和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

その四 訂正

2011年06月03日 | 農と歴史のはなし
  
      田原本の二毛作圃場(正確には米・麦・大豆の田畑輪換か)の麦秋

訂正

 もはや随分前の一年より以前のはなしになってしまいましたが訂正をしておきたいと思います。それと、次回の予告めいた事を文の最後にいつも書いていましたが、その通りに成ったことが一度も無かったのは、何と言うか出来もしないことを書いて適当すぎてすみません。
 現代の稲の特徴を株張型稲(穂数型)という風に書いてしまいましたが、これは大きなそして初歩的な間違いで、現代の稲は穂重型稲と株張型稲の中間種です。考えれば当然のことで、安定して最大収量を目指すと行き着くところはココになるわけです。
 理論上、穂に付く籾粒数を多くして一粒の重量も多くし、そんな穂の付く株数も増やせれば最大の収量を得られるわけですが、実際には穂重が重くなれば倒伏し易くなり収穫が恐ろしく大変になりますし、株数が増えすぎると互いに栄養条件や光合成に競合を起こしてしまうため、逆に収量を落としてしまいかねませんから、最大収量を求めるとなると自ずと穂重、株数共に限界点が見えてくるわけです。
 確か最近、遺伝子組み換え技術でスーパーライスを作出する計画があり、その中に一粒の籾重を大きくするというような話があったと記憶していますが、それを実現するには桿つまりストローの強靭さと柔軟さが求められるのは当然なのだと思います。

 現代の稲作の基本的な考え方は、株数を増やす、つまり分げつを増やす、それも「有効分げつ」と言う実際に実が付く分げつ数を如何に効率的に適正な数まで増やすか、その為に必要な栄養素を最適時に最適量を施肥するかということにあるのではないでしょうか。その為にも、生育途中の栄養成長から生殖成長への切り替えを、水管理や肥培管理でもってスムースに行なう必要があります。水管理は少し横に置いておいて、肥培管理でのそのような細やかな対応は近代以前の栽培方法では叶わず、化学肥料の登場後でなければ出来ませんでした。
 今では科学的に有機質肥料の無機化の数値化、グラフ化がなされたり、植物がタンパク態窒素の状態でも直接根から吸収すると言った新事実も研究されており、無機栄養説が崩れる可能性が有るなど、有機質肥料だけを利用してもある程度肥培管理が可能になりましたが、それでも実際の圃場においては勘と経験に大きく頼るのが実状です。ましてや明治以前には穂肥や実肥あるいは葉肥と言った認識はあったにしても科学的とは言い難くやはり勘に頼るものでした。花咲か爺さんが灰を撒いたら花が咲いた。でも理由は判らずあの犬のお爺さんを思う気持ちが・・みたいな感じでしょうか。
 そもそも窒素、燐酸、カリという植物の必須三要素説と、その最小率に関する理論をユーストス・リービッヒが提唱したのは1841年で、リービッヒはそれを実践するための化学肥料の合成にも力を注ぎます。既に1821年にフリードリヒ・ヴェラーによって尿素の化学合成は成功しており、明治時代を前にして海の向こうでは近代農法の幕開けが始まっていました。

 明治政府は富国強兵、殖産興業という表裏一体の国是を掲げ、その為にも農業生産の安定的拡大を、農業の近代化を国策として推進します。国民国家として新しく始まった日本はようやく日本列島の北から南まで隈なく国の政策を施行できる体制に体裁上はなりました。
 それまで藩という200以上のばらばらな統治機構に分かれていたわけで、江戸時代にあった飢饉のうち、特に東北地方で起こったものは冷害によるものが多かったようですが、一方の西日本では逆に豊作だったということがあったりと、流通の発達していない中で諸藩に分かれていたことによるある意味構造的災害、人災だとも言えたようです。
 勿論、冷害という根本原因があってのことで、比較的寒さには強いにしても本来短日性のジャポニカ稲が、冷涼で緯度の高い東北地方で安定的に栽培を続けるという事は至難の事であるのは、昭和に入ってからも東北地方では度々冷害に遭い、その度に娘子の身売りが相次いだ事が新聞記事などで残っていることからも窺えます。東北地方の飢饉は二・二六事件の遠因とも言われるなど社会不安の温床として克服するべき大きな課題だったはずです。
 近年でも記憶に新しいのは、1993年(平成五年)に発生した東日本大凶作です。特に東北地方での冷害が酷かったもので、西日本の特に九州ではそれ程の不作ではなく平年作だったと記憶しています。現代の米所、東北地方での不作は大きな影響があり、スーパーからお米が消えるという事態に陥りました。その為に緊急輸入したタイ米を多くの人が不味いと敬遠するなど、改めて日本人とコメについて考えさせられる事件だった気がします。
 話は少しずれますが、近頃のアイスランドの噴火の影響で来年以降、1993年のような冷夏での大凶作が有るんじゃないかと真剣に考えています。

 と余りにも長くなったのでここで一度切りたいと思います。続きは明日。


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