君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク

  

川口由一さん インタビュー ほんとうのしあわせ

2018年05月05日 | 自然農 川口由一の世界

ほんとうのしあわせ
川口由一さん インタビュー 2018.3 

 

八木 私たち人間社会において対立的にならず他の幸せを喜べるかどうか、それは平和な人間社会を築くに大切なことで、「他の幸せが喜べない時の自分はほんとうのしあわせを手にしていないからだ。」と教えていただきましたが、「ほんとうのしあわせ」とはどのような状態をさすのでしょうか。?

 

川口 ほんとうのしあわせを存在の根底から感じて真のしあわせになっている時はどんな状態なのか、あるいはほんとうのしあわせはどこにあるのか、人としてのほんとうのしあわせ、男性としてのほんとうのしあわせ、女性としてのほんとうのしあわせ、大人として、政治家として、芸術家として、宗教家として、農民として・・・、父親として、母親として、子どもとしてのほんとうのしあわせは、その時その時成長過程によってそれは異なるし、置かれている立場によっても時代によっても年齢によっても季節によっても異なりますが、いずれの場合も゛人゛ですから、人としてのほんとうのしあわせは、いつの時代にもすべての人に通じる変わらざる普遍のこととしてあるものです。

 

 ところで、どのような時にほんとうのしあわせを感じられるのかですが、100%正しく生かされて100%美しく生きることができている時はほんとうにしあわせでしょうね。100%正しい他による生かされ方と自らによる生き方を知らないで外れてしまうと決してほんとうのしあわせには至れませんね。在り方生き方にかかっていますが、どのような生かされ方と生き方をすればしあわせなのか。どんな時、どのような時、ほんとうのしあわせなのかを思い起こし、深くみつめてみたいですね。その先にしあわせの反対の状態をみつめてみますと、淋しい、悲しい、不安だ、恐ろしい、落ち着かない、心配だ、苦しい、あるいは他人に負けて悔しい、他人に脅されて、他人にいじめられて他国に侵されて恐ろしい、不幸だ、他人をいじめて、他国を侵して心が安まらない。あるいは仕事が順調に進まなくてつらい、お金が充分入ってこなくて残念、お金がなくなってきて不安、物質的に貧しくてつらい、心が貧しくなって淋しい、怒りっぽくなる、他虐的になる、自虐的になる、攻撃する、攻撃される、等で心が安まらない。他人に怒られて悲しい、怒って心が落ち着かない、怪我をして痛い、病気で苦しい、老いてきて淋しい、恋に破れて生きる意欲をなくして耐え難い、死ぬのがこわい、あるいは他人の不幸が悲しい、人類が不幸へと流れてゆくことが恐ろしくてつらい、人間社会の混沌混乱がつらい、人間社会の不条理や矛盾が耐え難い、国の政治の誤りから不安を覚える、国と国、民族と民族の戦争、殺し合いは不幸の極み・・・等々、幸福から離れゆくことも限りなしです。祖父母の死が、親の死が、我が子の死が、我が孫の死は耐えられない、変わってやりたい、悲しい、家族の病気がつらい、兄弟姉妹げんかになってつらい、等と数えきれません。我が内なる心でのことであったり、外部の事柄であったりします。台風がくれば、地震がおこれば、豪雨になれば不安、晴天続きで困る、雨が降ってほしい、低温続きで稲の生育が心配、殺したり殺されたりは恐ろしい、なんとも悲しい・・、等々、悲しみ、不安、恐れも限りなしです。これらいずれも他から生じることと自らの内から生じることに大別できますが、別けようのないものでもありますね。

 

 ところで、他のことは別にして自らの在り方のところでのことですが、人としての正しい道を得てその答えを生きることができ、いのちの道からも外れることなく生きることができたら、あるいは真に我にふさわしい我が道を得て正しく生きることができたら、あるいは選んだ我が道で優れた答えや成果を出すことができたらしあわせですね。人の道、いのちの道、我が道をみつけられただけでもしあわせです。40代に入る頃にはその道をみつけて、50代60代とその道で答えを生きることによってしあわせが色濃く深くなりますね。それは実際に具現化したことからのしあわせです。真に優れた人間に、優れた農民に、優れた教育者に、優れた芸術家に、優れた政治家に、優れた宗教家に、優れた治療者に、真に優れた親に、優れた夫に、妻に、優れた職人に・・とね。ところで基本のところは生まれてきたことが喜び。そして今も生きている、存在している、そのことが喜び、そのことがしあわせ、そのようになって心平和、心豊かで心静かな喜びに至るようになるのがしあわせの基本になりますね。

 

 さらにその上でそれぞれの道で、それぞれの行為行動でほんとうにしあわせに至るようになるといいですね。これとこれを手にしたらしあわせだ、等々の何かを得る以前に存在そのものが、生かされて生きていることがそのままでしあわせだ、不足することがない、足りているところに生かされ生きている、このことがありがたい、という境地に至ることが基本になりますね。

 

  その境地に至れないと、金銭欲や物質欲、名誉欲、権勢欲、支配欲にとらわれることになります。足るを知って心が満たされていると、何もなくても生きていることがしあわせだというようになります。事実は何もないことはなくて、生かされている私が存在しているし、生きるに必要なものは過不足なく与えられているし、生かしてくれるなんともすごい美しい豊かな宇宙自然界生命界があるし、それをしっかりと観つめ宇宙の実相実体を察知し認識し理解できて、その美しさ豊かさを全存在で、心で、魂で受けとり味わい絶妙さに感動し喜ぶことかできる状態になっていればほんとうにしあわせですね。そしてその宇宙における人類の位置と人間の実相実体と自分を知ることのできるその境地に至っていなかったら心は足らぬ状態になり不安となってあらぬものを求めるようになってしあわせから遠のいてしまい、迷いの日々、暗闇の日々に陥ってしまうのですね。不幸となりますね。

 

 生きることのできている舞台のことですが、太陽があるのが、光が、熱が、明かりが、ぬくもりが、適量届くのがありがたい、水が、海が、大地があるのがうれしい。空間があるのが、時間があるのが、宇宙があるのが、宇宙いのちと時空は無くなることは決してなく存在し続くのがなんとも安心だ、ありがたい。地球が今日もあって衰えずにすごい生命活動をしているのでなんとも言えずありがたい、安心だ。宇宙は常に大調和で常に変化変化で破綻することなき秩序で在り続くことが安心だ、なんともすごい宇宙に生かされて生きているんだなぁ。しかもこの宇宙生命界は何もかもなんとも美しい、本当にありがたい、となりますね。雨露をしのぐ住居がある、寒さを守る衣類がある、今日も生きるに必要な食べ物もある、田畑でお米や野菜や果物が育ってくれた、野山で山草がキノコが育っている、心身健康であることができて一日の生活が無事に終わり、お布団に入った時は「ああ、うれしい、ありがたい、寝ることができる。なんともしあわせ。」身近なことから遠大な宇宙のことまで、いのちのことまで、気付けば気付くほど、知れば知るほどに、わかればわかるほどに美しい妙なる営みで、豊かで、止まることなく在り続くことが驚きであり感動であり感謝の思い湧き出でてきますね。

 

 我が道のところでは、たとえば農民でしたら、自然農で自然界を損ねず負荷をかけず有限の資源を浪費せず、安全でいのちの充実した良いお米や野菜や果物を育てることができればしあわせですし、それを届けてあげられるのもしあわせですし、喜んでくださるのもしあわせですね。人類を持続可能にする自然農の正しい答えを誠実に生きることができればしあわせになりますね。傷寒論・金匱要略を宗とした古方の漢方医学を修得して病からの自立を成し、さらに病気で苦しむ人々を根本から治癒してあげることができる医者になれば深い喜びであるし、救われた人々も本当に幸福ですね。芸術の本質である美と醜の別を明らかとして決して醜を現わすことなく真に美しい芸術作品を創造することができる芸術家になると深い深い喜びです。また、真に美しい作品に出逢い観賞できることもしみじみとした喜びとなります。心から魂から全存在から真に美しい人に出い、結婚し心から肉体から魂から全存在で愛し合うことができている時は深い深いこの上なき人生における喜びとなり人間の尊さ存在のありがたさを覚えます。自然界を大切にし、一人一人を、人類を真の幸福に誘うことのできる政治を実現する政治家が誕生してくれば本当にうれしいですね。大きな喜びです。自らも偽りから離れて真を生き、悪から離れて善を生き、醜から離れて美を生きることのできる人間性に成長すれば、本当に喜びの今を、幸福の人生を全うすることができますね。他に依存することなく自立することができる人に、宇宙を得、絶対界に立つことのできる人に育てば心平和で豊かで喜びでありがたい日々となり平安の人生を歩むことができるようになりますね。

 

 存在そのものがしあわせ、過不足なく満たされている、それと同時に我が道において答えを生きて、そして実際に答えを出すことによってさらに豊かな深いしあわせを得る。こうして全体もしあわせに至るのですね。しあわせに至るとは生きていることがしあわせになっている状態です。他に生かされ、天地自然に生かされ、自ずから道を得て正しく生きることができて、真の自立ができて、さらに役目・使命・天命を、親として大人としてあるいはそれぞれの道、それぞれの分野において人々の幸福につながるべくの仕事ができればほんとうのしあわせに至りますね。しあわせになると心の底から平安となり魂から生きていることに納得が入りますね。一人一人が幸せになることと人類全体が幸せになることは同一のことであり異にすることではないですね。一人の人間として生きるにおいて矛盾することなく実践できるようになりたいです。本当にしあわせでありたいですね。すべての時代のすべての人が心底から望み願っていることです。一人が、人類が、しあわせに至るべくの働きができるように育つことができればうれしいですね。

 

 たとえば大切な分野の一つである教育においては次の時代を生きる若者をほんとうにしあわせに生きることができる人に育てないといけないのですが、まず自分が幸せになる。そうしてどういうところにしあわせがあるのかをはっきりと認識する。その上でどうしたらしあわせに生きることができるのかを、教育者として、あるいは大人として認識して育てることの智力能力を養い身に付ける。一人一人皆異にするいのちであるし性格であるし資質であるし人間性であるし、今日に育ってくるまでの生い立ちや長い過去の歴史も事情も異なり、しあわせに生きることができなくなっている人、不幸を背負って生まれてきたかわいそうな人、等いろいろですので、一人一人に適確に応じてゆくことのできる智力能力が必要です。そこまで育った上で真のしあわせの人生を生きることのできる若者を育てることができて教育者としても真のしあわせに至れます。しあわせに至るには人間性の成長が最重要で欠かせません。総合的に育ち、人格形成を立派に成し遂げた上でさらにそれぞれの分野の本質を明らめ極め、真の答えを見出し体得した上で実践、実現、具現化することによってしあわせの日々を生きることができますね。ここまでの話は人としての生き方でのことでした。

 

 ところで宇宙は他が喜ぶとか悲しむとか、あるいは人類をはじめ、他のすべての生物あるいは地球や太陽・月や銀河の星々が喜ぶとか悲しむとか幸福になるとか不幸になるとか生むとか死なせるとかは考えることも思慮することも配慮することも心くばりすることもなく存在し、ひたすら我が宇宙いのちを営み続けています。そうした宇宙ですが、人類全体が、一人ひとりが、しあわせになることのできる生物として宇宙に誕生してきました。そしてなんともありがたいことに人類が、すべての生物が幸せになることのできる舞台として黙して語らず永遠完全無欠の宇宙であり続けています。宇宙は止まることなく終わることなく誤ることなく、壊れることなく存在し続け営み続けます。その営みは無目的にです。なんら目的を持ってではないのですが、たくさんの生物が完全体として自然に誕生し死ぬまで生かされ生きることができています。人間もしあわせになることのできる智力能力を授かって、完全な生命体として、この宇宙、この地球に誕生し今も存在しています。もちろん宇宙は計算、計画、愛情、親心で人類を産み創ったのではないのですが、絶妙に完全な生命体として数十万年、数百万年前に誕生したのです。自ずから然らしむる自然なる人類の誕生であり、すべての生物、すべての無生物、すべての物質、すべての営み、すべての完全なる現象界・・・なのですね。もちろん現象界におけるすべて、誕生してきたすべては、いつかは必ず死に運ばれます。人類も、地球も、太陽も・・です。このことは悟らねばなりません。死滅は嫌だと逆らい怯え怖れてはなりません。

 

 そのように人類もいのちある間はしあわせに生きることのできる宇宙であり、人という生き物です。この宇宙生命界のできごとは自ずから然らしむることであって、誕生したすべての生物、無生物、いずれもかならず変化し、やがては死に運ばれ死に至るものです。もちろん新たないのち達の誕生であり、この誕生もまた無目的にです。やがていつかは人類も目的無く滅亡に運ばれます。しあわせに生きたい、喜びの日々でありたい、心平和に、心豊かに生きる。これらの願いも実現も生きている間でのことです。授かった百年前後の生の時空間をほんとうにしあわせに喜びに生きたいですね。

 

八木 そうですね。お話しを伺いはっきりと見えてくるものがありました。宇宙自然界生命界に、他の存在に、生かされていることに深い喜びを覚え、自らが成長する在り方で人生を全うすれば絶対なる確かさで「ほんとうのしあわせ」を手にできるように思いました。人類一人ひとりがそのように目覚めれば、地球の真の平和もすぐにでも実現可能なはずですね。お話しをありがとうございました。


 

お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん

インタビュー 編集 八木真由美

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川口由一さん 自然農田畑 2018年 3月 

2018年05月04日 | 自然農 川口由一の世界

三月の末、桜の季節に、
自然農実践家指導者の川口由一さんの畑をお訪ねいたしました。 


水仙が咲いている頃にぜひにとの想いが
実現いたしました。
うららかな春の光につつまれ 
花々のよいかおり・・。


ヒヤシンスも水仙の足元に咲いています。
朱木蓮もやわらかな空にむかって花ひらき、
春風がそよ吹く畑はやさしさに包まれています。

 

ああ、いい気持ち。
川口さんの自然農畑には人工的なものが全くありません。
自然に沿った在り様はほんとうに美しくて
心からしあわせを感じます。

その畑で育つ作物や果実が真に健康で美味しいことは
言うまでもありませんが、

畑に立つ人の心も身体も
深く深くくつろぎ癒されます。 
 

↑ こちらは花木のスペースで木蓮が満開でした。
蝋梅、紫陽花、ムクゲ、ライラックなどが並んでいます。
冬の間に剪定をされている木もありました。
  

畑の入り口です。

可愛いチューリップやムスカリが並んでいます。
手前にはこぼれ種で育ったゴボウが種取り用に・・。  

↓ レタスとチシャ、サニーレタスの畝です。 

種取り用の人参だそうです。↓ 

草たちもほんとうにかわいいですね。 

 

お花のコーナーでは、百合、牡丹、芍薬、ハーブ類、などが植えられ、
畑の北側には 平戸つつじが並んでいます。 

 

サヤエンドウです。 

健やかに育っています。
初々しくまぶしいです。 背丈が伸びてきたら
稲わらの支柱を二段にされるそうです。


こにやかにご案内くださる川口さん。

日々、お元気に田畑に立たれておられるとのこと、
うれしいです。  

 

グミの木が衰えてキノコが生えています。 ↑

こちらは山芋の畝だそうです。↑↓
ほくほくの土 いのちの重なりが層を成しています。 

 

畝の左に並ぶのはニンニクですね。 

春草のなかにキャベツを見つけました。
こんな畑で育つキャベツは幸せですね。 

 大根のお花、清らかですね、
種をつけていのちを繋げてゆきます。

 こちらには、ブドウの苗木が植えられています。↓

花梨の木です。↓
小さなお花を咲かせていました。 

三月下旬 お花が満開の杏子。↓
はなやかに空をいろどり
春を歌っています。 

↓ こちらは梨の木です。 

足元にはフキ。↓ 

落葉樹の下には 葉物や大根の花が咲き
フキが群生しています。 

桜の苗木の前で川口さん。
この桜は、お孫さんの成長とともに大きくなるのでしょうね。
楽しみですね。

 

野菜、果樹 花 木・・ 
ここに居るだけでしあわせな気持ちにあふれます。

美しい春の日に 美しい畑で
喜びのひとときをいただきました。 

ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真は3月末の様子です。

 

 

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身体の声を聴きながら、その人のリズムで。 

2018年04月25日 | うれしかったこと

昨晩、ふと思いついて、
ゆるゆるリラックスできる「トレガーアプローチ」を母にしてあげることができました。
その人のリズムに添いながら本来の状態に戻してあげる施術です。
私も数回体験があるだけですので、こんな感じかなぁ~と記憶をたどりながら、
停滞したり変な癖が固定している身体の部分が、本人のリズム・揺れのなかで自ずから解消されるような、
そんなイメージで頭からつま先までさせてもらいました。

母はリラックスの極みという表情で、
こんなに気持ちの良い体験ははじめてよ。
得も言われぬ感じ、ああ、気持ちがいいわ~。
身体がぽかぽかしてきて足先まで温かくなったよ。
と喜んでくれました。
でも、あなたは疲れるでしょう。とも・・。

トレガーアプローチは、してもらう方も、させてもらう方も
気持ちが良くて癒されるのよ。と言うと、
感嘆とともに、それなら毎晩お願いしようかしら、と。

家族で、お互いにできると最高だなと思います。



トレガーアプローチという不思議なボディーワークについて。
   

トレガーアプローチは、心と身体にそっと語りかける優しいボディワークで、

筋肉のひとつひとつに 「軽い感じ」 「柔らかい感じ」 「自由な感じ」を体験させることにより、

自分の中の「より楽な感覚」を思い出していきます。

 

【どんな風になるの?】


身体の芯から緩んで、深くリラックスすることができます。

身体はもちろん、心までリラックスすることができます。

姿勢や歩き方が、より楽に自然になり、

例えば、肩が下がる、胸が開くなど。

全身がひとつにつながった感覚を、得ることができます。

 

【どんなイメージ?】


赤ちゃんのときの身体のやわらかな感じを思い出していく。

水の上で、ぷかぷかと浮いているような感じ。

ゆりかごで、ゆらゆらと揺られているような感じ。

全身が「ぷるん、ぷるん」という、プリンやゼリーになったような感覚、

ゆっくり、やさしく、まるで自分の身体と会話しているような安心感。

 

【どんな風にするの?】


痛みや不快感のない範囲で、受け手のリズムや可動範囲の中で動かす。

揺れの振動は、外から手が届かない部分(おなかの中とか)まで、ほぐしてくれます。 

( トレガーアプローチのHPより。)




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山桜のはちみつ

2018年04月23日 | 光あふれる日々のこと。

奈良の吉岡養蜂園さんから蜂蜜がとどきました。
いつもいただいているのは「山桜」のはちみつです。
大切に味わい、いのちを潤します。
心もほのぼのとしあわせになります。

清らかな花の精さん、ミツバチさん 
とどけてくださる方、
ありがとうございます。

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母なる山桜さまへ 2018年 お花見③

2018年04月08日 | 咲き咲きて

今年も近所の蓮休寺さんの山桜が満開になりました。
毎年見上げるたびに特別な気持ちになります。
やわらかに宇宙へと心広がり、たおやかな光にあふれてきます。

小高いところから山桜を近くに感じ、そして
そっとその足元に入らせていただきました。

清らかなお花 しなやかな若葉
透明感あふれる鈴の音がきこえてきそう。

今年も出逢えたことがうれしいです。

静かに静かに はずむこころ 

この日 ひとりでお花見をしていますと雨がふってきました。
傘を持たず出かけたわたしは 樹の下で雨宿りをさせていただきました。
すっぽりと山桜に包まれて安らかでいい気持ち。

樹の足元にはフキが群生しており
豊かな光景です。

美しい花を咲かせ続ける山桜・・
豊かな大地のよろこびが 
空一面に広がっているようです。 

この清らかさをいただき
これからの一年を 人として美しく在れるよう
そして来春には 今よりも成長し 
喜びの光とともに出逢えますように。
 母なる山桜さまへ。 

2018年 春

 

 

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酒津~足守 2018年 お花見 ②

2018年04月06日 | 咲き咲きて

 

ここは酒津公園の土手、
家族三世代、お花大好きメンバーでお花見に来ました。
満開の花びらがはらはらと舞う美しいひとときです。

水辺のカフェも大人気。
この季節、最高の眺めですものね・・。

春爛漫 光あふれる四月
春を感じられることがうれしいです。

水の流れも清々しく心洗われるようです。

足元の花びらを手ですくってふわふわっ。

大きな古木は存在感がありますね。

80代の母と娘たち・・、
木洩れ日がまぶしい桜並木を散策です。

そしてそして、「足守の土手もきれいよ。」とのおばあちゃんの一言で、
「行ってみよう」とクルマを走らせました。

足守へと向かう土手では、さらにのどかなお花見ができました。

時おりすばらしい花吹雪が舞い降り、
みんな大喜び。

花びらの絨毯 
裸足になって舞い降りるお花を楽しむ・・。
いのち喜ぶのびやかな春です。

大地に寝ころび空を透かして見上げる桜もほんとうにきれい。
母も娘たちもとても気に入ったようです。

新緑の頃に また来たいなと思います。

桜花 ありがとう。 

 

 

 

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桜いろに心染まる春 2018年 お花見 ①  

2018年04月02日 | 咲き咲きて

 やさしい桜色の春ですね。
今年も美しい季節がおとずれました。 
野山を街を あなたの心を染めて
花びら舞い 奏でるさくら さくら・・。

この春は旅先の奈良で最初のお花見です。 
大和盆地が一望できる小高い丘の上、
高い高い桜の木の下で
光と風と舞う花びらに身をあずけて
心ゆくまで味わいました。

鳥のさえずりものどかです。
果てのない宇宙の小さな地球という星で
美しくつつましく生きる人々の願いが空に映っているよう。 

木々花々の姿から
生きる喜びをたくさんいただく春。
今年もお米作りがはじまり もうすぐ籾まき。
畑の麦もすくすく育っています。

 ライア(竪琴)も春の音色を奏でてくれるでしょう。

 私も新鮮な空気を身体中に巡らせ
喜びの今を生きています。 

 

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川口由一さん インタビュー 取り込み過ぎず「足るを知る」境地で生きる 

2018年03月08日 | 自然農 川口由一の世界


 取り込み過ぎず「足るを知る」境地で生きる 
川口由一さん インタビュー 2018.1 
 

八木 現代人の取り込み過ぎについて、具体的には何がどのように過ぎて問題を招いているのかお話しいただけますでしょうか。 

 

川口 現代人においては取り込み過ぎる人があり、取り込み過ぎる国があり、不足している人、不足している国があり、人類の歴史において最も顕著になっていると思えます。食において、あるいは衣と住に、そして生活全体において、あるいは国の建設、国の維持、保持、防衛、社会の建設において、゛過不足なし゛の在り方を実現しているのはごく少しではないでしょうか。

 

 ところで生まれてきた者は、生きている間は生きねばなりませんが、まず生きるに大切なのは食ですね。不足しているところ、飢え死にしているところ、反対に過ぎて身体を損ね病みいのちを短くし、大切な食べ物を無駄に捨て去っているという現実があります。なんとも言えない不幸です。食べ物において取り込み過ぎると胃腸に負担がかかり順調に消化ができず、血肉にならず内臓内腑に負担をかけ大切な身体そのものを弱らせていくことになります。その結果、与えられているいのちを全うできなくなり短命となります。もちろん心と身体、霊魂と肉体は別であって、同時に別けることのできない一つのものですから、心も霊魂も精神をも損ね病しめ衰退、退廃させてしまいます。人生全体におけるすべてにおいて取り込み過ぎると大変になってしまいます。もちろん不足であることもしかりです。この過ぎることも不足することも起こり得ぬ生き方、在り方のできる人間に育たねばなりません。

 

 今日の多くの取り込み過ぎは、基本である生かされていることにおいて足りていることを知らないゆえに取り込み過ぎに陥っています。足りていることを知っていないからです。足りているのに足りていることに気づかず知らず悟らず、さらに取り込んでいます。足りていることを知ることのできない者はいくら取り込んでも心は満ち足りないゆえに、さらに取り込み続けることに陥っていきます。その結果、自らにも周囲にもいろんな問題を次々と多く深く強く招きゆくことになります。

 

八木 全てにおいて過不足なしの在り方ができれば心身ともに健やかでしょうね。具体的に、例えば食においても他と比べることなく自分にふさわしいものを適量いただけば足りるわけですね。

 

川口 そうですね。いのちは皆別々であり、一人の人間にとっても固定することなく変化し異なりますので、過不足なき適量は数字では決められないし示せませんね。真由美さんの場合は僕からみればもう少し食べれたらいいのになぁ、って思うくらいに自制し選択もしておられますよね。あれもこれもとなったら良くないことがわかっておられ自分に合った食べ物、合った量、合った食べ方、そして合った生き方ができておられますよね。みんな人間の分を、地球における人類の分を、そして自分の分を自国の分を知ることが本当に大事ですね。

 

八木 自然農の田畑における農作業も、自分にあった広さ・作業の量を意識し取り組むようにしています。義務感や使命感ではなく私のいのちが真に喜ぶことをあらわしている時は、今にいる感覚とともに内容も充実しているように感じます。その中で少しずつ成長してゆけたらいいなと思っています。

 

川口 そうですね。面積においても、日々の作業量においても、作業の行ない方においても、過ぎたら最も大切な身体を損ねますし、適期に的確に適量の作業をやり通せなくもなりますものね。若い時は過ぎるくらいになりますが、元気、体力、気力が強くありますから・・・。でもそういう若さゆえのところも経験を通して歴史を重ねて自分の分に応じて生きれるように成長していきますよね。

 

八木 はい、経験を通して感じあらわしてゆけたらと思います。ところで学ぶことについても取り込み過ぎがあると思うのですが・・。

 

川口 そうですね、学んだことも読書したことも、学びへの一日の予定も一年の予定も、人生の予定も、食べたものと同じで過ぎると消化できないで負担になり心を損ね霊魂にまで負担が及び病しめ大切な身体にも同時に及び胃腸を損ね不健康になりますね。不足すると成長できません。学びは大切であって、気付き、目覚め、成長、悟り、成熟は、一人一人が幸福に、人類が平和に心豊かに生きるに欠かせません。足るを知り、過不足なく生きるにも欠かせない学びです。本当に本当のことがわかるのは是非に必要です。本当のこと、真実、真理が解ってゆくのは楽しいしですから、生きる意欲になり、喜びになり成長になります。枝葉にとらわれて無差別に無秩序にあれもこれもとなると負担になり消化できないでマイナスになりますので、心の内での整理が必要です。例えば最も身近な一日の生活のことで、朝早くから田んぼに行って仕事をする、仕事をする、食べる時間も惜しんで仕事をする、夕食後も夜も仕事をする、それで疲れきって寝ざるを得なくなる。寝てからも「あれもしたらよかった、これもしたらよかった。」と思い悩むのはさらなる心身の疲労になります。なんと言っても心も身体も休まないといけないですね。ゆとりが大事、寝る時は寝ないといけない、一日の生活だってより成果を求め過ぎたらだめ、取り込み過ぎたらだめですね。人生においてもしかりです。年齢に応じた学びもしかりであって、ゆとりを持って確実に積み重ねて成長してゆかねばなりません。

 

  生きている間は、人としての成長、人間性の成長、人生の完熟、完成、完結に向けて、宇宙のこと、自然界生命界のこと、いのちのこと、人類のこと、人間のこと、自分のことを、学ぶ、知る、観つめる、静観する、止観する、悟観する、観極め尽すことは是非にやり続けて極めたいですね。挫折せず、屈折せず、投げ出さず、逃避せず、心身を壊すことなく、心を身体を魂を正しく開発して大いに働かせて極め続ける、年齢と共にいつまでも極め続け学び続けることは本当に必要であり大切なことですね。真実が見え、真理が観えて、悟り知ってゆけることはなんとも楽しくうれしくて魂から感動し身震いします。大いなる宇宙のことも微小のいのちのこともね。宇宙本体も、心も霊魂魂魄、いずれも姿形なきものですが、そして人間の内もわが心の内も人間のいのちも姿形なきものですが観極め悟り知っていきたいですね。また、宇宙生命界の現象世界における姿形あるものは、広大無辺の宇宙ですので見尽くすことはできませんが、宇宙現象界の部分を見つめ知り察知することによって宇宙本体の実相実体は観えてきますので、この作業は心弾みゆくものです。

 

八木 はい、人に生まれて学び続けられることは本当に心が弾むことです。ものごとの本質に深くふれ魂から喜びあふれる人になりたいです。ところで、これは必ずやりとげたいと思うようなことにも取り込み過ぎはあらわれるのでしょうか。

 

川口 やりとげたいことが、本当に必要なことなのかの察知判別をした上で、本当に必要なことは是非にやりとげないといけないですね。その場合はやりとげ方が重要になりますね。必ずやり遂げることのできるやり方ができないといけません。それに関わる基となることですが、゛過不足なく、足るを知る゛ことが必要になります。生きられるのは他力100%、そして同時に自力100%です。自分で生きないといけないゆえの自力においてすでに過不足なく足りていることを悟り知ることが必要です。同時に他力である生かされていることにおいても過不足なく足りていることの事実を知らねばなりません。足りていることを知らず見失っているゆえに生きることに執着が入ってしまうのですね。過不足なく足りていることを知らず悟らずのゆえに欲が頭をもたげて、過ちに落ち大変な問題を招いて取り返しのつかない不幸になってゆくのですね。それゆえに現代の多くは取り込み過ぎに陥り心と身体に問題を招き、地球に問題を招き、生かされ生きる舞台である大切な環境に問題を招き、生きるに必要な基本のものに不足をきたし実際に足りなくしていっています。生きるには人間の精神も心も魂も大切ですが物質も大切です。その物質を取り込み過ぎ、使い過ぎて無くしてゆく在り方をしています。そして奪い合い取り込み合いの争いに落ち不幸に陥っています。我が身に我が国にわが民族に我が会社に我が教団に我が集団に・・・。足るを知らないゆえの奪い合いによる取り込み過ぎは、やがて本当に足りなくしてしまいます。生きるに必要なものが無くなるのです。多くの日本人も、世界の人々も、世界の国々の政治の在り方もあらゆる分野でそうした誤った流れが顕著になっています。例えば今日の経済中心、お金中心、物質中心で消費を是とする生き方あり方を続けてゆきたい為に必要とするエネルギーの確保で、太陽の光や熱、地熱、風力、潮力、水素等々の利用は、無智ゆえの物欲心、邪心、悪心で取り込んではいけないものを取り込み、消費し消し去り無くしていくことを盲目的にやっているのですね。人類やすべての生物が生きるに絶対に必要不可欠な舞台を破壊し無くしていく、この過ちに気づかずにやり進めています。足るを知り、分かち合ってさわやかで心よき安らかな本当にいのちが楽しく幸せになる持続可能の生き方、在り方を悟り知って、生き方を変えないと人類滅亡への加速となりますね。

 

八木 それでは、「足るを知る」知り方について教えてください。

 

川口 足るを知るには自分の内なる心や思いや人生観を確認して正すと同時に、生かされている宇宙を知り地球環境もしっかりと正しく見た上で足るを知っていくことが基本となります。取り込み過ぎたら自らのいのちや心も損ねるし、近辺の環境を損ねるし、地球環境そのものを損ねます。ですから事実を知ることは本当に大事なことです。生きる舞台である自然環境、そして生きねばならない私たち人という生物、いずれも生きるに必要なものを過不足なく与えられているのです。この事実に気づくことと、欲心を起こさないように人として正しく立派に育って、悟りの日々、さわやかな喜びの日々、生きていることが楽しいありがたい日々になるように成長できるといいのですね。気づき悟り知り正しく生きることのできる人間性の成長が欠かせません。事実は足りているということですが、これに気付くことのできる人間としての目覚めと、欲心邪心を現わさぬ人間性の成長が是非に必要です。一生を全うするに、人類が幸福に平和に生きるのに基本となることであり、ここに人類が真に救われる道があります。 


  新人類の誕生数十万年前、猿人の誕生数百年前ですが、誕生した人類生きている間は生きなければならず、今日まで生きてきたわけですが、それは生きる舞台も、生きなければならない人間の身体も身体に宿るいのちも知力も能力も生きるに必要なものはすべて過不足なく与えられて足りていたゆえです。生きるに必要なものはこの地球生命圏にすべてあったのです。また、生きるに必要な身体も智恵と能力も過不足なく与えられていたゆえです。現代もなお過不足なくあるのです。左右2本の脚、2本の手、それぞれ10本の指、頭部には髪の毛、その中には生きるに必要な働きをする器管が備わっており、顔部には目、鼻、耳、口、歯、舌、が備わっており、もちろん働きを成すものとして過不足なしです。それらを守るべく、皮膚、肉、骨もあり、働くに必要な体液、血液あり、親から子へと巡り続くに必要な精子卵子有り、精子卵子の働く能力も与えられており、100年前後の時空間を生きることのできるいのちを宿しており、このいのちを維持する食べて消化吸収し排泄する器管も内臓内腑も宿し、夫々が働きを成す生命力を宿しております。いずれも過不足なく自ずから与えられて誕生してきているのです。幸福に生きるに必要な感情、感覚、智力、意志力、察知力、触覚、臭覚、思考力、思索力、哲学力、直感力、持続力、成長力、生命力・・・、必要なものすべて過不足なく与えられています。このことに気づけば、存在そのもの、生きていることがそのままで平安、安心立命に至れるものです。生きていることが不安で心配で、物欲、金銭欲、支配欲、権勢欲、我欲・・等に心を奪われ、聖なる魂を悪に支配されることなく、人本来の正しい平和な心豊かな心楽しい心清明なる人として生かされており、生かしてくれる宇宙自然界生命界であります。そして生まれきた若いいのちが日々に心身共に成長することのできる人という生物なのです。成長せねばなりません。成長に必要なものを与えられています。幸福に生きるに必要なものを与えられています。このことに気づき育ち悟れば自力による生き方において足るを知らず取り込み過ぎ、欲心、邪心、悪心に陥り不幸な人生、不幸な混沌混乱の人間社会とはなりません。足るを知る生き方の基本となるところです。自然界生命界における他力100%自力100%の私たちであり存在するすべてでありますが、過不足なきなのです。 


  それから同時に非常に大切なことがあります。大切な物質面ですが、もう一方の心の面、精神、魂の面においてです。こちらも解決しないと真の幸福には一人一人至れず、真の幸福は人類に訪れません。それは他人の心を取り込み過ぎる、他人の魂を取り込み過ぎるということです。人と人の心からの出逢いは真の生かし合いに欠かせない必要なことですが、他人の心を取り込み魂を奪うという行為行動を起こしてはいけません。こうした過ちを起こす性のある私たち人間でもあるのですね。こうしたことが起こるのは一方で生きることから逃避して他者に依存するゆえに生じることでもありますが、未熟で未だ自立するべく育ち切れていない者を引き込むのは、支配欲であり悪魔的であり、病的でもある我欲であり、人としての真の幸福からはずれた生き方になります。わかりやすい例で話しをします。インドのお釈迦さんの生きられた姿からこのことを考えてみます。

 

  一国の王子として誕生したお釈迦さんですが、階級制度のはっきりした国でもあって王様や王子様に仕える人が多くおられて、仕え尽くしてもらう日々の生活ですが、心の底から尊敬し、敬い、尽くしてくれているのではない事に気づいたお釈迦さんは淋しさを感じむなしさを覚えるようになられ、ある時゛心の王になる゛と、王子の地位を捨て、両親も捨て、まず自ずからの心の修行、心の旅に出られ、あちこちの智恵者、賢者を訪ねて学び修業を重ねられ、ついに゛育った、わかった、悟った ゛ と自覚されます。やがて道を求める人、悩める人、苦しむ人、恐れおののき不安の中に落ちて救われることを求め訪ね来る人に導き示し悟らし救う宗教者としての生き方をされますが、真の宗教者としての生き方からはずれてゆかれます。慕う人、信奉する人、訪ね来る人、求め来る人、依存する人が増えていきます。これらの人たちの心を救い、目覚めさせ、自立させるべく送り出すのが宗教者としての真の在り方ですが、それらの人を引き寄せてゆかれます。悩む人、苦しむ人、道を求める人に答えを示し、しっかりと自立して生きるように正しい道を示し導き、送り出すことはされずに心を引き寄せ魂を取り込みゆかれるのです。゛心の王゛を実現してゆかれるのです。゛魂゛を゛心゛を奪い我がものとした誤れる心の王として生きられるのです。やがてはその生き方のなか途上で亡くなられます。決して真に魂の根底から救われることなく、多くの人をも救うことなく不幸の道連れにしていかれたのです。両親をも悲しませ、道連れの人たちにも家族があってそれらの人たちをも悲しませたと思えます。今日の世界三大宗教の一つである仏教の教祖として崇められ、その後においても多くの人たちに、そして日本においても慕われ恋焦がれられていますが、お釈迦さん自らも多くの信者さんも真の悟り、真の自立、真の人生の全うとして生きられなかったことになったと思えます。三大宗教においても、いずれの宗教団体においても相似たことになり、相似た不幸が生じてしまうのですね。人との真の出逢いは大切であり、生かし合い助け合いが欠かせぬ大切なことですが、足るを知らない心の取り込み過ぎ、魂の取り込み過ぎに陥ってはいけません。迷いであり人に非ざる大きな間違いであり罪深い不幸な生き方であり、宗教の基本となる本質からはずれたあり方です。

 

八木 足るを知らず本当に足りなくなるということが起きているなかで、魂や心まで取り込み過ぎになっているのですね。人との関係において自分を見つめそれを通して真の自立へと成長してゆけたらと願います。ところで、先ほどお話しくださいましたお釈迦様が人々を真の幸福・真の自立に導くことができなかったのは、大いなる宇宙の本質を理解されておられなかったことが根本にあるのでしょうか。

 

川口 そうですね、人に生まれてきての絶対なる運命がありますね。生まれる、育つ、やがて老いる、病む、死ぬ、この運命に対してのことや、人間の内なる心の曇りや未熟ゆえの愚かさから生じる不幸や悩みや不安や苦しみに対しての救われ方等を示しゆかれたと思いますが、この人間の存在している宇宙、自然界生命界のことは観極めることはされず、宇宙の実相実体を明らかとできず、この宇宙における人間の位置づけや関係や生き方を問い明らかとして真の救われ方と真に救われた生き方を悟り実践するところには至られなかったのではないでしょうか。また、自分の内なる心の根底における自己執着心には気づくことができなかったのでしょうね。心の曇りで魂に明かりがささないゆえに誤りが見えなかったのでしょうね。宇宙本体を知る、実相実体を観ることはできず、絶対宇宙における相対界の位置づけや、相対界に存在する私たち人類の位置づけと生き方・悟り方を正確に極めることはできなかったのではと思えます。般若心経で悟り方を説き示しておられますが正しくはありません。絶対宇宙における相対する現象世界に存在している私たち人間の位置づけが正確にできていないからです。般若心経においてもその不確かさが表れています。お釈迦様直接の言葉ではありませんが、多くの弟子と共に真に悟り救われなかったと思えます。

 

八木 人としてほんとうの喜びに至るには、宇宙自然界生命界のことがわかり人間性の成長や境地の体得が必要ということですね。それを自覚して学び養うことができる今をありがたく思います。そして生かされ生きるこの世界で、あらためて内に外に「足りている」ことをいのちから感じる時、さらなる学びへの意欲が湧いてきます。

 

川口 本当にそのようにあることが大事ですね。尊くて貴重でかけがえのない身体を有しいのちを宿した生の期間です。確かなる存在です。幸福に生きることのできる人間です。真由美さんもそのことを知っておられるし実行でき求め来る人を導き、それぞれの人たちを自然農や宇宙自然界生命界における生き方等の学びの場で真の自立へと送り出しておられますね。そこから生じてくる喜びも体験しておられるし、それが明日への糧にもなることを実感しておられますよね。日々の生活のなかで学び、宇宙のこと、いのちのこと、本当のことがわかり、次の時代を生きる若者を正しく導き、若者が本当に幸福へと生きてゆく姿を見ることのできる喜びは、深く静かに湧きいずるものであって明日への糧になりますね。年を重ね老いてなお常に学んでいることが明日への意欲になる、喜びになる、その喜びが明日への糧になる、そして成長になりますので、正しく生きることを、立派に育つことを死ぬまでやり続けなくてはいけませんね。本当に道を得て生きていることは楽しくて、心平安で、心豊かで、生きていることの意義も意味も理解できて納得の中で死ぬまで生きることができますね。

 

八木 はい。宇宙は生きるに必要なものをすべて過不足なく与えてくれており、私たちは、いのちの道、人の道、私の道を安心のなかで生きればいいのですね。取り込み過ぎず「足るを知る」ことについて、とても明確になりました。ありがとうございました。


 

お話し 自然農実践家指導者 川口由一さん

インタビュー 編集 八木真由美

写真 TOMOKA.K

 

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自然農稲作教室 2018年2月 畝と溝の整え

2018年03月05日 | 自然農 岡山 

 

  岡山県南部 倉敷にて自然農稲作教室を開いています。
川口由一さんか提唱される自然農は、
耕さず、自然・作物の性質に沿い応じ従い任せます。
人も健やかに いのちはずませて田畑に立つことができます。 


先月同様、溝の整えと畝の高低差をなくす作業をいたしました。
一月に比べると気温も上がり、身体を使うとうっすら汗ばむことも。


 昨年苗床だった場所に溝の土を運び、平にしています。↑



くずれ気味だった溝をすっきり掘り直しました。
田植え以降、溝は水路になり、水管理において大切な役目があります。

 
籾摺り後(私のお米)の籾殻を畝に還していただいています。 ↑

田んぼの一角に作った小さな麦の畝の周りに腰を下ろして、
お米の裏作「麦」について少しお話しをいたしました。
今年は寒さが厳しかったのでゆっくりゆっくりの成長です。

冬の自然農田は昨年の稲わらが一面に敷かれ
これまでの亡骸の層に重なりふかふかです。
お天気の良い日にはお日様浴 お空浴 地球浴ができますよ。
と、みなさんにお勧めいたしまして、藁の上に寝転がりました。♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後からの言葉をとおしての学びでは、
季節と共に生きること、春のいのち、大いなる宇宙、
お米づくりの一年間、苗床の準備について勉強いたしました。
また今月はご自分の畝を決めていただきましたので、
みなさんワクワクされています。

次回三月は苗床の準備をいたします。
いよいよ春の訪れですね。

八木真由美

自然農稲作教室 五期

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

麦の様子です。
下の写真は田んぼの大麦です。(3/3)


お米も素晴らしいですが、
麦も種類によって粉・麦茶・ビール・押し麦・・
多くの楽しみがありますね。

こちらは畑のライ麦です。↑ (3/6)

 

 

 

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古代神聖幾何学への思いとヒンメリ

2018年02月17日 | ヒンメリ フィンランドの工芸装飾

フィンランドの工芸装飾 ヒンメリ作りに夢中です。
昨年自然農で栽培した麦を使い、まずは基本の正八面体、
大小いろいろと組み合わせてみました。

そして星型の六芒星も作ってみました。
娘のまりなもとても気に入りワクワク作成中。

下から眺めてもきれいですね。

大麦のバイオレットは茎もほんのり紫色、
小麦の黄金色と美しいハーモニーを奏でています。

風にゆれるヒンメリもきれいです。
まだ寒いけれど思いきってドアを開け放してみました。
もうすぐ春ですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ところで、
「フラワーオブライフ古代神聖幾何学」に関心を抱いたのは、
自然農に出会って間もない頃。

難しいのだけれど惹かれてやまない何かがあり、
勉強したいと思い続けていたらヒンメリに出会った。

古代神聖幾何学は光の言語ともいわれているそうですから、
夢中になるはずです。

ヒンメリづくりとともに、
古代神聖幾何学の世界に通じる扉を
もう少し開けてみたくなっています。

2018.2.17  八木

 

 

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あまつちひと自然農のつどい・岡山 2018年日程 

2018年02月08日 | あまつちひと自然農のつどい

 あまつち ひと自然農のつどい  岡山 2018年

 自然農は耕さず 虫や草を敵とせず 持ち込まず持ち出さず 自然のいとなみに沿った農です。  

                           
 今年、自然農あまつちひとのつどいは9年目を迎えます。田んぼの学びは大北農園での作業を見学していただく在り方に、畑は今までと同様に大北農園の一畝ほどを使って見学と作業体験をしていただきます。

 

◎ 集合場所 大北農園  吉備中央町下土井701

◎ 日程 10時スタート 15時終了

◎ 昼食と言葉を通しての学び
   長田ふれあいセンター  吉備中央町富永1403-1

◎ 雨天決行です。 (室内での学びに変更になることもあります。)

◎ 参加費  500円  

◎ 持ち物   弁当 飲み物 雨具 帽子 軍手 長ぐつ  
   昼食は各自でご準備をお願いします。(近辺のお店まで車で10分ほどかかります。)

◎ 交通   お車でお越しの方はスタッフの誘導にて畑下の道路に順にとめていただくようになります。
      公共の交通機関をご利用の方は最寄りの駅が遠いため乗り合わせ等を考えますのでお申し出ください。                         

      地図←こちらをクリックしてください。                                 

                            

                        

 ◎あまつちひと暮楽部のお知らせ

今年度もあまつちひとのつどい終了後の時間を利用し、これまで参加者の方からも声があがっておりました手仕事・加工品づくり・ワークショップ等の活動をしていきたいと思います。こちらは自由参加ですが準備等もあるため、つどいとは別に参加申し込みをお願いします。15時以降~です。参加費および3月からの内容に関しましてはお問い合わせくださいませ。     

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                    
お問い合わせ お申込み先       

大北麻美子 Tel/Fax 0867-35-1125   
 当日連絡先・携帯 090-8246-6768 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      

◎あまつちひと自然農のつどい 2018年の日程と内容 10時~15時 

3/24(土)
午前 大北農園 畑・ジャガイモの植え付け 春野菜の種おろし    
午後 長田ふれあいセンター 質疑応答・言葉を通しての学び         

4/21土)
午前 大北農園 水稲の種降し・夏野菜の種おろし          
午後 長田ふれあいセンター 質疑応答・言葉を通しての学び

5/19(土)
午前 大北農園 水稲の苗床の手入れ・夏野菜の種おろし   
午後 長田ふれあいセンター 質疑応答・言葉を通しての学び 

6/16(土)
午前 大北農園 田植、草の管理・畑の草の管理等                     
午後 長田ふれあいセンター 質疑応答・言葉を通しての学び                            

7/14(土) 
午前 大北農園 草の管理等・小豆種降し           
午後 長田ふれあいセンター 質疑応答・言葉を通しての学び

8/4(土)
午前 大北農園 草の管理・人参の種降し     
午後 未定 ・・田畑の見学になるかもしれません。

9/1(土)
午前 大北農園 秋冬野菜の種降し            
午後 未定 ・・田畑の見学になるかもしれません。
      

10/27(土)
午前 大北農園  稲刈り・冬春野菜の種降し     
午後 長田ふれあいセンター 質疑応答・言葉を通しての学び
                        

11/17(土)
午前 大北農園  脱穀、唐箕作業・
たまねぎの植え付け等    
午後 長田ふれあいセンター 質疑応答・言葉を通しての学び   

12/8(土)
午前・午後 
長田ふれあいセンター 収穫感謝祭

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      

あまつちひと『自然農のつどい』お世話役 
大北一哉・麻美子(吉備中央町)
中村瞳(瀬戸内市)
八木真由美(倉敷市)                                   
いつからでも学び始めることができますので、関心をお持ちの方はどうぞ気楽にお尋ねください。                                               

                       

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
川口由一さんを師として自然農の世界に出会い、いのちの理を学ばせていただいてきました。本来の美しさ、豊かさ、すこやかさに目覚め、この星のめぐみを受け抱くことのできる人に育ちたいと願っています。 


あまつちひと自然農のつどい
吉備中央町・大北農園
                             
自然農たのしい稲作教室 活動記録岡山県倉敷市 八木真由美

自然農・川口由一の世界
 田畑訪問記・ご講話・絵画                                     
 
 
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2018年 2/11(日) 13:00~15:00 ヒンメリ作りワークショップのご案内です。

2018年02月03日 | ヒンメリ フィンランドの工芸装飾

麦藁で『ヒンメリ』を手作りするワークショップのご案内です。

◎2/11(日) 13:00~15:00

◎ご指導 藤本まゆみさん

◎会場 八木 自宅

◎参加費 2000円 当日受付にて。 
(材料費・藤本さん手づくりのおやつ・小さな六芒星一つプレゼントを含みます。)

       

今回は大小の正八面体の組み合わせを教えていただく予定です。

藤本さんは私の友人で、自然農歴8年。麦藁でヒンメリ体験、日本蜜蜂の蜜蝋でロウソクやクリーム作り、

ハーブや野草でハーブウォーター作りなどされておられます。

麦藁で作る美しいモビールは、日本家屋にもよく似合います。

 

◎参加ご希望の方は、2/6(火)までに、こちらから
メッセージを添えてお申し込みをお願いいたします。

八木真由美 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2/11(日) ヒンメリワークショップ 後日談♪

正八面体を大中小合わせて七個作り、モビールにいたしました。
繋ぎ方は自由にどうぞ、ということで創作意欲さらにアップの皆さんです。
テーブル中央の素敵な枝&ヒンメリはご指導くださった藤本さんの作品です。

みなさん、初めてのヒンメリを夢中で作られました。
素材の美しさと幾何学模様に癒されますね。

今年も自然農の田畑で麦を育てていますし、
ヒンメリワークショップは続きますよ~。

真由美

 

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2018年 自然農稲作教室五期 始まりました。

2018年01月29日 | 自然農 岡山 

温暖な岡山南部も今年の一月はとても寒いです。
気温も氷点下になることが多く
1/22にはうっすらと雪が積もりました。

歩いてすぐの自然農田に雪景色を眺めに・・。
田んぼの一角に蒔いた大麦はとても元気。↓
ぶるるる、おお寒い、と私は長時間居られませんが・・。

冬草たちの可愛らしい芽が畝をうっすらと緑色に。
いのちにはそれぞれに性質があり、
麦や冬草たちはこの厳しい寒さが合っているのですね。

冬景色は清らかでとても美しく
四季の恵みを感じるひと時にもなりました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、今年も楽しみにしている自然農稲作教室ですが、
2018年  五期は1/28(日)にスタートいたしました。
お天気に恵まれますようにとの思いのなか、
気温は最高3℃~最低-3℃、かなり寒い一日となりました。

午前中は和室にて、みなさんに自己紹介をしていただき、
自然農の基本のお話し、稲の一生について勉強いたしました。

午後からも気温は低めでしたが風がなく、午前中に舞っていた雪もやみ、
田んぼの整えとして「畝作り」をいたしました。

自然農の田んぼでは、冬の時期に畝の整えをいたします。
溝を掘ることで平畝ができあがります。
この溝の役割ですか、畝の通気をよくすること、
また田植え以降の水の調節に欠かせません。
さらにお米の裏作に麦を栽培する場合の湿気対策にもなります。

 

また、昨年の苗床跡がやや低くなっていますので、
溝を掘った土をその部分に運びます。
藁や枯れた夏草を除けて土を運び平らになるよう砕き、
ふたたび藁や枯れ草を被せておきます。

溝を整えるのと同時に、畝の高低差をなくしています。

自然農のお米づくりに取り組む時、
畝作り=溝堀は、一番最初に行う田んぼ全体を視野に入れての大切な作業です。
溝を田んぼの周囲にめぐらし田んぼの形に合わせながら、
基本的に南北に約4m幅で畝を作ります。

ちょうど実習の時間帯に寒風が吹かず、ほっとしました。
気温はとっても低かったのですが、
スコップを使っての作業で身体はぽかぽか。
一月、この季節にしか体験できないことを味わっていただきました。

◎実習風景のお写真は参加者の渡邉さんが写して下さいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自然農は
耕さず 自然の営みに沿って 手作業で
健やかなる恵みをいただくことのできる農です。


すべてのいのちとともに生き 
添い 応じ 従い 任せる 
そのような生き方を学ぶ機会でもあります。

宇宙自然界を舞台に 
人生の全うにつながることとして
自然農に携われることを
本当にありがたく喜びに感じています。

八木真由美 岡山

2018.1.29

 

 

 

 

 

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川口由一さん 自然農田畑 2018年1月 

2018年01月18日 | 自然農 川口由一の世界

新しい年のはじまりに 三輪山のふもと奈良県桜井市の
 自然農実践家指導者 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
うっすらと雪を纏う大和の山々、清らかな冬の景色です。

昨年末、お米の収穫を終えられ、稲わらが還された田んぼ。
自然農40年、耕さず、いのちの重なりが続いています。
写真手前の畝には麦が植えられ、↑
近づくと稲わらの下から麦の姿が見られます。↓

夏には緑あふれ 躍動していたいのちたちも
静まり返る冬。
やがて訪れる春の日まで
無数の種や宿根たちが眠っている大地。
ふっくらとした畝は、こんなに寒い冬の日にも
やわらかで暖かそうです。

こちらは田んぼ南側の畑です。↓
キャベツが育ち、いちご・玉葱の苗も元気です。


田んぼから歩いて数分、
果樹・花木・野菜などを栽培されている一反一畝の畑です。 ↓
入り口付近には柿の木が二本並んでいます。


雨が小降りになると
雲の合間から光が射してきました。
清々しい一年の始まりに
美しい畑に入らせていただきうれしいです。

川口さんの畑には様々な種類の水仙があります。
白や黄色の濃淡 春の香りを漂わせ咲きにおうのでしょう。
もうすぐ もうすぐ。

こちらはレモングラス、↑ ↓
素敵な寒さ除けをしてもらっていますね。
支柱を三本立て周囲をライ麦のわらで囲み、
風に飛ばないように麻ひもで留めておられました。

麦藁はしっかりしてますね。

こちらはエンドウの畝です。
三列、種を蒔かれ 
稲わらで支柱と鳥よけをされています。↓

稲わら 麦わら 稲の縄 木々
自然界にあるもので、田畑で栽培したものの一部で、
手作りする美しい支柱や寒さ除け・・、
自然に沿っていのちを育てる自然農において
楽しみ&喜びの作業ですね。


川口さんの畑では近年、
お野菜の芽が鳥についばまれることがよくあるそうです。
その場合には種の蒔き直しをされることも・・。

藁に守られて冬を越すエンドウ。↓

こちらはそら豆です。↓
元気そうですね。
畑の草草や木々の落ち葉がたっぷりの畝で。

「枝を立てておられるそちらの畝には何が育っているのですか?」
とお尋ねいたしましたら ↓
「ここにはラッパ水仙があるのです。これから育ってくるのですが、
間違えて刈ってしまわないように目印にしています。」
と、水仙が咲く頃を待ち望まれる川口さん。

全ての畝にふんわりと枯れ草や木々の葉、
所々に古木の幹が置かれている畝も。
ここで生きるすべてのいのちたちが、
他のいのちのを生かす巡りのなかにあります。

こちらも美しい寒さ除けです。↓
ライ麦の藁で作られていました。

風に飛ばないように古木でおさえて。
寒さ除けの内側には春菊が・・。

北風や霜から守られ 陽ざしをあびて。 

つかの間太陽の光が降りそそぎ、気持ちが和みます。

春に蒔いた夏人参の説明をして下さる川口さん。↑
種用に少し残されています。
自家採取して四年目くらいだそうです。


一昨年のキャベツが復活。↑

ほんとうに美しいいのちです。
不耕起 無肥料 草草や虫たちと同じ舞台で
たくましく美しく生きています。
 

大根です。↑ 
滋味深い自然農のお野菜。
姿形にもあらわれていますが、
いただいた時の喜びは格別で
天然自然というものを全身で味わうことができます。

人参の畝に上がられて ↑
ネズミの穴を踏んでおられる川口さん。
「全部は食べられないのですが、結構食べてるんや。」
「何か対策はされているのですか。?」
「こうして穴を踏むことくらいやな。」

 

さて、こちらは畑南西の角、花木です。

ムクゲがすっきりと剪定されていました。
ライラック 蝋梅 紫陽花 木苺 萩 山吹 ザクロ
そして畑の周囲には平戸つつじが並んでいます。 

木々の足元に水仙の葉が光っています。
厳寒期より花を咲かせ春を待つ清らかな生命たち。

苗木を植えて五年目くらいの桜の木です。↓

「これはね、お茶の木に絡んでいますが藤です。」「藤ですか・・。」
↓ 春には色とりどりの楽園になりますね。

そしてさりげなく目をやった先にクコの実を発見。↓
クコは自然農を始められる前から育てておられたものが
今も実をつけているのだそうです。

 

今年は落葉樹の足元にばら蒔きされた大根の生育がゆっくりだそうです。
毎年同じ場所にばら蒔きをすると、それを好む虫たちも増えるとのこと。
また天候気候にも影響され、早目の寒波などで生育が思わしくない場合は、
新たに筋蒔きなどもされるそうです。 

霰が降ってきました。↑
今年一番の寒さでしょうか。
カメラを持つ手がかじかんできましたが、
冬の自然農田畑も趣があり安らぎます。 

一つ所に寄せられた古木の幹や枝は、
畝に巡らせるなどすべて無駄なく使われます。

ふと見ると手前に大きなキノコが・・。
松または桑の幹の下にできた菌核だそうで、
一本の木が死んだ後にきのこが誕生するそうです。
もし松の木でしたら生薬に使われる「茯苓」かもしれません。

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今回も森のような花園のような川口さんの自然農田畑にて、
自然に沿って生きるということを想いました。


時のかさなりは、いのちの歴史であり
  最善の在り方でいのちを育んでくれます。

余計なことをせず 
必要なことだけを的確に見極めて少しだけ。

人もこの自然の巡りの中にいて
人の分にふさわしい恵みをいただけるのです。

それを、本当のしあわせと感じられ、
豊かな人生と感じられる心が育っていれば
自然はいつまでも私たちとともにいて
よろこびを与え続けてくれるのだと。

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今回も五感を通して全身で 
また川口さんから言葉を通して
自然農の世界を感じ学ばせていただくことができました。

道中の雪景色も清らかな新年の氣にあふれ
静かな冬の営みもまた光かがやき
温かな気持ちに包まれました。

岡山から奈良へ
今年もいのちの世界を観つめる旅は続きます。
写真はすべて1月10日撮影です。

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いつもブログをご覧くださいまして
ありがとうございます。
八木真由美

 

 

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自然農 冬の田 大寒の頃に。

2018年01月17日 | 自然農 岡山 

もうすぐ大寒を迎える今日は1月18日。
お正月以降、寒い日が続いていましたが、
少し寒が緩み、岡山南部の気温は14℃~5℃。
蝋梅の蕾もふくらんできました。

自然農田に散策に行きましたら、
脱穀後に返した稲わらの隙間から冬草が元気に育っていました。

畝全体を眺めるとほんのり緑色、
春の兆しが大地から感じられます。

こちらは大麦です。紫色の綺麗な穂をつけます。

種を繫いでゆきたいので、
田んぼの一画に少しだけ栽培しています。
麦茶にしていただくのもいいですね。
(ライ麦他は畑で栽培中です。)

2018年 自然農稲作教室も始まります。
今年も10名の方々とお米作りを学び実践いたします。

耕さず16年目をむかえる実習田にて、
肥料・農薬・除草剤・大きな機械・を持ちこまず 
自然に沿って手作業で 昔ながらの道具を使い
 いのちの営みを感じながら田んぼに立ちます。

今年も豊かな巡りのなかで、
健やかに過ごせますように。

八木真由美

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