生きる。これらの願いも実現も生きている間でのことです。授かった百年前後の生の時空間をほんとうにしあわせに喜びに生きたいですね。
八木 そうですね。お話しを伺いはっきりと見えてくるものがありました。宇宙自然界生命界に、他の存在に、生かされていることに深い喜びを覚え、自らが成長する在り方で人生を全うすれば絶対なる確かさで「ほんとうのしあわせ」を手にできるように思いました。人類一人ひとりがそのように目覚めれば、地球の真の平和もすぐにでも実現可能なはずですね。お話しをありがとうございました。
お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん
インタビュー 編集 八木真由美