君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク ヒンメリ

  

右脳 左脳 全脳について⑤ 身体感覚・無意識

2024年03月14日 | 右脳 左脳 全脳
今日は、右脳と身体のつながりについて書いてみます。

😊眼鏡が消えた(50代)

もともとの視力は1.5、近くも遠くも良く見えていましたが、50代になる頃から近くが見えづらくなり眼鏡をするようになりました。

そんなある日。
眼鏡がない・・と気がつき、まずは心あたりを探して、それから記憶をたどりました。でもさっぱりわからないので気分を変えることに。

右脳優位に切り替えて身体に尋ねます。

とりあえず眼鏡のことは気にしないで、純粋に今を感じながら、『何がしてみたい?』と身体に尋ねました。

すると身体は『古代黒米の籾種をポケット入れて、田んぼに行ってパラパラと蒔きたい。』と言うではありませんか。ええっ!なぜに・・。

思考が『もう籾蒔きは終わっているのに、どうして?』とささやきます。でも、そのささやきはポイっと空間にゆだねて、身体の声に従うことにします。

エプロンのポケットに少しの籾を入れて、自然農の実習田に歩いて行き、田の入り口で再び身体に尋ねます。『この籾をどこに蒔きたいの?』。

すると身体が『あの辺りにパラっと蒔きたい』と遠くを指さします。

その声に従って初夏の田に入りました。草をかき分けてその場所に近づくと『ここです』と声が聞こえたので、手のひらからモミをパラパラと落として、その草の中を見つめると、なんとそこに眼鏡がふんわりと草に包まれていたのです。

眼鏡を落とした瞬間を、わたしの身体は知っていたのでしょうか・・。

直観的な右脳と身体はこれほどにまで繋がっているのか、と思いました。身体の声を聞くということは、右脳をひらくということでもありますね。




😊カメラのレンズのフタが消えた(60代)

ああっっ、やってしまった。
カメラ(Sonyα6400)を購入してワクワクしていた矢先、レンズのフタを落としてしまいました。この時は、田んぼで紛失したのだろうと予測がついたのです。

前述の眼鏡を落とした同じ田んぼでしたが、左脳さんが『探すのは無理』とつよく申しまして、右脳の出る幕はなく、潔く同じものを購入することにしました。

何しろレンズのフタはとても小さくて、田んぼは広く、ましてや自然農の田は一面の草原ですから・・・・。




しかし、それから数日後。
稲作教室の実習時、一輪車に農具をのせてみんなで運んでいる時のことです。いつも一輪車を置くのは畑の北側のスペースなのですが、その日に限って私は『中央の畔をどんどん行ってね、そうそう、どんどん行ってね。それからその畔を西に曲がってね、そうそう、もう少し先まで行ってね、ああ、そのあたりにとめてくださ~い。』と、絶好調の口ぶりで一輪車を押していた方にお願いしたのです。

なぜ、ここのなのかなぁ・・? 
わたしの口が勝手にそう言ったのですから、わかりません。

でも、その理由はすぐにわかりました。
一輪車から農具や荷物を降ろそうと足元の田んぼに目をやったとき、小さな黒いものがポツンと・・、そうなんです、レンズのフタがすぐそばに落ちていたのです。

なんだか、可笑しいですよね。潔くあきらめたのに、こんな見つかり方をするのですから・・・。身体感覚ってすごいな、と思いました。無意識領域のなせる業ですね。

ワタシはある時期、探し物というテーマで右脳&身体感覚を鍛えていたのか、と思うほどですが、最近はそのテーマを卒業しています。😊 楽しかったなぁ。

それでは今日は💗このあたりで・・。
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右脳 左脳 全脳について④ 考えると感じるの違い

2024年03月13日 | 右脳 左脳 全脳
今日は『考える』と『感じる』の違いについて、書いてみたいと思います。😊

日常生活や慣れている仕事において、たいていのことは自動的にやれていますし、少し考えるだけで足りることが多いですね。それはそれで良しですが、考えても考えてもわからない時にはどうしましょうか・・・。

例えば、失くし物をした時、記憶をいくらたどってもわからないことがありますね。心当たりを懸命に探しても見つからず、顕在意識レベルではお手上げの時、みなさんはどうされますか。?

あきらめる、というのも一つの方法ですよね。
そのうち見つかる、ということもありますから・・。

わたしは、失くしものが見つからないと、ず~っと気になるので、見つけるまであきらめず、または心が落ち着くまではあきらめないでいます。ここ数年は、とくにその傾向にあります。

なぜなら、その体験を通してわかったことがいろいろあるからです。

探し物をする時の段階として、まずは時間を遡る方法がありますね。これは誰もが使うと思いますが、緻密に分析をして、あの時にこうして、それからこうしてなど、行動をふり返って見つけようとします。

それから、記憶はあてにせず目につくところをすべて探す、という方法もあります。少々疲れますが、見つかるとほっとしますね。

その二つを試しても見つからない時は、お決まりの方法があるわけではないのですが、私は『考える』ではなく『感じる』を優先します。

まずはものへの執着から離れて、右脳優位のスイッチを入れます。

そのスイッチは、どうしたら入るのでしょうか・・。

私の場合は、とりあえず、この状況から気持ち的に距離を置いて、頭を使って考えるのをすっかりやめます。手あたり次第動き回って探すのもやめます。すると、自分の周囲にやわらかな時空が漂い始めます。見つけたい気持ちはもちろんありますが、執着のない平和な気分になってゆきます。

さらにその感覚を継続しながら、自分の周囲に広がり(空間)が感じられはじめると、現象界に左右されずに存在している喜びが満ちてきます。これが右脳優位になるスイッチが入った状態です。一言でいえば、考えるのをやめる、力づくで解決しないのがコツと言えるでしょう。

◎◎しなければならない、どうあるべきか、◎◎するしかない、もう限界だ、というような考えで頭がいっぱいの時は、おそらく思考で解決しようとしていて、『どうしたい?』『どう在りたい?』『もっと別の方法を自由に選んでも良いとしたら?』など、質問を変えるだけで気分が変わりますね。私たちはもともと自由で無限の可能性にあふれている存在なのですから・・。

それでは、その状態の体験を書いてみます。若い頃の話です。

😊水筒をしまった場所がわからなくなった時。(40代の頃)
使わなくなっていた水筒をしまった場所がさっぱり思い出せなくなった日のこと。おそらくお台所近辺にしまっているはず、と頭で考えて探すも全然見つからず。そこで、あらゆるお部屋を隈なく探して、ぐったり疲れてしまう。実際には、こんな所にあるはずがないと見過ごしていたのですが、左脳さんがもう無理、って言うので一休み。ソファでお昼寝をすることにしました。

ぼんやり、うとうとしながら『探し物はお昼寝の中で見つけよう~』と、のんびりした気分になり軽く目をつぶり、『そうだ、寝ころんだまま家中をスキャンしてみよう』とふっと思うのでした。

目を閉じて、お家の隅々を思い描きながらスキャンしてゆきます。手が届かない高いところも、つぶさに見ることができます。しばらくスキャンしているうちに、ある場所にきた時に『あっ、ここにある』とわかりました。ソファーから起き上がり、その場所に行くと水筒がありました。

これは、日々生活をしている我が家という限られた空間ならではの方法だったと思いますが、視覚的に詳細をイメージで見るという能力を使えばラクに探せることに気づきました。ありありと五感で感じるのは右脳が得意とするところですから・・。

😊自転車が消えた(40代の頃)
子どもたちが小学生の頃、朝の交通旗当番の日。月に一度、自転車で交差点まで出かけるのですが、その朝、乗っていく直前に自転車が家の軒下から消えていて、びっくり。ちょっと慌てましたが、走って交差点まで行き、当番をすませて歩いて帰りました。

家族に伝えると盗難届を出したほうがいいよ、と言われましたが、なんだかなぁ、とぼんやりした気分です。家の軒下に置いていたのに、こんなことがあるのだなぁ、すごいなぁ~、なんて思っていたのです。

ぼんやりとした気分のまま、台所で水仕事をしながら、『自転車は乗ってもらって走るのが喜びだよねぇ・・、私は月に一度しか乗ってなかったから・・、もっと走りたかったよねぇ・・、ごめんね。乗りたい人が乗ってくれたのだから良かったね。』と、自転車の気持ちに思いをはせていました。

すると、自転車のある場所がパッとわかってしまったのです。見えてしまったという感じで、『◎◎駅の南口の駐輪場に居るよ』とのこと。

そこで、『これから自転車を迎えにいくので、◎◎駅まで車で連れて行ってほしい』と家族に頼みました。◎◎駅は少し遠いのですが、私はその自転車に乗って帰る心づもりまでしていたのです。

駅に着くと、ひらめいた場所にきちんと自転車は置かれていました。ハンドルを握って挨拶をすると、エネルギー的にもいつもの穏やかな感じです。帰り道は何事もなかったかのように軽やかに、なんとも爽やかな朝の出来事になりました。

この時も無意識に右脳優位になっていたのだろうと思います。ぼんやりとしながら(トランス状態で)思い巡らせていましたし、脳波はθ波に近づいていて、本来はすべてと一体であるゆえに、自転車や乗っていった誰かさんとも一体であり、情報を自然にキャッチしたのかなと思います。

現象にとらわれず、心はニュートラル、起きている出来事は中立であることを知っている状態ですね。

最近はほとんど失くし物をしなくなりましたが、次回も右脳優位になっ時の面白いエピソードをお届けいたしますね。いつか、変性意識状態についてのお話にも触れてみたいと思っています。

それでは、今日はこのあたりで・・。😊




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右脳 左脳 全脳について③ 直観 自力 他力

2024年02月22日 | 右脳 左脳 全脳
今朝、思ったこと。2024.2.22

脳は体の一部の器官なので、それだけで語れるものではなく、いのち全体で何を感じているのかが最も大切だということ。ハート、腹、頭、魂など名前をつけてわけているけれど、本来は一体のいのちでありながら、役目や働きがそれぞれということですね。

自分という認識を、身体全体、さらには他のすべてのいのちと一体であるというところで感じている時、ワタシは本当のワクワク(いのちからの喜び)が起きているように感じます。自ら生きている、他のすべてに生かされている、この二つが同時に満たされているのが宇宙の本質ですから、自力100%他力100%なのです。

ところで、右脳についてですが、脳の働きのなかでは、イメージ脳、直観脳など言われているようで、高速で処理することもできます。パッと見てわかる、ということです。考えたり、数えたり、ではなく瞬時にわかるという機能を誰もが備えていますね。

わたしも時々、その状態になることがあります。

ある日、知り合いの家に行ったとき、その家の男の子に『おばちゃん、これやってみて。絶対にできんから。できる方法は1000分の1だからね。』と、ルービックキューブに似た多面体で、もう少し高度なものを面白がって渡されたのです。

そもそもふだんから、そういうものに縁がないので、『なんでしょう、これは・・』と受け取りましたが、要するにすごく難しいものらしい、と言うことだけがわかりました。

その男の子が朗らかで可愛らしかったのでムリムリとは言えず、『そうだ、考えないでやってみよう』と、手の動きに任せてみました。
すると数分もしないうちに完成。男の子はもちろん驚き歓喜してくれましたが、この時はまさしく右脳優位の状態といえますね。

思考を全く使わないと決めたことで、左脳をオフにしたのかもしれません。

その状態をもう少し深く見てみると、たとえば、その難しい多面体を作った人の情報を無意識に受け取っていた、または、かつて同じように体験した人の情報が流れ込んできた、完成している未来からの情報に手の動きが沿っていた、など考えられるのでは、と思ったりしています。

到底、体験のない私の力だけではできないですから、宇宙(いのち)と一体になって、絶対の境地にその瞬間は立っていたのかなぁ、との思いに至るのです。絶対の境地は軽やかで、疑いが入らず、相対を超えているのでしょう。

そして、前回も書きましたが、感情が平らかで(フラット)で、絶対に完成させないといけないなどの執着やら、できなかったどうしようという不安やら、ムリムリという抵抗感もまるでない状態ゆえに、おのずから起きてきた、というふうにとらえています。

あの朗らかな男の子に感謝ですね~。良い体験をさせてもらったなぁ、と思います。

考える隙を与えない無茶ぶりって、好きだわ~。
みなさんもいかがですか。😊
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右脳 左脳 全脳について② 愛と能力

2024年02月20日 | 右脳 左脳 全脳
一昨日、右脳 左脳 全脳について少し書いてみましたが、これまでの体験や感じていることなどを余すことなく書くというのは難しいと気づかされました。一年間くらい、同じテーマで書き続けると良いのかもしれませんが・・。

右脳優位と言っても左脳と瞬時に繋がり(同時に)、全脳的な生き方になると、ほんとうに素晴らしいと思っています。現代人は思考で物事をとらえることが得意になっているので、実のところもったいない瞬間がとても多いのでは・・。

自然に親しみ、情緒を大切にして、常識や習慣の枠をこえて、ごきげんで生きること、右脳教育などでは、愛があるときに能力が発揮できるとも言われており、その通りだと感じています。

このテーマは、親しい友人たちとのおしゃべりで楽しもうかな、と思うに至っておりますが・・・。




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右脳 左脳 全脳について① 脳波 インスピレーション ひらめき

2024年02月18日 | 右脳 左脳 全脳
今日は右脳と左脳のことを書いてみたい気持ちになりました。わたしのこのブログは、ほぼ自然農のことが中心になっているので、その他の面白いことや感じたことは、日々山盛りたくさんあるのですが、あまり文字になることなく過ぎています。が、今後は時間を見つけて書いてゆこうかなと思ったりしています。

さて、今日のテーマは右脳と左脳、そして全脳について。

その前に、脳波についてですが、β波 α波 θ波 δ波と周波数の領域があり、θ波の状態になると、わたしは目に見えないものを感じられたり、やわらかなインスピレーションが降りてきたりします。その時には、右脳優位になっていて、左脳にあれこれ言われることなく、気分はまろやかで物事が簡単に感じられますし、不思議なことも素直に受け止められるのです。

たとえば、壁の粒子が細かく細かく見えて遮るものがないように感じたり、他の場所のことが心の目で見えたり、未来からのメッセージが流れ込んできたりなど、平和であたたかな気分に満ちています。

ひらめきやインスピレーションは、ほわっとしている時に多くあります。少しまどろんでいるような良い気分の時で、どうしてあの人にあのようなことを言ったのかな、と思うこともしばしばあり、でも振り返ると、個を超えて、未来から見るとまさにぴったりだったとうなづけたりします。

ところで、ほわっとしていない時のこともあります。例えばゾーンに入っている時には、時空の枠から抜け出して無限の可能性に満ちており、その時は全脳的になっている実感があります。右脳だけでは行動に結びつかず、右脳から左脳へと高速処理しているのを感じます。その時は最高に充実していて、アイデア実行アイデア実行で、ごきげんな状態です。時間差もなくて、同時に起きている、起こしている、そんな感じです。そもそも、右脳と左脳に分けることなく同時に、というのが理想ですね。

住まいの整理整頓などで、この能力が発揮できることを数年前に気が付き、主には母(今年89歳)の家全体の片付けに使っています。例えば、散らかった収納棚を片付ける場合に、まずはぼぉっと全体を眺めます。すると脳波がトランス気味(変性意識・θ波)になります。そこで、母に優しく質問をします。この時の質問は、メンタルコーチングを使います。すると母もごきげんになり、意欲もアップして、共同作業の波に乗れます。

いよいよ、片付けの段階になると、ためらうことなく全出しします。その時も感情はなく、平らかな気分のまま、批判やジャッジする気持ちは全く起きず、ずっと良い気分が続いています。母も良い気分のまま、私の質問に答えながら、さくさくと優先順位をつけて必要なものが浮かび上がってきます。それを再収納するときが最も面白くて、これが一番の楽しみになります。

基本的に、収納のためのボックスなどを新たに買うことはなく、家にあるもので工夫をする時もずっとトランス状態で、その辺にある使えるものや、一工夫したら面白いものが次々と見つかったりします。

この整理整頓は、ものを捨てるという行為を目的にしておらず、あるものを最大限に活かして使いやすく、平和な感じを目指しており、母には大好評です。

時間も、片付ける空間をパッと見て10分くらいでできそうとわかるので、私はまるでパズルを楽しむ子どものような無邪気さで取り組みます。母にしてみると、長年の不自由な収納棚の使いづらさと煩雑さが、10分ほどで改善されるという夢のような出来事なので、魔法使いみたいだねって言います。

整理整頓はほんとうに面白くて『楽しませてもらった』と言うのが私の感想。ポイントは、散らかった光景を見ても余計な感情を抱かず、どちらかと言うと、うっとりするような脳波で居続けることなのかな~、と思います。自分の部屋よりも、自分以外の人の部屋の方が上手くいくのは、客観性が際立ち、正確にものごとが見れ、質問する楽しさがあり、その人の希望に沿うというハードルが心地よいのですね。

右脳優位の時に起きることは、他にもほんとうに色々あります。

ここ数年、気がついてきたことの一つですが、『数字』に親しみを感じるというのがあります。親しみというよりも、もっと自動的な感覚かな・・。

一番、面白かったのは、誕生日がわかってしまう、という経験です。その人を見ていると、まず月がわかり、それから近い日にちが三つ浮かんできて、そのなかのこの日、という順番でわかりました。365分の1の確率なのですが、ものすごく自然にわかってしまって・・。わかるのはごく当たり前のようにも思えました。

日常的には、家族がお買い物から帰ってくると中身を見る前に金額が自動的に浮かんでくることがよくあります。2870円だねとか言ってしまい、なんでわかるのって笑われます。私の場合は考えていないからこそわかるのです。

自分にまったく関係のないことでも、急にわかってしまうことがあって、だれかが「仕事で使うトラックを中古で買ったんだけど」などという話をチラッときいた時に「◎◎万円」ってつぶやいてしまい「なんでわかるの」とあきれられました。

自動的にわかるというのは、左脳的な思考や過去のデーターを使っていないからなんだと思います。

それから、時間もしかり。(時計時間)
ナビもなく携帯も持たず、しかも初めて行く場所、集合時間だけが12時ときまっていた時、延々と続く山道で先もわからず、おそらくこの先に決められた集合場所がある、ということだけがわかっていた時、『わたしが到着した時が12時』と、ものすごく都合良くそう決めてしまったら、本当にそうなりました。都合よく決めたのはいったい誰なんでしょうね。私の右脳さんでしょうか。一体の営みをしているいのちの世界のできごとでもありますね。

未来を先に決めたので、今がそのように起きてくるという経験は多いです。時間のことだけでなく、人とのご縁やものごとも含まれます。

左脳的に考えることを手放さざるを得ない状況で、未来からのメッセージが届いたり、ちょっとだけテレポーテーションしてしまったり、やわらかい現実は、やわらかい意識から生まれてきますね。

こういった話は、日常にたくさんあって、今ではそちらがリアルな現実です。なぜ、私が右脳優位になってきたのか、そのきっかけなどは、またの機会にお話しできたらと思います。

ある夏の至福の時

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