和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

バヴァロア/ムース ケーキ

2010年05月16日 | 菓子作り、料理作り
 ケーキの中で基本となるうちの一つ、バヴァロアのケーキを作ってみました。ウィキ先生によるとバヴァロアはムースとは別物でゼラチンで固めるところが決定的な違いらしいですが、卵黄か卵白かの違いもあるのでしょうか、工程はムースと殆ど同じで一般には同じ扱いを受けており、自分も同じ範疇で考えます。

 バヴァロアの工程の肝心はアングレーズソースで卵黄を凝固させる事であの食感を出しています。ムースはイタリエンヌかフランセーズなんだとすると(そういう訳では無さそう)どれも国名(中世の)を冠しているという面白さがありますね。いや実はバヴァロワも「バイエルンの」と言う意味なので、土台の生地をジェノワーズ生地にすると国名入り乱れの様相になりニヤリとしてしまう。
 火入れする事で卵の生臭さを消し、保存を多少良くすることが出来るみたいで、イタリエンヌもやはり同じ意図があるようです。フランセーズは何故火入れをしないのか?卵白は卵黄に比べれば臭みが気にならないにしてもやはり多少は残るもので、バニラエッセンスを加えるかしないと自分には我慢できないかもしれません。

 冷凍フランボワーズがスーパーでは手に入らないので、残念ですが冷凍ブルーベリーにしました。こちらの方は何処でも扱っていてコストパフォーマンスが良いので嬉しい反面、粒々の細かく固い種があり裏漉しがめんどくさいという難点もあります。しかし、どうやらそのままで使ってもむしろ色が良く残って問題無さそうですね。
 中に抱き込んだヨーグルトムースの完成度の低さも相まって、見た目の雑さ加減にセンスの無さを実感しています。家用という言い訳も苦しいですね。

 
 その後、卵白消費も兼ねてムラングイタリエンヌでムースを作ってみました。こちらは裏漉してます(普通にイタリアンメレンゲって書けよと言われそうですが、まあ少し気取らせてやって下さい)
  
 感想は、自分には卵黄を使った重みのあるバヴァロワが合っているんだと実感しました。メレンゲにホイップと殆ど空気のムースは淡雪のような口溶けこそが良いのでしょうけど少し頼りない。一晩寝かせるとムースも落ち着いてまあまあな感じになるので卵白消費の一つとしておきます。作業工程もイタリエンヌをどのタイミングでするのかが難しい。据え置きタイプじゃないのでビータを回しながら作業ができない為に後の方に作らないとメレンゲがダレて来てしまいます。

                       抹茶だとこうなる


次はイチゴが安くなって、酸味もようやく増してきたので本気のよそ行きフレジェを作りたいです。

橿原神宮についての一考察 つづき

2010年05月11日 | 和州独案内
 橿原神宮に魅力を感じないという方の多くは、その理由がこの神社は高々百年程の歴史しか無い新造の神社であるという事尽きるのではないでしょうか?しかし、新造であるが故に他の神社には無いものが有ると言うのか、およそ百二十年前に造営を計画し、そして完成した当時のそのままの形で現在も見ることが出来るというのは、実はとても珍しく興味深い事だと思うのです。

 あの現在も広大な社域を誇る春日大社ですら往時の十分の一、かつて三百万坪を数えたものが三十万坪「しか」無いなのか「も」残されたのか良く分からなくなる数字ですが、大幅に規模を縮小した事だけは事実です。ましてや「延喜式神名帳」に名を連ねる歴史深い神社達などは、参道が車道で分断されていたり、一の鳥居が住宅街の真ん中にぽつんと取り残されて何故これがここにあるのか誰も知らない、何てことは幾つも思い当たります。由緒ある神社だからなのか、かえって現在の周囲から孤立したような状況はまるで丸裸にされて放置されているように感じるのです。
 やはり神社というのは本体のみならず周囲全体の調和が生み出す美しさがあってこそのものだと思います。「引き」の視点に耐えられる完成された美しさ、それが橿原神宮には確かにあるのです。

 この景観を、手の届きそうな百年ほど前の人がプランニングした事実を考えると感心しませんか?

 国家神道の一翼を荷った神社として明治神宮と似るのは当然かも知れませんが、平安神宮のように他の明治以後の新造神社を挙げてみても二社の親和性は強いと思います。この辺りの事情から橿原神宮を避ける人もいますが、まあそれは議論の余地の無い話です。 
   
 約250メ-トルもある参道は真っ直ぐ一直線に続き、判りにくいですが二の鳥居までは側廊が付属していて参道幅は奥に行くに従い狭くなっている。その長い参道の突き当たりで道は90度北に折れて正門に取り付きます。明治神宮の参道は緩いカーブから二度向きを変える複雑なもので、少し異なりますがどちらも「折れ曲がり」を採り入れています。
 同じく新造社の平安神宮が宮城の都城制に基づき平安宮の朝堂院を模したもので、一の鳥居から本殿まで南北線上に位置するプランを持つのとは対照的です。橿原神宮も先日完成した平城宮跡の第一次大極殿のような直線プランを採用しても良かったはずです。そこは「参道効果」の古い神社様式を採用したとい言いたいところですが、多分誰にも同意してはもらえないでしょう。
  
 その大極殿はとても立派なものが出来ましたが、浮き上がった姿は少し寂しくもあります。これも周囲とのバランスを欠いてるからでしょうか?昼間見るよりは明け方や夕暮れの頃に見てみたい気がします。 

 欧米列強の脅威に慄きつつ、天皇を中枢とした国家に舵を切った明治政府は、西洋の王権神授説を日本風に解釈したのか、天皇は天孫降臨神話を基にした神勅によって「国家統治ノ大権ヲ祖宗ヨリ」承けたとされました。「統治権ヲ総攬」する存在は将に絶対的権力であり、その権力の可視化されたものが橿原、明治両神宮といえるかもしれません。参道や本殿大宮の威圧的なつくりはそこに繋がっている様に思えます。
 天皇の正統性を担保する万世一系論を更に裏打ちするためにこの橿原神宮は存在し、神話世界の実際は無いものを在るかの様にしてつくりあげられました。そんな国ぐるみの熱狂も落ち着きを取り戻し、神宮はごく穏やかに佇んでいます。それは全国からの献木によってつくり出された人工林が、極相化して落ち着いた鎮守の杜にふさわしい憩いの場に変わったのに重なります。


神宮参拝
http://blog.goo.ne.jp/primeurs-4/e/9e0c45bca2314371bb98e6afd1433330

参道効果、春日社の場合
http://blog.goo.ne.jp/primeurs-4/e/f09ce9fa46073f6bbe2d4cbb2259e538

橿原神宮についての一考察 参拝

2010年05月06日 | 和州独案内
  橿原神宮は神武天皇が即位したとされる橿原宮跡を明治二十一年(1888)に調査、冶定し、宮地の買収献納があり、地元有志による神社創立請願に始まり、その後政府の主導で造営を開始、明治天皇の造営費の下賜をはじめ、幅広い寄進を受けて明治二十三年三月に造営が完了しました。
 
 とまあ、色々書く前に参拝を済ませましょう。
  
 宮川に架かる石橋を渡った先には巨大な木製の二の鳥居が、手前の一の鳥居も同じく、いやそれ以上に大きくて圧倒されます。大神神社の鳥居が一番大きいのですが、あれは一の鳥居じゃ無いんですね。今まで勘違いしていましたがあれは「大鳥居」で、一の鳥居はおんぱらさんを越えた辺りにあります。
 一の鳥居から二の鳥居奥まで幅の広い参道が真っ直ぐに伸びています。県内の神社では恐らく最大の参道でしょう。

  
 その幅広の参道は二の鳥居の先でくの字に折れ曲がり、重厚な表門に取り付く。
 
  
 門を潜ると視界が開け、畝傍山の山懐に抱かれた外拝殿の最も美しく、最も絵になる景色を目の当たりに出来ます。パワースポットなどという怪しげな言葉は口にしたくもありませんが、言いたいことは分かります。外拝殿に葺かれた緑青がかった銅屋根の伸びやかなカーブと手が届きそうな畝傍山の新緑の対比がとても美しい。更に、晴れた日には空の青さが美しさをより際立たせます。この畝傍の神奈備山を見事に取り込んだ景観を見るためだけにでもここにくる価値はあると思います。いや是非訪れてください!

  
 その外拝殿はしっとりと仄暗く、静かに祈るのに丁度良い感じです。この先の内拝殿に挟まれた大空間が外院斎庭で約970坪もの広さがあるらしい。紀元祭の2月11日はこの斎庭まで入ることが出来るようですが、初詣と同じくわざわざ芋の子を洗うような混雑に身を置きたくはないかな。そう云うお祭騒ぎも悪くないですが、人の少ない静かな時に穏やかに参拝したいものです。 

  
 本殿は京都御所の賢所を移築したものですが、奥の内拝殿に阻まれて見えません。千木だけがかろうじて見えているのは幣殿で、祝詞などを進上する場だそうです。


 さて参拝も済ませてどの様な印象を持たれたでしょうか。何だか明治神宮に似ていると思いませんか?正確には明治神宮が橿原神宮に似ているのですけども、勤労奉仕隊による整備と全国からの献木などまるで明治神宮の雛形のようにこの橿原神宮が思えてなりません。現在の状態に整備されるのが遅れて昭和15年の皇紀2600年記念事業を経てなので明治神宮に習ったともいえるなど二社は浅からぬ縁があるともいえます。


 以下長い余談になります