Life in Japan blog (旧 サッカー評 by ぷりりん)

日本に暮らす昭和生まれの猫ぷりりんの、そこはかとない時事放談と日記です。政治経済から科学、サッカー、手芸まで

マッチメイクを大切に 日本代表とオシム監督

2006年08月08日 02時28分37秒 | サッカー評論
オシムさんのやり方について、スポーツ紙の記事からしか様子はうかがえないけれど、なんだかまた不思議な議論がおきている。自分で考えてというのがジーコと同じだと。ため息がでてくるような思いで、そんなコメントを読む。

どの球技も、結局はフィールドの上の本番では自由に自分で考える。
ただ、日本のチームはそれが苦手で、ただ漫然とプレーしてしまう傾向がある。
中田選手が緩急がないと言っていたのも、ゲームの流れを考えて、プレーに意図を持たせていないから一本調子となりがちになる、ということの要約であると考えている。

ジーコでもオシムでも、どんな監督でも、本番では自律性が必要であると、自分で自由に考えてくれとまず要求するだろうと思う。それは球技の最低の条件だから。それがどうしてこうも理解されないのかがわからない。たぶん・・球技の経験があっても、そういうゲームを経験しないのでファンもわからないのかもしれない。

ただ、自由に考えさせる練習の方法が違う。そして練習時間が短すぎる。

対戦相手には、次回対戦するチームがとるであろう戦術をとらせている。そして、日本代表には、その戦術の攻略をシュミレートさせている。これがもっとも大事なところで、戦術とは、相手の戦術に対抗するものであって、空手の型のように、一人で舞うものではない。
日本代表は相当テクニシャンで、相手がいないところではものすごいテクニックを披露するらしい。だけれどそれでは意味がない。相手が強烈なプレッシャーをかけたシチュエーション下でプレーできなければテクニックなどなんの意味もないから。人形を立てても意味はない。人形は動かない、つまり戦況は変化しないから、頭を使わなくてもいい。それではフルに頭を使う本番では、なんの役にも立たない。だから、プレッシャーやスピードが要求される対人のシチュエーションで練習する。

今回は、代表召集から試合までの時間が短すぎる。だから、監督の支持は本番さながら、選手交代にとどまるだろう。基本的に選手にフォーメーションのぼやけた設計図を渡し、後は、ダミー敵国がとる戦術によって、敵の得意とする戦術を練習で知らせることとなると思う。時間がなさすぎるのである。

こんなにわか作りではなく、もう少し合宿を重ねた日本代表が見たかった。8月のこの季節では、いい試合はまったく期待できない。トリダードトバゴも、モチベーションが果たしてあるのかどうか。こんな試合をメイクされてはさすがの名将もおてあげだと思う。

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