Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

貨幣・通貨・お金、中央銀行と、大銀行家&セレブリティ

2007年11月05日 02時29分02秒 | 経済・社会
お金の問題でいろいろ調べてみた。経済の発展は、銀行業の歴史だけれど、各宗教で利子が禁止されていたため、ユダヤ人の悲劇の歴史とも重なる。

ユダヤ陰謀説は大嫌いだ。たまたま他の民族にたいする利子の取得が宗教的に違反でなく、かつ他の職業に就けない立場であった悲劇が、彼らの中の一部の人が悪魔のわなにはまりやすい立場に立たせてしまった。
それがたまたま、知性優れる民族であったために、偏見を生んでしまった。その偏見は恐ろしい結果をもたらした。

世界の富の半分を持つなんて、悲劇的な身分だと思う。それをどうするというのだろう。でも、そこにあるお金は、飢えた狼のように利子、利子を食わせないとおまえを食うぞ、とうなっているのかもしれない。
お金さんが利子で膨らんでいく。ふくらんだ利子にはますます利子を食わせなくてはいけなくなるんだ。

彼らが革命や戦争をしかけたというけれど、昔から政商は日本にもいたし、戦国の世の堺の商人も戦争で大もうけした。
政商は資金力があるけれど、戦争をおこすというのはどうだろうか。ふくらみ、ほえる利子を飼うには、そういうこともおこすものなのだろうか。
.時には戦を望み、策力する輩も居るだろうけれど、何万人と死亡するこの時代の戦争でそんなことを企てれば、彼らの魂は破滅するだろう。

人間が富をいかせる生涯の時間はせいぜい90年ほどで、その後の時間、永遠に近い時間、魂にはいったいなにが待っているのかわからないというのに、永遠に住まうあの世の家を破壊してしまうのならば、あまりにもあわれな生き方だと思う。
(科学はすべてだろうか。科学はまだなにもわかってはいない。)

ずっと生きられて、ずっとお金が使えると思っているのだろうか。死の瞬間は必ず来る。そのときに、もし目の前に神様が通知表を持って怒りにたけってにらみつけておいでになったら、どうするんだろう。神様を信じるというでもない私も、死の瞬間がそこに来るとリアルに想像するたびに、この世の行いをなにをしてもいいと無意味にすごすつもりがなくなってしまう。死の際に展開する魂の出来事は、その心のありかたと関係があるのではないだろうか。

神様を信じないといっても、近代に入って我々が自分自身の存在と社会のシステムを言語によって自由に定義するようにはなったものの、相変わらず動物の一種であることにはかわりがないように、我々の魂のいとなみはきっと神様という存在を求めたり感じたりする生得的な性質から、決して逃げることなどできはしないのだ。

健康に生きている人間は無信心なものかもしれないが、病のとき、そして自らの存在の終わりである死を迎える瞬間、その壮絶な自己の変動の前に、根底からの意味をとわれすべてを無に帰す時間がおとずれる。我々は我々こそが神様の夢であったように、無となる、すべての人が、みな等しく。

どんなに悪党ぶっても、心の奥にすくう罪悪感が、永遠に魂に響いたまま、宇宙で孤独に泣き暮らすのかもしれないというのに、そのような大罪をしなくてはいけない人たちがいるというのだろうか。それは憎しみからだろうか。憎しみからこの世の滅びを願う気持ちはわかる。その感情が魂を破壊する音も聞いたことがある。

トールキンが第一次世界大戦のときに指輪物語で描いた指輪は、いったいなんであったのだろう。権力が人を惑わすのであれば、指輪はいったいなんだろう。

中央銀行(エフアールビー)についても調べたけれど、グリーンスパン氏はそういえばまるで宗教のカリスマのようだった。FRBが国債を担保にアメリカ政府にお金を貸して、その国債を日本が無条件に買う。でも日本はそれを売れない。じゃあアメリカがした借金は日本が払っているんだね、永遠に返してもらえないのに。
 
 我々は間接的にアメリカの借金をはらって、日本国債という帰ってこないかもしれない債権もかって、プライムローンでも日本の金融機関の損失はこうむって・・・・ああ・・・・この世は本当に、お金だらけの、お金のための、世の中なんだなぁ。お金様に仕えて、奴隷のように働くんだな。

セレブなんていう流行も、大衆を拝金主義に誘導するわなだと思う。

 ある日突然、「ドル機軸のお金」が、「我々のお金」と等価交換できれば、利子もなくそれが流通すれば、その動きは止められるのかな。
 時間がなくなっていく。どんどん時間がなくなっていくんだ、人間らしく生きたい。テント1つで、自由に放浪したいな。大地を枕に、星空を布団に、お月様と飲みながら、山の上で夜をあかしたい。

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