和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

銅鐸の絵と

2010年11月10日 | 蟲のこと
 特に意識する訳でもなくここで蟲のことを書いていたら、驚いた事がありました。クモにカマキリそしてカエル、その後アブラムシ等についても書きましたが、アブラムシはコーンについて違う視点で書いたものなので除いて、これらが見事に銅鐸に刻まれた弥生人の絵(特に神岡5号銅鐸では袈裟襷紋の一区画に三つ全てが描かれている)合致している事に気づいたのです。
 弥生人と二千年近く時空を隔てた自分に彼等と同じ意識があるのかもしれないと考えると感慨深いものがあり、既に鹿の話を書き始めていたので驚きました。トンボについてを書かなかったのはハウス栽培がメインだからで、米作中心ならば書いていたかもしれません。
 米作とハウス栽培はかなり内容を異にするにも拘らず、どうしてこうなったのか?知っての通りこれらは益虫として認識されており、数多いる益虫の中でも特に目に付き易いものなのです。クモと言ってもハシリグモやコモリグモではなく田んぼではコガネグモやジョロウグモといった巣を張るタイプのクモでしょう。カエルもアマガエルだけでなくトノサマやツチ、ダルマといった地面を飛び跳ねるものかも知れません。
 カマキリは農作業をしていると兎に角も気になって仕様が無い虫です。単調で疲れる作業の手を休めふと見上げるとじっと佇むカマキリの姿があり、ちょっかいさえ出さなければ人の事など気にも留めずにゆらゆらと毛づくろいならぬ鎌づくろいをする姿は思わず手を止めて眺めてしまうものです。かと思うとものすごい早業で稲の害虫のバッタやいなごを仕留めてくれるのですから何かしらの特別な感情を抱いてしまうのも当然です。そんなカマキリもここ数日の寒さで将に死に絶えようとしています。
 
 銅鐸の絵をどう読み解くのかについては諸説あり、自論があるわけではありませんがこれらの絵が農耕に関係する事だけは間違いないと思います。ただ、農耕に限ってよいのか?と言えばどうもそうではなさそうです。まあそれは既知のことで、そこから先こそが問題であり議論の分かれるところのようです。
 農耕賛歌や豊穣を願うもの、日常や風物詩を描いたという説など色々ですが、特に銅鐸の絵で一番多く描かれているのが鹿であることをどの様に説明するかが重要なところです。
 というのも稲作においては鹿は猪と並んで害獣の筆頭に挙げられるからです。ただし、害獣とみなすだけかというと話はそう単純ではありません。時代が降って有名な「豊後国風土記」速見郡条にあるように、稲苗を食い荒らす鹿を田主が捕らえたところ、この鹿がもし見逃してくれたならばこの先、子孫の代までの稲を荒らさないと約束するという話があり、害獣としての鹿が人に服従して豊穣を予祝する霊獣になるのは、古代人のそうあって欲しいと言う素朴で切実な願望なのでしょう。現代でも野生の鹿を間近に見ると、心から憎い害獣も距離を取りつつ開けた土地でこちらを凝視するその雰囲気に呑まれてしまうという二律背反した感情を持つものです。
 あるいは「播磨国風土記」には、捕らえた鹿の腹を割き稲籾に塗したところ一晩で苗が生じたとあり、稲の豊穣と密接に関わる鹿の存在が浮き彫りになっています。そんな鹿と稲の関係を表わす好例は、今でも奈良の土産物の「稲穂飾り土鈴」という身近なところにあります。
 素朴な鹿の土鈴はその角の部分が稲籾になっており、春に生え始めた角が晩秋に大きく成長するという現象を稲の成長に重ねたものなのでしょう。しかし、銅鐸に描かれた鹿はと言うと角の無いものが圧倒的で、逆に土器などには角を描くものが多いという統計があるのです。銅鐸と土器で雌雄を描き分けたのか、あるいは春先の角の無い雄鹿を描いたのか判りませんが、個人的には群れで行動する雌を描いた狩猟と豊穣に関わる描写だと思うのです、と断定できないところにこの話の難しさがあります。


 
 山の中で見つけた鹿の落とし角は四枝に分かれているので五齢以上だとわかる。角の付き方は見ての通り互生するのではなく、一方向に枝分かれするのが普通です。これをイメージだけで角を描くと小枝のように互い違いに描いてしまいます。正確に描いている鹿の絵もありその違いが何故生じたのかを考えることも面白いかも知れません。

アマガエル?

2009年06月25日 | 蟲のこと
 

 ユーモラスな姿とのんびり間の抜けた動きが可愛らしいアマガエル。厳冬期を除いてハウス内に必ずいる常連で、葉っぱにちょこんと丸まっている佇まいは少し哲学的でもあります。
 そんなアマガエルですが時折雰囲気の違う個体に出くわす事がありました。アマガエルをさらに不恰好にしたような何とも奇妙な姿で、突然変異かはたまた病気なのかと訝りつつも何年も放って置いたのですが、やはり気になって調べてみると何とアマガエルだと思っていたのが実はモリアオガエルだったのです。
 イメージというのは恐ろしいものでこんなハウス中にまさかモリアオガエルが居るはずが無いと思い込んでたのですが、肌の色合いや不恰好な手足とやけに大きい吸盤、決め手の赤い目はアマガエルでもシュレーゲルでもなくモリアオガエルそのものでした。パッと見がセサミストリートのカエルにそっくりな感じですか、思い返すと春先には居なくなっていたのは繁殖のために水辺に帰っていたのですね、その為に画像はありません。
 確かに畑一枚を隔ててちょっとした雑木林があるし、護岸をコンクリで固めていない用水の溜め池もありますから居てもおかしくは無かったのですが、やはりまさかこんなハウスに居るはずが無いと言う思い込みが邪魔して気付くのに何年もかかってしまいました。
 それにしてもモリアオガエルは天然記念物だった気がするのですが繁殖地によるのでしょうか?一体地元の人達のどれ位がモリアオガエルのことを知っているのでしょうね、恐らく誰も知らないのではないかと思います。ハウスだろうが何だろうが居心地が良ければやつ等は何処でもやって来るという良い例かもしれません。

  
       いつかのコモリグモが子守をしている様子、子蜘蛛がわらわら群れている

カマキリ

2009年04月06日 | 蟲のこと
    

 今、自然界では新しい命が静かに誕生のラッシュを迎えています。クモは卵を抱き、アブラムシは羽根付きが生まれて拡散の機会を窺っています。そんなアブラムシのコロニー近くにはテントウムシが卵を産みつけ、大食漢の幼虫が生まれるのも時間の問題です。
 カマキリはあの生命の欠片も感じさせない卵鞘から数百匹の幼虫が、数珠繋ぎになって生まれてきます。体長五ミリ程の生まれたてのカマキリが約半年かけて10センチを超える大きさに成長する。その頃には食物連鎖の頂点に達し、コウロギやバッタ果ては稀にアマガエルさえ捕らえる悪食になるが、この頃はクモやアマガエルに捕食される側です。しかし手足を舐め身づくろいをする仕草やその風格は成虫のそれとほぼ変わらない。
 いくつもの卵鞘から生まれる幼虫は千匹を超えるはずですが最終的に残るのはたった数匹、しかもオスはメスに食べられる事もある。同じオスとしてという感情的、感傷的な見方よりも、頭が齧られて既に無いのに交尾は続いてるんだなあと言う事実を冷静に見つめているものです。自然状態では余り観察されないらしいですが、やはり閉鎖空間のハウスならではなのでしょう年一回は見かける気がします。
 基本的に他のカマキリが近寄るのを嫌うのは繁殖期も変わらない様に見えるが、流石に食べるのに夢中なのかおとなしくなるので、確実に子孫を残せる究極の方法でしょうか。

  
                      トカゲの子供も動き出す

只の虫か益虫か、はたまた害虫か

2009年04月01日 | 蟲のこと
 ハウスの中は外界とは少し違った自然環境が形成されている。人の生業のために囲われた自然は、年に数度耕起され人の求める商品植物がモノカルチャで栽培される。農業が自然かどうかは見方により随分ちがってくるが、ハウスを建てようがビルを建てようが自然はゆっくりとしたたかに寄り添い侵食して来るものです。
 ハウスは基本的に乾燥気味だが野菜の生育初期には集中して過湿になっている。雨の降らない乾燥状態は虫にとってはどうにも居心地が良いらしく、害虫のコナガやダニは降雨でかなり密度を減らせるという。
 ハウス内で最も頻繁に見かけるのはクモで、特にハシリグモ(走り蜘蛛)やコモリグモ(子守蜘蛛)は平米10匹は見かける。あくまでも目に止まる虫であって、人が歩くのにつられて動くクモは目に付きやすいだけなので、実際の密度は羽虫やダニ、トビムシなどのほうが圧倒的だろう。それでも多いほうかもしれないクモたちは害虫では有り得ないが益虫だろうか?それとも只の虫か。 

 園芸書等ではクモは間違いなく益虫としての地位を確立しているが、実際は只の虫とのあいだ辺りといった所でしょうか、これまでコナガを捕食しているのを一度見た位で、捕食の現場に出くわす事が殆ど無いに等しい。では一体何を食べているのかと考えるに、ハエ等が一番多いのかもしれないが、有り得る事は昆虫の世界では特別な事でもない共食いです。しかしお互いに出くわす事の多いコモリグモですがどちらかが捕まるような事態は殆ど見られません。片方がちょっかいを出してつばぜり合いをするが、パッと離れるのが常です。それでも感覚的なことですがクモの密度は常に一定を保っている気がする。

   
                           卵のう付き

 コモリグモはその名が示すように子育てのような事をします。丁度この時期に雌が産卵して「卵のう」をお尻に付けている姿を良く見かけます。今見かけるもので卵のうの無い、色の濃いのは大体オスだと考えれば良いのでしょう。冬の間日なたでしきりに体を震わせる仕草をしていたのはどうやらオスの求愛行動だったようです。それから交尾をして産卵、卵のうをくっ付けて徘徊する現在に至る。
 コモリグモのなかでも恐らくこれらはウヅキコモリグモでしょう。これは卯月子守蜘蛛の意味ですが、これから丁度卯月の4月にかけて孵化した子供をわさわさと背中に乗せて子育てをします。もうしばらくすれば子守り中の写真を貼れると思います。



 一方ダンゴムシは一見何でもない只の虫ですが、有機物を分解し腐葉土を作ってくれるという意味においてありがたい益虫です。ところが植物の遺骸を主食としているはずのダンゴムシが生きている植物の根を食害するするのは余り知られていません。大根などに丸く穴をあけて食害しますが、どうも大根の属するアブラナ科の根を特に好むように思えます。いずれにしろ益虫か只の虫かは人の価値観による事には違いなく、只の虫はたまた益虫でも時には人に害を為すこともあるのです。

  
                          王蟲ではない

 話がずれますがアブラナ科の根は普通の根以上の何らかの物質を分泌しているのでしょうか?ダンゴムシの事もそうですが、ヒメミミズを特にアブラナ科の植物の根付近で頻繁に見かけるのです。