和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

ハウスの作り方というかビニルの張り方 

2010年02月27日 | ハウス造り
  


 ここで言うハウスとはアーチパイプハウスの事で、曲げた亜鉛メッキパイプを地面に挿し込んで棟部で繋ぎ合わせたものです。25ミリ径が標準で、22ミリが限界、それ以下は細すぎて意味が無い。25ミリ以上になると値段が跳ね上がるので25ミリが一般的です。
 パイプハウスが柔構造か剛構造かと問われれば間違いなく柔構造の代表でしょう。試しにハウスのサイドを手で少し揺らしてみれば、ハウス全体が波打つ事からも解るように、アーチパイプと直管パイプを鋼線や接合金物で接続しているだけの極めて単純な構造をしています。少し考えれば、こんな構造で内部の大空間を維持している事に根本的に無理があるという事は、構造の専門家でなくとも気付くはずですが、慣れというのか費用対効果からなのか、これが当たり前と言う感覚が勝っているのが現状でしょう。そこでアーチパイプに合わせて筋交いを入れるのですが、これは最低限行なうべき補強であり、これだけでは到底強風には耐えられません。
 
 それは置いて、ビニルの張り方です。自分ではすっかりビニル張りはマスターしたと思っていましたがおごっていた様で、今回は少々肝を冷やしました。基本的に一人で張るのでいつも緊張するものですが、どうしたら上手く張れるか考えたものの詰めが甘かったようです。
 天井のアーチ部分のみの張り替えは、ビニルが軽くて安く付くので良いのですが、風の吹き込みとあおりをモロに受ける危険さを孕んでいる事をもう少し考えるべきでした。本来は日中に張らずに、朝凪夕凪に向けて張り始めるのが普通なのですが、冬のビニル張りということもあって、ビニルを成るべく温めて伸ばす必要があったので昼間に張り始めたため、やはり風が出て途中で挫けそうになりました。

 棟部にビニルを伸ばし広げていくため、ずり落ち防止の直管を刺しておく。
  
 
 このソリ(修羅)が上手く使えるかで頭がいっぱいだったと言い訳しておきます。
  

 ハウスの真ん中辺りで棟上にビニルを上げ、このソリに端を巻きつけて引っ張ると力もいらずスムースにビニルが展開してくれ、これは想像以上に上手くいった。
  

 この時点でハウスバンドをアーチに渡しておけば良かったのと、長辺の端四点を先に仮止めするべきでした。ビニルを展開していくと途中から風にあおられヤバイ感じでしたが、もう後戻りできないのでなんとか密閉して室温を上げてビニルを膨張させながら、仮止めを繰り返して弛みを無くしていく、何とも地道な方法しかありませんでした。
  

 妻部のビニルは先に別張りするとして、サイドと天部が一枚物の場合はこのやり方でもいいのかもしれませんが、天部だけの張り方は別の方法、サイドの肩から展開する方法で張るべきだと痛感しました。そのための金具をまた作らないといけないか。

 




これでいいのですか?

2010年02月21日 | Weblog
 先日、といっても少し前になりますが、中国韓国を歴訪した小沢幹事長が、韓国の学生をまえにして講演をしました。その内容は聞くに堪えない酷い内容なのですが、その中であろうことか江上波夫氏の「騎馬民族征服説」を見事に曲解し、朝鮮半島南部の部族が九州に上陸し東遷、大和に王朝を開いたつまり神武天皇であると語り、更に平安京を築いた桓武天皇の生母が百済の皇女だったとも言い放っていました。(意訳でもなくこのままのことを言っています)

 本来ここでこんな事を書きたくは無いのですが、その余りにも酷い内容に、歴史を多少なりとも学ぼうとするものとして怒りに震える思いです。私達庶民の酒の席でも笑い話にしかならないこんな話を、与党の幹事長という立場でしれっと海外で語っているのです。このような間違ったメッセージは国益を損ねる事すら分からないのでしょうか。更にこれに続いて今上天皇の「ゆかり発言」を曲解して引用しています。先般の天皇の国事行為の条文に関して記者達に言った「憲法をよく読め」という発言同様、独善的で論理性に乏しい、どこか頭のねじが飛んでいるとしか言いようがありません。
 「騎馬民族征服説」は既に異説程度のものですし、桓武の生母、高野新笠は百済の王族の十世孫であり、言ってみれば渡来系の日本人な訳です。その事などを踏まえて天皇陛下のゆかり発言があるのですが、これをどうすれば「皇室半島起源論」に繋がるのか、その頭の構造を一度見てみたいものです。

 小沢氏に限らず、現内閣の憲法や法律というものに対する態度を見ていると、その道に暗い私から見てもまるで子供のような答弁を繰り返しています。国会での予算審議前に党に、と言うか小沢氏に情報を漏洩した、あるいはさせられた馬渕氏にも残念ながら同じことが言えます。それらをまともに取り上げないマスメディアにも、失望を通り越して絶望に近いものがあります。政治家が国益を語らずして、日本人の利益を代弁せずに、漠然とした理念だけを騙るのはもううんざりなのです。
 民主党に一票を投じた方々に聞いてみたい。これがあなた方の望んだ事なのですか、本当にこれでいいんですか?


マンゴーアンニン

2010年02月11日 | 菓子作り、料理作り
 基本的に、街に出ないしケーキ屋にも入りにくい身分としては、これは自作するしかないとなる訳ですが、砂糖を悪者扱いするのは間違いだとは分かっていても、自分でお菓子を作って見ると余りの砂糖の多さに色々考えさせられます。最近もミルフイユのクリームパティシエールを作った後、卵白消費のためにラングドシャを作りましたが、恐ろしい量の砂糖とバター・・・ 等量が基本のクッキー、パウンド系は砂糖とバターを食べていると言っていいのでは、やっぱりスポンジ系が軽くていいですね。日本人の舌にあの軽い生地と、繊細な生クリームが丁度合ってるのだと思います。

 さあ、そこでこれも軽い杏仁豆腐の出番ですが、杏仁は恐ろしく簡単で、簡単すぎて逆に詰まらないので、今流行りかもはや定番なのか知りませんが、ケーキ用に買っておいた安い缶詰マンゴーを利用して、マンゴーアンニンを作ります。
 マンゴーを杏仁に混ぜたものは、今のところ完成の域には達していないので、今回は普通の杏仁にマンゴーのピュレを上掛けしたものになります。普通の杏仁といってもその配合は千差あるのでご自分の好みを見つけてください。私は牛乳や生クリームだけの濃厚なものより、水を加えたさっぱりしたものが好みです。
 


1、マンゴー缶のマンゴー2切れ程をさいの目に切って取り置き、残りをピュレ状にする。ミキサーにかけた後、必ず網で漉して繊維を取り除き、レモン汁を少々加えて冷蔵庫へ。
  

2、容器に賽の目に切ったマンゴーを入れておく


3、水に砂糖を加え、沸騰するまで熱を加える。そこに牛乳と杏仁霜を加え、再び加熱する。

  
3、完全に溶けたら火を止め、氷水に当て60度以下に下げてからふやかした板ゼラチンを加え、空気を入れずにかき混ぜる。とろみが付いたら最後に生クリームを入れて混ぜる。


4、容器に移し入れ、冷蔵庫で冷やし固める。表面にマンゴーピュレを上掛けし、さらにクコの実をデコレしてもいい
  
  
 杏仁作りには材料を入れてから温度を上げるのと、温度を上げたものに材料を入れて次第に落としていくやり方がありますが、何が違うのでしょうか?自分は植物性や調整された動物性の生クリームしか使った事が無いのですが、本物の生クリームを使う場合は最後に来るように落としていく方でやったほうが良いのと、ゼラチンの性質を熱で損なわない注意が必要なのでしょう。
 ただ、杏仁の爽やかな風味を生かすには、濃厚な生クリームは使わないか植物性ホイップの方が合っているという話もあります。単品のデザートとしては濃厚さが受けるとは言え、余り濃いのは杏仁の良さを消してしまうのかもしてません。
 中華料理の後の口直しに食べるのであれば、やはりゼラチンではなく寒天で固めた、生クリームの入っていないものの方がさっぱりとして美味しいと思います。

 あと、ジャスミン茶を煮出して桂花珍酒を加えたシラップを底に敷けば、最初はマンゴー風味で次にシンプルな杏仁、そして最後にと三つの味が楽しめる凝ったものもつくれますよ。

新世界より

2010年02月04日 | Weblog
  

 ロリン・マゼールの変態的な第九番「新世界より」をたまたま聴いてしまい悪酔いしてしまいました。口直しに聴いたチェリビダッケが逆に余りにも素晴らしく美しく、色々と思い出すことがありましたが、その一つが貴志祐介の「新世界より」です。

 (まだお読みでない方にはひどいネタバレになりますので、先に本をお読みになることを勧めます。)

 この本は数年前に刊行されたもので、当時余り評判が芳しくなかった記憶があったのですが、SF大賞を受賞していた事を最近知ってほっと胸をなでおろしています。貴志祐介の本はどれもお勧めですがこれは飛び抜けているというか、それまで刊行されたものに馴れた読者には戸惑いが大きかったのは、ジャンル的には初のSF作品だったからですが、個人的には貴志祐介版のライトノベルだと思いました。
 ライトノベルに定義があるわけではなく、文庫レーベルから出版された中高生向けの軽く読めるものに引っかかればそれがライトノベルだろう位のものですが、超能力や魔法といった特殊な能力を扱うものが多く、大人には少し読みづらいものであるのは確かです。でも馬鹿には出来ません。
 ライトノベルでは主人公の特殊能力を、世界は軽く受容してまるで無いもののように、ただ主人公の半径数キロでのみ異変が起こっているかのように設定されるのが常です。しかし、貴志版では一人の超能力者の出現が、シンクロして世界中に能力者が出現し、やがて能力を持たざるものと持つものとの間に、そして能力者どうしの間に起こる血みどろの時代を長く経て、ようやく落ち着きを取り戻した、そんな時代を生きる一人の女性を主人公にストーリィは進んでいきます。

 落ち着きを取り戻したといっても安定したという意味ではなく、殺戮の限りを尽くしてもはや交える矛が無いと言うか、念じるだけで人を殺す事が出来るというあまりに過ぎた能力に人々は恐怖して引き篭もるしかなかっただけでした。
 まるでハリネズミのように外部に対し神経を尖らせつつ、残された人々がようやく作り上げた安住のコミュニティ、神栖66町が物語の舞台になります。穏やかな人々が暮らす、穏やかなコミュニティですが、そこは実は理想郷ではなく、コミュニティを維持する為に色々ないびつさを積み上げて出来上がった砂上の楼閣だった、と言うと新井素子の小説にありそうですが、思考や能力の足枷に密教の行法が使われるなどは、無機質な未来的なものではなくプリミティブで退文明的な印象を演出しています。

 このコミュニティ、神栖66町で夕暮れに流され、子供達に帰宅を促す音楽が「新世界より」第二楽章です、というかそれに日本語の歌詞をつけたあの「家路」です。日本人のほとんどがこの曲を聴いて思い出す、一日の終わり、夕暮れの物悲しくも、温かい団欒の心象風景を見事に取り込んで、物語の核に据えているのです。
 主人公は無邪気な子供の頃は知る由も無かった、閉じたコミュニティの本当の姿を否応無しに知っていくのですが、家路のイメージは戻れない子供の頃の懐かしさと同時に、この時代の人類が、種として黄昏の時代を絶望の淵を歩いている事を暗喩してもいるように思えます。

 PKを持ってしまった人類がそれまでの人類とはもはや違う種であり、その過ぎた能力はサーベルタイガーの様に進化の袋小路に陥り、もはや自滅を待つしかないような状況に置かれるのですが、貴志祐介が「新世界より」というタイトルを付けた理由は、実は第二楽章を想起したものだけではなく、第四楽章のラストと数十秒の余韻にこそあるのでは?という事をチェリビダッケの「新世界より」を聴いて改めて考えさせられました。
 主人公の女性を含むグループは何かと目をつけられて実は特別に育てられた、このコミュニティのみならず新人類の希望だったであろうことも示唆されています。が、その先に物語は提示され無いだけでなく、これまでの物語も彼女の後語りとして陰鬱に語られるだけです。それにしても彼女は誰に対して語っていたのでしょうか?

 その先に待つのが希望か、絶望か答えはありませんが、第四楽章のラストと続く余韻の、あの息苦しさを覚える様な新世界への予感を、私はこの小説のその先に重ねてしまうのです。



(勢いに任せて書いてから、もう一度本を借りて読み返してみると、少し内容と齟齬がありましたがこのままにしておきます。それにしても当時、震えながらこの本を読んだ記憶が蘇ってきました。自分が若い頃に読んだサル学の本にあったボノボ、その頃はピグチンと呼ばれていた彼らの社会性の複雑さに非常に興味を持った一人としては、ボノボの「ホカホカ」をこんな風に取り込んだ作者に脱帽した事も、この作品に強い思い入れを持つ理由なのだと思います。)